私はなぜボランティアをするのか
  • 08May
    • 1-(5) イベント作りの原点

      1.私のボランティアの原点(5) イベント作りの原点 そのOWOPのグループで、国際交流や地球環境の保護を訴え、多くの人と意識を共有するイベントを作ることになった。東京ディズニーランドの近くの東京ベイNKホールで行うことになり、そこにアメリカの歌手ジョン・デンバーを招待し、6千人規模の人たちが参加するものだった。1989年のことだった。 私にとっては生まれて始めての大きなボランティア活動だった。私は自分の担当部署でリーダーシップをとり、他の部署の人たちと協力して動いた。なにしろみんな初めての大規模イベントなので、決まっていないこと、予想していない事態がどんどん出てくる。それぞれ臨機応変に対応していった。 自分でも驚いたが、いよいよとなると何とかしちゃえる自分がいた。むしろ、その方が楽しい。決められたことをするよりは、決まっていないことをなんとかこなすほうが、わくわくしてくる。生きているのを実感する。自分の全身全霊全能力を使って事にあたるのは面白い。病みつきになる。この快感も、私がボランティアをする理由の一つだ。 このイベントは東京ベイNKホールで三回行ったが、私が担当した部署はそれぞれ異なり、それぞれ予想していなかったことが起こり、それぞれ学んだことがあった。このときに一緒にイベントを創った仲間やこの機会を提供してくれた人々にこの場を借りて感謝とお礼を申し上げたい。

