福岡旅行・太宰府編その2ヽ(^o^)ノ | 貴房本殿

福岡旅行・太宰府編その2ヽ(^o^)ノ

前回に続き、
太宰府探訪記のパート2でござりまする。


いにしえの太宰府条坊都市の入り口、
「羅城門」の跡地を探すべく
8月末の炎天下を歩き始めた貴房と三ニ九さん。


そこで親切な地元のおばさまに「どこに行きたいの?」と
声をかけられます。


しかし遺跡が発見されてるわけでもない、場所が不確定の、
ただ学者さんと一部歴史ヲタだけが“ここら辺に有ったんじゃないか”と
推定してるだけの、記念碑も案内板も無い羅城門の場所を
いくら地元とはいえ、ごく普通に暮らしてるおばさまがご存知である可能性は、
限りなくゼロに近い・・・(-.-


案の定、「羅城門」「条坊」等の単語にも首をひねるばかりのおばさま。


まぁこれは予想通りの反応なので
そろそろお礼を言ってまた歩き始めようかと思ったその時、
おばさま「それじゃ、この近くに歴史に詳しい人がいるから

      紹介してあげるわよ」


おぉぅ。そうですか。
たしかに魅力的なお話ではありますし、
親切にしていただいて心から嬉しい気持ちでいっぱいなのですが、
「・・・多分、その歴史に詳しい人でもご存知無いんじゃ・・・」
という気持ちをぬぐえません(^_^;


でもせっかくのご好意ですので、
そのおばさまについて行ってみることに。


このあたりは「二日市温泉」といって、
小さな温泉地になっていて、

そこかしこに温泉旅館や入浴施設が点在しています。
おばさまが連れて行ってくださったのは、そんな一軒の温泉施設。
建物に入り、おばさまがカウンターの奥に声をかけると、
こちらの従業員さんなのでしょう、

やはり同年代くらいのおばさまが出てきてくださいました。
曰く、こちらの方は以前に筑紫野市役所にお勤めだったそうで、
市内の史跡などについてもお詳しいとのこと。
(太宰府の条坊都市は太宰府市から筑紫野市にまたがってます)


っというわけで、先程と同じように、探してるものについてお聞きしてみます。


PCからプリントアウトして持参した太宰府条坊の復元図をお見せして、
「大宰府政庁の遺跡からまっすぐ朱雀大路が通っていて、
 昔は条坊制といって碁盤の目状に区画された都市があって、
 南の端に羅城門という門が・・・」


・・・うぅん。
説明しながら、
やっぱりご存知無いだろうなぁ、いくらなんでも知ってるわけないなぁ、と
諦めの念が(汗
そして案の定、
「ここは筑紫野市だから、大宰府の政庁遺跡ならここじゃないわよ?」
「らじょう・・・もん・・・? 聞いたことないわねぇ・・・」
という反応。
ですよね・・・(-▽-
すみません、マニアック過ぎて・・・(T▽T


やっぱり自分らの足だけで探すしか無いよなぁ、
そろそろお礼を言って辞去しよう、などと思っていると、


「それじゃ、この近くに図書館があって、
 その隣が小さな博物館になってるから、そこに行ってみるといいわよ。
 学芸員さんなら何か知ってるかも」
とのお言葉。

ほほう、なるほど。
ちょっと専門的になってきましたよ、と。
確かに地元の博物館の学芸員さんなら、何かご存知かもしれない。


図書館までの道を教えてもらい、
「お風呂入っていけば?」とのお誘いは丁重にご辞退申し上げ(笑)、
お礼を申し上げて温泉施設を退出。


方向的には二日市駅の方に戻る形ですが、
しばらく歩くと公共の施設らしい建物が見え、
目的の博物館に辿り着きました。


館内に入って最初に思ったこと、それは・・・



「・・・すっ・・・涼しいっ!!!」



(笑)
いやー、とにかく凄まじい猛暑日なので、
ちょっと歩いただけでもたちまち汗が流れる始末。
冷房が本当にありがたく感じます(*^o^*)



まぁそれはさておき、
まずは最初に目に付いた職員さんと思しき女性に

羅城門について聞いてみます。
しかしこの方は事務員さんとのことで、
史跡関係の専門的な事はあまり分からなくて・・・とのこと。
博物館で開かれる子供向けイベントのため、
紙粘土の工作を製作中でいらっしゃいました。
お忙しいとこすみませぬ。


で、学芸員さんのいる窓口を教えてもらい、そちらに行ってみる。
受付の小窓に出てきてくださった今度は学芸員さんと思われる女性に
同じ質問をしてみると、
「あ、今ちょうど詳しい人間がいるので呼んできます」とのお答え。
そして奥から登場した初老(まではいかないかな?)の男性。



この方が ヒ ッ ト で し た !!!



