2025年1/4 そんなわけで、「Winning Post」には思い入れがあるのですよ☺ | てるてるの小屋

てるてるの小屋

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いい天気の今年初の土曜日の朝

新年の寒波到来中。


きのう「白菜鍋」やって、翌朝残りに餅を入れたら「お雑煮」みたいだったなって、三が日過ぎちまった。


「Winning  Post  10 2024」を励んでいますので、競馬の話。

このゲームのスタート年のひとつが1973年なんですが、この年は「ハイセイコー」ブーム❗地方競馬出身で中央競馬に殴り込みをかけ、4歳(この時期は3歳馬が4歳だったのだ)クラシック第1弾「皐月賞」の前哨戦「弥生賞」「スプリングS」を連覇❗

その勢いで「皐月賞」も快勝したのだ🙋

野武士のようなハイセイコーは、庶民の英雄となりました❗「さらばハイセイコー」なんて歌もヒットしました🎵

その頃、てるてるさんは打倒ハイセイコーに燃えてまして、抜擢したのが「タケホープ」❗

そして、「日本ダービー」「菊花賞」を快勝したのだ🙋

未成年だったてるてるさん、馬券買ってたら巨万の富だったな☺


てるてるさんが「競馬」に出会ったのが中学3年、新たに友人となった吉田マーチス君が「競馬」を熱く語ったのだ。

タケシバオー、マーチス、アサカオーの3強時代、彼は関西馬マーチス号に惚れ込んでいた。

タケシバオーの名前は辛うじて知っていたてるてるさんは、彼の熱い話に引き込まれていきました。

その年のクラシック界は、名門尾形厩舎が誇る「ワイルドモア」が皐月賞を快勝するも故障離脱😱混戦模様となりました❗

日本ダービーは、1番人気が「抽せん馬」である「タカツバキ」、2番人気が前哨戦NHK杯を勝った「カネハヤテ」。

ところが、スタート直後タカツバキが落馬😱、泥んこ馬場のダービーを制したのは皐月賞で放馬した「ダイシンボルガード」という番狂わせに❗

高校生となったてるてるさんは、同じクラスに同志を発見❗

中央競馬会の機関誌「優駿」を購読し、毎週販売の競馬予想紙の週刊「競馬ブック」を購入し、研究に明け暮れました。

そんななか、中央競馬会の番組編成に大いに不満を抱きました。血統というものを理解していない番組編成、強い馬は出られるレースがなくなってしまう。

中央競馬会の大改革こそが急務なのだ❗

その後、てるてるさんは分厚い「競馬四季報」を読み漁り、架空の「てるてる厩舎」を立ち上げます。

そのなかでナスノカオリが桜花賞を逃げ切り、その全妹ナスネチグサがオークスを差し切り勝ちしました🙋

タケホープも我が厩舎所属でした🙋

そして、関西馬テンポイント号の登場❗

天馬・トウショウボーイ号のライバルでしたが、4歳時のテンポイント号は不運の連続でした、皐月賞は厩務員のストライキで開催が5月にずれ込み調子を落とし、トウショウボーイに敗れ、日本ダービーはレース中に故障発生で惨敗、トウショウボーイは距離適性に難ありで3着に敗北、クライムカイザーが勝利。秋に復調したテンポイントは古馬相手の「京都大賞典」に出走して3着、その時実況していた関西テレビの杉本アナが「これでいい❗」と語りました❗

菊花賞に満を持して出走したテンポイントでしたが、伏兵グリーングラス号に敗れてしまいます😵

3強時代の到来です❗

古馬となったテンポイントは、重ハンデをものかわ前哨戦を連覇すると、春の天皇賞を快勝しました🙋

しかし、春のグランプリ「宝塚記念」ではライバル・トウショウボーイに破れます😵

その当時は天皇賞に勝つと出られなくなり、ますます出られるレースがなくなります。

秋の京都大賞典、オープン戦を重ハンデで快勝したテンポイントは、「有馬記念」で3強対決に勝利して年度代表馬となりました🙆

もう国内で出られるレースが限られ、海外進出を果たすべく、テンポイントはファンのための壮行レースとして「日経新春杯」に出走しましたが、そのハンデは66.5キロ😱

雪の京都競馬場、酷量のハンデのため逃げに出たテンポイントはそれでも他馬を相手にせず楽勝と思われたのですが・・・3コーナー過ぎで故障発生、競争中止に。

本来なら、安楽死処分となるところ、関係者は何とかテンポイントを救おうと懸命の努力を・・・しかし、それもかなわず・・・😭

テンポイント号は、中央競馬会に殺されたと今でも思っています。

でも、彼の死をきっかけにか、競馬の体系が大幅に改定されるようになりました❗


そんなわけで、「Winning Post」には思い入れがあるのですよ☺