潜在意識や無意識に働きかけて現状を解決する、と言ってもこの年になると大概のことは経験からこうしたらいいという解答みたいなものがあって、それほど多く悩みもなくなり、かつ多くを望まなくなります。
若く可愛い女をはべらせて大金を稼ぐと言っても、既に「満足させられる元気」はないし、第一健康に悪い。
大金でいいモノを食べても、お腹を下すのが関の山、ファションにもあまり興味はないし、そもそも大金を持てば命も狙われかねない昨今、普通に暮らせるだけ稼げれはいいので、何かを特別に「引き寄せる」必要性もないのです。
だって
人生はもう「降り坂」なんですから(苦笑)
そこで
『降りてゆく生き方∶べてるの家が歩むもう一つの生き方』横川和夫著
を読みました。
同じ名前の映画で武田鉄矢さんが制作「降りてゆく生き方」とは全く関係ありません。
ご存知の方も多いかもしれませんが、こちらは北海道にある精神疾患のある人々のグループホームの実話です。
自分は相模原市愛川で起った悲惨な事件と同じ系列のホームに勤務していた経験があり、実際のグループホームのことも知っていますが、この「べてるの家」は全く違っています。
自分の病気を本人が「研究、発表」するのです。
これを「当事者研究」と言います。
どうして「爆発」してしまうのか、その時何を考えていたのか、どのようなきっかけでそうなるのか、などを患者さん自からが「研究」し、他の患者さんの前で「発表」するのです。
このあたりは「無意識」の本とも関係するかもしれませんが、本人の無意識を意識の上に登らせるのです。
それによって、同じような病気の人の意見を聞いたり、またお互いに影響して「よくなって」いくのです。
「よくなって」というのは「回復する」ということではありません。
「その病気を抱えながら」生きていくのです。
また
この本は患者さん本人だけでなく、その地域社会との連携も大切なことを教えてくれます。
病気のままで楽しく生きたい!
治す必要なんかないんです!
「統合失調症の清水里香さんが、『病気が治らないまま、症状がいまも続いているなかで生きつづけて、なおかつ、そういういまの自分がいいと、肯定的に自分を見られるようになった』と言ってます」(174頁)
本を読みながら、かつて友人が精神疾患を患った時に、お医者さんに相談したことを思い出しました。
お医者さんは
『君は友人として「社会の目」の役割がある、親には親の役割があるのだから、君は親のように理解する必要はない、社会的に見ておかしいことはおかしいと言ってあげたほうがいい、それによっては彼は色々な意見に接することが出来るのだから』
当時はそれを納得し信じて、おかしいことはおかしいと言ってから、彼はその病気のことは話さなくなりました。
つい先日、彼のお通夜で彼の弟にその事を言うと
「兄さんは病気のことで〇〇さん(私)のことを怒らせたのかもしれないと、言ってました」
つまり、自分はてっきり回復したで話さなくなったと思っていたら、それは単に私に気を使って話さなくなっただけだったようなのです。
もっと早くこの本を読んでいたらまた違った言い方を彼に出来たかもしれません。
医者の言葉は(半分は)信じられません。
自分で勉強して理解するへぎだったのです。
まわりに精神的な病気を持った友人、もしくは本人でも、この本を読めば違ったアプローチの仕方があることがわかると思います。
また、この本は「精神疾患を持たない」と思っている人にも、とても役立つ考えがたくさん載っています。
例えば
「こころの三要素って知ってるかい? 虚しい、悲しい、寂しいという三つの気持ちは、楽しいとかうれしいとかいう以上に、こころの健康にとってとても大切なものなんだよ。
ともすると私たちは、自分のなかからそれを消し去ろうとするけれど、それはとてもだいじな栄養素なんだよ。
鉄とかタンパク質とかメジャーな栄養素とちがって、微量栄養素だけれど、それが欠けたらダメなんだ…空虚感や不安をなくしてしまおうとしたり、それに打ち勝とうとしたりすると、人間関係もこころのバランスも崩して、究極的には暴れたりすることになるんじゃないか。
だから、それもだいじな要素として大切にしていく、捨てようとしない生き方が、あらゆるプログラムの基本だ」(70頁)
日本人はこの「わびさび(佗しい、寂しい)」を世界中のどこの国より大切にしてきました。
その事をもう一度考えなおすには、今がちょうどいい「お年頃」「きっかけ」になりました。
また「弱さ」についても考えさせられました。
巷にあふれる本はどれもこれも「弱さを克服しょう」というものが多いなか、この前の「弱いロボット」の本ように、徐々に、何故弱くていけないの?何故強くならないいけないの?と変わって来ています。
ちなみに「弱さを抱えながら生きる」ということを言い換えると、
「大学に入るために一生懸命、勉強して合格したとたん、無気力になって五月病になるようなもので、下野さんと賀代さん(本に登場するカップル)はいま五月病ですよ。
それはくり返し、くり返しやってくるんです。
一年生になったとたん無気力になり、もう一回、そこでテーマを見つけてがんばって、やっと二年生になった、と思ったら、つぎにまたなにかがくる。
節目節目に、ある種の無気力がやってくるんですね。
でも、それがべてるでは〝順調〟ということ。
順調、順調です」(162頁)
良くなって悪くなる繰り返しのサイクルが「順調」なんです。
この本は誰に対してとても優しい考え方の本です。
そして時代が「強い」「上手い」「若い」から「弱い」「まずい」「古い」へと移行している気がします。
「死にものぐるい」より「笑い」です。
またまた自分の経験談多めの「感想」日記になってしまいましたが、長々とお読みいただきありがとうございましたm(_ _)m