平成27年7月1日訂正版

飯沼孝行

ペンネーム 篁 涙(学研ムー 2007年2月号、4月号に掲載された名前)

 

 イスラム教。当然の事ながら最後の預言者とされるムハンマドが起こした宗教です。イスラムの意味は、神の意志への服従を意味するそうです。

 神に決定権を委ねる。神に全権を預けると言う事で、紀元610年から632年創始とされています。

 ヘブライのカッバーラでは、ベルゼバブによってと言う意味の言葉のゲマトリア、即ち数値等価法における数字は611。もし、イスラム教創始の年が611年ならば、恐らくイスラム教は、ベルゼバブに対しての闘い。つまり、イスラム教の断食、ラマダン月のサウムの儀式があると言うのは、正しくベルゼバブの大食と言うユダヤの七つの大罪の一つである大食らいに対する対抗措置としての宗教ではなかったかと思います。

 断食をする事で食べたいと言う想いで憑依した存在を引き剥がす。つまり食べたいと言う欲求を持つ存在は、断食をする人からは出て行くのです。だから痩せた綺麗な人も多い。

 当然これはリベラルな解釈で、根本の教義からすると貧しい人の気持ちを理解すると言う事だと思います。

 イスラム暦(ヒジュラ暦)の9月、ラマダン月の一カ月間、日の出から日の入りまでの日中の飲食、自慰行為の禁止の戒律があるのです。ですが、太陽が出ていない夜間の飲食と自慰行為は認められています。ヒジュラ暦は354日であり、一年の中で太陽暦とは季節がずれていきますので、我々の暦で9月でなくても、イスラム暦では9月の場合が当然あります。

 イスラム暦の9月の数字である9。父なる神のゲマトリアは999です。つまり、イスラム暦の9月の断食でアッラーと同調するのでしょう。

  イスラム暦のヒジュラ暦は純粋陰暦です。1年が354日なので、どんどんずれていきます。そうして、33年で元に戻るのです。

 ヒジュラ暦元年は、622年7月16日ですので、それを紀元1年に近くすると、622÷33=約18。18×33=594。この594は日本ラジオ国営放送のNHK第一放送の周波数です。

622-594=28。つまり紀元28年となります。紀元前とすると、紀元前4年。紀元0年を想定した場合です。

イエス・キリストが洗礼を受けた年である西暦29年の一年前が、イスラム・ヒジュラ暦の33年で元に戻ると言う事の過去での基準点になっていた。

 そして33年で一巡とすると、元素番号33はヒ素です。そして、ガリウム・ヒ素を使った半導体。アルファ崩壊で、33のヒ素から31のガリウムとなる。

 だから、イエス・キリストの妻とされたマグダラのマリアは、ガリア、つまりフランスに赴いた。ガリウム。ですからイスラムの33年の周波数と、フランスのガリアとの関連。

 東京医科歯科大学の角田忠信氏の理論で、人間の右耳と言うのは、自分の年齢の数字の周波数を良く聞くそうです。つまり脳には年輪があり、その年齢の周波数の音を良く聞くのだそうです。

 アルファ崩壊をしている事で内側から光っているオーラこそ、そのガリウム・ヒ素の半導体の理論での、自分の思考回路の状態なのでしょう。

 だから、イスラム教の33年で一巡のヒジュラ暦がある事で、理性の光が目覚める。内側からの光りなのかもしれません。それがLED電球のオーラ。ガリウム―ヒ素半導体はLED電球に使われます。

 人間の意識がアルファ崩壊を起こして、トンネル効果で太陽体であるヘリオデスを誕生させる。ヘリウムの核が出される。それが女性の大天使であるガブリエルなのでしょう。そしてガブリエルが男の姿を取ったのは、ジブリールと言う大天使です。自分の母親が大天使ガブリエルとして表に出された後に残った父の子。ですからイエス・キリストの教義である、父の子の理論の実践こそイスラム教では無かったかと思います。

イスラム教での一番の大天使はジブリールです。自分の中からアルファ崩壊で、母親の霊体を出し、その放射線で男の姿を取る。そして父の子になる。

 また利き目が違う人同士の子供が盲目となってしまうなら、その利き目が違う存在を心の中から出す。その為の33のヒ素と31のガリウムで、半導体でのトンネル効果でヘリウムの原子核を出す。そのイスラム教の理論により、盲目を治療出来るのではないでしょうか。

