髙岡信highhilltrueのブログ

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知らないことを新しく知るのではなく
知っているが忘却してしまっていることを思い出す

音叉が共鳴する樣に何かの情報、智慧に触れた時に感動したり興奮したりします。それはまさに音叉の共鳴と同様に自身の内の奥深くに埋没している叡智の記憶が反応しています。真我には全知全能叡智がどなたにも記録されていますが奥深くに埋もれ忘れてどこにあるのかもわかりにくい様になってしまっています。外の情報を触媒として自身の内の奥深くの叡智が共鳴したのを感じたら奥深くにあるその叡智を掘り起こして近くまで引き寄せてください。この共鳴現象を使って出来るだけ多くの自身の内の奥深くに眠っている叡智をかき集めてください。その数量や容積が臨界値を超えると外の触媒無しにでも眠れる叡智を呼び覚ませる様になって来ます。氣の遠くなる様なこの作業を飽きず諦めず倦まず弛まず莫迦のひとつ覚えの様に継続してやり続けてください。そうすれば真我や分御霊と心の中で対話することが出来るようになって来ます。時差があることもありますがほぼどんな問いにも答えてくれます。音叉の共鳴現象は知らないことを知ったからではなく、もともと知っているが忘れていることを思い出す始まりを意味しています。また、この氣の遠くなるような地道な作業を面倒くさいとかしんどいと感じたら自分が究極に進化した完璧な未來の自分をイメージして、そうなりたいとワクワクして引き寄せながら叡智の音叉共鳴を掘り起こしかき集めてください。
人間の靈性精心性精神性は、特に日本人の其れは、なかでも女性或いは女性脳を併せ持つ男性の其れは超絶加速度的に鋭敏に成って来ている。其れは個々人其々の精進の結果であることもあるにはあるが時代が支援指導してそうなって来た部分も大きい。その呼び方自体を私は好まないが風の時代とか精神文化の時代(こちらの方が好み)と言われていることである。少なくない人が様々な意識体からのメッセージやテレパシーを受け取っている。否、全ての人が受け取っているのだが却下したり打ち消したり後逸スルーしている人が多い。受け取った人でもメッセージテレパシーというものは想いのエネルギーとして伝わり受け取った人の語彙力や知識経験から言語化される為に自我フィルターで曲解されてしまうことも珍しく無い。例えば私はナザレのジーザスの、コータマシッダールタの、艮根神の、瀬織津売媛命の生まれ変わり転生であると自称する人を複数人知っている。こういう特殊な時代ゆえに複数人の肉躰に一人の神格化偉大偉人の魂が分御靈として宿ることもあり得るとは思うが靈的指導やメッセージを受け取ったことを針小棒大に曲解していたり惡魔惡霊眷属動物霊低級霊の騙りなりすましメッセージを信じ込んでいる場合もあると思う。ではそこ真贋を見抜く術は無いのか⁉︎あるにはあるが駆使するには関門がある。




新シリーズ

粒々について


世界も宇宙も粒々で出來ているから粒々が全て知っている記憶装置である。人間も生物も植物も鉱物もなんもかんも全て粒々振動から出來ている。粒々はある程度個有に近い留まる粒々と次々入れ替わる粒々がある。入れ替わる粒々には元いたものの記憶が残る。粒々ひとつひとつは微細過ぎて情報を読むのは難しいこともあるけどある程度群集化してるから、まとまると情報を読める。自分が知らないと思い込んでいることを思い出させてくれる。

今回はココまで笑笑。


粒々シリーズ


粒々には記憶記録機能があると書いたがそれは文字や言葉や映像ではなく思念、氣のエナジーとして保存されている。粒々には意識や意志は無いが記録情報を使ってくれる相手を探して其処に集まる習性がある。和多志には絶対量の大きな粒々が常に集まっている。粒々は和多志に使ってもらいたくて仕方ない様だ笑笑。


