“新訳”TOARU愚者の黙示録 -2ページ目

“新訳”TOARU愚者の黙示録

黙示録とは・・・新約聖書巻末の一部のこと、だそうです。11月22日まで管理人も知りませんでした。そんな意味があったのか。
ブログについて・・・戦闘機大好き・自転車大好き人間のブログです。タイトル変更しました。
当然ですが、誹謗中傷行為はおやめください。

どうもお久しぶりです。
最近,テストが忙しくて,なかなか更新できていませんでしたが,これから,再び更新を開始しようと思います。
今後もよろしくお願いします。

そういえば,僕の友人のとあるブログが,荒らしにあったそうです。皆さんも気をつけてくださいね。
31機目は・・・
A-6 Intruderです。
$“新訳”TOARU愚者の黙示録
A-6 (愛称 Intruder イントルーダー) はアメリカ海軍と海兵隊が1963年から1997年までの34年間運用した艦上攻撃機。
ベトナム戦争や湾岸戦争をはじめとする就役期間中に発生したアメリカ海軍の艦上機が何らかの形で関わったほとんどの戦争や紛争に参加した。派生型のEA-6B プラウラー電子戦機は2010年現在も運用中。
概要
爆弾などの対地攻撃兵器を大量に搭載し、全天候下で精密攻撃を行う攻撃機として開発された。大型のレドームに合わせ並列複座としたために機体前部が丸く大きくなっている。
主翼は中翼配置で折り畳み機構を備える。2基のターボジェットエンジンを胴体下部に搭載している。
開発経緯
アメリカ海軍は1957年3月にアメリカ国内の航空機メーカーに対して、朝鮮戦争における艦上機の運用実績評価から構想した全天候下での低空侵攻能力と精密攻撃能力を持つ機体の開発提案依頼を行った。
1958年5月に提案の中からグラマン社(現ノースロップ・グラマン社)が提案したG-128案を採用しA2F-1の名称で開発契約を締結した。その後1959年3月に8機の試作機製造契約を結び、1960年4月19日に試作初号機が初飛行している。
なお、開発段階においては優れたSTOL性能を求めて排気ノズルを23度下向きにできる機構の搭載も予定されていたが、運用試験において廃止されているため量産型はノズル偏向はできない。
運用
1963年2月より初期型のA-6Aを実戦部隊で配備した。1965年3月よりベトナム戦争に参加している。本機は全天候運用・精密攻撃のために複雑な電子機器を搭載していたが、実戦環境での搭載機器の稼働率が低く、また夜間に移動する車輌を捕捉するまでの索敵能力には至っていなかった。
しかし1966年の年末の気象条件の問題の中、唯一作戦行動可能な艦上機であったことを海軍は評価してA-6Eまで改良が進められた。
1996年に行われた環太平洋合同演習に参加していた厚木基地に展開中の第115攻撃飛行隊 (VA-115)[1]所属のNF500 (CAG) が標的曳航中に海上自衛隊のあさぎり型護衛艦「ゆうぎり」の高性能20mm機関砲によって撃墜される事故が起こった。
1997年に退役。
バリエーション
A-6A (A2F)
初期生産型。
A-6B
A-6Aを改修した防空制圧 (Iron Hand) 型。対レーダーミサイルを搭載可能。1967年より部隊配備。A-6Aより19機改造。
A-6C
A-6Aを改修し赤外線センサーと光学式カメラを搭載した型。1970年より部隊配備。ホーチミン・ルートへの攻撃に投入されたが大きな戦果を挙げることはなかった。1972年に一部の機体が誘導爆弾用のレーザー照射機に改修された。A-6Aより12機改造。
A-6E
A-6Aの改良型。電子装置を更新している。新造機と在来型の改修機が存在する。新造機生産途中から機首下部にTRAMと呼ばれる目標探知攻撃複合センサーが装備された。
A-6E SWIP
A-6Eの近代化改修型。AGM-65及びAGM-84、AGM-88の運用能力を追加した。
A-6E SWIP/コンポジット
上記改修と平行してボーイング社で製造した複合材料製の主翼に交換した機体。
A-6E SWIP ブロック1A
上記改修に加え航法機器を新型に換装。
A-6F
A-6Eの改良型。電子機器の更新とF404-GE-400Dエンジンへの換装を行い1987年8月26日に初号機が初飛行。A-6の更新用に開発されていたA-12アベンジャーIIと同様に調達予算を組めずに開発を中止された。
A-6G
A-6Eの改良型。電子機器のみの更新だが計画だけで終わった。
KA-6D
A-6Aを改修した空中給油機。電子装置を降ろしてタンク容量を拡大しており攻撃能力はない。1968年開発開始、1970年初飛行。
EA-6A (A2F-1Q)
A-6Aを改修した電子戦機。
EA-6Bプラウラー