      2
      テーマ:
  • 03Apr
    • 1-(4) ボランティア活動の原点

      1.私のボランティアの原点(4) ボランティア活動の原点 ボランティアの経験といえば、学生時代のころはあまりなかった。 高校のときにJRC(青少年赤十字)があるのは知っていたが、参加はしなかった。大学のとき、育英会の人が私たちのサークルに来て、募金の協力をして欲しいとのことだったので、それで街頭募金に立ったことがあった。そんな程度である。 ボランティアを本格的に始めたのは、社会人になってからだ。自己啓発の目的で参加したセミナーで、その主催企業がセミナーという個人に対する教育活動とともに、社会貢献活動も行っていた。それでその社会貢献活動に参加した。1988年のことである。 この社会貢献活動のグループが、私がそれから最も多く関わることになったOWOP(One World One People ワンワールド・ワンピープル協会)である。この名称の意味は「ひとつの世界、ひとつの人類」ということで、国境や人種の壁を無くして交流し、平和な世界を創ろう、というものである。時代としては、東西冷戦構造が厳然として存在している時だった。 このグループに参加することによって、これまでの投稿で話題にしたウィンドスター・シンポジウムやプロジェクト・ラフト(日米ソ市民交流)、これから話題に上げるスリランカのサルボダヤ(幼稚園建設支援)とも関わることにもなった。・・・・・・・・・・・・・・・   コラム 2・・・・・・・・・・・・・・・(このコラムでは、本編の流れとは別に、時々ポツンポツンと私の考えたことを書いています。)先日(2019年3月19日、1-(2))の記事での「コラム1」では、9つの「ちょっとだけ意地悪な質問」をしました。それは、あなたはボランティアということに対して、 ①かわいそうだからやる ②当然の義務だからやる ③滅私奉公は素晴らしいからやる ④褒められるからやる ⑤有名になれるからやる ⑥人助けすると自分が満足するからやる ⑦偽善だからやるべきではない ⑧閉鎖的だからやりたくない ⑨自分にはできないと思っていませんか?という質問でした。どうでしたか? 今回は、「うんと意地悪な質問」をしてみたいと思います。 最初に言っておきますが、これはあなたがそう思っているのを批判したり、責めたりしているのではありません。 これは私の自問自答です。私はこういうところを通ってきました。ボランティアをしている多くの人はこのような自問自答を通ってきたのではないかな、と思います。ボランティアの「あるある」だと思います。 白状すると、私はこの①~⑨の質問に対して、全て「そう思う」です。この後の質問に対しても全て「そう思う」です。そして、今でも「そう思う」が出てきます。というか、自分の中にこの質問や葛藤があるからこそ、ここにこうしてリアルに書けるのです。 なお、もし「あんたはそう思うかもしれないけど、俺はそんなことちっとも思わねーよ!たかがボランティアやるのになんでそんなにごちゃごちゃ考えるんかねぇ」と思う人は、ここは読まなくても構いません。 ここは、いろいろごちゃごちゃ考えて「なぜ私はボランティアをするのか」というテーマで本を1冊、そしてブログを書いちゃうような人向けの話です。^^; では、「うんと意地悪な質問」をしてみますね。 もしかしたらグサグサ突き刺されるように感じるかもしれませんが、「あるある」を楽しんでください。^^; ちなみに、この話の結論は、「それでも、ボランティアはした方がいい。与えられるものがあるから。」です。①の「かわいそうだからボランティアをする」を本当にそのとおりだ、と思った人。あなたは「恵まれた人が恵まれない人に恵んであげるのがボランティアだ」と思っていませんか?そこまでは思っていなくても、自分たちは彼らより豊かで恵まれていて幸せだ、と思っていませんか?そうすると、自分は上、相手は下、という意識がありませんか?そして、もし彼らが幸せになったら、あなたは彼らを祝福できますか。相手がかわいそうでなくなると怒ったり妬んだりしませんか?②の「当然の義務」を本当にそのとおりだ、と思った人。疲れてきていませんか?辛くなってきていませんか?やれと言っている誰か(人に限らず、場の雰囲気とか環境とか)を恨んではいませんか?さらには、やっていない人を攻撃していませんか?また、自分がボランティアをしていない時、できない時に罪の意識を感じていませんか?そもそも、義務でやらされているのは「ボランティア(語源は”自由意思”)」と言えるのでしょうか?③の「滅私奉公・自己犠牲はすばらしい」と思った人。悲劇の主人公に浸っていませんか?人のためというより、自分の「犠牲になって人を助けるのはすばらしいことだ」という価値観を満足させるためにやっていませんか?自己犠牲をして苦しむことは美徳だとしていませんか?楽しむことは罪悪としていませんか?人が楽しそうにボランティアをしていると不真面目だ・不謹慎だと怒ってはいませんか?ボランティアは人のためにするもので、自分のためにするなんて不純だ、不潔だ、不貞だ、やってはいけない、と思っていませんか?