岡本隆根の「日常が日常にあらず」

岡本隆根の「日常が日常にあらず」

ロックシンガー岡本隆根の公式ブログ

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お久しぶりですねぇ

Instagramや Twitterは
割と更新してる岡本隆根ですが



アメブロが滞り気味です
すいません



今日は
百人一語の4人目です




法然


でございます



法然は
出身が

わが故郷

佐用町の近くの
岡山の美作(みまさか)



比叡山を出てからは

ご存知の通り

浄土宗を開宗


武士から公家まで
広く流布しましたが

弾圧にあい
島流しをくらうという

はたからみれば波乱の人生でした






法然は
どこからみても聖人だった
親鸞や一遍上人のような異形のものではなく

パッと見から聖者然としていたようで


逆にとらえるのが難しい
と筆者は著している




その上で
法然の実像を

釈迦の教えを
「日本的に浸透させた人物」と推定している




法然は

釈迦仏教の二大原理をそのまま継承し

『南無阿弥陀仏』を称えることで

死んだのちは
極楽浄土へ行けるとわかりやすい形で提示した





元来、

あの世というものを
天然理に想像していた日本人にとって

簡潔にいえば


これは


ウケた



のである



念仏を称えることで極楽浄土へ行ける

という
至極わかりやすい提示が

広く口コミで流布し

身分問わず大手を振って皆が信仰する


現代でいうところの
法然はインフルエンサーだったのである





ただ

どの時代も出る杭は打たれるもので



例外なく法然も時の権力者の怒りに触れ

島流しの憂き目にあいます

(人気ものはたくさんいらないわけだ、本当に今の世の中とよく似ている)




しかし

ここからが

法然の真骨頂



流罪になったにも関わらず

恨み言を言うどころか


「専修念仏を都以外の田舎でも広めたいと思っていた。ちょうどいい機会だ、むしろ喜ばしい」

くらいのことを言って

地方布教の好機にしようとしたのである

(その実は怒り狂っていたらしいのだが
それを出さず冷静に)



法然上人の
懐の広さとメンタルの強さが窺い知れますね






今、世の中は

新型コロナウイルス感染拡大により

暗いニュースがずらり並ぶ



だからこそ

法然上人の如く、
冷静で深遠な感情を持って生き抜けば


こんなマイナスの状況すら

プラスの未来に変えれるのかも知れない




いや
変えれると信じて生きることが大事であろう



今だからこそできることをやってみようではないか














ちなみに

釈迦仏教の二大原理のひとつ

六道の世界からの解脱

人智により苦を脱却することを

涅槃(ニルヴァーナ)と言います



伝説のロックバンドもここに由来しているのですねぇ






















お久しぶりです


百人一語

三人目は


宮沢賢治




「なめとこ山の熊」

からの引用にて

淵沢小十郎の生き様についての見解が書いてあります






淵沢小十郎という人物は


あまたの熊を狩り

その皮や肉を金銭にする猟師である



熊という強者と戦い

それを撃つ

そこだけを切り取ると

いかなる強者か


となるのだが



根は優しくて力持ち

現代の格闘家の方でもリングを降りると別人


そう言った方は多々いる






小十郎もそう言った部類の人で




熊を撃っても

山から降りると割と気の小さな人物で


命がけで獲った毛皮も胆も

二束三文に値切られたりする






それは

ある意味

人間味がある

ということの裏返しでもあるのだが








ある時

小十郎がまた山へ熊を撃ちにいくと


熊が小十郎に

「やるべきことがあるので2年ほど待ってくれ」

と言い寄って来たというのだ



それを聞き入れる小十郎





2年後

その熊は小十郎宅の前に倒れていた

約束を守ったわけだ






この話の結末を先に言うと

小十郎はある熊に殺されます



殺される間際

熊に「小十郎お前を殺すつもりはなかった」

と言われたという






小十郎の死骸は

熊たちに
「イオマンテ」の儀式さながらに葬られた



※イオマンテとは

人間が熊を葬る時の儀式で
人間の富の犠牲になった熊へ敬意を表するために行うものである





熊が人間にイオマンテを行ったとすれば

自分たちをあまた撃ってきた小十郎に

それ相応の敬意を払った



ということになる







小十郎は

人間として

人間味あるものとして



熊の2年を猶予し



この地球に存在する同じ動物として

自らが熊を撃つならば

自らが熊に撃たれることもまた

天然であると考えたのではないだろうか






筆者の推論は

人が熊を食う本来の流れと
人と熊が同格であるという思念


小十郎は

人間が熊に食われることにより

「共生」を図ろうとした

締めているのだが







この極論は
あまりにもテーマが壮大というか

超越しすぎていて


1人の凡庸なる読者としては
到底受け止められるものではない






所詮この世は

弱肉強食


自然界でこの図式が変わることは永遠にないものだと思う

その中で人間がいくら共生だとほざいてみても


大きな枠組みで俯瞰した時



人は

肉を食べ

魚を食べ

虫を撃ち

挙句、自然を壊す

至極好き勝手な生き物である




その矛盾に

一石を投じようとした

宮沢賢治の世界観の大きさを思い知り
鑑みることくらいしかできないのである
第二回




2人目は


葛飾北斎は

90歳まで生きたのですなぁ





当時で考えれば

とんでもない長寿


その人生で
通算93回も引っ越しをしたらしい

さらには画号を30回以上変えてるという




なんでこんなことをしてるんだろう

引越しは金かかるし

画号を変えるのは


葛飾北斎ほどの実力ある画家にとって
有利には働き様もない




なぜ

北斎は
こんなにも変容を望んだのか






もちろん

本人じゃないので推測の域は出ないけれど





過去の自分では飽きたらず

現状を鑑みても飽きたらず


常に

新しい何かになりたい

と思い馳せ続けていたということなのだろう






人間

大人になれば

なかなか変わろうとしても変われず




40も過ぎれば

反省と感動で自己を見つめ
新しい価値観や性格を創造できる人なんて

実のところ
そうそういやしないのである





葛飾北斎は
73歳で世に生み出した

「富嶽三十六景」

至極のこの作品ですらも満足しなかったようだ





それは


その後の80歳 90歳 100歳と



さらなる進化と変貌を自身に課し

自己に期待していたからに他ならない






人生において

年を重ねれば重ねるほどに

どんどんと凝り固まっていく価値観や生き方




それを尊重しつつも

新しい自分を欲する



それはまさに

わしの理想の生き方だったりする




中年と呼ばれる年になってきて

それでも常に新しいものに刺激と感化をされ

素直に反省もし

自分を大きく豊かにできる
そんな人でいたい






葛飾北斎にように