小さな戦士、西永翔 にしえいと:2×4=8 | i'm a dancer not one's perfect

小さな戦士、西永翔 にしえいと:2×4=8

 
もうあっという間に6月になっている。
前回にまだここドイツは寒いと文句を言っていたのが嘘のように、今は連日30度越えている。
私が立っている場所も、状況も、毎日同じようだけど少しずつ違う。
 
私が3月に書いた記事で、その頃我が家にやってきたヘリベルトと同じ時期に、叔母になり、ヘリベルトに従兄弟ができたと言った。
 
5月31日、私達西家のことではありますが、是非皆さんにも読んでもらいたいと思い、弟夫婦の同意の元、ここに記します。
私の個人的な気持ちも入っているので紛らわしくなると思いますが、是非、弟のメッセージは、読んでください。
 
 
弟がインスタグラムに載せた記事です。
 
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永翔と書いて、”えいと”と読みます。

にしが8からの8の、エイト。

 

この投稿の時間を見て、弟がこの全てを3分で書き上げたんだな、とまず思った。

溢れる想いが、どばーーーっと、そこには記されていた。

 

 

 

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一ヶ月だぜと弟夫婦からの写真。

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こんなにいろんなチューブを付けられている赤ちゃんは初めてみた。
だけど全てえいとに必要な大切な命綱なのだ。
弟夫婦の笑顔もお母さんとお父さんなんだなって、他にも送ってくれた両親と永翔の写真が急におじいちゃんおばあちゃんの顔になっていて、胸が熱くなった。
 
日々家族ラインでの会話はその日の永翔の写真と、どうしているか。
 
生まれたばかりの頃。
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なんで手が見えないのかなと速攻思った。やや不安になった。
その直後に手と足が片方ずつ多指だと聞いた。
全然それにはショックはなかった。
ピルエット回りやすそうだしいいじゃん!!!などと返した。
低脳な姉でごめん。
心臓のことは、心配だった。
でも周りの友達にそういう手術を乗り越えて来た子、そういう姪っ子がいる子などが何気に結構いたので、
「ベイビーは強いから、大丈夫」と言っていた、私もそれを心から願ったし、大丈夫、と思った。
 
 
よく見てみると、
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お気づきであろうか。
髪型が微妙に毎回違う。笑
すでにいじくられている甥っ子よ。
さすが西家である、笑は欠かさない。
 
えいとは、初めの頃、口から母乳を飲めなくて、胃から直接摂っていた。
私は、どこまで質問していいのか毎回戸惑った。
普通じゃない状況なのは確実だ。
ただでさえ、私は子供もいないし、出産のことやその後の事も状況がよくつかめなくて、とにかく胸がもやもやハラハラしていた。
何か余計なこと言いそうで、質問する前には100回くらい考えた。
こういう時に、そばにいれない事はもうこっちに住むと決めた時から腹を据えて生活してきたつもりだけど、
やっぱりそう簡単に、納得はできない。
文字で書くとイントネーションがやっぱり伝えられないし、電話するにもなかなかタイミングが合わない、いや、もしかしたら喋りたい気分じゃないかもしれないし、と、毎日永翔と弟夫婦の事ばかり考えた。
写真を見るたびに、この小さな戦士はなんて強いんだと、驚かされた。
 
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笑っている。
なんじゃこれは。
めちゃめちゃ可愛いじゃないか。
できることならば私もこのくらい小さかった頃のことを思い出せたらいいのにとふと思った。
私は、母の腕に、父の腕に抱かれた時に、どんな風に感じていたのだろう。
そう思わずにはいられない、弟夫婦と、甥っ子の写真の数々。
弟の奥さんは、母なのだ、と、滲み出ている。
こんなに愛しい目をして自分を見てくれる存在というのは、母なのだ。
永翔はビシビシ感じていたにちがいない。
 
 
 