そして自分はいかに苦労しているかを主張(わかって欲しい)していませんか?④の「ボランティアをすると人にほめられる」と思った人。あなたは正直だと思います。私も人に誉められるのは嬉しい。ただ、あなたの人生が人任せになっていませんか?ボランティアが目的ではなく、人に良く思われる、良く評価されることのほうが目的になって、自分がやりたくないことをしたり、本当にやりたいことをやらなかったりしていませんか?また、相手や周囲が感謝・称賛・評価してくれないと、やらなかったり不満を持ったりしていませんか?⑤の「ボランティアをすると有名になれる」と思った人。確かにそのとおりです。私もボランティアの関係でテレビに出たり地元の中学校で講演をしたりしていますし、そういうのははっきり言って好きです。でも、あなたは名前が売れないようなところではやらなくなっていませんか?名前が売れなくなったらやめていませんか?「ほめられる」と同様、人任せの人生になっていませんか?また、「陰徳」という貢献の方法を知っていますか?⑥の「助けてあげると満足感」がそのとおりだと思った人。もしかしたら自己満足になっていませんか?自己満足を否定するわけではありません(とてもパワフルなエンジンです)が、それだけが目的になってしまっていませんか?自分が人を助けてやってあげた、自分は偉いんだ、役に立つんだ、という満足感を得たいためにやっていませんか?特に、自分のやりたいようにやって(またはいつものようにやって)、相手を見ていないということはありませんか?他人がアドバイスすると怒ることはありませんか?さらに、相手があなたの助けを必要としなくなったら、どう思いますか?⑦の「ボランティアは偽善」と捉えてボランティアをやらない人。ボランティアは純粋無垢でなければやってはいけないもの、と考えていますか?確かに、「自分は偽善でやっているんじゃないか」と思いながら行動するのは居心地の悪いものです。でもご安心ください。私も聖人君主ではありませんので、いつもそう思いながらやっています。多分他の人もそうなんじゃないかな、と私は見ていますが。もしかしたら、「偽善だから」というのをやらない理由にしていませんか?もしくは、たまたまボランティアをやっている誰か嫌な奴を批判・攻撃するために使っていませんか?⑧の「ボランティアは閉鎖的」と感じてボランティアを嫌う人。ボランティアは血縁・地縁や生計とは本来関係ないので、自由に自分に合ったグループを選択できます。単にこれまで自分に合ったグループに出会っていないだけでは?それを「ボランティアは・・・」と一般論にしてしまっているところはないですか?グループと自分との距離は千差万別で良いのでは?グループの中にどっぷりと入り込まずに外にいるというあなたの今の位置だからこそできる貢献もあるのでは?そのような位置を許容するグループもあるのでは?⑨の「資格・余裕」がないから私にはできないと考えている人。今のあなたで、今持っているもので何かできませんか?工夫できませんか?また、「ボランティアは無理をしなければやれない」と思っていませんか?本当にそうなんですか?例えば、「自分のために買いたいものがいっぱいあるので、寄付する余裕はない」と言っていても、昔買ったけれどもういらなくなってチャリティバザーに出せるものがあるのではないですか?それを出すのも立派な貢献です。さらに、「何もしていなくても」貢献できる(である)ことを知っていますか?それとも、もしかしてやらない理由(言い訳)として「時間・金・資格(能力)がない」を使っていませんか?やらない本当の理由は何ですか? いろいろ書きましたが、これらは私が「こんな自分がボランティアをやっていていいんだろうか」とか「ボランティアはすべきではない」と悩んだ時に考えたことです。 なお、私がこの元となる文章を書いたのは約20年前、2000年ごろです。今よりも「ボランティア」というものが一般的ではなかった時代でした。「ボランティア」に対する世間の態度も現在よりも冷たかったと感じました。阪神大震災(1995年)はありましたが、東日本大震災(2011年)はまだです。CSR(企業の社会的貢献)や学校でのボランティア必修化とかはもっと後の時代に出てきた話です。だから、今思えばナンセンスなところもあるかも知れません。 すでに書きましたが、私はこれらの質問に対して、全て「そう思う」です。私は聖人君主でも純粋無垢でもありません。だからこのような思いや欲が出てきます。 私が崇高な使命感に燃えて日々ボランティアをしていると思っていたら、それは間違いです。むしろ、「こんな俺がボランティアなんてやっていいんだろうか?」と迷いながら30年ほどやってきています。今でも悩みます。それでも、ボランティアをやっています。 こういう体験をした私の今のところの結論は、こういう迷いが自分の中にあったとしても、ボランティアはした方がいい、ということです。それを抱えたままでもしちゃったほうがいい、ということです。 つまり、「それでも、与えられるものがある(受動態と可能の両方の意味がかかっています。日本語って便利ですね^^;)」ということです。

