ストイックな性格

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今朝、近畿地方で地震がありました。

僕は奈良県の香芝市という街で暮らしています。
大阪府と奈良県の「県境」にあたる位置です。

僕が暮らす街で、「震度が5」だとか、母が言っていました。


僕はそれどころではありません。
余震で、水槽が倒れないよう警戒していました。



今回の地震は、まだ、被害情報の有無が解りません。
被害の報告が拡大するかもしれません。


つい先日も、
透析ブログを書いておられる方が、
災害が起きた時の備えだとか、
貴重な記事を書いておられた。
とても参考になりました。


僕は、災害が起きた時の「備え」は出来ています。


出来ているというよりも、
普段の生活のままで十分で、
あえて何かを準備する必要がないんです。



極端な言い方をすれば、
「今、死んでもOK」なんです。


「この世に未練がないから、早く死にたい」
そういった、投げやりな人生だからではありません。


「死後、僕はどこへ行くのか」
そういった答えを持っているからです。



その答えが「正解」か「間違い」かは、
死んでみないと解りません。


解らない事を信じることを「信仰」と言います。


僕は、死後についての答えを「信仰」という形で持っている。
だから、
「今、死んでもOK」なんです。

死後についての準備は出来ています。


しかし、災害が起きて、
生き延びた場合の「備え」は出来ているのか?
というと、
たまたまですが、僕の生活の1部として、
準備が出来ているんです。(笑)




災害が起きた時、
3日間、耐えることが出来れば何とかなるようです。
3日間、耐えれたら、救助隊に救助されるだとか。



地震で自宅が崩壊し、
閉じ込められた場合、
僕は両足がないから、車イスに乗る事も出来ないでしょう。
一人で、脱出するすべがなく、
救助隊の助けを待つしか術がない。


救助隊が来るまでの3日間、生き延びれるか?


僕は慢性腎不全で人工透析を受けています。
週に3回の人工透析を受けています。
自宅が崩壊し、閉じ込められたら透析に行けません。



それが、1週間も救助隊が来なかった場合、
どうなるでしょうか?


人工透析が受けれなくて、
飢えて、衰弱して死んでいるかも知れません。


でも、
僕は、案外、生き延びているかも知れません。




その根拠は、人工透析の機械を使わずに、
・自分で除水出来るからです。
・5日間の断食くらいなら平気だからです。
・水さえあれば1週間くらいは平気です。
・水は、水槽に使う水が常時7リットル置いてあります。
・週に3回、プチ断食をしているので食わなくても平気。
・普段から摂生生活をしているので、毒素の量も少ないでしょう。
・尿毒症の中毒症状も経験済みです。対応策を心得ています。
・食べ物は、クッキーなど保存食を常備してあります。

災害で、3日ほど倒壊した家屋に閉じ込められても、
僕は死なないと思います。(笑)




3日くらいは、透析を受けなくても死なないと思う。
除水は自分で出来ますし、
ドライウェイトの境界も、自己判断(体感)で解りますし。

普段から断食をしていますから、
食べなくても平気です。
水があればね。


災害が起きて、閉じ込められたときは、
ジッとしていればいい。
動くと、クレアチニンの数値が高くなるから。


食べ物がない場合、喜べば良い。
というのは、
人間の体は「飢餓:きが」には耐えれるよう出来ています。
断食が健康に良いのはそのためです。


化学的に根拠を説明すると、
細胞の中に「ミトコンドリア」という器官があります。

食事が出来なくて、栄養を摂りこめないとき、
ミトコンドリアが「危機感」を感じで、
エネルギー(アデノシン三リン酸)を放出してくれます。

そのお陰で、食事をしなくても、細胞が元気になるのです。

断食が、健康に良いのは、
ミトコンドリアのお陰ということなんです。




しかし、
僕は、災害が起きて閉じ込められても平気ですが、
他の透析患者さんだったら、どうだろう?


普段から摂生もせず、
たくさん除水をしてフラフラになるような患者さんなら。



透析を受けているからこそ、
「栄養を摂らないとダメだろ!」なんて、
自分の食い意地を誤魔化すために、
食ってばかりいる人なら、どうなるんだろ?




断食も、摂生もしたことがない人なら、
そういった場面で、苦しむでしょうね。

かえって、
断食や摂生生活を味わえて、
健康効果を理解できて良いのかも知れないね。


透析に関しては、
除水出来ないで、それが負担になって・・・
大変な事になる場合があるでしょうね。




という事で、
僕は、災害が起きて、
3日くらいなら、死なないでしょう。

自分で除水をしますし、
毒素をためない摂生も断食もできますし。
ジッとしてれば、それほど毒素(クレアチニン)も増えませんし。




僕のブログを読んで、
「アイツはバカだろ?」
「バカみたいにストイックな事して?」



透析ブログを書いている人達に、
たびたびバカにされています。

バカにするのは結構です。

人をバカにするならば、
自分は人からバカにされないような生活をしていないとね。

「自分の事は棚に上げて、人をバカにするってどうなの?」


無様だと思わない?


