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(本好きな)かめのあゆみ

かしこいカシオペイアになってモモを手助けしたい。

まんがなので読みやすいのは間違いない。

とはいえ限られたページ数なので

ざっくりとしているのは仕方がない。

 

それでもポイントをよく押さえているような気がする。

 

著名な哲学者の考え方でも

ぼくが知っているのとはちょっと違う切り口だったりもして

興味深かった。

 

案内役はヘラクレイトス。

 

第1章の論理のところがまず新鮮だった。

 

論理には「演繹的」なものと「帰納的」なものがある。

 

これは知ってるけどいまいち違いがよくわからなかったんだよね。

 

でもこの本での説明はぼくなりに腑に落ちた。

 

「演繹法」を見出したのはアリストテレス。

 

演繹的推論は

たとえば数学での公理を積み重ねての推論。

 

前提となる公理が誰にとっても間違いなく共通なので

導かれる推論も強固なものとなる。

 

「帰納法」の解説はジョン・スチュアート・ミル。

 

帰納的推論は経験で得た一般法則による推論。

 

ぼくたちの日常ではこっちの方がよくつかわれている。

 

演繹法と違って前提があくまでも経験則なので

その前提がどれだけ間違いないかということがポイントになる。

 

帰納的推論の前提はあくまでも現時点で最良なものに過ぎず

常に見直される可能性があることを謙虚に自覚しておかないと

傲慢で独り善がりな論理になる。

 

で実際に傲慢で独り善がりな論理を展開しているひとはいっぱいいる。

 

原発事故や新型コロナでもそうだけど

科学者が結論を出さないことを頼りなく感じるひとが多いけど

謙虚に問題に向き合えば科学者は決断するひとではなく

実験で得た見識を述べるひとにしかなりえないんだよね。

 

そんな感じで思考を展開する準備として論理を押さえておいて

そこから

知覚

自由意志

倫理

についての哲学的議論の変遷を追っていく。

 

ここでは知っていることも知らなかったこともある。

 

最初の方で書いたようにざっくりとはしているが

それぞれの哲学者の論理のポイントを押さえつつ

それを対比していくような進め方がおもしろかった。

 

 

 

 

--マンガで入門 世界一ゆるい哲学 「人生の答えがわかる」かもしれない23賢人の教え--

マイケル・F・パットン

ケヴィン・キャノン

大田黒奉之 訳

最近新型コロナのことばかり考えているから

ちょっと頭を離したいなと考えた。

 

ここはあえて昔の本を

ということで

かねてから興味のあった

永井荷風の断腸亭日乗か

内田百閒の阿房列車かを

読んでみようと思い書店に行った。

 

書店に行く段階では

断腸亭日乗の方が

やや優勢と考えていた。

 

関東大震災とか

太平洋戦争とかの

記述があると聞いていたので

いまの世相とも繋がるかもな

と思ってのことだった。

 

新型コロナから頭を離したいといいながら矛盾しているが

わからないことでもないだろう。

 

書棚から先に見つけた

第一阿房列車を手にとり

最初の数行をさらりと読んで

ふむふむこんな感じか

と頭に感触を放り込んだあと

断腸亭日乗を手にとり

おっとこれはきっと当時の仮名遣いで

かっこいいんだけど

読むのにエネルギーが必要そうだ

とぐうたらな脳が拒否反応を示し

読みやすそうな第一阿房列車に軍配があがったのであった。

 

後から知ったことだが

ほぼ同時代(永井荷風の方が10年早く生まれている)の2人なので

当時は同じような仮名遣いだっただろうが

ぼくが手にした新潮文庫の第一阿房列車は

新仮名遣いで刊行されているものだった。

 

同じ日本語だし古文でもないから

旧仮名遣いでも読めるんだろうけど

ちょっと脳のエネルギーがいつもよりも余計に必要になるので

現実逃避をしたい身には避けたいのだった。

 

断腸亭日乗はまたの機会に読むことにしよう。

 

で家で読み始めてふと気づいた。

 

この作品は

町田康さんの作品に似ている。

 

まず百閒先生の思考の流れが

あっちへいったりこっちへきたりと自由自在で

肯定しているかと思えば否定しており

批判しているかと思えば共感していたりする。

 

そしておよそ権威的なところがなく

ユーモラスで思わずほくそ笑んでしまう。

 

それから

かしこまらない関係の弟子みたいな立場の連れを伴って

旅をしている。

 

ひとの名前の付け方も似ている。

 

ヒマラヤ山系とか懸念仏とか。

 

町田康さんの作品が好きなぼくとしては

そういうところが気に入った。

 

さらに戦後間もない頃の鉄道旅の様子がいい。

 

ぼくは鉄道に詳しくはないが

漫画の「鉄子の旅」(菊池直恵作 旅の案内人横見浩彦)を

全巻読んでいるので

それと重なっているところと違っているところを楽しめた。

(スウィッチバックとかルウプ線とかも出てきた。)

 

