はぃどーもこんばんわ。最近ずっと雨だったり、曇りだったり、「やませ」が吹き荒れたりと天候がいまひとつでしたが、ようやく良い天気になりました。だんだんと「扇風機」が必要になってきそうです。
さて。
転勤してから、やっと気分的にも精神的にも落ち着いてきたので、久しぶりに旧道散策をしてまいりました。と、いってもネタとしては小さいものですが(苦笑)
場所はこちら。国道4号線の盛岡市玉山区(旧・玉山村)と滝沢村の境にある「松島橋」です。
国道4号線、といえば、岩手県のまさに「大動脈」。国道のまさに「王道」です。歴史も古く、おそらく改良に改良を重ねて現在に至っています。もはや旧廃道区間なぞ残されていないだろう、と思っていたのですが、ここにちんまりと残されていました。
写真中央に現・松島橋があります。1975年の竣工なそうです。35年ちょい経過してます。微妙に新しく微妙に古い・・・。また、ちょうどこの橋を境に向こう側が滝沢村、となります。
全然旧道とは関係ないですが、この「滝沢村」。実に特徴のある「村」でして・・・
滝沢村(たきざわむら)は、岩手県の中部に位置する岩手郡に属する村 。
盛岡市 のベッドタウン として開発が進められ、2005年 (平成 17年)の国勢調査 人口 は53,555人、日本の村および町村部の中で人口が最も多い。広大な土地を背景に、盛岡市の都市機能を補完している。
岩手県内13市16町6村の内、7番目に人口が多く、町を通り越し市になることが可能な人口規模ではあるが、いまだに「町」でも「市」でもない。これは、市街地の集積が無い(峠を挟んで巣子地区(旧・滝沢村周辺)と鵜飼地区(旧・鵜飼村周辺)に世帯・商業地が分散してしまっているため、村内にはっきりとした中心街が存在しない)こと、また、村民の多くは隣接する盛岡市 に勤務地・通学校があり、普段の買い物に関しても盛岡にほぼ依存しており、現状では完全に盛岡市のベッドタウン となってしまっていることなど、人口以外の「市となる条件(地方自治法 第八条第一項 )」を満たしていないためである。なお、「町となる条件」については岩手県の町としての要件に関する条例 (昭和28年 岩手県条例第46号)を参照のこと。
ただし、市・町となる条件を満たしていないという直接的な理由の他にも、人が「村」という言葉に抱く、「のどかで豊かな美しい場所」というイメージのブランド性を維持するためという、戦略上の理由も存在する。
盛岡市との合併案も持ち上がった(中核市 指定を睨んだ、盛岡市による合併協議会の設立による)が、住民による強い反対により実現していない(なお盛岡市は2006年 、岩手郡 玉山村 を編入合併 して人口30万人を達成し、2008年 4月 に中核市に指定された)。
滝沢村では2011年 (平成23年)1月 以降、単独市制移行に向けた検討委員会を立ち上げる予定。2009年 度(平成21年度)の村民アンケートでは盛岡市との合併に反対する意見が63.5%と、2007年 度(平成19年度)調査より2.2ポイント上昇している。
滝沢村の単独市制移行については1997年 (平成9年)に柳村純一村長(当時)が意欲を示したものの、結局実現に至らなかった経緯がある。なお、全国の人口5万人以上の町村は大半が単独市制に移行している(2010年 11月28日 付、岩手日報 1面記事にて報道)。
2011年12月に実施した単独市制以降の是非を問う村民アンケートでは、市制移行に賛成する意見が7割を占めた。なお「人口5万人以上」という地方自治法 の規定こそ満たしているが、「国や県の出先機関が5カ所以上」という岩手県の条例は満たしていない。このため柳村典秀 村長は2011年12月7日の記者会見で「官公署が5カ所以上」という条例を改正するよう岩手県に働きかけ、2014年1月の市制施行に向けた機運を高めていきたい」と述べている。
2010年 - 2011年に開催された「滝沢村行政体制調査研究会」において「人口5万人の基礎自治体として最も適した行政体制は『市』であると結論付け」られたことにより、2014年 (平成26年)1月を目処に市政に移行することが決定した
(以上「Wikipedia」より引用)
・・・だそうです。ようするに日本一人口の多い「村」。
で。
橋のたもとからヒョロッと伸びる小道を進むと、ガードレールで封鎖されておりました。ちょこっとお邪魔して先へ進むと・・・
こんな感じでいい具合に古びた橋が現れます。
銘板は失われていましたが、おそらく旧・松島橋で間違いないでしょうね。
橋から先は意図的な土盛りがされており、先には進めませんでした。反対側を振り返って見ると、確かにこの道幅では、当時でも相当狭く、いわゆる「ボトルネック」区間だったと想像されます。現在の感覚だと快適極まりない国道に思えますが、当時は4号線といえどもこんな道幅な道路だったんでしょうか?
もっとも、現在の国道4号線も依然改良工事が進んでいますが、まだまだ改良が必要だと思われる区間もあります。小さい旧廃道区間ですが、かの国道4号線といえども、以前はこのような狭い道路だった時代もあったんだ、という過去を偲ばせる貴重な場所だと感じました。
でわ、股にて('-^*)/