徳義炭坑跡を巡る

 

訪問日:2013年2月24日

 

 長崎県松浦市の福島は九州北西部の伊万里湾の外側に浮かぶ棚田が美しい島ですが、以前は炭坑で賑わった島でした。島内の北部の鯛之鼻炭鉱、中部の徳義炭鉱、南部の福島炭鉱の3カ所が主な炭鉱で、明治~昭和時代に操業していて他にも複数の中小炭鉱が操業していたそうですが、現在は全て廃止されています。今回訪れたのはそのうちの一つ徳義炭坑跡になります。棚田の撮影終了後帰り道で海に突き出た炭坑跡を見つけ傍まで行く事にしました。徳義炭鉱は1941年(昭和16年)に開坑して1944年(昭和19年)に出炭が始まったそうです。昭和30年代になると、坑道が深くなりすぎたことから坑内合理化のために福島炭鉱と海底坑道の接続を図り、坑口集約化が完了した1961年(昭和36年)をもって徳義炭鉱としての歴史は終わったそうです。島内で最後まで操業していた福島炭鉱も1972年(昭和47年)に閉山しています。※詳細データは『福島町郷土誌』福島町郷土誌編纂委員会から引用唐津街道から福島へは福島大橋でつながったので交通アクセスは便利になりました。

 

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海面に佇む徳義炭鉱跡の朽ち果てた桟橋

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徳義炭坑跡 長崎県松浦市福島町浅谷免

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徳義炭坑跡

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徳義炭坑跡

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徳義炭坑跡

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徳義炭坑跡

徳義炭坑跡

 老朽化していてさすがに渡る事が出来ませんでした。と言うかここから先は立ち入り禁止で柵が有りました。海よりは相当崩れ落ちています。