舞踏家・田中誠司のこと 第一章(/第四章) | 高の原で遊ぼうプロジェクトのブログ

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家を出たのは、暮れなずむ空に半月が輝きを増し始めた頃だ。


遊歩道に植えられた金木犀が、道程を絶えることなく甘い香りで満たしている。

秋深く、すでに儚げに鳴く虫の声を聴きながら、この街を歩く。


歩くこと20分。


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いつの間にか暗黒へと色を進めたその空がいきなり避けて、半月の光の中、踊りのミューズが舞い降りてくるのではないか?・・・

そんな風を感じ始めた頃、舞踏家田中誠司の稽古場に辿り着いた。






舞踏家・・・。ああ、あの白塗りの?・・・前衛芸術だ

よね。よう分からんけど・・・

なんて方のために、「舞踏」についての若干の説明をしておこう。




暗黒舞踏(あんこくぶとう)は、日本の舞踊家土方巽 を中心に形成された現代舞踊(≒コンテンポラリー・ダンス )または前衛舞踊の様式で、前衛芸術 の一つ。海外ではBUTOH(ブトー)といい、日本独自の伝統と前衛の混合形態を持つダンスのスタイルとして認知されているが、誤解または独自解釈も多い。 なお、現在は、「暗黒舞踏」ではなく、たんに「舞踏」とだけ呼ぶのが一般的である。「舞踏」には様々な流れがあり、舞踏がすべて「暗黒舞踏」なのではない。(by Wikipedia




1960年代、土方巽氏や大野一雄氏によって創設された独自の現代舞踊を「舞踏」というのだ。

それは、日本固有の脈々と受け継がれてきた魂や、古くからの「舞」のようなものに踏襲しつつ、今を生きる「この私」の命の切実な悲しさや魂の救済を、身体の内側から湧き上がっ

てくるような動きによって表現しようとするものなのかもしれない。


振付などない!という場合も多く、自分の中の切実な必然性と、その場の普遍を取り込んで踊ってしまう・・・という風なものなのである。




田中誠司さんは、大野一雄さんの息子さんであり著名な舞踏家である大野慶人さんに師事し、海外公演はじめ様々な各地で舞踏公演を展開しつつ、2011年2月故郷高の原で「田中誠司舞踏スタジオ」を開設しているという若き舞踏家である。




詳しくは田中誠司さんのオフィシャルサイトを是非。 http://web1.kcn.jp/seijitanaka/





すっかり暮れた10月の匂いを感じながら辿り着いた田中誠司さんの稽古場は、閑静な住宅地の真ん中にひっそりと建つ一軒家の2階にある。



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20畳の和室だ。


「田中誠司舞踏スタジオ」という小さな表札のかかった木のドアを開けるとすぐ、2階へと続く細い階段がある。


階段の両側の壁には「踊る田中誠司」の雰囲気のある写真が何枚か飾られていて、それを眺めながら歩を進めていくと、徐々に日常の雑然とした時間から切り離されていくような感覚が生まれてくる。


そして、階段を上りきると、薄い間接光にくるまれた稽古場の畳が、暗いオレンジ色に口を開けているのだ。


ソファが一つ。CDラックと本棚・・部屋の隅には師匠大野慶人氏から贈られたという造花の薔薇の花束が鈍い光を放っている。


壁には大野一雄の写真が何枚か・・・


その中の一枚、車椅子の大野一雄に誰かが静かに口づけしている、観る者に強い光を与えるような写真があるのだが・・・その物語はまた・・・書き進める先に・・・


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その部屋に色白ですらっとした姿態を持つ美しい青年が立っていた。


田中誠司さん。舞踏家だ。



「どうぞ」と中へ誘われたのだが、彼の身体からは何の警戒心も感じられはしない。



高の原で遊ぼうプロジェクトのブログに載せたいので、お話し聞かせてください・・・

という訳の分からない私の依頼に、なんの警戒心もなく「なんでも聞いて、なんでも書いて下さい」と、心はすでに開かれている。


35歳の青年に、59歳のこちらが、すっぽり包まれて許されてしまっているのだ。



なんだろう?これが舞踏家というものなのだろうか?


       

                          -(第二章)へ続くー









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