持参した太宰府条坊のプリントアウトをお見せするとすぐ、
「あぁ、この図だと鏡山先生の案かな?」
という反応。


そのとおりでございます!!!


その図は太宰府条坊研究の先駆者である鏡山猛氏の復元案で、
本に載ってたりネットに落ちてる図もほとんどこの方のもの。
あ、ちなみに↓このウィキペディアの記事の中段くらいにあるやつです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%AE%B0%E5%BA%9C



それにしてもこの反応!!
やっと「条坊」だの「朱雀大路」だの「羅城門」だのいう用語を
解っていただける方にめぐり会えた~!(T▽T)
っていうかこちらの方は正真正銘の専門家なのであって、
解ってもらえるという言い方は失礼なんですけどね(^^;


で、羅城門を探してるという話をすると、
館内の、自由に持ち帰れるペラもんの歴史資料が

沢山置いてあるコーナーに連れて行ってくださって、
「それなら、こういう図がありまして・・・」と
一枚の資料を取り出して見せてくださる。


その図がこちら。↓
貴房本殿
これが、以外と手に入りそうで入らない、
現在の地図と条坊復元図を重ね合わせたもの。


キタキタキタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!


これで条坊都市の南の端、つまり羅城門が有った場所も
断然探しやすくなります!!

これだけでも大収穫なんですが、
さらにお話を聞いてみると、
「鏡山先生の案によると、羅城門は大体、

 今の筑紫野市役所の辺りになるんです」
とのお言葉が。
具体的な場所キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ !!!!!
(さっきからうるさくてすみません(^^;)


貴房が素人なりにがんばって地図上に割り出した予想地点とは
ちょっと、というか結構違っています(汗


これは現場に行ってみるしかないじゃないですか。


※・・・お気付きかと思いますが、
 このように今回の大宰府探索は基本、
 今はどこにでもある普通の街並になっている場所を巡りつつ、
 脳内で昔どんな光景だったかを補完する旅なのです(^^;;
 これは本人は良いとして付き合わされる方は本当に大変だと思います(汗


さらに、
「私どもがおこなった発掘調査の結果、
 鏡山案より2ブロック程北が本当の南端ラインだと考えてるんです。
 このラインより北では多くの遺物が発掘できるのに対して、
 ここから南は一気に遺物が少なくなるんです」


うわー貴重な話キタよコレ!!
私どもがおこなった発掘、って・・・
発掘調査に実際に携わった方じゃないですか!


っていうかやっぱり羅城門のある条坊都市南端の位置は
鏡山氏の説の他にもいくつか別の案が出されていて、
発掘調査結果も微妙に違っていて、
結局今のところ「ここだ!」という決定打は無いらしい。


残念・・・と思うことなかれ。
これで良いのです。
こういう発見や証言こそ、現地に行ってみないと分からない事で、
いくら本やネットで調べてみても得られないんですよね~!


さらに地図を見ながらある一点を指さして
「この辺にパスタ屋がありましてね、
 ここは以前、朱雀大路の跡を発掘した場所なんです。
 駐車場に案内板がありますよ。」
うおー、これも現場に行ってみなきゃ!


他にもいろいろと、
博多から太宰府へ伸びる古代官道の遺跡調査や、
現存する地名と遺跡の関係や、
貴重な話を色々とお聞きしてる間、
三ニ九さんは駅近くのドラッグストアの駐車場に停めていた車まで戻り
博物館の駐車場まで移動させてました。


お礼を申し上げ、
(話の内容に夢中になってしまいお名前を伺えなかった・・・)
他にもいくつか持ち帰り自由の資料を物色して、
博物館を退出。



涼しい館内から一転、やっぱり外は強烈な暑さ!



さぁ! 進むべき道は決まった!!
まずは羅城門跡地と推定される筑紫野市役所!!
そして朱雀大路の名残と思われる路地を辿り、
案内板があるというパスタ屋に寄って、
大宰府政庁前の交差点、
その名も「朱雀大路」(←本当に現在こういう名前の交差点なのです)まで
歩いてみようじゃあーりませんか!!!



さぁ、記事二回分も使いながらまだ本題に入ってないぞ(笑)
無駄に長くてごめんなさい、と反省しつつ次回に続く・・・(^^ゞ