恩人・吉村正さんに捧ぐ~長男誕生秘話②~ | 『あなたも私も大丈夫~届けたいのは根拠のない自信』 ♡母と子の幸せ応援団~ひなたぼっこ~浅井智子

『あなたも私も大丈夫~届けたいのは根拠のない自信』 ♡母と子の幸せ応援団~ひなたぼっこ~浅井智子

日々の子育てに心も体もお疲れモードになりがちなお母さんたち。自身も母として奮闘中の森のようちえん園長でもあり、心理カウンセラーの浅井智子が『あなたも、子どもも大丈夫♪自分を生きていいんだよ』のメッセージと共に、世界中のお母さんを応援します。

長男出産秘話① からの続き

 

長男坊と次男坊♡

 

 

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今、私の目の前に1冊のファイルが置かれている。
表紙には「母子保健ファイル 吉村医院・浅井智子」と書かれている。
B5版の大きさで、そこには妊娠生活のあらゆる記録と、検診時に吉村先生によって書かれた週数ごとの私個人への注意事項が綴られている。

これを開くと、当時の様子が事細かに思い出される。

一番先生に書かれていのが「よく動くこと」・・・という言葉。とにかく1日2~3時間散歩するように・・・というのが先生の口癖。
安産するためには体力をしっかり養わなくてはならない。
長男坊は4月の予定日だったので、冬から春にかけて自然の移ろいを感じながらの散歩は、とても楽しかったし、その時見た風景や、我が子との対面を心待ちにしていた気持ちなど、今でもよく覚えている。

次に書かれているのが「食べ過ぎない」。
体重増加は難産への近道。
産道にお肉をつけたら、赤ちゃんの通り道は狭くなって、当然通りにくくなる。
体重を増やしすぎている妊婦さんが怒られているのを見かけたことがある。幸い、私は最後まで体重増加については優等生だった。

妊娠34週目(9ヶ月後半)の検診では次のように書かれた。
「児頭高く大きいので、1日4キロ位歩くこと、草取り、床ふき等 頑張る」
赤ちゃんの頭の大きさがかなりあって、まだまだ高い位置にあり、難産傾向にあるので、安産のための身体と心を創るために、今まで以上に努力が必要とのことだった。
そして、古屋労働を命ぜられた。

古屋とは、愛知県足助に建てられていた農家の茅葺屋根の民家を吉村医院の敷地内に移築したものだ。
そこでは、出産を間近に控えた妊婦達が、昔のお母ちゃん達がやっていたであろう、当たり前の労働、例えば蒔き割り、井戸水汲み、床ふきを行なっている。
昼には蒔で火をおこしお釜で炊いたご飯と、味噌汁という質素な食事を、吉村先生が収集された江戸時代のお茶碗などによそっていただく。

よく働き、身体を動かし、食べ過ぎないで、昔ながらの生活をしていれば、医療介入の必要の無い、自然な出産が出来るという吉村先生のお産論を具現化している場所が古屋である。

切り出されて置かれている大きな木の塊を、ヨイショヨイショと運ぶ。普通妊婦さんに重い物を持たせるのはご法度と言うものだろう。
でもここではまず、そこから始まる。そして斧を振り上げて、重みを利用してストーンと振り落とすと同時に腰も落として、薪割りをする。
これは見ているよりも やってみる方が絶対に楽しいし、快感。ストレス解消にも、もってこいの労働。

更にナタを使って、小さい薪作りをするときや、竹床の拭き掃除では、股を開くようにして腰を落として作業をする。赤ちゃんが下がり易く、子宮口の開き易い格好だ。

お腹の大きい女達が、みんなせっせと働く。新入りの私は見よう見まねで先輩妊婦さんのやるようにやってみる。そして、お昼を食べながら、おしゃべりにも花が咲く。
お互い妊婦同士、情報収集したり、相談しあったり・・・
古屋は文句なしに楽しい。気持ちいい。
自然に囲まれ、昔ながらの建物に住まい、身体を動かす心地よさ。そこで同じ妊婦仲間と交わす会話の楽しさ。

先輩妊婦さんがいよいよ出産を迎え入院。でも陣痛がまだ弱いからと、古屋に来て働く姿に、もうすぐ自分も・・・と重ね合わせる。

そして誕生した赤ちゃんを抱いて、古屋に顔を出しにくる先輩ママに憧れて、私も安産するぞ~と気合が入る。
私は少し距離があったので週に1回位しか通えなかったけれど、毎日でも来たい場所だった。

