昭和56(1981)年3月10日(火曜)と翌11日(水曜)のtvkテレビ欄より。
昭和56年3月10日(火曜)のテレビ欄
昭和56年3月11日(水曜)のテレビ欄
この時期、夜7時からのゴールデンタイムに 花紀・岡八のドドンとお笑い60分とか モーレツ‼しごき教室 なんて、コテコテの関西番組が放送されていた。
前年からの 漫才ブーム によって、一気に関西言葉が関東圏にも流入してきた印象があるが、テレビ神奈川など 独立UHF局 による関西番組の放送も ボディブローのような効果 はあったと感じる。
とはいっても人気番組が集中する夜7時に、わざわざ視聴困難なUHF局を選択している友人はほとんどいなかったけど…。それでも数年後からの『おとなの絵本』も含めて、関東圏における関西文化啓蒙にUHF局が果たした影響は、もっと語られていい気がする。
関西人のアイコン・西一(右側)
それまで、関東人がイメージする関西弁といえば、なんといっても 西一(にし・はじめ=by いなかっぺ大将)が王道だったが、漫才ブーム以降、一気に関西弁が流入し、この年の秋からアニメ放送が始まった『じゃりン子チエ』にトドメを刺された感じだ。