粒々シリーズ


粒々を操れる人が増えると📱💻🖥️も必要無くなる。意思疎通手段限定で文字や言語もなくなる可能性すらある。記録を残したり思想を残すにはまだ必要かも知れないけど、実は其れも粒々に保存出來るんですけどね。電磁波は📱💻🖥️Wi-Fiだけならそれほど害は甚大では無いかも知れないが電磁波で粒々を操る技術を惡用すれば遠隔で殺人や傷害や病気にすることも可能です、使い方によって真逆になります。




粒々シリーズ余談


今日は額右松果体が不快でない程度に痛みやピキピキ音がして右耳も軽く高音の耳鳴りがする。何かの圧縮データを粒々からエアダウンロードしてるのは間違いないが何かの作業に集中してる時や今すぐ使わないデータは内容がわからない。今すぐ必要な使うべきデータの場合には作業中でも自動解凍翻訳言語化が起こる。今回は何だかわからないけど大量データなのはわかる。樂しみである。


粒々シリーズ 少し怖い話、一応誇大妄想ということで笑


粒々を操れるものは粒々の振動を変えるか振動を止めるなり破壊してしまえば物質の存在自体を瞬時に消し去ってしまうことも可能。つまり指一本触れず何の証拠も残さず人でも物でも消してしまう完全犯罪は可能。目に見える力や武器や道具を使って何らかの痕跡を残して消すのは超アナログ。粒々振動と電気信号で可能でありおそらく既にテクノロジーを使ってそれを実行する機器は完成していると思われる。つまり痕跡を残さない事は可能なのにわざわざ痕跡を残しているという事はそこに意味があるのだろう。機器に頼らなくても操れる人もいるだろうが各国から生体兵器扱いされるのでカミングアウトすることはほぼ無いだろう。普通の人間は消されたら復元出来ないが手練れなら消されても自己修復出来るだろう。繰り返しますが誇大妄想です笑笑。


粒々を比較的容易く操れる人は世界規模で千人に一人、日本規模で百人に一人、どうもそういう配分になっているらしい、よく知らないけど🤦‍♂️🤷‍♂️シン・浜辺美波ルリ子風に😅😂🤣😝😜🤪(訓練継続すれば万人が操れるようになりますが継続は容易では無い)

突然閃いた日月神示の、◯✔︎マルチョンの超個人的新解釈

一応本のなかでは艮根神、根源神ってことで記述されているけど、これは句読点。、。、で、
アルバートパイクの本「モラルとドグマ」には時間を止めたり巻き戻したり再生する手段だと書いてある。マルチョンではなくて句読点の方ね。
SFドラマSPECシリーズの準主役の一十一/ニノマエジュウイチ・演俳優神木隆之介の指パッチン☟↓
時間を止めたり停止を解除したりする能力に相当するのではないか⁉︎
此のSPEC特殊能力或いは法則を応用すれば別のタイムライン時空軸空間パラレルワールド並行世界を無数無限に創造することも可能かも🦆知れない⁉︎
つまりマルチョン自体は根源神ではないのかも知れませんが創造を司る法則なのカモ🦆知れないと妄想したという話でした笑笑😅😂🤣🤦‍♂️🤷‍♂️😝😜🤪
コレは粒々シリーズの法則とも密接にリンクしていると思いますねぇ…💦



新シリーズ始めます粒々の話。

少し焦らして出し惜しみしながら緩く呟き感覺で。

ご期待ください(シン・庵野秀明監督シリーズの煽りの真似茶化し笑笑)

