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(本好きな)かめのあゆみ

かしこいカシオペイアになってモモを手助けしたい。

穂村弘さんが雑誌や新聞に連載していた

エッセーをまとめたもの。

 

巻末には

又吉直樹さんとの対談も収められている。

 

この対談のときは

まだ又吉さんは

火花を出版していなかったころ。

 

ふたりの

センスというか

着眼点というか

自分を取り巻く世界とのかかわり方というか

慎重で繊細。

 

机の下で足を踏まれたときに

すぐに足をひっこめると相手が足を踏んだことに気づき

そうなったときにどういうふうにすればいいのかわからないので

まるで自分の足ではなく机の一部であるかのように

じっとして相手が足を動かすのを待つ。

 

そういうのはぼくもわかる。

 

っていうかやったことがあるような気がする。

 

あっごめん

いいよ

 

っていうやりとりで全然かまわないはずなんだけどね。

 

万事そんな感じ。

 

そういう自意識過剰なひとにはありがちな場面を

よくこれだけ拾えたな

っていうくらいこのエッセーにはいろいろな事例が書かれている。

 

穂村さんのエッセーを読んだ後にはいつも

ぼくもそんなふうにていねいに体験や感情を拾おう

と思うのだがどうもうまくいかない。

 

もちろんそれが作家との違いなのだろうけど。

 

あと穂村さんの書くものには

自分はもてない

女性との付き合い方がわからない

みたいなことが頻繁に出てくるのだが

読んでる限り全然そんなことはなくて

むしろ女性と上手に付き合ってるんじゃないかな

と思える。

 

っていうかふつうの女性よりも

穂村さんが付き合う女性の方が

センスがいいような気がする。

 

だからそこのところは

穂村さんもっと正直に書こうよ

って言いたくもなる。

 

それはさておき

ちなみに

この本のなかでいちばん好きだったのは

殺しのマナー

でした。

 

殺している

ってちゃんと自覚しているひとがぼくはすき。

 

 

 

--蚊がいる--

穂村弘

副題は

人間は遊ぶために生きている!

 

そうでありたいものですね。

 

ぼくはまあ基本的にはそんなふうに思って生きているのですが

でもときどき

なんでこんなにしんどいんだろうつらいなあ

って思うことだってあります。

 

そりゃどうしてもね。

 

遊ぶために生きている

といってもこの本で永井先生が言っているのは

休日にレジャーを楽しむとか趣味に没頭するとか

一般的な意味での遊びじゃなくて

「ネアカ」で「上品な」ひとは

なにをしていても遊んでるように楽しんでいる

っていう感じ。

 

ほかのひとが苦労だと思うようなことであっても

そのひとは楽しめてるっていう。

 

そういうことってじっさいにあると思います。

 

--根が明るいっていうのはね、なぜだか、根本的に、自分自身で満ちたりているってことなんだ。なんにも意味のあることをしていなくても、ほかのだれにも認めてもらわなくても、ただ存在しているだけで満ちたりているってことなんだよ。それが上品ってことでもあるんだ。

 

この本に書いてある

上品なひとと下品なひとの定義っていうのは

ぼくは共感するけど

でも一般的には受け入れられないかもね。

 

善と悪の区別とか

意味や目的や理由とか

への志向って強力だからね。

 

あと

元気を出すための方法

っていうのもぼくはよくわかる。

 

くよくよするのはよくないけど

いちどそのくよくよの原因を徹底的に考えてみる

書き出してみる

っていうのはとてもいい。

 

それで対処できる原因なら

対処すればいいし

対処できないことがわかったら

それはもう諦めやすいし。

 

それから時間薬とか気分転換とかもね。

 

--まず第一に、元気が出ないほんとうの理由や原因を、いちど徹底的に考え直してみるんだ。理由や原因をあいまいにしておいてはダメだよ。できたら書いてみるといいね。それができたら、対策としてなにかできそうなことがあるか、考えてみるんだ。それも書いてみるといいね。すべて考えつくしたと思ったら、そこで考えるのをやめる。できる対策はこれから実行していくことにして、どうしようもないことはあきらめることにする。第二に、もうそのことは、くりかえして考えないことにする。そして、なんでもいいから、ほかのことに没頭するんだよ。別の喜びを見いだすんだよ。つまり、いま問題になっていることと関係ない遊びをはじめるんだ。あとは、時がたつのを待つだけさ。たいていのことは、時が解決してくれるからね。

 

この本に書かれている内容のすべてに納得

というわけにはいかないけど

平易な文章で書かれた

ねこのペネトレと少年のぼくとの対話が

おとなにだって考えるヒントを与えてくれる。

 

 

 

--子どものための哲学対話--

永井均 著

内田かずひろ 絵

中野信子さんが気になっている期間もけっこう長くなってきた。

 

でこれで3冊目。

 

そろそろ脳科学中心の人間観にも飽きがきつつあるが

それでもこういう視点はあっていい。

 

もちろん脳がすべてではないし

人間を物理的な存在と言い切るのにはまだ

ポエムを捨て切れない気持ちもあるのだが

それでもこういう視点を持っているか持っていないかは

生きやすさに大きな影響があると思う。

 

少なくともぼくは脳科学の視点を得て

いくらか生きやすくなったと感じている。

 

だってあのひとがこんな性格なのは

脳の仕組みがそうなっているからだから仕方がない

って思えるのはかなり楽。

 

もちろん自分自身にだってそれはいえることだし。

 

サイコパス

ってひとくくりにするのは無理があるような気がするけど

ああいうタイプのひとは必ず身近にひとりやふたりはいて

けっこう振り回されたり迷惑をかけられたりもするので

サイコパス的傾向のあるひとだ

って思えば接し方にも工夫の余地が生まれる。

 

よく分析したらたいした仕事をしていないのに

見せ方が上手で

仕事してるふうにまわりに思わせるひと

ってたしかにいる。

 

それに

ひとの痛みに無頓着に

どんどん非情な変革を進めていけるひとなんかも。

 

もうそういう生き物だから仕方がない

って思うのもこちらの精神衛生上は必要。

 

まあ

自分自身にもそういう傾向がないとはいえないけどね。

 

といいつつ

サイコパス的傾向の強いひとのうち

いわゆる

勝ち組サイコパス

のみなさんの

ルックスのよさやことばの巧みさっていうのは

ひじょうに魅力的で

ついついひきこまれてしまいそうになるし

自分もあんなふうになりたいと思わないでもないわけで

ひっかからないように気をつけなければ。

 

 

 

--サイコパス--

中野信子