EA-6Aのコクピットを大型化して乗員数を増やした電子戦機。
機体の耐用年限を迎えるために2009年時点で海軍保有の機体の更改はEA-18G グラウラー(複座のF/A-18F スーパーホーネットベースの電子戦機)、海兵隊の保有機体はF-35C ライトニング IIの電子戦型、海軍、海兵隊、空軍の三軍統合運用部隊の運用機体はB-52の改修型を予定している。
仕様 (A-6E)
諸元
乗員: 2名 (パイロット・爆撃手/ナビゲーター)
全長: 16.6 m (54 ft 7 in)
全高: 4.75 m (15 ft 7 in)
翼幅: 16.2 m(53 ft)
翼面積: 49.1 m2 (529 ft2)
翼型: NACA 64A009 mod root, NACA 64A005.9 tip
空虚重量: 11,630 kg (25,630 lb)
有効搭載量: 15,870 kg (34,996 lb)
最大離陸重量: 27,500 kg (60,626 lb, catapult:58,600 lb)
動力: 、41.4 kN (9,300 lbf) ×
零揚抗力係数(Zero-lift drag coefficient): 0.0144
抗力面積: 7.64 ft2 (0.71 m2)
翼面アスペクト比: 5.31
性能
最大速度: 648 mph, 1,040 km/h (563 kt)
航続距離: 3,245 mi, 5,222 km (2,819 海里)
実用上昇限度: 12,400 m (40,600 ft)
上昇率: 38.7 m/s (7,620 ft/min)
揚抗力比(Lift-to-drag ratio): 15.2
武装
武装:5箇所のハードポイントへ均一に8,170 kg (18,000 lb)
ミサイル
空対空ミサイル
AIM-9 サイドワインダー
空対地ミサイル
AGM-12 ブルパップ
AGM-65 マーベリック
AGM-123 スキッパー
AGM-123A スキッパー II
空対艦ミサイル
AGM-84D-E ハープーン
対レーダーミサイル
AGM-45 シュライク
AGM-78 スタンダードARM
AGM-88 HARM
ロケット・ポッド
70 mm (2.75") ハイドラ70
127mm (5") ズーニー
爆弾
Mk-20 ロックアイ
Mk-77 ナパーム
Mk-81 113 kg(250 lb), Mk-82, Mk-83 454 kg(1,000 lb), Mk-84 907 kg(2,000 lb), Mk-117 340 kg(750 lb) 爆弾
CBU-78 ゲーター 誘導爆弾
GBU-10E, GBU-12D, GBU-16B ペイブウェイ II レーザー誘導爆弾
AGM-62 ウォールアイ誘導爆弾
B-61 核爆弾
32機目は・・・
EA-6 prowlerです。
$“新訳”TOARU愚者の黙示録
EA-6はアメリカ合衆国のグラマン社が開発した電子戦機。A-6 イントルーダー艦上攻撃機の改装型であり、主要型であるB型の愛称はプラウラー(Prowler:「うろつく者」の意)。
1960年代より数度改良されながら2012年現在まで運用が続けられ、またアメリカ空軍が1996年にEF-111Aを退役させてから2008年まで電子妨害用の電子戦機がなかったため、統合飛行隊によりアメリカ空軍における電子戦支援も行なっていた。
概要
EA-6A
EA-6A
A-6が1963年に部隊配備されると、十分な搭載量を有するこの機体を電子戦機とすることが検討され始めた。
まず、アメリカ海兵隊がA-6Aに電子戦装備を搭載したEA-6Aを開発した。当初名称はA2F-1Qであった。これは1963年4月に初飛行し、1965年には第2混成偵察飛行隊(VMCJ-2、後のVMAQ-2)から配備が開始された。1966年からはベトナム戦争に投入されている。これはEF-10などの機体を更新するものであり、電子偵察・電子妨害・敵防空網制圧を目的とするものであった。
複座機であり、垂直尾翼上端にはレドームが追加された。搭載された電子戦機材は、AN/ALQ-86などである。非公式にElectric Intruderとの呼称が与えられた。
30機前後が製造され、予備役としてならば、1990年代まで運用された。
EA-6B
EA-6B
アメリカ海軍はベトナム戦争に当初、電子戦機としてEA-1を投入していたが、老朽化・低性能化が著しかった。北ベトナムへの爆撃が本格化すると、自軍航空機の損害抑止のため、北ベトナム防空網の制圧が必要となり、より高性能の艦載電子妨害機を求めることとなった。新しい電子妨害機として、A-3 スカイウォーリア攻撃機の改装型EKA-3電子妨害機の部隊配備(1967年配備開始)を進めるとともに、当時最新鋭のA-6攻撃機を改装し、電子妨害機とすることとした。通常、EA-6といえばこれによって開発されたB型を指す。