一回目の手術、それからまたもう一回、もう一回、と、15時間の手術プラス4回もの手術を乗り越えてきた永翔。
 
この、15時間手術、予定では8時間の手術。の前日に、弟と義妹から13トリソミーの事を聞いた。
聞いた事がなかった。
「染色体を調べてもらったんだ。」
「ほほう」
「ダウン症わかるでしょ?」
「うん」
「その、ひとつ上が、18トリソミーでね、また更にもう一つ上の重い障害が、13トリソミーなんだ」
 
正直、ショックとうのはなく、わからなくって、また自分の無知さを呪った。
 
私達の母は、私たちが小さい頃から障害を持つ子達の為のクラブでダンスを教えていたりで障害を持つ家族と関わる事はとっても多かったし、一緒に過ごした時間は多かった。
でも、その名前は聞いた事がなかった。
電話を切った後、ネットですぐ調べた。
 
 
 
5月21日。
15時間の手術の日は、もう寝ている場合ではなかった。
8時間と聞いていたのでまあ8時間半くらいは何も送らなかった家族ライン。
だが音沙汰が・・・
母に個別で聞いてみる。
母もわからないと。
しびれを切らし、家族ラインで聞く。
弟も、まだ終わっていない、と。
 
こういう時って、弟夫婦が一番心配に決まっているのだがこっちは見えないので更に気になってしまって気分を害したかもしれない。
そういう時も「心配かけてごめん」という弟。
 
くぅっ、そういうこというなよなばっきゃろーと思う。
 
まだ、まだ、まだ、が伸びて、15時間が経ち、手術中断のことを聞かされた。
人工心肺が取れない、という。
 
本当にアホな姉で申し訳ないのだが、その意味がわからない。
ググる。
この時も今も出張中な私、夫にも電話して聞く。
 
 
弟からライン。
「無事血栓除去はでき肺動脈の右片側を広げました。あとは回復を見守って肺が復活出来たら人口心肺を早い段階で取り外すのが目標です。」
 
 
その時から、体力回復を含め、眠らされているという、えいと。
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その送られてくる写真から、永翔が一生懸命体力回復しようとしているのが見える。
私も毎日エナジーを送った。
弟は言っていなかったけど弟と私の友達は同じ友達ばかり、皆、弟と友達、もしくは、必ず何度か会っている。
その中の近い友達たちにも今の状況を説明したメッセージを送った。
是非、祈って欲しいと。
 
私は人々の気持ちが作り上げるものってとてつもないエネルギーを持つと信じて生きているので、
友人たちの力が必要だと思った。
永翔がここに存在して、戦っているという、弟夫婦が全力で戦っているということを、とにかく知らせたかった。
 
永翔が生まれてから、私は今までの自分のクソみたいな自己中さ、文句、不満など、今までどれだけアホだったかをまた気づかさせられた。
他人の不満も同時にだ。
くそくらえ、言葉は悪いが、正直そう思った。
 
大事な事とは、そんなことではないのに、普通に生きている私は、生きていると同時に中身が腐っている。
 
大きな術後のえいとは、顔がなぜだか穏やかになったな、と、思った。
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眠らされているからだろうか。
 
 
術前だが、眉間にシワが寄っていたえいと、痛いんだろうなと夫と心配していた頃。
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しかし、かわいい。
 
そればかりがこみ上げてくる。
一生懸命、見ている。
永翔くん、パパとママをしっかり見たかい?とっても美人なママと、なかなかかっこいいパパでしょう?
世界一優しい、強い、パパとママなんだよ!
 
 
私と夫は離れすぎていてか、手持ち無沙汰すぎて、ドクターへの不満ばかりが出てくるようになった。
本当に今手術が必要なの?
全てが完璧にケアされているの?
ちゃんと検査してくれてるの??
と、私も夫も疑ってかかれが第一のこっちの文化に沿い、話す。
そしてまた、えいとの写真を見て、自分たちの愚かさに反省。
 
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金太郎だ。w
 
だけど、前より機械が増えてる。
何でどうしてどこへつなげてる為なのかぜーーーーーんぶ、知りたくなる私。
だけど聞けない。
それどころではない状況なのだというのはわかっている。
 
