6月24日(土)14:00 トリフォニーホール

第650回トリフォニーホール・シリーズ

ドビュッシー/牧神の午後への前奏曲

ストラヴィンスキー/バレエ音楽『火の鳥』組曲(1919年版)

ベルリオーズ/幻想交響曲 op. 14

指揮:シャルル・デュトワ

演奏:新日本フィルハーモニー交響楽団

 

6月24日(土)18:00 サントリーホール

第711回 サントリー定期演奏会

モーツァルト/ピアノ協奏曲第21番ハ長調 K.467*

ピアノ:萩原麻未*
シューベルト/交響曲第8番ハ長調 D944 「ザ・グレイト」

指揮:ミケーレ・マリオッティ

演奏:東京交響楽団

 

6月25日(日)15:00 オーチャードホール

第986回オーチャード定期演奏会

尾高惇忠/オーケストラのための『イマージュ』
ラフマニノフ/ピアノ協奏曲第2番ハ短調 op.18*
ピアノ:亀井聖矢*

ラフマニノフ/交響曲第1番ニ短調 op.13

指揮:尾高忠明

演奏:東京フィルハーモニー管弦楽団

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 今年もちょうど半分を迎えました。新型コロナ感染症も第9波が既に来ていると言われています。

 マスクなしに「ブラヴォー」と叫ぶおバカな客も最近は散見します。

 6月は11月に開催されるベルリン・フィルの日本公演チケットも販売されました。

 ウィーン・フィルは頻繁に日本公演に出かけてくれますが、ベルリン・フィルはなかなか日本に来てくれません。さらに東アジアに中国、韓国という市場ができたために日本公演密度はさらに減少する方向にあります。

 東ドイツ出身のメルケル政権は、日本に冷たい対応が目立ちました。そのためか、ベルリン・フィルの往来にも影響したのではないかと思います。

 今回はブラームス(Aプロ)とR・シュトラウス(Bプロ)が演目にあがり、どちらも必ず耳にしたいと思っていましたが、先行販売で両方とも楽々チケットが確保できました。チケット高騰はそれなりでしたが、逆にそのおかげで敬遠するお客が多かったのかもしれません。

 

 通常なら、販売の2時間ぐらいで売り切れになりますが、5日間あるサントリーホールでの演奏会のうち、今日(6/30)現在も11/20(Bプロ)、11/23(Bプロ)、11/25(Bプロ)のS,A席は残っています(ブラームスのある日の2公演は売り切れです)。S席が45,000円、A席が40,000円はさすがにオーケストラ演奏会として破格であることは確かです。以前であればオペラ鑑賞価格ですね。しかしファンならベルリンまで行って聞くよりも断然安いという判断ですよね。

 ベルリンで聴いてもベルリン・フィルのチケットは決して安くないですから今回は大変に楽しみです。

 ベルリン・フィルのブラームス4番と「英雄の生涯」が聴けるなんて夢のような話です。滝に打たれて身を清めてから行きたい気持ちです。

 以前の記事で今年ベルリンでペトレンコにより演奏をおこなったマーラーの7番を来日公演で演奏してくれることを希望しましたが、死ぬまでに同曲をベルリン・フィルの演奏で聴けたら本当に幸せですね。

 

 さて、6月ですが、今月末に個人的業務において大きな行事があり、その準備で全く演奏会に行けませんでした。

 月末に集中して演奏会に向かう結果となりましたが、いずれも興味深い演奏会でした。

 

 まずは新日本フィルの演奏会です。デュトワの登場です。人間的には眉をひそめる「クズ人間」です。クラシック界も非常に狭い中(小さいパイだがそのパイは極めて美味(高報酬))でまともに生活をするためには「成り上がる」か「なんとかして残らない」といけない世界です。

 デユトワはその小さいパイを食い物にした人間の一人です。元メゾソプラノ歌手のパウラ・ラスムッセンの証言はこの「クズ・マエストロ」の下劣さを十分に示してくれます。その例はひとつや二つではなく、長期間に渡っているので確信犯です。

 腹の出具合を見ると、いかに「享楽的で自己管理ができない人間」かは一目瞭然(太っていることに対して単に『肥満』なのではなく『暴飲暴食』が濃厚)ですが、作り上げる音楽だけは立派なのですよね。それは大マエストロであったフルトヴェグラーも、演奏会前での楽屋における醜聞は吐きそうな話でいっぱいです。