      1
      テーマ:
  • 26Mar
    • 1-(3)ユネスコのいとこの死

      このブログでは、 1.私のボランティアの原点 2.私のボランティアの体験 3.私がボランティアをして考えたこと 4.私はなぜボランティアをするのかを書いていこうと思っています。------------------------------1.私のボランティアの原点(3) ユネスコのいとこの死 1995年、いとこがフランスで殺された。まだニ十代だった。彼女は国連のユネスコ職員としてフランスに赴任していた。 自分の親戚がユネスコ(注1)に関わっていることなどまったく知らずに、私は1993年11月に目黒ユネスコ協会と知り合って、入会していた。ユネスコの前文(注2)が非常に心にぴったりときていた。 いとこが殺されたことを知ったときになって始めて、自分の身内もユネスコに関わっていることを知った。 ちょうどそんな時、あるプロバイダが年賀ホームページのスペースを無料で貸してくれるというのがあった。私は、彼女へのレクイエム(鎮魂歌)として年賀ホームページを作ることを思い立った。志の途中で終わった命に対して。その意思に対して。その魂に対して。 遺志を継ぐ。いや、ここでは意思を継ぐといったほうが適切かもしれない。別に彼女が私に頼んだわけではない。でも、私はホームページを作ることにした。 このホームページは、世界地図が表示されていて、その地図のいろいろなところをクリックすると、いろいろな言語で「明けましておめでとうございます」と表示されるようになっている。これで世界中に様々な文化が存在することを表現した。なお、詳しくは次章の「2.私のボランティアの体験」で述べる。 このことが原点となって、ホームページを作って自分の考えを主張し、自己表現をすることを始めるようになった。また、仕事においても、インターネットやホームページにこれまで以上に深く関わるようになった。 そしてこの一年後に文章を書いた。誰に宛てたものでもないが、思いを手紙の形にまとめてみたものだ。――――――――――――――――――――――――――――後を引き継ぐ者として。 みなさんは去年の今頃、パリで日本のユネスコ職員が殺されたことをご存じですか。実は、彼女は私のいとこなのです。 この事件が起こるまで、彼女がユネスコに関わっているなど全く知りませでした。私は彼女とは全く別個に、ユネスコの理念に触れて共感し、目黒ユネスコ協会の会員となっていました。 ショックでした。こんな身近な人がユネスコに関わっていたなんて。しかも、それを今まで知らずにいたなんて。そしてこんな形で知ることになるなんて。 彼女のことを思うたびに、慟哭ともいえる感情がわき上がってきます。身内が殺されたことに対する恨みではありません。ユネスコの理念に共感し、それに沿って生きていくと決めた同志が、志半ばで逝った事に対する何ともいえない悔しさのためです。 今にしてみれば、彼女の生前にお互いユネスコの話をしたかった、と思います。なぜユネスコを仕事として選んだのか、その思いのところを話し合ってみたかった。 後に残った我々は彼女の意志を受け継ぎ、彼女がやり遂げられなかったことを引き継ぎ、より大きくしていくことが役目だろうし、それが彼女への最大の供養になると思っています。1996年9月17日――――――――――――――――――――――――――――(注1)ユネスコホームページhttp://www.unesco.or.jp/(注2)ユネスコ憲章前文 この憲章の当事国政府は、その国民に代って次のとおり宣言する。 戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。 相互の風習と生活を知らないことは、人類の歴史を通じて世界の諸人民の間に疑惑と不信をおこした共通の原因であり、この疑惑と不信のために、諸人民の不一致があまりにもしばしば戦争となった。 ここに終りを告げた恐るべき大戦争は、人間の尊厳・平等・相互の尊重という民主主義の原理を否認し、これらの原理の代わりに、無知と偏見を通じて人間と人種の不平等という教義をひるめることによって可能にされた戦争であった。 文化の広い普及と正義・自由・平和のための人類の教育とは、人間の尊厳に欠くことのできないものであり、かつ、すべての国民が相互の援助および相互の関心の精神をもって果たさなければならない神聖な義務である。 政府の政治的および経済的とりきめのみに基づく平和は、世界の諸人民の、一致した、しかも永続する誠実な支持を確保できる平和ではない。よって平和は、失われないためには、人類の知的および精神的連帯の上に築かなければならない。 これらの理由によって、この憲章の当事国は、すべての人に教育の充分で平等な機会が与えられ、客観的真理が拘束を受けずに探究され、かつ、思想と知識が自由に交換されるべきことを信じて、その国民の間における伝達の方法を発展させおよび増加させることならびに相互に理解しおよび相互の生活を一層真実に一層完全に知るためにこの伝達の方法を用いることに一致しおよび決意している。 その結果、当事国は、世界の諸人民の教育、科学および文化上の関係を通じて、国際連合の設立の目的であり、かつその憲章が宣言している国際平和と人類の共通の福祉という目的を促進するために、ここに国際連合教育科学文化機関を創設する。(1945年11月16日採択)

