何か戸惑いを感じた時、壁を越えた時、新たな光を見出した時、
そういう大層なことじゃない時も、頭にふと思い浮かぶ人たちがいます。
彼らとの出会いは2002年夏、アメリカ東海岸の都市フィラデルフィア。
皆それぞれが個性を持ち、野心を持ち、大いなる魅力を持つ人達でした。
自分自身がその場に加わることが出来たことはホントLuckyなことです。
彼らのように”厚み”を持ちたい。
彼らと共感しあいたい。
時には意見をぶつけたい。
絶対彼らに置いて行かれたくない。
今は社会に出て第一線で活躍している人や、大学にいながら積極的に自分の可能性を広げている人、海外で自分の可能性を試している人などそれぞれのFieldは多岐にわたります。 
皆と会える事は滅多とないけど、いつも会いたいとは思いません。
たまに集まった時に彼らの近況を聞くことが自分を鼓舞させます。
まだ何も成し遂げてない自分には武勇伝のように聞こえるからです。
でもその栄光は彼らの手に自然に落ちてきたのではなく、人知れない努力や苦労をしていることはすぐにわかります。
もしかすると彼ら自身は栄光と感じてないかもしれません。
まだまだ歩みの途中かもしれません。
思えば、自分自身を磨かねばと感じたのは彼らに出会ってからです。
野心を持って上京したにも拘らず、何一つ実現出来てませんでした。
そういった自分への嫌気とストレスを感じている時に彼らに出会いました。
自分が目指すスタイルを彼らは持っていて、
彼らが放つオーラは人を惹きつけ、力付けるもでした。今もそう。
親の手を離れた今、自分なりにレールを築きつつあると自負しています。
そのレールは決して迷いのない一直線ではなく、幾重にも蛇行しています。
それがゴールにたどり着くレールかどうか今は分かりません。
でも近付いているという感覚はにわかにあります。
人生を大樹と例えると彼らの枝にはすぐにでも花開くつぼみが開花の時期を待ちわびているように見受けられます。
みなさんの周りにも尊敬できる人がいると思います。
その人から大きな衝撃、針をちくっと刺した程度の些細な刺激でもとにかく何か感化された場合はそれを自分に取り組んでいくのがいいと思います。
感化させられた後は、今度は自分が何か相手に相槌を打ってもらうような事をしようと努める。
それが友達です
花々flower