僕はね、「ストイックな性格」なんですよ。

興味を持ったものに、ストイックな姿勢になっちゃう性格なんです。


あなたは、ずぼらで、まぬけな性格かも知れませんね。
まぬけな性格の人から見ると、
僕のようなストイックな性格の人間を見ると、
妬ましいのでしょうかね?
ウザいでしょうね。

だって、自分が同じように出来ないのだものね。



ただ、言っておきます。
僕はストイックな性格なだけで、
凡人を「バカにしている」のではありません。

僕をバカにする、
「あなた達が勝手に妬んでいる」だけですよ。


悔しかったら、
僕と同じような事をしてみたらどう?
出来ないでしょ?
出来ないことを、悔しく思うから、
色いろ御託を並べて、ケチつけてるんでしょ?

「そんなことしても意味がない」とか、
屁理屈を言っては、誤魔化してんでしょ?


出来ないんでしょ?

出来ない事を言い訳に、
屁理屈を言ってんでしょ?



人の生活をバカにするのは構いません。
その代り、僕も、バカにする人をバカにしますから。(笑)



僕は、
仕事もスポーツも、恋愛も遊びも、
興味を持った事には全力で行動します。


死と背中合わせにして、取り組むことさえあります。
真剣なんです。


真剣に取り組むから、達成するのも早いです。
失敗の数だけ、成功も多いです。

そして、何よりも「リスク」を背負っています。

死と背中合わせで取り組むので、
命を落とすリスク、
大ケガを負うリスクもあるのです。

そういった恐怖や不安も払拭させて、
努力するのです。

その形が「ストイック」に見えるのです。


僕の、そういった生活スタイルを、
凡人のあなたに押し付けたことがありますか?

もし、押し付けたり強要したことがあるなら、
謝罪します。
申し訳ありませんでした。



しかし、僕は強要した覚えはない。

ただ、僕の生活スタイルを、
記事に書いているだけです。

僕の記事を読んで、
バカにするのは結構ですよ。

「バカみたいに、ストイックに摂生して・・・」
と揶揄するのは結構ですよ。


そういった意見を、読者の感想を聞けて、
僕も考える所がありますから。



僕も思いますもの。

普段から除水量が多くてダメだっただとか、
惨めな言い訳ばかり書くくらいなら、
食べ物の重さを計量して、
1日の食べる量を確認しながら食えばいいのにって。

病院に行って、体重を測って、
今日は重たかったな・・って、
バカじゃないの?って。
家に体重計はないのか?って。

食う量を決めて食ってりゃ、
体重の増加なんてコントロールできるだだろって。

消化に良いもの、お通じをよよくすりゃ、
体重が落とせるだろって。

余計なカロリーを摂り過ぎないよう、
努力すりゃいいのにって。

他の透析ブログを書いている人達の記事を読んで、
バカじゃないの?って思う事がありますからね。



僕も人間ですから、そんな風に思う事もあるさ。


だから、
僕の記事を読んで、
「こいつバカだろ?」
と思って貰って構いません。
それがブログだろうし、
色んな感想があっても良いと思う。



ただ、
自分がだらしないことをしていて、
「自分の事を棚に上げ」て、
他人の記事をバカにするのはどうかなって思う。


それに対しては、
僕は、噛みつきますよ。



お前は、俺をバカにするけれど、
お前はどんな暮らしをしてんだ?

お前に出来ない事を俺が出来るからって、
「妬んでるだけじゃないのか?」って。

妬む暇があるなら、1秒でも努力しろよって。


人の苦労や努力も知らないで、
簡単に妬むんじゃないよって。

「己が何の努力」もしないから報われないだけだろって。


少し、
乱暴な文章になりましたが、
心で想っている事を書きました。

僕も1人の人間です。
感情の生き物ですから。


何度も言いますが、
僕がストイックな生活をするのは、
病気になったからではなく、
誰かの指示でもなく、

「ストイックな性格」だからです。

生まれつきの、
「アスリート」なのですよ。



僕が、生まれつきの「凡人な性格」だったとしたら、
凡人な暮らしをしていたでしょう。


ただ、それだけの事なんですよ。



超人的な人がいて、
凡人がいて、
それぞれの役目があって、
それぞれが「社会の歯車」であって、
どの人が欠けても社会が成り立たないかも。


僕達は、
一人一人が、「社会の歯車の1つ」です。



時計の部品のような物です。

ある人は、文字盤という使命があって、
ある人は、秒針だったりネジだったり。

それぞれの部品があるからこそ、
時計として機能します。



社会って、そういうものだと思います。



 

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