 別に優秀な指揮者が聖人であれとは言いませんが、「セクハラ魔」は抹殺すべきではないでしょうか。歴代の著名指揮者でそのような人間はよりどりみどりです。プレーボーイという「甘やかされた表現」がされることがありますが、実態としては「影響力のある人間が己の力を使って女性演奏家や歌手を『手籠め』にした」という事例が非常に多いと思います。日本でも山田耕筰は典型ですね。

 戦後合唱団を組織し、そこの女性歌手たちのほとんどが山田のお手付きだったという逸話も残る、下半身に人格がない「偉大なクズ」だったということは皆の知るところで、横溝正史の作品に出てくる異常者にも負けない「イタリアの種馬」ぶりです。

 この世界は、倫理観を叩き込まれる過程がないため、若くして人気が出てしまうと、逮捕されない限り、欲望のままやりたい放題の「音楽バカ」になります。人気、影響力を背景にしていることがさらに始末におけないところです。

 

 2017年12月NHK交響楽団の演奏会が、一連のセクハラ事件が発覚してキャンセルになっています。N響の名誉指揮者になっているものの、その後の共演はありません。

 新日本フィルは、そんなクズを拾い、近年招へいしています。新日本フィル事務局にすれば、鄧小平が言うところの「白い猫(まともな存在)も黒い猫(悪い存在)もねずみを取る猫が良い猫」ということで受け入れたのでしょうね。

 定期会員として前めの席で聴いていますが、ビオラの首席クラスの女性3人の演奏者が左鎖骨周辺が見えるドレスを着ていましたが、皆さんいずれも左鎖骨が内出血していました。ゴリゴリに弾きまくった結果ですね。それを見て感動しました。

 その「下半身に人格のないクズ・マエストロ」ですが、音楽はとてつもなく素晴らしかったです。

 音楽はどれも緊張感があり、大胆かつ的確な音でした。でもそれ以上は言いたくありません。ぼくはデュトワを人間としては絶対に認めたくありません。僕自身が演奏会ボイコットできなかったのは大きな反省です・・・・くそー。

 

 次にミケーレ・マリオッティによる東京交響楽団の演奏です。モーツァルトのピアノ協奏曲第21番とシューベルトの交響曲第8番といういかにも渋く、「通好み」の演奏会でした。

 マリオッティはローマ歌劇場の音楽監督で、管弦楽曲で招へいすることは逆に新鮮です。萩原麻未との競演も楽しみでした。彼女も若い若いと思っていましたが1986年生まれの今年37歳です。今もとてもかわいらしいピアニストです。

 彼女のピアノタッチがとても好きで、かつてアルミンクとラヴェルの左手のためのピアノ協奏曲を聴いたとき、しなやかな弾きにほれぼれし、それからのファンです。聞く機会にはなかなか恵まれませんでしたが、この日の演奏を楽しみにしました。

 モーツァルトの21番は一楽章と二楽章のギャップの大きさがあり、いろいろな音を楽しめる音楽でした。

 マリオッティのサポートも素晴らしく、きちんとピアノを歌わせていました。音を付けるのが上手な指揮者ですね。

 アンコール曲は、J・Sバッハの「アヴェ・マリア」でした。モーツァルトつながりで弾いてくれるかなとも思ったのですが透明感のある音楽を奏でてくれました。

 

 2曲目はシューベルト。プログラムに46分と記載してましたが、「はぁ?(あほか!)」と思っていました(事務局の方々ごめんなさい)。「この曲を46分で演奏するのにどれだけ巻く必要があるのかわかりますか?」と聞きたかったです。案の定、55分かかっていました。

 シューベルトといえば、ノット氏の前の常任をしており、今も客演で来てくれるスダーンが得意にしていました。派手さはないですが構成のしっかりした音をいつも出してくれており、あえてこれでくるのか思いました。

 マリオッティの解釈は、音が重くならず、まるでメンデルスゾーンの4番「イタリア」のようなシューベルトでした。すがすがしいテキパキとした音構成になっていました。ベームだのクレンペラーの音と比較するとまるで別世界のシューベルトになっていました。シューベルトの5番が好きな僕としてはこういう音は大好きです。会場の観客の皆さんも好意的に聴いていたと思います。仮にまた来てくれるとしたら、ドイツものでなく、イタリアに関連した音楽を指揮してもらいたいです。

 何が得意なのかわかりませんが、この日の演奏曲は得意なものだったのでしょうね。

 

 最後に25日にあった東京フィルのオーチャドホール定期です。

 待望のラフマニノフの交響曲第1番が聴けるので楽しみに出かけました。

 1曲目尾高さんのお兄さんの曲を演奏されましたが、無調でありながら、リズムがしっかりしていて現代曲として非常に観客に優しい音楽でした。この曲CD購入して聴きこもうと思いました。広上さんがマルメ交響楽団で録音しているので購入します。