      テーマ:
  • 19Mar
    • 1-(2) 普通の人の貢献

       私は30年ほど前からいろいろなボランティアをしてきましたが、今回東京2020オリパラボランティアに応募したのをきっかけに、改めて自分に問い直してみたいと思いました。このブログでは、 1.私のボランティアの原点 2.私のボランティアの体験 3.私がボランティアをして考えたこと 4.私はなぜボランティアをするのかを書いていこうと思っています。------------------------------1.私のボランティアの原点(2) 普通の人の貢献 これも1989年、アメリカで行われた「ウィンドスター・シンポジウム」へ参加したときのことだ。 ステージでいろいろな人たちの講演があり、いろいろなパフォーマンスが披露されていた。その中のひとつに、ネイティブ・アメリカン(アメリカインディアン)の女性により、四方の精霊へ感謝する、というのがあった。ステージの上の彼女と観客全員が立ち上がって、南に向かって「ハウッ!」と声をかけて感謝し、東に向かって・・・、とやっていった。私にとっては初めての、特別な感じのする儀式だった。 と、そのとき突然、あるイメージが浮かんだ。このステージの女の人が家で元気な子供を追いかけていて、子供の世話に手を焼いている、という姿だった。そしたら涙があふれてきた。 それまで私は「特別な人」が「特別なこと」をやってくれているという認識だった。それが、その「特別な人」と思っていた人がごくごく普通の人なんだというイメージが浮かんだ。そしてその普通の人が今ここで自分を提供してくれている。ごく普通の人が平和を願って自分の持っている力や能力を提供してくれている。そのことを思うと涙が出てきた。 もちろん、それが事実かどうかということはここでは問題ではない。もしかしたらこの女性はシャーマン(日本でいう、巫女さん)として人里はなれたところに住み、一人で暮らしていて、子供なんていないかもしれない。 それでもいい。重要なのは、「普通の人」が自分を提供することによって貢献するという<可能性>が私の中に生まれた、ということだ。 今まではそんなこと考えてもいなかった。「そんな可能性ありっこないよ」と否定していたわけではない。否定すらしていない。というより、考えていないのだから、否定のしようもない。「特別な人だから特別なことをできる」そして「自分は特別じゃない」ということを当然の事実としていたので、そこから先に考えが進まなかった。 ごく普通の人が自分の今持っている能力を提供する。それが貢献になるのではないか。それが本当のボランティアではないか。それを掴んだ体験だった。 前回の「現実を提供する。それが貢献になる。」と考え合わせて、その人がそこにいることが、つまりその人ができる「参加する」ということが貢献であり、ボランティアなのではないか、と思った。・・・・・・・・・・・・・・・   コラム 1・・・・・・・・・・・・・・・ このコラムでは、本編の流れとは別に、時々ポツンポツンと私の考えたことを書いていきたいと思います。 まず皆さんに質問したいと思います。 「ボランティアは純粋な動機ですべきだ」または「純粋でなければボランティアをしてはいけない」と思いますか? そしてあなたはボランティアをしていますか?それとも、したいと思っているけどできないというところですか?それとも、ボランティアはするもんじゃないと思っていますか? このブログは、まだボランティアをしていない人にはその楽しさを伝えるために、すでにボランティアをしている人にはもう一度原点を見直すきっかけに、ボランティアをすることに疑問を持っている人にはもっと気楽にボランティアをしてもらおうと思って書いています。 では、あなたはなぜ、ボランティアをしている、またはしようとしている、もしくはしないと決めているのですか。 これからちょっとだけ意地悪な質問をします。あなたは次の考えをどう思いますか?その通りだと思いますか?①ボランティアをするのは、その人たちがかわいそうだから。恵まれない人を助けてあげよう。②ボランティアは当然の義務。人としてやらなければいけないこと、やるべきことだ。③ボランティアは滅私奉公。自己犠牲。自分が犠牲になって人を助けるのはすばらしいこと。④ボランティアをすればほめられる。人に良く思われる、良く評価される、認められる。⑤ボランティアをすれば自分が有名になれる。⑥人を助けてあげると満足感がある。⑦ボランティアは偽善だから、やるべきではない。⑧ボランティアというのは集団でまとまっていて閉鎖的で排他的だから嫌いだ。⑨自分にはボランティアをやる資格や余裕がない。 この質問を見て心がざわついてきたなら、このブログを楽しんでいただけると思います。 私が考えたことは、次回以降のコラムでシェアしますね。