エロスとスピリチュアルその貳
エロス、アガペー、フィリアとスピリチュアル

前回人躰は帯電(静電気)してると書きましたが、其れは氣功や靈氣や氣愛/氣合いの氣でもあります。静電気は物理的摩擦的な刺激であると同時に心精神魂へもアクセスします。まさに氣の流れを整えて循環を代謝させる役割があります。そして氣、とは思い想いでありテレパシー精神感応でもあります。静電気が電波となり自己の核や宇宙の根源に場合によってはアクセス可能になります。そうなるとトランスチャネラー体質になり氣の流れの循環経路に様々なアクセスポイントを経由する様になります。これを巫女と呼んで良いのかも知れません。しかし接続した経由地点のデータが有益か有害かはトランスチャネリング状態ではなかなか判断出來ません。そこで審神者の出番となる訳です。男女どちらにも巫女か審神者を出來る人はいますが確率的に女性は巫女で男性は審神者の場合が多いです。稀に一人で両方とも出來る人もいますが決して多くないです。麻具波比/まぐわひ/まぐわいとは単に生殖行為であり愛のエネルギー交換であると同時に極めれば宇宙チャネリングにもなり巫女、女神、審神者の能力の開眼にも繋がって行くのです。其の奥深さを知ること無しに生きて死ぬ人が大多数です。深い恍惚感絶頂感を体験体感しておられてもチャネリングにまで到達する人は多くありません。このように下世話な話のようで麻具波比とはとてもとても奥深いものなのです。それを実感して死ねる人はとても幸福だと思います。例え健康的、経済的、出世的に恵まれていなかったとしても。副表題のカタカナは次回の宿題としますので先手を打って検索しておくと次回の理解が捗ると思います。

前回投稿リンク

エロスとスピリチュアル


すみません若干下ネタ寄りになりますが決して下品な話題にはしません。レスの問題は民放ドラマにもなるくらいメディアに頻繁に登場します。でも一定の割合で子作りが終わると異性から家族(父母)になって家族愛はあるが異性愛ではなくなる人は普通に居ますし個々その人にとっては普通のことです。問題なのはレスが嫌な人とレスでも良い人がカップルになってしまった場合です。これは結婚に限らず同棲でも恋人関係でも子作り関係無い夫婦でも起こります。レスが困るのも単に性欲の場合とスピリチュアルな開花を潜在意識が求めている場合があります。そもそも麻具波比まぐわひ、まぐわいとは宇宙の神宮に二人で参拝することであり真実の自己の核との深い対話でもあります。女性は巫女や女神の能力開眼に繋がり男性は審神者と巫女女神覚醒促進の能力の開眼に繋がります。単に肉躰の快楽に留まらず靈性の開発にも繋がります。アダム徳永氏や富永貴代医師のように性生活生涯現役を提唱する人もいます。人躰も他の物質と同じで素粒子振動によるホログラムで電氣プラズマ(静電気)を帯びています。人躰の中でも指先や足裏、目鼻耳首筋その他特に帯電の強い部分があります。フェザータッチはこの帯電を利用した手法です。この様な仕組みを知らず単なる摩擦と物理現象だと解釈していると、より獣的な行為になって行きます、それはそれで意味はありますがもっともっとそれを昇華純化して愛の帯電の循環を波の様に繰り返せば肉躰のみならず心精神魂領域にも影響が出ます。あまり長くても読み辛いと思うので序盤はこのくらいにしておきます。もっと先を知りたいとか、堅苦しくてつまらないとか難し過ぎてチンプンカンプンだとか歯に衣着せぬ感想大歓迎です笑笑。

#仮面ライダー 昭和初代版はそもそも東映のTV番組としての企画からの石ノ森章太郎氏への発注があり原案から何度も何度も練り直されて現在のスタイルに落ち着いた。確かにキャラクターデザインは石ノ森氏だがストーリーはTV脚本家がリレー形式で書いていった。石ノ森漫画版はそのTVストーリーに準拠する形で多少石ノ森氏のTV版とは異なるアイデアも入っている。つまりTVありきの企画であって漫画版は原作とは言い切れない。特に強行撮影中のバイク事故で大腿部複雑骨折の大怪我により主役一旦降板を余儀無くされた藤岡弘、(本郷猛)さんの扱いはTV版と漫画版で大きく違う。#シン仮面ライダー では今回TV版よりも漫画版や小説版仮面ライダー1971~1973(2002~2009に出版)に寄せたストーリーに立っている。TV版も漫画版のストーリーにしようとしたが平山亨プロデューサーが藤岡弘、さんが主役で始まった番組だから主役を死なせて子どもの夢を奪ってはならないと本郷猛はヨーロッパのショッカー退治に渡欧し変わって日本を守る仮面ライダー2号として柔道一直線のライバル役風祭右京からの佐々木剛さんの一文字隼人へのバトンタッチがあり佐々木さんも藤岡さん復帰後ダブルライダーで継続しようとした制作側の意向を固辞して2号は南米ショッカー退治に再び1号が日本を守るストーリーになり新1号編になる。この新1号のコスチュームが一般的に初代仮面ライダーとして認知されているが旧1号旧2号のコスチュームもマニア間では人気があった。庵野秀明監督も旧コスチュームが好きなところだけは和多志と同じだったが他は違った。