 You tube の以下のところで外山さんの指揮で聴けるので興味のある方は聞いてみてください。

外山/N響:尾高惇忠:オーケストラのための「イマージュ」 - YouTube

 

 2曲目はラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を亀井聖矢さんによるもので聴きました。こぎれいなピアニストですね。昔、清水和音さんもとてもきれいな容姿でしたね。今は「おいしいものを食べすぎた感」ありありです。

 ラフマニノフの2番は4月に辻井伸行さんと佐渡さんの圧巻の演奏を聴いたばかりであり、どんな演奏が聴けるのかと思っていましたが、まるで違った音でした。

 とにかくピアノ移行が巧みで、オーケストラからピアノソロのつなぎの流れが流麗で上品な音出しでした。

 辻井さんの「叩くラフマニノフ」に対して「なでるラフマニノフ」という表現です。とはいえ、極端にロマンチックで感傷的にはならず、美しいものでした。

 この日は、東京フィルも弦をうならせていました。

 

「やればできるんじゃないですか」

 

 本当に、いつもはヴァイオリンがストライキをしているようにぐずぐずと音をうならせませんが、この日は尾高さんがしっかり音出しのリクエストをしたのだと思います。

 

 隣の席のおばちゃんが、ピアノ協奏曲の演奏中、音楽のテンポに合せて首を振っていました(かつて、おもちゃ屋で音に合せて動くヒマワリ人形が販売されていましたが、あんな感じです)。以前も新日本フィルで音に合せて指をトントンしたり、指を動かすおばちゃんがいましたが、世の中のおばちゃんたち、「お願いですから音楽の最中は必要以上に体や指を動かさないでください」。目に入れないようにしても必ず視野に入ってしまい『とてつもなくストレス』になるのです。」

 

 最後にラフマニノフの交響曲第1番。当時の聴衆や評論家には受けなかったようですが、名曲です。ラフマニノフが失敗のせいで精神的に病んでしまったわけですが、「クラシック音楽カテゴリー」として受け入れてもらえなかったかもしれませんね。

 いきなりあれで始められたら、確かに「俗物扱い」されたかもしれませんね。

 音楽の動きが大きすぎますものね。今の時代なら全く聞き手側からは否定の気持ちはないですけど、1895年時点(初演は2年後)は刺激的だったかもしれませんね。「破綻したリズム」だの「漠然とした形式」と言われるのは、構成が動いているからにほかありません。当時のロシアはチャイコフスキー全盛であったことから、メロディーでは優れていても、楽章内でころころ音の展開が変化していることで形式が明確なお手本と比較するとバッシングされる羽目になったのでしょうね。

 

 それでいけば、もしブルックナーをこれらの評論した人間がその初演を聴いた場合も「非難の嵐」だったでしょうね。ブルックナーの「ブルックナー休止」などを最初に聴かされたとしたら、ラフマニノフ同様の対応になっていたのではないでしょうか。

 

 ラフマニノフの1番はメロディー的に本当に素晴らしいものです。

 最初聞いた時には、4楽章の最終部分は惜しいと思いました。最後の流麗の音楽のまま終わらせて欲しかったと思いましたが、工夫を凝らして音作りをしてくれています。

 この1番もそうですが2番ばかりではなく3番も演奏会でもっとやってほしいです。今年はラフマニノフイヤーで、交響的舞曲は比較的、各オーケストラの定期公演で演奏してくれますが、1番はこの演奏会の前の週にノセダがNHKsoを指揮しただけに過ぎません。第3番はどこもやってくれません。特に交響曲第3番の第1楽章はラフマニノフの大傑作の1つでもあるので演奏して欲しかったです。

 第3番の屈指の名演と言えば、マゼールによるベルリン・フィルの演奏でしょうね。これって録音はあるけど、演奏会で実演したのでしょうか。聴けた人はとても幸せな人ですね。

 

 演奏会後、尾高さんがステージに立たれ、コメントをされました。「この1番はとてもむずかしいから演奏機会がない」とのことでしたが、演奏機会があればマーラーのように多くのファンが獲得できると思います。2番も当初はオーケストラの演奏者にとってとても難しい代物だったと思いますが、今はアマチュアオーケストラでも演奏します。

 是非、1番や3番もオーケストラ演奏の演目にこれからも入れてもらいたいと思います。

 最後に、隣席のおばちゃんですが、この1番が演奏されているときは、一度も首振りがありませんでした。2楽章、3楽章は気持ちよく睡眠され、4楽章後半になり、むくっと起き上がっていました。