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(本好きな)かめのあゆみ

かしこいカシオペイアになってモモを手助けしたい。

NHKラジオでこういう番組をやっていたんですね。

 

絶望+名言

 

なんか意外なことばの組み合わせだけどそれだけにキャッチ―だし

読み進めるとこれが実に的を射た表現であることもわかります。

 

この番組そのものは聴いたことはないのですが

深夜に聴くにはぴったりかも。

 

特に疲れ果てていたり

気に懸かることがあって明日が不安なときなど。

 

こんなことを言っておきながら何ですが

正直なところ

読み始めたときには実はあんまりしっくりきてませんでした。

 

冒頭はカフカの絶望名言なんですが

カフカはぼくにとっては

絶望というより

ありのままの世界そのもので

不条理な世界の掟を

ユーモアにくるんで提示してくれていると思っているので

そこが絶望ということばにはしっくりこないんだろうなと思っていました。

 

だってこれなんか絶対に笑わせようとしてるでしょ。

 

「将来にむかって歩くことは、ぼくにはできません。将来にむかってつまずくこと、これはできます。いちばんうまくできるのは、倒れたままでいることです。(フェリーツェへの手紙)」

 

でもあとから考えると

おそらく読み始めの頃のぼくは調子が良くて

疲れ果てても不安でもなかったので

選者の頭木さんのこのことばへの感覚がフィットしなかったんでしょう。

 

次のドストエフスキーもいいんだけど

絶望名言ってことでもなくて

これも世界の真理そのものでしょ

って感じてたんですが

その次のゲーテあたりから

ぼくの実生活の調子が悪くなり

疲れ果てうちひしがれはじめてきたので

だんだんと選者の感覚がわかるようになってきました。

 

なるほど

絶望名言は調子の悪い時にしっくりくるんですね。

 

寄り添ってくれる感じ。

 

その後

太宰治

芥川龍之介

シェークスピア

と続きますが

あなた方ほどのひとでありながら

(あなた方ほどのひとであるからこそ)

みんなそれぞれしんどかったんだねえ

世界をありのままに受け入れられなかったんだねえ

という気持ちになりました。

 

繊細過ぎる感性を持つ彼らにとっては

世界で起きるさまざまな現象は

あまりにも心を傷つけたり頭を悩ませたりすることだらけだったんでしょう。

 

きっとこの本は文章で読むよりも

頭木さんと川野アナウンサーの語りで聴く方が

しかも深夜に聴く方が

心に沁み込むんだろうなあと思います。

 

この本に収録されている絶望名言の数々は

そこだけ読んでも味わいが深いんですが

あえて1つだけ選ぶとしたら

いまのぼくなら芥川龍之介のこの文章です。

 

「自然はこういう僕にはいつもよりも一層美しい。君は自然の美しいのを愛し、しかも自殺しようとする僕の矛盾を笑うであらう。けれども自然の美しいのは僕の末期の目に映るからである。僕は他人よりも見、愛し、かつまた理解した。それだけは苦しみを重ねた中にも多少僕には満足である。(或旧友へ送る手記)」

 

追い詰められてなくても自然を美しいと思える感性でありたいなあ。

 

 

 

 

--NHKラジオ深夜便 絶望名言--

頭木弘樹

NHK<ラジオ深夜便>制作班

この絵本

いい

とてもいい

実にいい。

 

こどもたちはきっと好きだと思うけれども

おとなにもいい。

 

おかげ

のひしゃくを担いだわんころうの表紙が

かわいい。

 

最初と最後の見開きもたのしい。

 

いてさんじますー

いてまいりました!

 

江戸時代のはなし。

 

大坂船場の米問屋

すごろくやの

わんころうが

いつも可愛がってくれる

こいちゃんに頼まれてお伊勢参りに。

 

大坂からのお伊勢参りの出発地点が

玉造だったっていうのは知らなかったなあ。

 

七戸狐の森も愉快。

 

いせおんどをうたえー

ほべたねぶるぞー

ってぼくも言ってみたい。

 

なんとか伊勢神宮に到着したものの

門番に止められてピンチ。

 

そこへあまてらす登場!

 

帰りは船で天保山へ。

 

へえそうなんや。

 

犬のお伊勢参りというのは聞いたことがあったけれど

見ず知らずの他人と関わるとろくなことがない現代とは違って

概ね善意のひとびとに助けられて成り立っていたのはほんとうのような気がして

いいはなしやなあ

って穏やかな気持ちになれる絵本だった。

 

もちろん現実にはいろいろな問題もあったに違いないけれど…

 

とにかく

たのしくほっこりしながら読んでいるうちに

犬のお伊勢参りの仕組みもわかるというこの絵本。

 

あおきひろえさんの船場ことばの文章は声に出して読みたいし

長谷川義史さんの絵はユーモラスで賑やかであたたかみがあって元気になれる。

 

いいねえ。

 

 

 

 

--おいせまいり わんころう--

あおきひろえ 文

長谷川義史 絵

ほかの作家さんが書いたら

ドン引きされるか

炎上しそうな内容ですが

村田紗耶香さんが書いたら

ぴったりだと思える。

 

いいポジションに収まりました。

 

っていうか狙って収まったというよりは

ここしかありえなかった

ってことなのかもしれませんが。

 

いや

やっぱりプロの仕事なので

狙って収まったんでしょうね。

 

無機質な表現でありながら

かなりグロテスクな内容で

既存の倫理観を蹂躙してるんですけど

そこには

連綿と当たり前のように受け継がれてきた社会的な常識に対する懐疑と

その反動として現実を無視して繰り広げられる行き過ぎた合理主義や理想主義への皮肉の

両面が寓話的に示されているとぼくは思いました。

 

男女を問わず人間を産むための機械とし

産むための性行為

性行為をするための結婚

結婚するための恋愛

恋愛するための社会的すりこみのあれやこれや

をやんわりと強要してくる工場。

 

そういう見方はたしかにあり得る。

 

狙ったわけじゃないとしても

結果としてそうなっている。

 

産みたいひとが産み

性行為をしたいひとが性行為をし

結婚したいひとが結婚し

恋愛したいひとが恋愛する

のはぜんぜん問題ないんだけど

そうでないひとに強要するのはやっぱり暴力だ。

 

ちょっと話がややこしくなるのだが

主人公がもし

父や母や姉からあのような仕打ちを受けなかったり

塾の先生からあんなことをされなかったり

後の友人からあんなことを言われたりしなかったら

どういう価値観を持っていただろうと考える。

 

やっぱり工場側の価値観を持っていただろうか。

 

それとも変わらず宇宙人の目を持てただろうか。

 

一刻も早く工場側に洗脳されたがっていた主人公だが

過去の経験からどうしても洗脳されることができなかった。

 

それにしても

性犯罪は心の殺人というが

あの塾講師もひどいし

やっとの思いで相談した時の母親の態度もひどいし

後の友人たちの反応もひどい。

 

そのひどさを告発する書でもあるこの作品は

被害者になるこどもたちにはもちろん

直接的にも間接的にも加害者になりえるおとなにとっても

必読の書であるかもしれない。

 

 

 

 

 

--地球星人--

村田沙耶香