このときに出会った仲間とは今でもお付き合いが続いている。第一子の人が多くて、結びつきもより強まったのかもしれない。

古屋に通いだして2回目の検診で、吉村先生は驚かれた。書かれたコメントはこうだ。
「著しく安産傾向になった」
古屋効果バッチリだった。余りの素直な身体の反応に先生も予想以上のようだった。
毎日欠かさず散歩もしていた。

赤ちゃんの頭が相当大きいのが心配で、先生からも「ウンと動くこと」と言われてきた。

いよいよ、その時がやってきた。
我が子との対面までには、まだまだドラマが!!
次回は長男坊誕生瞬間の物語・・・お楽しみに。

 

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その日は出産予定日の翌日だった。
朝から便秘でトイレにこもるものの、スッキリしないでお腹が張って変な感じだった。

夫が休みだったこともあり、昼間は二人で地下鉄に乗って出かけた。夫婦共通の大切な友人が手術をして入院していたので、お見舞いに行ったのだった。もし、途中で何かあっても主人が一緒なら大丈夫だろうと気楽だった。
無事帰宅して、またトイレにこもる。
なかなか気張ってもウチが出てくれない。
便秘のまま出産って嫌だよなあ・・・。
お腹の張りと微妙な痛みが解消されないまま、結局夜を迎え、眠った。

ところが、夜中に目が覚めると便秘のお腹の痛さとは思えない、定期的なお腹の張りというか、痛みが・・・。
もしかしてこれって陣痛?
朝からお腹が張っていたのは便秘じゃなくて陣痛の前触れ?
なかなか出ないと思っていたのはウチではなくて、もしかして息子?!
そう言えば、テレビでタレントが出産は3キロのウチをするようなものって、言ってたっけ?
だって、初めてのことで陣痛だなんて分からなかったんだもん!!
息子よ ごめん!!君をウチと間違うなんて・・・。

痛みが定期的になり強くなるので、一番避けたいと思っていたけど真夜中の入院となった。

ところで・・・
実は夫は、少し前に高速を運転中、スピードオーバーで一発免許取り消しになっていた。
私の調子が優れず早く帰ってきて欲しいと、仕事先に連絡を入れたところ、スッ飛ばして帰宅する途中でのことだった。
再度免許を取得するために、運転試験場で実地試験を受けて、仮免許まで取得していた。
段ボールの紙で作ったプレートに、手書きで「仮免許練習中」と記し、ビニールで覆って紐で車の前後にくくりつけていた。
自動車学校の車でならよく見かける光景だけど、左ハンドルのアウディに紐でくくった手書きのプレートとなると、俄然注目を浴びる。当時、本当に恥ずかしかった。

隣に運転免許を持っている私が乗っていれば、仮免許中の夫でも運転できる。
この日も、陣痛で苦しむ私を助手席に乗せて、夫は高速を岡崎に向かって飛ばした。制限速度内で・・・。

入院して病室に入ったのは午前3時半だった。
痛みはドンドン強くなる。
なのに夫はグーグー病室の私のベッドで眠っている。
私は痛くて椅子の上で背もたれにしがみつきながら、顔をゆがませて耐える。
妻がこんなに苦しんでいるのに、もうすぐ我が子が誕生しようとしているのに、平気で寝ていられる(ように私には見えた)夫の神経を疑った。
「信じられな~い!!」

・・・と同時に、どんどん赤ちゃんを生み出そうと、私の意識とは別のところで力が働いて身体が機能していることに、神秘さを感じ、神様の創られた人間の身体の凄さに驚いていた。
別の病室から聞こえてくる赤ちゃんの泣き声に「もうすぐ私もママになれるんだ」と、励まされたことを覚えている。
しばらくして破水したものの、なかなか赤ちゃんが降りてこない。苦しい。

翌朝、その日の入院対応の医師が様子を見に来てくれた。
午前中には生まれるでしょう・・・と心強い言葉。
午前中・・・よし、頑張れる!!

ところが・・・ところがである。
長男坊の誕生はまだまだ先だった・・・

おっと、今回で最終話と思いきや、誕生の瞬間はまた次回となりました。
みなさん お付き合い 有難うございます

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浅井智子