2019年1月3日、長女と長男を連れて、家族四人で父の見舞いに行ってきた。

孫たちの顔を見て喜んでいた。

 

8月入院以来ちょうど5か月。食事も点滴ではなく口から摂られるようになっているので、元気は元気だったが、腕も足もかなり痩せ、体全体が小さくなった。

 

31年前、母が逝去してから山梨の実家で一人きりとなった父は、7年前、妹家族と同居した。妹も縁あって我が家の近くに嫁いできた。
 
母逝去以来、父自身が二度のガンを患ったが、見事に乗り越えてきた。

5年前、軽度のアルツハイマー型認知症と診断されたが、通常の進度よりも遥かに遅く、医師も驚いている。 

19年前、長女が生まれる直前に父は舌ガンで入院し、初孫が生まれることを励みに闘病を続けた。長女が生まれてからは、生まれた直後の写真をベッドの脇に置き、早く抱っこすることを楽しみにしていた。

 

今、父の脇で声をかけている長女を見て、19年前を思い出した。

長女は大きくなったが、父は小さくなった。

 

いくつもの季節があなたを変えてきた。

本当だったらもっと早く逝っていたのかもしれない。

 

苦労多き人生だったと思う。「お前たちや孫たちにはこんな苦労はさせたくない。俺の代で終わりにしたい」と言いながら、家族のために必死に生きてきた。

 

母の分まで生き、5人の孫たちに囲まれ、今も幸せだと思う。

松山千春は1985年春のツアー、弾き語りで「父へ」(推題)を歌った。

私は山梨県民文化ホール(当時)で聴いた。

 

とても感動して、その直後発売されたアルバム(「明日のために」)に入るものと楽しみにしていたら、結局未発表に終わった。

「いくつもの季節が あなたを変えてゆく」―このフレーズをよく思い出す。



何度も同じこと話すあなたに

少し驚いただけ
いいよ何度でも答えてあげる

僕ここにいるから

いくつもの季節が あなたを変えてゆく
僕が見えますか その手僕に

届くといいのだけれど


子どもたちのため体も心も

少し疲れたのかな
教えてください

何をすれば あなた喜んでくれる

いくつもの季節が あなたを変えてゆく
僕が見えますか

その手僕に届くといいのだけれど


覚えていますか あなたにしかられ

涙流したことを
寒い夜にはあなたの胸で
眠り

夢を見てた

覚えていますか あなたに連れられ

みんなで帯広へ行き
最後のしたこと パチンコしたこと

食堂でご飯を食べた

いくつもの季節が あなたを変えてゆく
ねえ、僕が見えますか

震えるその手届くといいのだけれど



 

※関連拙稿
松山千春「父へ」と私の父、スシロー