映画『A.I.』(浦澄彬の批評アーカイブ12)
映画という祝祭 (2001.7.15)
話題の映画『A.I.』を観た。よく出来た映画ではあったが、愛についての哲学的な考察が頭をかすめた り、手塚治虫のパクリではないかと思う部分が気になったり、もう一つ感動には至らなかった。時間も少し 長かった。もう少し引き締めて作るべきではなかったろうか。
それにしても、この頃、昔のように映画にどっぷりはまれなくなった。それは、自分が年をくって、素直に 作品に感情移入できなくなったせいなのか、それとも、近頃の映画の質が落ちたせいなのか。
一つには、映画の持つ祝祭性が失われてしまったことが原因であろう。
私が十代のころ、「映画を観に行く」という行為は、特別なイベントだった。街に出て、映画館に行く、それ だけで祝祭的な気分になれた。映画館は、映画を観るというイベントのためだけに存在していた。そこに 向かう時、これからの2時間が非日常の特殊な時間であることを意識していた。だから、そのためにしっか りと準備もした。ジュースとパンを買って、もしその映画を気に入ったら、そのまま残ってもう一度観ようと いう覚悟も出来ていた。
いつの頃からか、シネ・コンというものがいたる所に出来て、そこに映画を観に行くようになった。そこは 映画館の他に、ショッピング・モールやレストラン、カフェがあり、ありとあらゆる娯楽が同居している。そこ では、「映画を観る」という行為は、一つの選択に過ぎない。映画を見るついでに、買い物もして、食事も する。いや、むしろ、買い物や食事のついでに映画を見るのかもしれない。
そこには、かつての映画館が 持っていた非日常性はない。日常そのままの意識で、買い物ついでに映画を見るのだ。
もちろん、映画を観るだけの目的で来る人もいるだろう。しかし、シネ・コンで映画をみた後、外に出ると、 否応なくそこには買い物客や食事客が大勢溢れている。昔のように、映画館を出て、余韻にひたりながら あてどなく街をぶらつくというわけにはいかない。すぐに日常に引き戻されてしまうのだ。 もっとも、そういいながらも、自分自身、シネ・コンで映画をみることに慣れてしまっている。何といっても、 便利なのだ。一つの場所で、用事が全て片付いてしまう。特に気に入っているのは、神戸にあるシネ・コン で、ここは全て座席指定だから、始まる直前まで買い物や食事が出来る。昔の映画館のように、始まる 30分前から扉の前に並ばなくてもいい。
結局、映画にはまれなくなったのは、そういう便利さに毒されてしまった自分の感性が磨耗しているだけ なのかもしれない。
話題の映画『A.I.』を観た。よく出来た映画ではあったが、愛についての哲学的な考察が頭をかすめた り、手塚治虫のパクリではないかと思う部分が気になったり、もう一つ感動には至らなかった。時間も少し 長かった。もう少し引き締めて作るべきではなかったろうか。
それにしても、この頃、昔のように映画にどっぷりはまれなくなった。それは、自分が年をくって、素直に 作品に感情移入できなくなったせいなのか、それとも、近頃の映画の質が落ちたせいなのか。
一つには、映画の持つ祝祭性が失われてしまったことが原因であろう。
私が十代のころ、「映画を観に行く」という行為は、特別なイベントだった。街に出て、映画館に行く、それ だけで祝祭的な気分になれた。映画館は、映画を観るというイベントのためだけに存在していた。そこに 向かう時、これからの2時間が非日常の特殊な時間であることを意識していた。だから、そのためにしっか りと準備もした。ジュースとパンを買って、もしその映画を気に入ったら、そのまま残ってもう一度観ようと いう覚悟も出来ていた。
いつの頃からか、シネ・コンというものがいたる所に出来て、そこに映画を観に行くようになった。そこは 映画館の他に、ショッピング・モールやレストラン、カフェがあり、ありとあらゆる娯楽が同居している。そこ では、「映画を観る」という行為は、一つの選択に過ぎない。映画を見るついでに、買い物もして、食事も する。いや、むしろ、買い物や食事のついでに映画を見るのかもしれない。
そこには、かつての映画館が 持っていた非日常性はない。日常そのままの意識で、買い物ついでに映画を見るのだ。
もちろん、映画を観るだけの目的で来る人もいるだろう。しかし、シネ・コンで映画をみた後、外に出ると、 否応なくそこには買い物客や食事客が大勢溢れている。昔のように、映画館を出て、余韻にひたりながら あてどなく街をぶらつくというわけにはいかない。すぐに日常に引き戻されてしまうのだ。 もっとも、そういいながらも、自分自身、シネ・コンで映画をみることに慣れてしまっている。何といっても、 便利なのだ。一つの場所で、用事が全て片付いてしまう。特に気に入っているのは、神戸にあるシネ・コン で、ここは全て座席指定だから、始まる直前まで買い物や食事が出来る。昔の映画館のように、始まる 30分前から扉の前に並ばなくてもいい。
結局、映画にはまれなくなったのは、そういう便利さに毒されてしまった自分の感性が磨耗しているだけ なのかもしれない。