はぃどーもこんばんわぁぁ。ヽ( ´ー`)ノ  実は今日、10月10日は「萌えの日」なんだそうです。


 十十

 日月 ←ほら、ね(笑)。 



 さて。


 

  先日開通したばかりの早坂峠を走ってきたのですが、岩泉に帰らずそのまま国道340号線に入り、茂市経由で宮古に帰るルートを取りました。で、ついでにJR岩泉線の各駅を撮影してまいりました。その様子を紹介したいと思います。


  今回は岩泉駅と押角駅の間の駅を紹介します。まずは岩泉の次の駅「二升石駅」です。




  二升石。昭和47年に浅内以降が延伸され、ココと岩泉駅が設けられました。と、いっても見てのとおり簡易な駅で、あまり特筆するモノもないんですけどね(苦笑)。


  二升石、といえばこんな「はやしことば」を思い出しました。


  「しょーすぅ、しょーすぅ、にしょーすぅ。ホントにしょーすぅ、あまでんびぃ~♪」

  こんなこと記事にしたら不適切なんでしょうけど、まぁ岩泉ローカルな話題というコトでご容赦のほど(苦笑)。コレはですな、まぁ岩泉小学校の生徒が二升石地区や尼額地区の生徒をからかった歌なんですけどね。「しょーすぅ」というのは「恥ずかしい」という意味。「にしょーすぅ」とは「二升石」のコトで、「しょーすぅ」にかけた言葉。「あまでんび」ってのは、「あま(尼)+でんび(額)」の意味。一応岩泉地区の方がよりハイソサィエティ、という意識もありましたし(笑)。今考えれば情けない話なんですけど(笑)。


  さて。次の浅内駅に行く前にちと寄り道。岩泉⇔盛岡間が近年までいかに交通の難所だったかを物語る物件を紹介します。




  国道455号線と340号線の重複区間の旧道にある素掘りの廃トンネル「松野隧道」と、そこから盛岡方面に続く道路。記憶が曖昧なのですが、確か1985年(昭和60年)頃まで現役だったと思います。わずか20年前はこんな粗末なトンネルと細い道が盛岡までの唯一の道路だったんです・・・。下のもう一つの素掘り隧道は「下山隧道」。もうすでに崩れてしまっていますが、ここも私小さいときにたぶん通ったと記憶してます。


  ちょっと引き返して・・・。




  浅内駅です。1972年(昭和47年)まではココが小本線(岩泉線の延伸前の呼称)の終点だったところです。駅前にデーンと日本通運の建物があるとおり、小本線は当時はお客さんよりも貨物取り扱いの方が主任務だったようです。ココは終点の駅だけに、もともとは機関車の整備をするための各種装備を備えたかなり大きい駅だったようです。今でこそひっそりとしていますが・・・。


  さて、コレはなんでしょう? コレは「給水塔」。蒸気機関車時代の名残で、機関車が蒸気を発生するための水を補充するモノなんです。1956年(昭和31年)10月というプレートが見えます。小本線は終始山の中を走る路線のためなかなか順当に線路が延びず、ようやく翌年の1957年(昭和32年)にここ浅内駅まで延伸したワケなんです。蒸気機関車が廃止されて久しいのですが、なぜか取り壊されもせずこの塔だけが残されています。
 

  デカっ! なんじゃこりゃ? コレは注水用の蛇口。蛇口ったって、2㍍近くある巨大なモノ。


  よく見ると蒸気機関車時代の名残がもう一つ。たぶんコレは「アッシュピット」跡。アッシュピットとは、ようするに機関車が石炭を燃やしたあとの灰を捨てるところ。鉄板でフタをしていますが、おそらく機関車がココまでやってきて、ココがガーッって開いて、この中にドバーッっと灰を捨ててたんでしょうね。左にはちんまりとトンネルが写ってますね。



  を。現在16:17。そろそろ岩泉線がやってくる時間・・・。来ました来ました、キハ52。ヾ( ´∀`)ノワーイ♪




 で、浅内駅で岩泉線を撮影し、順繰りに次の駅に向かいました。



  次に向かう途中にて。いい雰囲気のメガネ橋。決して「廃線」ではありません(笑)。


 次は「岩手大川」。浅内に次ぐ大きな集落のある駅です。右は国鉄時代の駅標。妙にホームから離れたところにポツンっと突っ立っています。




  ここ大川駅も1957年(昭和32年)の小本線延伸により開設された駅です。ホームには開通前年、1956年の文字がありました。昔はずっと大きい駅舎が立っていたらしいですが、今は簡易な待合室が立っているのみです。下の写真、ホームの手前の築堤は昔のホームの残骸。貨物列車の交換の待避線だったんでしょうか?


  さて。


  現在、岩手大川駅の次の駅は、あの有名な秘境駅「押角駅」なのですが、実は。ここ岩手大川駅と押角駅との間には、すでに廃止された幻の駅が存在したのです。


  岩泉町最奥の集落「宇津野地区」。現在はもはや集落といえるかどうか。ほとんど無人の廃村です。周囲にはこんな廃墟がいっぱいです。

  しかし。そんな廃れた集落こそ、昭和32年まで小本線の終点「宇津野駅」なのです。そしてこの廃屋は、当時駅の「待合室」に使用されていたものらしいです(母親曰く)。

 上の廃墟そばにクルマを止め、この木橋を渡った広場、どうやらココが駅跡らしいのです。橋の付け根、コンクリートの基礎らしきモノが見えます。

  宇津野駅は押角トンネルを抜けたすぐにあります。線路の両脇は不自然なほどまっ平らで、線路と並行しています。おそらくホームでもあったのではないでしょうか? といってもお客さんは乗せない、貨物列車専用の駅だった、とも聞きます。


  コンクリートの基礎部分? 何かが立っていたような感じですね。信号機の跡か何かでしょうか?


  正体不明の小屋。ストーブ用の薪でも保管しているのでしょうか? 駅にはたぶん関係ないモノでょうね。最近立ったモノっポイし。小屋の下にあるモノはかつてのレールの枕木か?

  と、いうワケで幻の宇津野駅跡地探索でした。ほとんど更地になってしまっていて、ほとんど遺構らしきモノは残ってませんでした。ネットで検索しても、現役当時の写真はなかなか見つかりませんでした。


  以外なことに、私の母が若かりし頃、旧・小川村からバスと鉄道を乗り継いで宮古市内の洋裁学校に通っていて、当時の終点であるこの宇津野駅で乗り降りしていた、という話を聞きました。


  しかし。ここは貨物専用駅、お客は乗り降りしないハズ? どうも非公式ながらお客さんもココで乗り降りしていたようですね。アバウトっちゃあアバウトだが(笑)。


  以上。岩泉線各駅の紹介と、幻の「宇津野駅」跡地探索でした。



 でわ。股。もやしみ。ヽ( ´ー`)ノ