<2023.9.14>歌詞と公式音源、足寄写真挿入

<2018.8.記事>

 

 

今日(2018年8月14日)の日経新聞コラム「春秋」に以下が掲載されていた。

 

子どもの頃からの変わらぬ風景を残す場所もあれば、故郷の風景にはまったくマッチしない不自然な建物、道路ができた場所もある。
 

故郷の消失、親の衰え。友人の逝去…しかし故郷はなにものにも変え難い。

 

    

「血につながるふるさと 心につながるふるさと 言葉につながるふるさと」。9歳で信州の馬籠を離れた島崎藤村はずっとのちに帰郷したとき、地元の小学校での講演でこう述べ、しばし絶句したという。故郷への思慕をあらわして、これほどいちずな物言いはない。
▼人をそういう気持ちにさせるのが故郷というものだが、さて、目下帰省中の方々はいかがお過ごしだろう。渋滞にあえいでようやく実家にたどり着いたのに、昔とは景色が違う、親戚や旧友も変わったと落胆することもあろう。「ふるさとは遠きにありて思ふもの/そして悲しくうたふもの」。室生犀星もこう詠んでいる。
▼もっとも、近年は地方を取り巻く現実がどんどん厳しくなり、故郷そのものの消失を招きかねない時代だ。にぎやかだった商店街はゴーストタウンと化し、どこもかしこも空き家だらけである。若者の姿はすっかり途絶え、先祖の墓には夏草が生い茂る。久しぶりに老親と話しこんで、もしや認知症かと異変に気づく……。
▼「ふるさとは語ることなし」。かつて坂口安吾は故郷・新潟に帰って色紙にこう記し、日本海を望む文学碑にもこの言葉が残る。突き放したような表現だが、そこには生まれ育った土地への万感の思いがこもっていよう。いちいち語らなくても済む、たしかな故郷の存在――それがあったからこその名言であるに違いない。

 

(2018年)8月12日の「松山千春 ON THE RADIO」

 

番組の最後に自身の「帰郷」をかけた。

 

アルバム『空を飛ぶ鳥のように 野を駈ける風のように』収録。

 

 

 

松山千春の話しの後ろから前奏と言えるあの鳥の声が聞こえてくる。

 

昔、松山千春の話しとともにギターのアルペジオが流れる。話しが終わるとそのまま歌に入る。そんなシーンを思い出した。

 

「帰郷」―30周年記念ツアーと35周年記念イベント、いずれも弾き語りで歌っている。ともに映像作品になっていて、先日続けて観たら「頻繁に歌ってるなぁ」…と誤認してしまった。それほど頻繁に歌っていない。

 

記憶にある方も多いと思う。1984年12月の東京厚生年金会館(「愛を贈る」ツアー)でのそれはとくに感動した。フルバンドで久しぶりに聴きたい。

 

松山千春の故郷への思いが、情景とともに伝わる名曲。

 

 

私の場合、朝もやを抜けるわけではないが、車で帰省する場合、中央高速を飛ばして、4.7kmもある笹子トンネルを抜けると眼下に私の故郷が飛び込んでくる。

 

高校卒業まで過ごしたあの風景。いつ見ても気持ちがぱぁーっと開けるような、懐かしくて新鮮な情景。

 

唱歌「ふるさと」

 

「夢は今いまも巡めぐりて 忘れ難がたきふるさと」
「雨に風につけても 思ひ出づるふるさと」
「山は青きふるさと 水は清きふるさと」

(「ふるさと」 高野辰之作詞/抜粋)

 

「故郷」をテーマに歌ったどんな歌にも共通する郷愁があり、聴けば、自分の中から湧き上がる思いと情景がある。

 

(☟YouTube公式音源リンク)

 

 

朝もやを抜けて 汽車は走る
はるかな道を 僕をのせて
疲れた心を いやすように
汽笛は響く 野山越えて
やがて 青い空がのぞき
もうすぐ帰る 僕のふるさと

わずかな荷物が 僕のすべて
まぶしい日射しが 時を笑う
朝もやを抜けて 汽車は走る
みなれた景色が 窓をとびかう
忘れかけた 僕の笑顔
もうすぐ帰る 僕のふるさと

何も言わず 何も聞かず
もうすぐ帰る 僕のふるさと

 

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(足寄/2022年9月30日筆者撮影)