 女性の大厄33歳。女性が厄年の時に生まれた子供は厄を被ると言うので、一度捨てた事にしてまた拾うと言う、子捨ての神事をする紀伊和歌山の身刺し神社があります。

 体を刺す事では無く、身を刺す程辛い厄年。子を捨てる事ほど辛い事は無い。ですから33年で一巡するイスラム教徒も年がら年中厄年のように辛い筈です。ですが、それは子供から母親を助け出す理論。

 モーセ。葦の小舟で流した後、エジプトの王女に拾われた。日本の説話の桃太郎にもなります。

 そして、元素番号33のヒ素を使った暗殺事件。毒殺の危機にあった最後の晩餐のイエス・キリスト。

 恐らく、聖杯とは銀食器です。銀食器は、ヒ素の入った飲み物を淹れると黒く変色し、硫化銀となります。そして、その毒を使ったのがばれないようにするのが、アルミ。元素番号13のアルミを使って銀を元に戻す方式こそ、13(アルミ)×47(銀)=611。

 つまり、611で、ヒ素の周波数で黒くなった霊体を、元に戻したのです。イスラム教で元に戻した。

 その為にイスラム教は、紀元610年前後、恐らく611年に誕生したのかもしれない。

 IT世界では、素因数分解すると鍵が開くとされています。即ち因数分解の方法論こそ、ユダヤの鍵を開く方法論なのでしょう。当然、学研ムーで活躍中の久保有政氏も、そのスタンスで本を書いておられます。

 ヒ素に負けない肉体。女性の大厄の33歳を救済する宗教で、女性を守る宗教こそイスラム教だったのでしょう。

 ヤコブと戦った黒い霊的存在が誰だったか。恐らくその神的存在こそアッラーであり、その神と戦うと言う意味のイスラエルと言う名前だったのでしょう。

しかし、その神は対等に戦ったと言う意味でイスラエルと名乗らせたのであり、最後には融和したのです。神はヤコブを祝福してイスラエルと名乗らせたのです。ですから、ユダヤとイスラムも最後には融和する筈です。調停出来る筈です。

 力の夜、ジブリールがムハンマドを金縛りにした。動かない霊体との戦い。しかし、その時に憑依霊は離れます。霊体と言うのは生まれた時に記憶している情報通りに動こうとします。ですから自分が動きを止める事で、その憑依霊を外す。力の夜の金縛りで憑依霊が外れたのです。

 紀元611年に、その黒い霊体が元に戻り姿を現した。隠れている存在が姿を現したのです。つまりイスラム教のお陰で神が姿を現した。その神が誰とそっくりだったかと言う事でしょう。ただインマヌエルと言う世界で最も問題ある容姿とされた救世主と同じ容姿の神様の姿が現れたと言う事で、隠された神と、現われた神との間での、それぞれの戦争になっていたのだと思います。

 姿を隠そうとするユダヤの神と、姿を現してしまうイスラム教との相克なのでしょう。

 神の子イサク。1+9+9+9=1+(3×9)、イサクとすると、イサクは、アブラハムが99歳の時に授かった子供です。99の倍数の594。99=33×3。33と66と99。一巡するヒジュラ暦が3回。つまり、三人の位格。3つのペルソナを持つと言う事です。決して三位一体では無い。

 99歳のアブラハムに取り、アルファヴェットのHを抜いたフランスの無音のアッシュ。Hの音はフランス語では発音しないので、ヤハウェはヤーウェとなり、日本語の蠅の発音を抜く事が出来ます。つまりベルゼバブ憑きとされたイエス・キリストを救えるフランスと言う事になり、フランス語のお蔭で、アッラーもベルゼバブ憑きの状態を改善する事が出来たのです。エジプトの太陽神であるラーとアッラー。ラーの許へファラオの魂を運ぶフンコロガシであるケプリ。糞には当然蠅は集ります。その蠅を祓う為の宗教。

アブラーム。アブは父親。ラームはシュメール語で火星。つまり、火星の父としてのアブラムで、マルスとしてのイシュマエルの父に戻る。フランス語のお陰で、アブラハムはアブラムとしてのイシュマエルの父に戻る暗号にもなります。イシュマエルはアラブ人の祖先です。

ですからフランスとイスラムの戦争にはならずに、フランス語のお陰でイスラムはアラブの父親を取り戻す形になります。あのイシュマエルの子孫がクライシュ族です。クライスト。

 漢訳聖書のイシュマエルの訳語は、孝公酋。親孝行としてのガブリエル。ムハンマドに現れた、ガブリエルが男の姿をしたのがイスラム教の大天使であるジブリールです。あの日本アニメーションの映画製作会社であるスタジオジブリの語源です。

