学ぶということは、

たとえば、

目が見えないひとが、指先で読む体験をすること。

言い方を変えると、

“手で読む”ことを知ることで、新たな世界を体験する。

“目から鱗が落ちる”よりはるかにすごい。

手が目になっちゃうわけですから。

学ぶことって、

それ自体がおもしろいし、わくわくする。

でも、当たり前だけど、

指先で読むことができるようになるためにはものすごい訓練が必要です。

努力が必要です。

それもひっくるめて学ぶことです。

学ぶことは継続するプロセスです。

学ぶことを、

学ぶという行為とその結果得られることに分けてしまうと、

おかしなことになります。

行為は結果を得るためのただの手段になってしまう。

努力することが手段になってしまうと、努力はつまらないものになります。

効率を求めるから。

少なければ少ないほどいいから。

早く結果が出れば出るほどいいから。

 

仕事だって、生活のため、金を得るための手段になると、

“手っ取り早く儲かる”仕事がいい仕事になるわけです。

1000万円の仕事と500万円の仕事なら、

まあ、1000万のほうを選ぶ。

その仕事をするのに、

やりがいや生きがいはいらないし、特別モチベーションもいらない。

だって、ただの手段だから。

 

試験対策は、学ぶことの一種ですが、

試験合格のための“手段”です。

売る方は“効率的方法”とか“戦略的カリキュラム”といった

一直線で合格する=ムダがないこと

を強調します。

利用する人たちも効率を求めていると考えていますから。

でもそうしたとき、

毎日の学ぶことがただの手段になり、つまらなくなるリスクを負うわけです。

合格した時に得られるものの価値が相当明確で、大きなものでないと

続けることが難しくなってしまう。

 

学ぶことそのものに興味を持つ。

おもしろがる。

興味を持ち、興味を満たそうとすることはそれ自体が目的です。

何かの手段ではない。

 

今日一日、自分が学ぶことにアテンションプリーズ!