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(本好きな)かめのあゆみ

かしこいカシオペイアになってモモを手助けしたい。

  モノレールは高台のさらに高い位置にあるレールの上を走っている。車窓から見渡せるのは遠くの広い平野に集積する都会のビルディングの群れ。

 さらに厚くなった灰色の雲が重く垂れこめ、ビルディングの高層階は雲に呑み込まれているように霞んでいる。

 モノレールの上を走るおもちゃのような車両の先頭には、運転士の後ろにガラスの壁を隔てて特等席ともいえる座席が二席だけ設置されている。電車好きのこどもとそのこどもを連れたおとなが座るのにふさわしい座席である。

 ここでは運転士の視界を体験することができる。ジェットコースターの先頭の視点。ふだんなら恥ずかしくておとなひとりで座るなんて到底できないが、いまは誰とも向かい合わせでは座りたくない気分だったので、対面に席のないこの特等席が空いていたのをいいことに陣取った。

 ほかの誰にも座られないように、隣には荷物を置いた。この際、マナー違反には目をつむってもらうことにする。どうせ平日の昼間で、この車両に客はほとんど乗っていない。

 結局、今日は乗らないでおこうと決めていた電車に、やはり乗ることにしたのは、あの喫茶店の前の通りであの女性とやりとりをした後、このまま歩いてどこかに向かうというのがなんとなく億劫に感じられてきたからだった。

 それでひとまずいつもの電車に乗ってみようと思い直した。

 例の茶封筒は、駅のごみ入れに捨ててきた。

  一方的かつ断定的な口ぶり。

「いったいこれは何なんですか、これを持ってどうしろというんですか?」

「そんなことはわかりません。なぜあなたがそれに疑問を抱くのかもわかりません。けれどもこれはあなたには必要なのです。さきほどの電話のひともそう言っていたんでしょう?」

 彼女の意思は固そうだった。これ以上、話していても何かが進展するとは思われなかった。

 彼女とのやりとりも面倒に感じ始めたので、あとで彼女がいなくなったころを見計らって捨てるつもりで、その茶封筒を受け取った。

「ひとつだけ聞いてもいいですか。あなたはいったい何なんですか?」

「それはあなたが知る必要のないことです。さらに付け加えると、もしかするとこれは言い過ぎかもしれませんが、私にもその問いにどう答えたらいいのかがわからないのです。私がわからないことをあなたが知る必要があるでしょうか。私が言えることは、あなたにはこれが必要だということだけです」

 そう言うと、彼女はもと来た方向に歩いていった。あとには彼女のあまくて爽やかな香りが残った。

 いつの間にか空は灰色の雲に覆われはじめていた。

勉強の哲学

っていうと難しそうに感じるひともいるかもしれないが

ぼくはむしろ好き。

 

でも

実際のところ

この本はそんなに難しくない。

 

それよりも

副題の

来たるべきバカのために

って何だ?

 

著者の千葉雅也さんというひとは

ぼくにとってはおそらくはじめてのひとだと思うが

好きなタイプ。

 

なにごとも考えなければ気が済まない

って感じのところとか

とはいえ自己満足で終わっちゃいけない

って感じのところとか。

 

ぼくはプロではないので

言語のアマ・モードとプロ・モードを両輪のように使うのはしんどい。

 

つい出典の記録を怠って

自分解釈のいい加減な引用をしてしまう。

 

そこは申し訳ないがしんどいので許してください。

 

仕事じゃないのでメモなんてとりながら本を読みたくないのです。

 

だからこの本の感想も

あやふやな記憶に頼ります。

 

環境のコードに乗る。

 

まずなにしろ環境のコードにノってしまう。

 

それで満足できるならそれでいい。

 

それでしあわせそうなひとってけっこうたくさんいる。

 

でも

ぼくなんかはついつい

そんな無自覚に環境に適応していていいの?

この環境って限定的なものであって普遍的なものじゃないよ

って思っちゃって批判的に環境のコードを見てしまう。

 

そして

ツッコミつまりアイロニー方面でどんどん掘り下げて行っちゃう。

 

それで環境のノリから浮いてしまう。

 

さらに掘り下げには限界があるからやがて行き詰まる。

 

そうならないようにこんどは

ボケつまりユーモア方面でどんどん目移りしていく。

 

でもその目移りも際限なく広がっていってしまうので

どこかでやめないといけない。

 

そこで出てくるのが

享楽的こだわり。

 

つまり
身体が勝手に動いてしまうダンスのような享楽。

 

ひとはつまるところ身体的な存在なので

身体が喜ぶところで落ち着くってのがいちばん自然。

 

だいたいそんなことが書いてある。

 

と思う。

 

じゃあ享楽的こだわりでなんでも決断していけばいいのか

っていうとそうではなくて

享楽的こだわりも勉強によって変化する。

 

変化すべき。

 

決断

というのはけっきょく思考停止とおなじだから

あくまでもその決断はひとまずの

中断つまり便宜的な仮固定

であると自覚して

思考の活動はやめない

っていうのにも共感。

 

決断

ってかっこいいと思っているひとも多いけど

本来はあくまでもその時点での考えにしかすぎないので

そこで

いちど決めたから決めたとおりにやり続ける

っていうのはただの考えの放棄。

 

決めないと何も進まないからひとまず決めるだけであって

決めてからもずっと考え続けるべきだと思う。

 

1 環境のコードにノル

2 ツッコミ=アイロニーで掘り下げる

3 環境から浮く

4 ボケ=ユーモアで広げる

5 環境から浮く

6 享楽的こだわりで仮固定(中断)する

7 1に戻って何度も繰り返す

 

まあそんなことが書いてあると思うのだが

ぼくはおおいにその考え方に共感します。

 

 

 

 

 

--勉強の哲学 来たるべきバカのために--

千葉雅也