この日は飯田のシンボルである、風越山に登頂する計画でしたが、あいにくの雨模様。
よって、企画されたOさんのご厚意に甘え、大平宿へ。
いつ来ても、ここは時代が止まっている。
昔ながらの家
舗装されていない道
そしてコンクリート二次製品が入れられていない水路
かつて自分も農家の省力化と称して、数々あった用水路へ次々とコンクリートの二次製品を入れる工事を設計、積算、発注、監督業務を行ってきました。
しかし、今その水路はどうなっているのか
もちろん水田への用水や排水を受ける水路として機能している場所もあるのですが…
すっかり草に覆われ、もはや水を必要としなくなった場所や、水路そのものがもはや管理されず、がたつきを生じている場所すら。
いったい
なにを
してきたのだろう
農家の手助けをしてきたのでないのか
その農地を維持してきた人たちはどうしてしまったのか
数多くの生き物を育み、夏にはホタルが飛び交った水路の姿はなく、
単に排水路と化していたり、もはや水が流れてすらいない水路。
「未来とは 今あるモノが 無くなること」
そうかもしれんが
人が守りたいと多くの力を借りて形作ったもの。
その想いを受け継いで
いくべきではないのか
人が住まなくなった集落の神社。
物悲しさを感じます
残されたモノに
その頃の人たちの想いを感じて
一歩一歩歩む。
生きるとはいったい?
自分が何をすべきか 何をするべきでないのか??
幸せとは何か
人々の息遣いが消えた集落にて考える。
その後山道をぬって
摺古木山休憩舎へ。
ここを起点に摺古木山と日本二百名山にあげられる安平路山へ登山できる。
ここまで車で来られない事はないが、途中の東沢林道の斜面からの崩落や落石は相変わらず。かなり管理はされているものの、危険を伴う。
やはり途中の駐車場もしくは大平宿にある駐車場から歩いてここまで来て1泊。
そして早起きして摺古木山を周遊するゆったりとした散策か、安平路山へ日帰りする登山がよいのではないかと思う。
帰り道、砂防えん堤から下流を見る
すこうし(少し)土木技術屋が長い自分の意識が崩れた護岸へ向く。
だが
すぐに
森林インストラクターとしての血が騒ぐ
この落し物は
いったい誰だ
野性動物のフィールドサインがたまらぬ。
木の枝があれば、つっついて内容物(昆虫の羽根とか種とか他の小獣の毛とか)を探りたい衝動に駆られる。
砂防ダムの機能は果たされているが、これ以上の堆砂は…
美しい景色の下に潜む現実を見る。
戻りて
囲炉裏の炭火を熾し
お蕎麦とともにお弁当。
囲炉裏というのは落ち着く。
食事をつくり食べる場だけでなく、冬は暖をとり家族や友人と語らう場。
現代の人々が失ってしまった「大切なもの」を思い出させてくれる。
帰りは木曽路を経て
見晴らしの良い場所へ
ここからの竜東の山並みの奥行の広さに驚く。
向こうへ その向こうへと
越えて行きたくなる衝動が起きる。
自分が素晴らしい場所にて暮らし働いていられる事に感謝。
この場所で生まれ、暮らしてきた森林インストラクターとして
山並みを形作っている森や里山における生き物や、そこから育まれた文化や歴史を伝えて行かねばならん。