行き先に用事がなく

電車に乗ることが目的の阿房列車の旅というコンセプトもいい。

 

旅先での国鉄関係者や宿のひとたちとのやりとりもおもしろいし

観光はほとんどしていないとはいえ

目に映る何気ない情景の描写も目に浮かぶようで

時代も違うし行ったこともないけれど

まさにそこを旅をしている気分になれる。

 

青森県の浅虫温泉に泊まったときに

浜寺から須磨を走る鉄道が見えたことを回想したところもよかった。

 

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 洋室の高い硝子戸の下はすぐ海である。陸奥湾の夜風は荒く、浪の音が次第に高くなった。その内にばりばりと硝子戸を打つ音がして、暗い時雨を海風が敲きつけて行った。

 時雨の来る暗い海に向かった左手が、陸続きの出鼻になっていると見えて、海との境目と思われる辺りを、窓の明かるい夜汽車が何本も行ったり来たりした。夜汽車が波打際を走って行くのを外から眺めるとしみじみした気持がする。遠くから見る程趣きが深い。大阪の近くの浜寺から、夜の大阪湾の海波を隔てて、一ノ谷の山裾を走る須磨海岸の夜汽車の明かりを見たのが、私の記憶の中では一番遠かった。蛍の火が列になって流れて行った様であった。

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いまではこんな光景は絶対に見られない。

 

上の前歯をぶらぶらさせたまま

自然に抜けるまで抜かないというこだわりはいかがなものかと思うが

百閒先生の独特の思考は

気取らず無理せず自分らしくあろうとすることでもあり

他者への思いやりでもあったりする。

 

ぼくの考え方に似ているところもあるような気がして

我ながら面倒くさいタイプではあるが

それもひとつの美的感覚というか

生き方である。

 

とにもかくにも

新型コロナから頭を離すというねらいはもちろん果たせたし

さらに

家に居ながらにして

実際に旅をするよりもいい旅をした気分にもなれたので

今回はこの本を選んでよかったよかった。

 

それにしてもぼくも

ヒマラヤ山系くんみたいな

気を遣わなくてもよい気心の知れた

旅の連れがほしいものだ。

 

 

 

--第一阿房列車--

内田百閒

--だから僕は今、忘れたくない物事のリストをひとつ作っている。リストは毎日、少しずつ伸びていく。誰もがそれぞれのリストを作るべきだと思う。そして平穏な時が帰ってきたら、互いのリストを取り出して見比べ、そこに共通の項目があるかどうか、そのために何かできることはないか考えてみるのがいい。--

(パオロ・ジョルダーノ「コロナの時代の僕ら」 著者あとがき コロナウイルスが過ぎたあとも、僕が忘れたくないこと から)

 

日記というか日々の出来事や思いを記録すること記憶することはとてもたいせつだと思う。

パオロ・ジョルダーノさんのこのエッセイ集もそんな日々の記録でありまさに渦中であるいまにとっても(何年先かはともかく)生きていればやがて訪れるであろう収束後にとっても意味のあるものになるだろう。

 

ものすごく斬新なことが書かれているわけではないけれども数学者としてまた人間として落ち着いて広い視野で過去や未来も射程に入れつつ思考されているのがよくわかる。

 

エッセイに書かれている内容はぼくにとっても共感できるところが多い。

 

エッセイの内容を思い出したくなったら本を読み返すとしてここではぼくの忘れたくない物事のリストを残しておこう。

 

 

ぼくは忘れたくない。

1月にはほとんど意識することなく

2月もまるでひとごとで大袈裟だなあと感じながらそれに付き合って

2月の終わりになってにわかに慌てだしたけどそれでもまだまだ全然軽く考えていて

3月4月はただただきりきり舞いしていたことを。

 

ぼくは忘れたくない。

感染者がとなりで食事していたとしてもそれで感染することなんて絶対にない

みたいなことを2月くらいは言っていたし

症状が出る前に感染させることはないってことも言っていたから

症状が出るまではマスクなしでも問題ないし

症状がないひとと食事をすることも全然気にしなかったけど

それがいまでは

食事は横並びでお喋りはせずにとか

発症の2日前から感染可能性があるとか

言っていることを。

(正体がわからない感染症には最初から最大限の注意を払うべきだと学んだ。)

 

