作家・小川国夫の命日によせて、小川国夫政治談義の思い出を少々 | 作家・土居豊の批評 その他の文章

作家・小川国夫の命日によせて、小川国夫政治談義の思い出を少々

作家・小川国夫の命日によせて、小川国夫政治談義の思い出を少々

今日(4月8日)は、我が師、作家の故・小川国夫の4年目の命日である。
小川さんが逝ってしまってもう4年たったのか、という感慨とともに、この日のトピックス、ニュースに、小川国夫の話題が皆無だったことが、なにより悲しい。

さて、小川国夫は、「孤高の文士」などと称され、市井の話題には関係ないようなイメージが伝わってしまっているが、親しく接した身としては、小川さんの政治談義や、芸能談義が、とても面白かったことを覚えている。

昨今、橋下市長の影響なのか、それとも3.11以来の風潮なのか、評論家、批評家への風当たりが強い。
つまり、政治的な問題や、政策的な課題について、評論的、批評的に語ることへの攻撃が、異様に高まっているのだ。
つまり、世間的に、「言葉より実行」「思考より決断」という雰囲気が満ちていて、批評的な態度が抑圧されている、と感じる。

しかし、例えば、「行政経験や実務経験のない者が政治を批評してはいけない」などというのは間違いだ。
小川国夫は、小説家で、もちろん政治の現場とは無縁だったが、常に政治を注視し、忌憚のない批判を加えていた。
橋下市長がよく言う「対案を出せ」というのも、偏った意見だ。そもそも、市井の人や学者が本音で語る声をくみあげて、実現化するのが政治家、行政の仕事ではないか。一つの政策への対案は、政治家自身が己の政策への批判を聞いて、自分で考えるべきものだ。

小川国夫の政治談義は、いつも痛快で、庶民のまっとうな正義感に裏打ちされていた。さすが、清水の次郎長の遠い末裔だけのことはある、と納得したものだった。
小川国夫は、故郷、藤枝や静岡の地方政治を、いつも気にして、批評していた。地元の作家、というものが、故郷にたいしてとるべきスタンスのお手本だと感じた。あくまで外からの印象だが、地元の政治家は、故郷を愛する作家の言葉を、真剣に受けとめる姿勢を示していたように思う。土地の生んだ賢者の意見を、尊重する気持はあったようだ。
大阪の代表者が、大阪の生んだ賢者や、識者たちを片っ端からやりこめるのを、市民が拍手喝采しているのは、客観的にみても、愚かな光景だ。謙虚に他者の言葉に耳を傾ける姿勢のない政治家は、結局、唯我独尊に陥る。王様は裸だ。

本当は、今の日本の風潮、特に大阪維新の会をめぐる異様な光景について、小川さんに意見をききたかった。
そういう寂しさが募って、ついあれこれと駄文を連ねてしまったのだ。
下界は、このように喧しいですが、小川さん、どうか安らかにお眠りください。

※参考
文学館企画展「作家のユーモア 小川国夫『昼行燈ノート』」
http://www.city.fujieda.shizuoka.jp/kyodomuse_tenji_topics_bun-hiruandon.html

小川国夫『弱い神』
http://www.bookclub.kodansha.co.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2140764&x=B

※写真は、2005年、拙作『トリオ・ソナタ』出版記念パーティ席上での小川国夫と小生

作家・文芸レクチャラー土居豊ブログ「震災後の文学・芸術」