山下一史指揮 京都市交響楽団大阪公演 ザ・シンフォニーホール | 作家・土居豊の批評 その他の文章

山下一史指揮 京都市交響楽団大阪公演 ザ・シンフォニーホール

2008年3月15日
山下一史指揮 京都市交響楽団大阪公演 ザ・シンフォニーホール
クラリネット独奏 小谷口直子
トランペット独奏 菊本和昭

ルトスワフスキ「クラリネットと管弦楽の為のダンス・プレリュード」
アルチュニアン「トランペット協奏曲」
ショスタコーヴィッチ「交響曲第5番」

今日のステージの白眉は、ルトスワフスキの第4楽章、ほんの数分の小品と、ショスタコーヴィッチの交響曲の長大な第3楽章ラルゴ。この両者に共通する、哀しみのモチーフ、慟哭の響きだった。
旧ポーランドと、旧ソビエト連邦。いずれも、旧共産圏にあって、芸術と表現の自由を奪われた状況におかれた作曲家が、自身の内面を、監視社会の中のぎりぎり許される限度まで表現しきった、極限の音楽といっていいだろう。
クラリネットの小谷口氏は、途中、入念にスワブで楽器の内壁を拭い、準備を整えたあと、染み通るようなひそやかな音色で、悲しみに満ちた音楽を奏でた。
一方、トランペットの菊本氏の音色は、明るく、爽快なまでの軽やかさで、テクニックの粋をつくしたカデンツァを見事に吹ききった。いずれも、京都市交響楽団のトップ奏者で、自分たちのチームにバックを守られての、見事なピッチング、というべき名演奏だった。

ショスタコーヴィッチの交響曲第5番は、やり尽くされた感のある名曲中の名曲だ。それを、指揮者の山下氏は、じっくりと腰をすえて、掘り下げていく。
京都市交響楽団の、弦楽セクションは、時に慎重すぎて、十分、山下氏の問いかけに応えきれない部分もあったが、やり手のコンサートマスター、グレブ・ニキティン氏の的確な指示のもと、すばらしいアンサンブルを繰り広げた。このオーケストラの真の実力は、前述の3楽章の、きわめて張りつめた弱音の緊迫と、その静寂から突如わき起こる軍靴の響きといった感じの第4楽章にかけて、間然するところのない演奏によって、示されていた。

正直、第3楽章の味わいが、あまりに深く、「このまま、4楽章を聴かずに会場を出たい。この後味をしばらく噛みしめていたい」とまで感じた。続く第4楽章が、金管のがんがん鳴る喧噪の音楽だと知っていたからだ。
ところが、実際、強大な音量と、耳に刺さるアクセントの続く4楽章の行進が、聴いているうちに、自分の肉体を熱く沸き立たせていくことに、我ながら驚いた。
終わってみれば、不思議に、生きる勇気が沸いてきて、このところ少し落ち込みがちだった気持ちが、すっきりと立ち直っていたのだった。
この曲は、4楽章のあまりの威勢の良さがときに安っぽく響くなど、20世紀の音楽としては賛美両論もある。演奏の解釈も、名指揮者バーンスタインのレコーディングでは、フィナーレのテンポが倍になっていたり、様々な議論が絶えない。絶賛された初演の指揮者ムラヴィンスキーの演奏が、実は作曲者自身に陰でこきおろされていた、という「証言」本など、様々な噂がまとわりつく、議論の多い曲だ。
けれど、20世紀を生き残ってきた名曲であることはまぎれもなく、議論の前に、まず、真摯に耳を傾ければ、この曲の持つ力が、誰にでも実感できるはずだ。
もっとも、しかるべき実力をそなえた演奏者が必要なのはいうまでもない。
この日の山下一史と京都市交響楽団は、文句なく、この名曲に、新たな名演を追加してくれた。
山下氏は、実はこの曲が大好きだという。各地で何度も名演を残してきた山下氏だからこそ成し遂げた、すばらしい演奏だった。