 恐らく牛の燔祭を止めさせたゾロアスターはカイン。牛を犠牲に捧げていたアベルを止めようとした。

 つまり犠牲を止めさせようとしたのがイスラム教でもあるでしょう。

 インドのアーリアは牛を食べないようにした。ペルシャもアーリアでゾロアスター教は牛の生贄を止めさせようとしました。

 しかし牛の肉を食べないと、第三の目が開いてしまいます。牛は左右の目が独立して動きます。つまり牛を食べる事で第三の目を閉ざす事が出来る。もし食べないとすると、第三の目が開く状態で、左右の目と第三の目が合体してしまい、漫画の三只眼吽迦羅のようになってしまいます。第三の目の人格に乗っ取られ、実際の左右の目を持つ人格が盲目になってしまいます。三つ目が開くと人格が豹変する。ですから牛の生贄を止めさせようとしたカインが、盲目の大天使サマエルとしてのサタンの配下になってしまったのです。

 牛を食べないヒンズーでその三つ目が誕生してしまった。古代インドの流れを組むサンカはサンガです。その狐憑きとされる症例は、目が真ん中に寄ってしまう寄り目の状態になってしまいます。つまり癌球麻痺としての状態になってしまう。だから牛を食べる事で、左右の目を分離して、第三の目を閉ざす。

 アブラハムの手を止めた。その大天使とは、木星の大天使であるザドキエルです。正義の大天使とされます。

 イサクの燔祭を止めようとしたのが、ヤーウェであり、アブラハムにとっての神、アブラムにとってのアッラーならば、イシュマエルの身代りとなる所だったイサクを救ったのも、三つの宗教の神だったのでしょう。

 明け方の金星と言う事は、ラマダンの時、まだ日が昇らない内に食事をするイスラム教にも繋がります。

 これは実体験ですが、日中飲まず食わずだと、精神は高揚します。精神が研ぎ澄まされて、発想の閃きの意識も出て来ます。

 恐らくお腹の胎蔵界曼荼羅の太陽。つまり太陽神経叢の機能を抑制し、頭脳の活動を活発にする。

 満腹中枢が満たされると、当然何もしたくなくなります。動きも鈍る。だから腹八分目。消化し終わるまで休息が必要となります。だから大食らいにはならない。

 あの芸能人のタモリさんの話によると、食事をすると逆にその消化にエネルギーが使われるそうです。ですから肉体の防御にエネルギーが回らない。

 蠅は当然大便に集ります。肉食をして便秘にでもなれば、大便やメタンガス等が血に流れ、当然、老廃物としてのメタンガスで不要な生命の種が血を煩くするような物です。

 そうすれば、老廃物のメタンガスで別の意識が血に宿り、白血病にもなってしまうでしょう。美人薄命。美人はおならをあまりしたがらない。我慢してしまうと血が煩くなってしまうのです。

 つまり断食で腸内環境を整える。そして血をピュリファイする。つまり断食こそ肉体と精神のピュリファイなのです。浄化なのです。

 位の高い方々は当然エチケットとしてガス等をあまり出させないようすると思いますが、そのせいで白血病になったり、大腸癌になったりすると思います。

 ですから精神障害を抱えて薬を呑んでいる人であれば、ちゃんと便秘の薬も処方して貰って呑む事なのです。薬代が持ったい無いと便秘の薬はいらないとしているとちゃんと治りません。

 つまり、アッラーと心で話す為に、血を綺麗にする。その為には自分の肉体をピュリファイする。その為の一か月、昼間の断食なのでしょう。

 そして父なる神の声を聴く。父なる神のゲマトリアは999です。だからヒジュラ暦の9月の断食なのです。

 血を綺麗に。その為の肉体のピュリファイとしての断食。それを教義として持っているのがイスラム教なのでしょうね?

 お互いの宗教教義の理論を認め合えば、根本的な宗教戦争も無くなります。ユダヤ、キリスト、イスラムにも当然科学的な根拠があったと思います。そうして世界が融和して行く事が望ましいと思います。

 神話論で、この神様と別の神様が同じだとして、神話を一つに纏め上げる方法では、お互いの悪徳までも合体し、逆に世界の神話体系が壊れてしまいます。言葉の同一性を持って繋げようとする方法論もナンセンスです。

 宗教教義を勉強し、それを科学的に解明する事で、お互いの理論を認め合う。その方法論で、世界が調停出来る事を祈らせて頂きます。

 ユダヤでは自慰行為と豚肉食を禁止しています。キリスト教では自慰行為は禁止にしても様々な肉類を食しています。しかし、イスラム教ではキリスト教と反対に、自慰行為を許しても豚肉食は禁止にしています。豚肉食をしなければ、心が荒れないから自慰行為で少し位は放出しても良いと言うのが、イスラム教の教えなのかもしれません。

