【20年8月2日探索・9月20日公開】
現在地はここ(航空写真)
建物の裏にはウインチと思われるものが置いてあった。
山神社の前にはこんな石碑も建立されていた。
「偲ぶ」という題で、昭和4年(1929)に小串鉱山が操業開始してから昭和46年(1971)の閉山までの人々の想いなど、もちろん昭和12年(1937)に起きた245名もの犠牲者が出た地すべりの犠牲者への鎮魂も含めて刻まれていた。この石碑の建立は平成10年(1998)9月なので、閉山後27年も経ってからの事だ。
地蔵堂建立の石碑も建てられていた。
現地に記憶と記録を残しておこうという関係者の想いは、現役時代を知らない私のような訪問者にも伝わってきた。
小串鉱山の地図もまた石碑になっていた。
書き写そうかと思ったら、既にこちらのサイト様(記事中央付近)がやられていたので、気になる方はリンク先様の記事内の物を見て頂きたい。
ところで、山神社入口付近のは2基の仮設トイレが設置されているんだが、針金により封鎖されていた。
振り返り、戻ろうとしたその時、左の方に何かがあるのを発見した。
行きには全く気付かなかったが、これが変電所跡になる。
足場があまり良くなく、思うように近づけない。草も多いし・・・
それでも変電所跡の縁までは辿り着いた。
ずいぶんと大きな碍子があった。もっと間近で見たかったがズームで我慢するか。
建物自体も既に屋根は全くなく、壁も1面は崩れ落ちていた。
いつまでこの場所に建っていられるんだろう。
シングルトラック道を下り、先に進もう。
鉄索場跡(索道終点)の続きであろうか。グラウンドが造れそうな感じだが、今この場所に造ってもアクセスが悪すぎで誰も来ないよな・・・
(その8に続きます・・・が、思いの外連載が長くなりそうなので、他の記事を挟もうかと思います)