#仮面ライダー 昭和初代、1号本郷猛無くして2号一文字隼人無し、2号無くして仮面ライダーの大成功とシリーズ化無し。藤岡弘、さんのバイク事故による番組継続困難な大ピンチとそれに伴う主役の佐々木剛さんへの交代による変身ブーム、歌舞伎や時代劇の見栄を切る画作りパターンの確立、ダブルライダーのキャラクターの対比によるヒーローの描き方のバリエーション、再び1号に日本を任せ代役という約束の旧2号編に幕を閉じ主役を藤岡弘、さんに返す佐々木剛さんの潔さによる新1号編でのこれまでの蓄積フル稼働のヒーロー表現によって仮面ライダーというコンテンツは盤石のものとなった。偶然に見える必然の連続と絶体絶命の大ピンチを起死回生の巻き返しで挽回する連鎖の産物なのである。


さらに #ショッカー にもスポットを当ててみよう。世界制覇を企む秘密結社はナチスの残党、人間を科学的手術やゲノム🧬編集により23種のキメラ/キマイラの化け物にして洗脳し意のままに操り世界制覇の陰謀を実行する。一般市民はほんの一部を除きその陰謀を知ることは無い。仮面ライダーも元々はショッカーの怪人の1人として拉致され改造手術を施されバッタ怪人にされ洗脳手術寸前に逃亡してショッカーという惡に望まず与えられた超人的身体能力を使ってショッカーを倒す。惡の力で惡を倒す。倒すショッカー怪人はもしも仮面ライダーが洗脳されていたらのある意味同族殺戮なのである。そして化け物にさせられ2度と普通の人間に戻れない悲しみをこれ以上誰にも味わせない為に人知れずショッカーの陰謀を阻止する孤独な闘いに身を投ずる日々。周りのほんの一握りの理解協力者と同じバッタ能力の12号しかショッカーの陰謀を知らず見せかけの平和と幸福を楽しむ一般市民との対比。深読みすれは放送当時から現在ただ今に至るまで名称こそ違うがそっくりそのまま同じ構図が世の中で実際に起こっていたことを番組ファンのどれくらいの人が氣付いていただろうか


#シン仮面ライダー では上記の昭和初代設定を踏襲した部分もあるにはあるが個人的にはかなり薄められた感が強い。むしろ平成令和ライダーのストーリーの方が生々しい暗喩をストーリーに盛り込んでいると思う。

https://www.instagram.com/p/CqBJTE_ygvQ/?igshid=YmMyMTA2M2Y=


#シン・仮面ライダー 全力disり感想※軽くネタバレあり 


※息抜き投稿です。軽くネタバレあり。


しつこい諄い #シン仮面ライダー 全力disり感想。予想通り。オマージュはエヴァ関連以外つまりライダー関連は見逃さず全て認識したと思うけど素人マニアの和多志ならああいう表現はしない。浅い、説明し過ぎな部分と全く描かれていない部分の非均衡。CGじゃない実写のバイクアクションが少ない。演者さんは頑張っていた。これならシン・常用サイクロンへの思い入れよりも昭和常用サイクロンへの其れの方が圧倒的に勝る笑笑🤦‍♂️🤷‍♂️


漫画原作版と小説版仮面ライダー1971~73(2002第一部第二部~2009第三部完結)とTV版の設定をごちゃ混ぜな骨子にThe First/Nextをスパイス的にmixした印象。どういう風にしたかったのかは良くわかったけど、ふーん、それが何か⁉︎どうしたの⁉︎美味しいの⁉︎面白いの⁉︎、な感覚。


