紹太寺

 

 

黄檗宗  紹太寺

 

 

山号 : 長興山

宗派 : 黄檗宗

本尊 : 釈迦如来

創建年 : 寛文九年(1669)

開山 : 鉄牛道機

開基 : 稲葉正則

 

 

所在地 : 神奈川県小田原市入生田303

 

 

寛文9年(1669年)に2代目藩主、稲葉正則が城下の山角町の菩提寺をこの地に移転し、
宇治万福寺から鉄牛和尚を招いて開山した。  
江戸初期の小田原藩主、稲葉一族の墓と春日局(天正7年(1579年)~寛永20年(1643年))の墓がある。
春日局の遺体が葬られているのは東京都文京区にある麟祥院で、
四方に穴が貫通した特異な形をし無縫塔の墓が建っている。
他には京都黒谷の金戒光明寺にも墓が建っていた。

幕末の火災によって建物が焼失し、現在では子院の清雲院が紹太寺の寺号を継いでいる。
最盛時は七堂伽藍の整った大寺院で、山内の360段の石段を登ったあたりに伽藍跡が残る。

 

『寺号標柱(総門跡)』

 

『山門』

 

『地蔵菩薩像』

 

『本堂(旧子院清雲院)』

 

『本堂扁額』

 

『大黒天』

 

『巡照板』

 

『本堂前の庭園』

 

『庫裡』
普茶会席料理が味わえます。
江戸時代初期に中国から日本へもたらされた精進料理。
葛と植物油を多く使った濃厚な味、卓を囲み大皿に乗った料理を各人が取り分けるのが特徴。
一卓四人宛着席し和気藹々のうちに料理を残さず食するのが普茶の作法であります。

 

『永代供養墓「大地と宇宙」』

 

『三界万霊塔』

 

『清雲の碑』

 

『開発供養塔』

 

『遊撃隊士の墓』

 

『地蔵菩薩像』

 

『石碑』

 

『石碑』

 

『石碑』

 

『360段の石段』
この先も石畳と石段が続きます。

 

『透天橋』

 

『旧伽藍石柱』

 

『旧本堂跡』

 

『御霊屋敷跡』

 

『春日局の墓』

 

『稲葉家一族の墓』

 

『開祖「鉄牛禅師」の寿塔』

 

『刻銘石(瓔珞櫻)』

 

『刻銘石(昆弟槙)』

 

『刻銘石(百花叢)』

 

『刻銘石(石牛路)』

 

『一吸亭跡』

 

『しだれ桜』
樹齢約340年、高さ約13m、株元周囲約4.7mの大木

 

『裏大門の道』
これ以上進めませんでした。

 

『由緒書』

 

『山神神社』