 日本の天皇家。ミカド。下らない暗号かもしれませんが、ミカドを三人のガッドとして、ユダヤ・キリスト・イスラム、三人の神の宗教理論で救えると言うのならば、戒律を破った方々もどこかの宗教で救われると言う、誰でも許されると言う慈悲の理論にもなります。その日本の帝こそが、六道の辻に立ち、道の分岐点で指示を出す。正に、その辻に立つ八尾地蔵のようなものです。

 慈愛。ですから、世界ワンワールド構想での、一つの憲法、一つの戒律と言う事での世界構想でも無い、連合形態での統治方法で、様々な文化・伝承を継承してゆくと言う一つの方法論もあるかもしれません。その為にイスラムも当然必要であり、差別する事は許されない。ですからその怒りの矛先を変えて、自分達を戦争の道に操っている影の存在へ向けると言う潮流に乗る事が出来ればと思います。

 絶望へのハルマゲドンを誘発する終末論待望者に王権を任せずに、世界が融和する、共和の道を探る。

 和を持って貴しとなす。大正天皇陛下の摂政をしておられた昭和天皇陛下を、聖徳太子とされるなら、その和を抱える慈悲の心を持つように全人類が心掛け、反省し、自らを省みる。自省する人間になる事を祈らせて頂きます。

 誰でも反省するべき点があります。それを頑固に間違いを認めないのではなく、間違いを認めてそれを直す。誤解があるなら、それを聞くは一時の恥。聞かぬは一生の恥と知り、自分で聞く事だと思います。

 そして確かめる。自分の目と耳で確かめる。誰かとの同調で情報を知ると言う事での誤解。他人の目に任せるのではなく、自分で確かめる。実証すると言う事だと思います。

 アルファとオメガで、アルファとしての数字の1。父なる神のゲマトリアである999。アルファとオメガを足して、数字の1000年王国となります。

 ガウスの法則があって、1から999までを順々に足してゆくシグマを、簡単に計算する方法があり、1+999=1000。2+998=1000。3+997=1000。その1000が、499.5セットになるので、1000×499.5=4995と言う事になります。

 そして、その数字のペアを作ると言う事は、中心に如来としての中間点を想定し、そこでテレパシーが目覚めてしまうと言う事なのかもしれません。

 無量壽としての、長寿を誇る阿弥陀如来。アミターユスこそ、そのガウスの法則でのアルファとオメガを足した1000年の寿命を誇る天使一族なのでしょう。

 自分の年齢に1を足すと言う数え年で、自分の年齢に1を加える。0から始まるインド数学が、死を作り出した。無に還ると言う事で、0と言う数字で虚無を作り出す。

 インド方式で0歳を想定しながら、丁度寿命の半分位の時に数え年を使う。つまり厄年を童貞で乗り切る事で、人間の平均寿命ともされる80歳を超える。それを繰り返してゆくのです。

 80歳として、数え年の81歳とすると、80÷81=0.98765432098765432の循環小数の繰り返しとなります。それこそ若返りの極意なのかもしれません。

 平安時代の末法思想の時、999年を乗り切る為に、数字の1を求める。アルファとしてのアダム。例えば、123÷999=0.123123123……となり、同じ数字を繰り返す無限の輪廻になってしまいます。だからこそ末法を乗り切り、無限の輪廻の鎖に陥るのでは無く、999に1を足すと言う、アミダをアダムとする論法で、数字の1+999=1000にする事で、その危機を乗り切ると言う事であると思います。だからこそ数字の1であるアダム、そのゲマトリアでは45の部分もありますが、アルファとしての数字の1が罪を持ってはまずかった。だからこそ、アダムの原罪が我々全てに影響を与えてしまう。だからこそ、第二のアダムとしてのイエス・キリストが無原罪で無くてはならなかった。

 1歳の自分との同調で、その自分の年齢、数字のペアをガウスの法則で作り、その中心の如来を想定すると、自分の寿命も延びるのではないでしょうか。

 ムハンマドの3人娘の長女が、ファテイマ。ファテイマの聖母の第三預言とイスラムの関係は、ムハンマドがヨルダン王家にも繋がるクライシュ族の出身だった事と関係があったと自分は想定しています。

 イエスの家族の家系の子孫にクライシュ族が居て、そのクライシュ族からムハンマドが最後の預言者として現れた事。

 イスラム教の教えが世界と融和する時、三つの神が一体化するのでしょう。

 三位一体が、現実、ユダヤ、キリスト、イスラムの融和なのでしょう。