これまで宣伝やら何やらで汗をかいて奔走していた広報も、またライブ活動の為にわざわざ面倒臭い移動を強いられていたアーティストも、PVを1本作ってしまえばそんな苦労もせずに済むようになったからだ。ならばということで、プロデューサーは楽曲もそうだが映像でも強烈な印象を与えなければならない。
イギリスのミュージシャンが自国のみならずビルボード・チャートをも支配した要因は、彼らの斬新な音楽がアメリカのマンネリズムを蹴散らしたのと、ファッションやメイクにも力を入れたニューロマンティックと呼ばれるムーヴメントを差し置いては語れない。
元祖ニューロマンティックは、イギリスのバンド「ヴィサージ」だと言われているが、実はその中心人物であるスティーヴ・ストレンジから影響を受けた1人の少年がいた。
名前は「ボーイ・ジョージ」。
スティーヴがDJをしているクラブにしょっちゅう出入りしていたジョージは、その界隈では名の知れた人物だった。次第に彼もDJとしてターン・テーブルを回すことになる。そんなジャンルの中でもモータウンに感化されたジョージは、自分もスティーヴのようにバンドを作ろうと決意する。
1981年、ロンドンで結成された「カルチャー・クラブ」である。
メンバーは以下の通り。
ボーイ・ジョージ(V)
ロイ・ヘイ(G)
マイキー・グレイグ(B)
ジョン・モス(D)
このバンド名を日本語にすると「文化倶楽部」になる。
名前通り、メンバーは個性に溢れている。
リーダーはドラマーのモスで、彼はパンクロッカーとして名の通った人物だ。インテリのイメージがあるギタリストのロイは、玄人好みの技術を持っている。メンバーで唯一の黒人グレイグは、音楽の知識が豊富で特に民族音楽に詳しい。
そして、忘れてはならないのがヴォーカリストのジョージである。奇抜なゲイファッションに身を包み、歌声も中性的で甘く、映像を通じて一躍人気者になる。
そんな凄い4人が集まったのだから、彼らの音楽もさぞかし極上なものになるのだろうと思っていたのだが、やはりその通りになった。PVでも強烈な印象を与え、ヒットチャートを意のままにしていく。文字通り世間にカルチャーという名の印象を与えたのだった。
同時期に活躍していたニューロマンティックのバンドとして「ヒューマン・リーグ」や「デュラン・デュラン」がいたり、ハードロックでは全盛期を迎えた「ジャーニー」もヒットチャートを賑わしていたが、カルチャー・クラブの実力は彼らより一枚も二枚も上だった。
カルチャー・クラブの音楽は、ニューウェーヴにブラック・ミュージックの要素をセンスよく混入させたという感じであり、そのメロディーはどれも親しみ易いものだった。
1982年のデビューアルバム「Kissing to Be Clever」からシングルカットされた「Do You Really Want to Hurt Me」は、「全英1位、全米2位」の大ヒット。彼らは、この曲で知名度を上げたといっても過言ではない。
彼らの楽曲で忘れてはならないのが、バック・ヴォーカルである「ヘレン・テリー」の存在だ。彼女のソウルフルなコーラスがあってこそのカルチャー・クラブ。「Time (Clock of the Heart)」では、それが遺憾なく発揮されている。
ジョージは、この頃から雑誌のインタビューに顔を出すようになった。最初の質問は決まって彼の女装ファッションについてだった。特に、同じように女装している「ピート・バーンズ」(デッド・オア・アライヴ)とは何かと比較される事が多かったのだが、饒舌なジョージはピートをバッサリと両断する。
「ピート・バーンズか…。僕は彼をみていると、つくづく気の毒に思うんだよ。あんな無理しなくてもいいのにって思うのさ。だって……綺麗じゃないんだもん!」
因みに、この二人は犬猿の仲である。
互いの言い分を読んでいたら、それはそれで面白いのだが、
今回のエントリーでは書ききれないので次回にまわしたい。
「世間からは色々と言われるけど、僕の心は女なんだよ。そして僕は恋をしている。相手はジョン・モスさ。出会った頃はとても楽しかったんだ。しかし、モスはバンドを組んでから距離を置くようになったんだ。ビジネスとしてしか付き合ってくれないんだよ。おかしいと思うかい? でもね、男を男が好きになることだってあるのさ。手をつないでもいいのさ」
これまでのヒット曲は、ジョージが恋人のモスに捧げたものだった。
「いつかまた、あの頃のように振り向いてくれる」
そう信じて、願いを込めて詞を書いたのかも知れない。
彼の切実な想いは、次のアルバムにも込められている。
1983年にリリースされた2ndアルバム「Colour by Numbers」は、全英1位、全米2位となり、後にヒットしたシングル5曲を含む爆発的ヒット作となる。中でも、最大のヒットシングル「Karma Chameleon」(全英1位、全米1位)にはジョージの想いがある。カメレオンのようにコロコロと態度を変えるモスの事を歌っていたのだ。
だが、想いは届かず…モスとは破局になる。
バンドが下降線を辿ったのは、その頃からだったと記憶している。
1984年にリリースされた3rdアルバム「Waking Up with the House on Fire」は、音楽的には決して前作に引けを取っていなかったものの、勢いはなかった。シングルカットされた「The War Song」は、最後に日本語で「戦争反対」と歌われており、PVと共に話題になったのだが、チャートは「全英2位、全米17位」止まり。
以降、輝きは戻らなかった。
ジョージはすっかりドラッグに嵌るようになり、1986年に麻薬所持で逮捕。
バンドは一旦活動休止になるが、1998年に再結成。
だが、また懲りずに同じことを繰り返すジョージだった。そうは言っても、何だかんだと続いているのだから、やはりカルチャー・クラブは偉大なバンドである。
■タイトル曲 / 収録アルバム
1) Time / -
2) Do You Really Want to Hurt Me / Kissing to Be Clever
3) Miss Me Blind / Colour by Numbers
4) Karma Chameleon / Colour by Numbers
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