Habitatハビタ(生息場所、生息地、生育地、住居、住まい、生育環境)という亜空間エリアに肉体から抜き取った魂と生命エナジーであるプラーナを閉じ込めて肉体から派生発生する暴力を排除して皆が幸福になる事を目指すのがショッカーの狙い。←いや肉体が有る故の暴力や悩み苦しみこそが本当の幸福を見い出す為の砥石でしょ⁉️そしてムーンショット計画やavatarアバターの転用⁉️


プラーナは生命エナジーってのは合ってるけど過剰に取り込んでも闘争本能が暴走したりはしません。その解釈を本氣でしているのならまさにショッカーの面目躍如かな。プラーナってのは生物の動力でもあるけど愛のエナジーでもあるから映画の様な設定とはならないと思う。架空設定として敢えて使ったなら辻褄は合うけど惡意すら感じる。プラーナって言葉や概念をこんな風に使ってもらいたくなかった。生半可なアーユルヴェーダやスピリチュアル知識をオタクが解釈したらこうなるのか⁉️


ショッカーの洗脳を解くのにパリファライズ⁉︎ペリファライズというカタカナ横文字を使ったりショッカーSHOCKER Sustainable Happy Organization with Computational Knowledge Embedded Remodeling という正式名称を採用したりHabitatハビタという亜空間が出て来たりプラーナの概念が歪曲されていたりは、いわゆるSDGs?ロックダウン?オーバーシュート?ソーシャルディスタンス?等々のカタカナ横文字多用の昨今の風潮が反映されていたりは流行りに敏感なオシャレなつもりなダサい奴みたい笑笑。


スーパーマリオのゲームの様なCG空中戦は要らなかった。目にも止まらぬ早い動きよりも昭和のトランポリンジャンプアクションや宙返りの様なスローな弧を描くアクションが良かったのに。一応ジャンプ宙返りは片鱗はあったけど。


バイクアクションをもっと見せてもらいたかった。


The First/Next、Black Sun、アマゾンズのオマージュもぶち込んであるけど、シンよりもそっちの方が社会風刺は優れていたりグロ残虐シーンも先出しの方がインパクトがあった。


オタク監督の好きな設定をごちゃ混ぜにして垂れ流しただけの作品だったと思う。言っておこう、お見せしよう!オレ様ならば最大多数の賛辞よりも最少強烈熱烈支持の惨事を表現して見せると笑笑。


追記:


何度もdisる感想を投稿してますがほどほど面白く観てはいました心中ツッコミ入れまくりながら笑笑。若い視聴者や昭和の手作り感をリアルタイム体験していない人からすれば素晴らしい作品に見えるでしょう。でも和多志の様にリアルタイム派で映像に表現されていなくてもイメージ変換されて仮想スクリーンに映ったストーリーやアイデアは実際に映像化されてもMAXな感情移入や興奮や喝采には至らないって感覺を書いているのです。ひねくれて素直ではないと感じるでしょうが妄想や仮説を日常的に遊びまくっていて見たまんまではなく常にイメージ変換して仮想スクリーン映写している和多志からすれば、なーるほど、そう来たか⁉︎と冷静に鑑賞してしまうんです。庵野秀明監督は確かほぼタメなので、同じような背景で体験しているだろうし、負け惜しみに映るでしょうがクリエイターじゃない自分から見ても普通の解釈だなぁ…と、引き出しは似てるけど組み合わせ方や分類や表現は違う、特に常にマスク以外はコスチューム姿でそれを隠す為のトレンチコートという設定には想像力を奪う陳腐な発想だと思ってしまうんですよね。普段着からコスチュームに変わるから面白い、その変わる理由や仕組みの詳しい説明や描写など必要がないって感覺なんです。そういう理由で庵野秀明監督のアイデアを手放しで絶賛するほどではない、そういう解釈や表現は普通に当たり前でそれをドヤ顔されても…と感想を書いたのです。文字のみの小説を読んでイメージスクリーンに映写することが普通な世代である自分から見た感想でした。人によっては自分のイメージスクリーンを実写表現してもらえて感動する方もたくさんいらっしゃるようです。和多志はそうではなく白けてしまったって話です。和多志がテンション上がって鑑賞するであろう表現はこの映像ではないと感じてしまいました。もっとぶっ飛んだ発想、例えば藤岡弘、さんが撮影事故により負傷して撮影続行不可能になり佐々木剛さんの2号ライダーに一時的に主役交代して仮面ライダーというテレビ番組はお化けコンテンツになったけどif主役は藤岡弘、さんただ1人のまま続行していたら…とか怪我回復してダブルライダー回の後製作側はダブルライダー日本常駐を続行しようとしたが佐々木剛さんが主役を藤岡弘、さんに正式に返す為にその申し出を固辞して新1号編へと突入したがifダブルライダー日本常駐のストーリーで継続していたら…とかの、ストーリーと解釈と表現で意表を突き度胆を抜かれる作品を無いものねだりしていたのでしょう。他人様の感動に水を差す意図はありません。単なる1個人の感想です。ネタバレになるので詳細は書きませんが、あの結末もイメージスクリーンにあったパターンでした。本文にも書いたが藤岡弘、さんただ独人が仮面ライダーとして最後まで完走したifとダブルライダー常駐ifのストーリーならば見てみたいし興奮するだろう。ウルトラシリーズもマンとセブンありきで後々のシリーズまで発展継続したし、仮面ライダーは藤岡弘、さんの怪我による一時的降板と佐々木剛さんの2号による変身ブームによりシリーズとしての基盤を盤石のものとしたと思う。最も人気を獲得したV3も宮内洋さんが1号2号を研究して演技した結果であり、やはり1号2号無しでは成立しなかっただろう。生真面目でストイックで重苦しく暗い本郷猛と明るくチャラい打たれ弱い甘えん坊の暴れん坊の2号の対比も本來は1号を主役の主役にする演出だと後々理解したがリアルタイムでは少々不服であった。柔道一直線で既にファンになっていた佐々木剛さんの扱いが軽いと思ったからだが、それも佐々木剛さん自ら望んで演出された事だと後々知った。それでも現在の佐々木剛さんの扱いは功績に比して不当に軽いのは不服ではある。藤岡弘、さんの扱いは適切だと思う一方では。


追加其の貮


※まだやるんかぃ〜⁉︎と、言わず笑笑


本編には平和と錯覚して何も知らずに暮らす一般市民が出て来ない。回想シーンに出て来るのは主要キャラクターの家族と重要な事件の関係者のみ。操られた被害者は群衆として出て来るがその誰も個別には主人公との絡みは無い。一般市民との絡みがあるから人非ざる化け物に成った苦悩が生々しく描け、皮肉な事にその化け物の力で何も知らない一般市民を人知れず助ける事が出來る。勿論仮面ライダーといえばそもそもそういう孤独なヒーローの設定な事は一度も見た事が無い人でも知っている人は居るだろうからと其処は規定設定にして割愛したという推測は高確率で当たりだろう。だが申し訳ないが和多志は一番其処に違和感を感じてのめり込め無かったのだとようやっと氣付いた笑笑。これで終わりに出來るかなぁ…💦😅😂🤣🤦‍♂️🤷‍♂️🤪


追記其の參


※まだやるのかと笑わば笑え #シン仮面ライダー 感想 


小ネタオマージュリスペクトをぶっ込み過ぎ

結果不自然な前後脈絡の無い唐突な展開が多い

ファンサービスと新しい表現解釈は理解するが

まとまりと抑揚が乏しくなった

キミスイ小ネタ入れるくらいなら他に掘り下げるべき

テーマがあった筈


和多志にとって #仮面ライダー #昭和初代 は個人的に

バイブル的存在であり陰謀論、スピリチュアル、生き方価値観、魂記憶生まれた意味を思い出す重要な触媒撃鉄のひとつであり、其処の解釈表現が庵野秀明監督とは全く感覺が違う。


リアルに寄せる部分とファンタジーに寄せる部分のバランスが惡い。