 
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まつ毛が!
今までなかったのかと思ったら、どうやらあったっぽいけれど埋もれていたという弟。
弟も奥二重でまつ毛が中に入っていたなと思い出す。
しかし、穏やかな顔をしている。
やはり眠っているからだろう。
 
弟からのメッセージで、
病院から永翔の出血が止まらないと、ある朝起きたら入っていた。
15時間の手術からの、3日目だ。
仕事終わってから病院に行くと。
日本のお仕事の勤務契約を知りたいとめっちゃ不満に思いつつ読み流す。
私が送ったメッセージにいつまでたっても返事がない。
 
そしてしばらくして、母からの個人メッセージにて、今夜弟夫婦が最期の夜を永翔と過ごす、と聞いた。
は?
なんじゃそりゃ。
意味がわからない。
 
すぐ折り返し電話する。
母が電話に出た。父も横にいる。
いつものようにどんな時も何か一言二言余計な事言ったり、冗談を言って欲しかった。
あーーーーーーーーーーーー、ダメだ、空気が動かない。
時が止まってしまえばいい、と思った。
 
翌朝に人口心肺を止める事を聞いた。
 
夫はランニングに行っいて、帰ってきたら泣きながら話している私をじっと見つめながら、立っていた。
私が何をしゃべっているかの言葉はわからないにしろ、内容がわかったのだろう。
国際結婚あるあるだが、あるのだ。
わかるのだ。
 
両親と喋り、電話を切ったら、弟からの不在着信が。
喋るのが怖かった。
喋らなかったら起こらないかもしれないじゃない?と、夢見た。
弟の方が、説明もしたくないと思うんだよな。
ああ、ごめんねと思う。
電話をかけたら弟が出た。
泣かないって思ってたけど速攻泣くダメな私に、「ごめんね」、という弟。
またアホじゃないかこいつはと思った。
ごめんねなんて場違いな言葉を使っていやがる。
なんで謝っているんだ。
こんな時まで周りを気にするんじゃねえ。
 
 
翌朝が、自分の子の最期だとわかって夜を過ごす親の気持ちというのは、一体なんだ。
怖くて、想像もできない。
なんで、弟たちがこんな目にあっているのだ?
電話の向こうで喋る弟は、頼もしかった。
でも、とても悲しい声をしていた。
そして、父親なんだな、と、思った。
私の弟は、立派なお父さんになっていた。
こんなに素敵な夫婦っていないのに、と、思った。
誰のせいでもない、どこかすぐ横で強いエナジーが引っ張っているのを感じた。
 
その日、ドイツの私は早朝から出張の電車に乗り込むところだった。
夜型の夫が、朝の5時半に起きて電車の中までスーツケースを運んでくれた。
そんな時も、今存在する永翔を思い、次に夫に会う時にはいないのかと思った。
未来を変えるのは今だとかぬかしたスローガンがあるけれど、そうもいかない事もある事を思い知った。
 
 
亡くなった後の永翔の写真は、今までにない、安らかな顔で、笑っていました。
初めて、チューブも何もない顔を見た。
なんてハンサムな子なんだと、改めておばちゃんは思いました。
痛くないんだなという顔をしている。
今頃きっと永翔のひいじいばあちゃん達に、可愛がられてると思う。
 
ただ、祖父母が亡くなるのとはまた違うこの気持ちはなんだろう。
始まったばかりのこの命を、どうして取られなければならないのだろうか。
 
 
そしてもちろん西家の事だけではなく、弟の奥さんのご家族も、全員が一緒です。
名前あげたいけど!!!同じ”N”家です。
永翔は両家の全てで。これからも。
 
 
家族、とは、永遠、なのですね。
 
 
May he Rest In peace now, Our Little warrior Eito.........
 
 
乗り越えなくていい悲しみもある。
一緒に生きてゆく事もあると知った。
でも、永翔は悲しさを残したのではなく、この80日間で、とてつもない大きな事を教えてくれた。
その役目を、果たしに来たと言わんばかりに。
 
 

 

 

愛する永翔、弟夫婦。

 
 
西 永翔 3月12日ー5月31日