ぼくは忘れたくない。

マスクは感染しないためには役に立たないって言っていたのは

マスクの不足によるパニックを起こさないためで

マスクに余裕があるのなら

マスクの装着を積極的に推奨して

さっさと全員にマスクを装着させていたに違いないだろうということを。

(マスクの買い占めか買い貯めか売り控えかわからないけど

そういうのを抑えるための規制っていうのは必要だ。

マスク不足が心理的な不安を増幅させたのは間違いないし

実際にマスクが不足したことによって感染が拡大した可能性もあると思っている。

マスクを購入するために販売があるかどうかわからないのに早朝から

ドラッグストアの前に列ができていた。

小学校の給食係か?!と鼻で笑っていた布製のマスクがまさかの定着。

使い捨てマスクは医療従事者に優先させるというメッセージでぼくも

布マスクを愛用しているがいまだにその性能を信じていなかったりする。

アベノマスク!!いろいろ正当化するけど無駄遣いも甚だしい。

マスクの単価がそれまでの1枚7~8円から100円まで上がったこともあった。

そこだけ見たら買い貯めしたひとは賢い消費者ということになる。

もちろん利己心が批判されるが。

マスクの製造を海外に任せすぎているのもわかった。

まあ1枚7~8円というのは海外の労働搾取の可能性もあるので

国内製造なら50円前後が妥当なのだろうか。

マスクは病人がするもの

としていた欧米でもこれを機にマスクが定着しそうでもある。)

 

ぼくは忘れたくない。

PCR検査を全員にする必要はないって言っていたのは

そういう対応ができる状態ではないと正直に言うとパニックが起こるからで

PCR検査を全員にさせる態勢が整っていたのなら

受けさせる方が良いに決まっていることを。

(ぼくはだから今回のやり方は正解だったと思っている。

正直なところちゃんと説明していたらたしかにパニックになって

もっとひどいことになっていたと思う。

すべてのひとが理性的な判断をできるわけではないから

安心させるための方便っていうのは必要だとぼくは思うから。

でも次回に備えてPCR検査を十分にできる態勢は整えておいてほしい。

ただし非常時に備え過ぎて平常時のコストがかかり過ぎてしまうのはやはり良くないので

どこかでバランスをとる必要があり

そのことについての市民の合意は平常時から得ておくべきだ。)

 

ぼくは忘れたくない。

インバウンドの経済的効果を考慮するあまり

入国に対する制限に躊躇し

感染拡大につながったことを。

(次に感染症が起こったときにはとにかくただちに入国制限をかけ

入国あるいは帰国後2~3週間は隔離しておくべきだ。

国内にウイルスを入らせないことがもっとも肝心。

これによって経済的な損失も招くだろうが

国内で感染拡大させて失う損失よりはましだろう。)

 

ぼくは忘れたくない。

医療従事者の苦悶と葛藤と献身を。

そして福祉介護保育関係者の苦悶と葛藤と献身を。

(医療従事者というと医師や看護師だけを思い浮かべてしまうが

病院にはさまざまな役割のひとがいて

清掃の仕事や医師や看護師の補助業務など

それこそ不安定な収入で働いているひともたくさんいる。

福祉介護保育の仕事に従事しているひとたちも

相対的に収入は低い。

それらのひとたちも同じように苦悶し葛藤し献身してくれている。)

 

 

ぼくは忘れたくない。

医療従事者に向けられた心無い誹謗中傷や実際的なひどい仕打ちを。

(病院からバスに乗ろうとした医療従事者が乗客から

うつるからバスに乗るなと攻撃されたとか

こどもが保育所のなかで他のこどもたちから隔離させられていたとか。

バスに乗るなの件はきっとそれを言ったひとも

ほんとうに不安に思っているから言ってしまったのだろうし

保育所で隔離させられたのも

それを求めたのはおそらく他の保護者で

その保護者も自分のこどもを守るための不安から出た求めだったのだろう。

彼ら彼女らを非難することはたやすいけれども

それだけでは委縮するだけになる。)

 

ぼくは忘れたくない。

飲食店や遊興施設などの関係者がことごとく収入を断たれたことを。

(ぼくは冷たくなじみの店にも行かなくなってしまったけれども

その店にふたたび通うのは気が重いのでもう行けないかもしれない。

困っているひとを見捨てたような気がしている。)

 

ぼくは忘れたくない。

いっぽうでなんら影響を受けなかったりむしろ収入が増えた分野もあることを。

そして格差が広がっていくことを。

 

ぼくは忘れたくない。

いまのこの状況はけっして予期できなかったことではなくて

感染症の研究者たちの間では十分予想できたことで

警鐘も鳴らされてきたが

ぼくたちにはそれを聞く耳も想像する理解力もなかったことを。

想像できないのではなくて想像したくないから想像しないことを。

 

ぼくは忘れたくない。

新しい生活様式をこれからどんどん進化させていかないと

ウイルスと付き合いながら暮らしていけないことはわかりきっているのに

人間はついつい以前と同じように暮らそうとしてしまうことを。

 

ぼくは忘れたくない。

その気になったら仕事を休んでも休ませてもどうにかなることを。

 

ぼくは忘れたくない。

満員電車もやめようと思ったらやめられることを。

 

ぼくは忘れたくない。

これまでどれだけ飲み会で無駄な時間を費やしていたかを。

これからは飲み会は厳選したい。

 

まだまだいろいろあるはずだけど今日はここまでにしておく。

 

これからも気が向いたら追加していきたい。

 

記憶すること記録することはとてもたいせつ。

 

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--コロナの時代の僕ら--

パオロ・ジョルダーノ

飯田亮介 訳