      テーマ:
  • 10Mar
    • 1-(1) 現実を提供する。それが貢献になる。

      今日(2019年3月10日)は私の56歳の誕生日です。これを機会に、ブログを始めてみようと思いました。このブログの「私はなぜボランティアをするのか」ですが、実はこのタイトルで2000年に本にしたことがあります。と言っても、出版したのではなく自家製本で、当時のボランティア仲間に配っただけですが。今回、東京2020オリパラボランティアに応募したのをきっかけに、改めて自分に問い直してみたいと思いました。20年前に書いたその本を読み返しても、古さは感じませんでした。今でもなお同じ気持ちでボランティアをしています。と同時に、まだ迷いながら歩んでいる、というところです。そして、私の試行(思考)錯誤が誰かの役に立てば良いなと思ってシェアすることにしました。もしかしたら、「こいつ、こんな下心で30年もボランティアしてたのかぁ?」と思われるかもしれません。でもそれで「こんなんなら俺がやった方がよっぽどいいじゃん」と思ってくれたら嬉しいです。このブログでは、 1..私のボランティアの原点 2.私のボランティアの体験 3.私がボランティアをして考えたこと 4.私はなぜボランティアをするのかを書いていこうと思っています。時々、コラムで私の世界観(私がボランティアをする理由になっているものもあります)も書いていこうと思います。よろしかったらお付き合いください。^o^------------------------------1.私のボランティアの原点(1) 現実を提供する。それが貢献になる。 1989年、アメリカにて。司会が「一緒に川下りをしたアメリカチームとソ連チームです!」と言ったら、会場の中の数人(私の座っている所のすぐ近くの右後ろの人たち)が立ち上がって手を振っている!自分にとっては信じられない光景だった。いや、受け入れきれない現実といった方が適切かもしれない。 いろいろな考えが頭の中を駆け巡った。「だって、アメリカとソ連は冷戦をしているんでしょう?なんであんなに一緒に肩組んでニコニコしているの?そもそもここはアメリカだぞ!ソ連にとっては敵国なんだぞ!なんでこんなところにいるんだ!?うん、そうだ、彼らはみんなアメリカ人なんだ。・・・いや、司会はそうは言っていないぞ。そうだ、彼らは仲が良いという演技をしているんだ。・・・いや、ここでそんなことをわざわざするはずもない。でも、アメリカとソ連が一緒に何かをするはずがない。だって冷戦をしているんだもの。彼らは敵同士なんだ。・・・しかし今自分が見ているものは何なのだろう?」 これは私が「ウィンドスター・シンポジウム」というイベントに参加したときのことだ。このイベントは歌手のジョン・デンバーが主催していた。そのときのテーマは「選択・子供たちにどんな未来の地球を残すのか」だった。 そこで「プロジェクト・ラフト」の紹介があった。プロジェクト・ラフトとは、ソ連の市民とアメリカの市民が7~8人乗りの手漕ぎボート(RAFT)に乗って川を下ることを通して、ソ連とアメリカがともに協力していくモデルを世界に示していこうというものだった。プロジェクト・ラフト(Project RAFT)のRAFTには、Russian and American Friendship Teamの意味もある。 今改めて考えれば、彼らが観客席にいてそこで立ちあがったから余計ショックだったのかも知れない。もし彼らが舞台から登場したら、私も落ち着いて「ああ、特別な人達が特別な事をやったんだなぁ」と思って見物する事ができたろう。しかし彼らは観客席から現れた。私の座っているのと同じ観客席から。私と同じように座っていた彼らが、実はそれをやっていたのだ。 実際、以前アメリカの歌手ジョン・デンバーとソ連の歌手グレゴリオスキーが一緒に平和の歌を歌ったビデオを見た事があったが、それをすごいとは思ったが、自分の事としては捉えていなかった。身近な現実ではなかった。 この時は、「米ソの冷戦」というこれまで私が持っていた常識から外れたことが現実として存在することを目の当たりにしてショックを受けた。「これまでの常識」と「目の前の現実」のどちらを受け入れるか、という選択を迫られた。 さらに、それをやったのが自分たちと同じ普通の市民だったということで、ショックはパニックに近いものになった。 このことから、「現実」のパワーの強さを知った。そこにいる(特に何もしなくても)ことだけでも貢献なんだ、とわかった。現実としてそこに存在するだけで、周囲に影響を与える。 さらに、その「現実」を広く伝えれば、周囲に変化をもたらすことになる。 実際、私もこれに影響されて、この二年後に日米ソの市民によって行われたプロジェクト・ラフトに参加した。その後日本のテレビへ出演して、日米ソの市民が一緒に成し遂げた現実を多くの日本人に見せた。そして様々な人に記録ビデオをみせたり、中学校や新入社員研修の講演で話したりした。 その他にも、スリランカの現地へ自分が実際に行ったり、国連を見学した時に学んだことを社内誌に書いたりするなど、その後の活動に大きな影響を与えている。 現実を提供する。それが貢献になる。その原点がこのウィンドスター・シンポジウムだった。

      1
      テーマ:

プロフィール

藤生崇則のプロフィール

藤生崇則

性別:
男性
お住まいの地域:
埼玉県
自己紹介:
埼玉県で終活・夢活事業の会社を運営しています。 哲学やスピリチュアルケアも好きですが、プログラミング...

続きを見る >

フォロー

このブログのフォロワー

お気に入りブログ

Ameba人気のブログ