先日、書きました通り、今日(11月10日)は昼から、幼児音楽研究会の第146回例会にて行われた、詩人であり作詞家、作家であり、教育者でもある片岡輝(かたおか・ひかる)先生の講演『幼少期の原体験としての音楽、そして今』を聴きに、会場となった東京・日本橋の鈴木楽器東京支店に行ってきた。
幼児音楽研究会の会員でもない私は一般参加で拝聴させていただいたのだが、ついに40年来のモヤモヤである、「グリーン・グリーン問題」について、日本語版の訳詞者である片岡先生に直接おうかがいすることができた。

ある朝、目覚めたぼくが知った「この世につらい悲しいこと」とは何か? そして「その朝 パパは出かけた 遠い旅路へ」とは、どこなのか?という問題を、この曲の訳詞者である片岡先生ご本人に確かめてみることが目的だ。
片岡先生は私の質問に微笑み、過去にも何度となくこの手の質問があったことをも明かしつつ、とても丁寧に答えてくださった。
父と子の別れをテーマにしているが、それが戦死とも病死とも交通事故死でも、離婚などで家を出て行ったなどの設定ではないとのこと。都市伝説的に「隠れ反戦歌」とされていることに対しても否定。実際に『グリーン・グリーン』が小学校教科書に採用されるにあたり、この点もずいぶんと確認を受けたそうだ。
やや長文になってしまいますが、まずは片岡先生がこの米国産フォークソングの日本語訳詞を担当された経緯から説明します。
片岡先生は慶応大学卒業後に現在のTBSに入社。子ども番組志望だったそうだが、当時のテレビ部門には、そのセクションがなく、ディレクターとしての担当番組がないまま、すぐにラジオ部門に異動。子ども向けの人気クイズ番組『ちえのわクラブ』(昭和30~37年=千代田生命提供)のディレクターとして活躍。当時、公開録音などで全国の小学校を回ったりなどして、一緒に番組を作っていたのが和光大学の教育関係者だったとかで、そんな縁で昭和38年にTBS退社後、フリーの立場で教育関係の仕事にも携わるようになったのだそうだ。
その頃にスタートしたNHKの子ども向け歌番組『歌のメリーゴーラウンド』(昭和39~43年)で使用する楽曲として、『グリーン・グリーン』の和訳詞の依頼を受けたのだそうだ。
さっそく訳詞に取り掛かるも、悪戦苦闘した模様で、自宅にて隣の部屋でスヤスヤと眠っていた、当時3歳だった娘さんの寝顔を眺めている時に「今、自分がいなくなってしまったら、この子はどうなってしまうんだろう?」と想像を働かせたことから一気に訳詞のイマジネーションが湧いたのだそうな。訳詞…実際は完全な作詞なのだが、そこから「父親として、人間として、子どもに伝えたい想い」を詩にしたためたのだそうだ。
当時、ベトナム戦争、交通事故死や企業戦士の過労死が問題視され、離婚する夫婦も増加していた。それらすべてを含めて、突然やってくる「父と子の別れ」をテーマに、書き上げたのだそうで、決して〇〇死だけに限定したテーマではないとか。
母と子ではなく、あえて「父と子」に歌詞を絞ったのは、「母と子をテーマにした歌は、夜なべをして手袋を編んだりとか、たくさんあったでしょ? でも当時、父親と子どもの歌は少なかった。そこで父と子の別れにしたんです」(片岡先生)とのこと。
『歌のメリーゴーラウンド』で発表されるや、すぐに人気曲となった『グリーン・グリーン』は、昭和42年には同じくNHKの『みんなのうた』にも登場。以降は学校教科書にも掲載され、日本語版誕生から半世紀以上が過ぎた現在でもスタンダード曲として歌い継がれている。
他にもNHK初のTVアニメシリーズとして制作した『未来少年コナン』(昭和53年)の主題歌を依頼されるにあたり、宮崎駿監督と新宿の喫茶店にて打ち合わせしたこと、『ヤンヤンムウくん』のことなど、実にさまざまなことを話してくださった次第。とても1回では書ききれないので、また別な機会で書き記すことにします。
