ファントム オブ ザ 成均館 その42 | それからの成均館

それからの成均館

『成均館スキャンダル』の二次小説です。ブログ主はコロ応援隊隊員ですので多少の贔屓はご容赦下さいませ。

㊟成均館スキャンダルの登場人物による創作です。

  ご注意ください。

 

 

 ジェシンがヨンシンの短い弔いを終えしばらくの後、東斎の片隅にあった幽霊の出るという建物は解体された。板は他に流用すべく保管されたし、再利用できないものは薪に回された。そっと見に行ったユニの目には、柱が埋まっていた穴や、柱を掘り返すために広い範囲に掘られた跡がある建物跡しかなかった。ユニが部屋の中から降り立った床下にあったはずの均された場所も、塀にあったはずの、小さな通り抜ける穴も分からなかった。まるで最初からなかったもののように。

 

 建物が壊されたわけをユニははっきりと理解していた。この建物は、おそらく時にあの男が潜むために使っていたのだろうと分かっていたからだ。だから出会ったあの日、たまたま男は建物に居て、ユニは助けられたのだし、その部屋が必要なくなったという事は、つまりそういう事だ。

 

 だからユニは、薬房へ向かった。

 

 男に茶にするほど薬剤を与えているなど、薬房に居る人間しかできない。男は成均館から出る事はないとユニに言っていた。主だからね、と笑っていた。

 

 薬房に入ると、ユニが来るのを分かっていたかのようにチョン博士はいた。少しやつれた顔に、相変わらずの表情の読めない様子で、静かにユニを見据えた。

 

 「あの・・・お聞きしたい事があって来ました・・・。」

 

 ユニが思い切って言うと、博士は頷き、前に着て座るように手で指示した。

 

 「私も伝言を預かっている・・・いや、遺言か・・・。」

 

 最後にぼそりと呟いた言葉で、ユニははっきりと男・・・ヨンシンと名乗ったユニの唯一の先生を失ったのだと宣告されてしまった。

 

 涙は、出なかった。

 

 悲しくないわけではない。覚悟を決めているからでもない。ただ、この数日、布団の中で静かに泣いて、泣いて、そして泣き尽くしてから来ただけだからだ。

 

 「お亡くなりに・・・なったのですね。」

 

 「さよう。静かに、枯れるように息を引き取った。」

 

 あの方・・・師匠らしい、と思えた。死の直前に騒ぐことなど想像もできない人だった。そう、ユニの師匠はそういう人だった。

 

 「君に・・・キム・ユンシク儒生にと伝言を預かった。まず・・・。」

 

 ユニは目をつぶった。

 

 「5のつく日には薬房で茶を頂きなさい。」

 

 ユニは目を瞠った。

 

 「体調を整えるために、睡眠の質を上げてやってほしいと頼まれた。君が彼と飲んでいた薬湯ともいえない薄い茶ではあるが、君は健康だからそれぐらいがいいだろうと私も思う。」

 

 それから、と博士が咳ばらいを認め、ユニはまた目をつぶった。

 

 「目的を成した後、自分が幸せになりなさい。これがもう一つの伝言だ。」

 

 ユニはゆっくりと目を見開いた。そこに動揺があることを博士は見て取った。

 

 幸せ・・・せめて穏やかに人生を終えるぐらいは皆望むだろう。しかし博士から見たユニは、ただ、キム・ユンシクという名を持つ者を大科まで連れて行く、それだけが目標で、その先のことなど考えていないのだ。大科に受かるころには本物のキム・ユンシクも健康を取り戻し、年齢も大人として十分通用する青年になっている。何しろユニと一つしか違わないのだから。そこで入れ替わるつもりだろうが、そこから先、ユニが娘としてどう生きていくか、博士ですら想像つかない。ユニなど、考える余裕すらないだろうし、逆に考えたくないこともあるだろう、とは予測できる。

 

 そう、ユニは自分の人生における幸せなど、手に入らないと自覚していた。キム・ユニとしての幸せは娘、女人としての幸せだ。一般的には、釣り合いのとれる家に嫁に行き、子を産み育て、その家の母として家を守る、それが幸せと言われている。そしてキム・ユンシクという一人の両班としての幸せなら、官吏となり、少しでも出世して地位を上げる事だろう。ユニにはどちらも手に入らない。今更普通に嫁げる身ではないし、ユンシクの名と立場は本人に返さねばならない。ユニは今は仮の姿なのだから。

 

 「幸せとは・・・曖昧でどうして良いかわからないだろう・・・これから手探りすればよいと私は思う。そう・・・5のつく日に、ここにきて、茶を飲みながら・・・。」

 

 博士もそう言ってやるのが精いっぱいだった。

 

 

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