アメリカ海軍のA-6改装の電子戦機の計画は、1964年6月より開始された[1]。1965年には開発契約が結ばれ[1]、EA-6Bと命名された。EA-6BはA-6攻撃機を大幅に改装した電子妨害専任機であり、海兵隊のEA-6Aとは全く異なっている。A-6Aの胴体を1.37m延長し、4座機に変更されている。操縦士1名と電子戦要員3名が搭乗する。さらに垂直尾翼上端に受信用の大型のアンテナ用フェアリングが設けられた。電子妨害発信用のアンテナ関連機器はポッドに収められ、機体下の5個のハードポイントに搭載する。ポッドへの電力供給は、ポッドに付けられた風車による発電によって行われている。対象の脅威に応じて必要な周波数帯向けの妨害ポッドを選択・搭載するようになっている。このほか、キャノピーについては、電磁波の影響を避けるために非常に薄く金が張られている。
1968年5月25日にA-6A改装の空力試験機が初飛行を行った。電子戦機材開発用の機体もA-6Aから改装されて試験を行っている。1969年より量産が開始され、1971年1月より第129電子攻撃飛行隊(VAQ-129)から部隊配備が開始された。直ちにベトナム戦争に投入されている。
その後もエルドラドキャニオン作戦や湾岸戦争などに投入された。1991年まで生産が行われ、生産機数は183機。
アメリカ空軍の電子妨害機EF-111Aが国防総省の方針により電子戦機の効率的な運用のため、1996年に退役し、アメリカ軍の電子妨害専任機はEA-6Bに一本化された。そのため、アメリカ空軍の要員がEA-6Bの運用にも関わることとなり、運用部隊も一部再編成されている。
残存125機の運用部隊は、海軍12個飛行隊、海兵隊4個飛行隊、4個海空統合飛行隊である。海軍運用部隊は後継機としてEA-18Gグラウラーの開発・調達を進めている。
各型および武装
EA-6Bの主要な目的は、電子妨害および敵防空網制圧である。電子妨害用機材の中心となるのはAN/ALQ-99であり、これのコンピューターと受信アンテナ部分を機内に搭載し、受信した電波源の測定などを行う。妨害電波の発信は、機外ポッドから行う。各ポッドは2基のアンテナを持ち、サブタイプごとに対応する周波数帯が異なる。この他にもALQ-92通信妨害装置などを装備する。要員は1名が通信妨害、後部座席の2名が電子妨害を担当する。
物理的な攻撃兵装として、能力向上II型以降ではAGM-45 シュライクやAGM-88 HARM等の対レーダーミサイルも搭載でき、自力で電波源への攻撃も行える。
標準型(standard)
初期に開発された型。23機製造。
能力拡張型(Excap)
電子妨害用機材をAN/ALQ-99Aに更新。対応周波数帯が倍に拡大、演算速度が向上。25機生産[1]。後にAN/ALQ-99B、AN/ALQ-99Cに更新した。1973年から部隊配備。
能力向上I型(ICAP-I)
電子妨害用機材をAN/ALQ-99Dに更新。受信アンテナの変更など。標準型からも17機改装。1976年から部隊配備。
能力向上II型(ICAP-II)
電子妨害用機材をAN/ALQ-99Fに更新[1]。対応周波数帯が拡大、演算速度が向上。対レーダーミサイルの搭載を可能とした。72機生産、うち37機はさらに改良が加えられたブロック86型。1985年から部隊配備。一部機体はブロック89型改修を受ける。
先進能力型(Adcap)
大幅な改良型であり、1980年代後半から1990年代にかけて検討された。エンジンおよび主翼の換装、ストレーキの追加、垂直尾翼の拡大、電子妨害機材の更新、GPSの搭載などが検討された。標準型より1機が改装されたが、1995年に計画中止となった。
能力向上III型(ICAP-III)
電波源への妨害対応速度の向上、周波数測定および妨害周波数の極限化能力の向上とそれに伴う妨害電波出力の向上、操作計器類の更新を行った型。受信機はAN/ALQ-218に更新される。2005年から部隊配備開始。少数機を改装するに留まる。
要目
全幅:16.15m/7.87m(主翼折り畳み時)
全長:18.24m
全高:4.95m
主翼面積:49.13m2
空虚重量:14,776kg
最大離陸重量:29,484kg
エンジン:P&W J52-P408ターボジェットエンジン 2基(推力49.8kN)
最大速度:マッハ0.82
海面上昇率:3932m/min
実用上昇限度:12,558m
航続距離:1747nm(フェリー)/955nm(機外兵装最大時)
乗員:4名
はぁぁぁぁ,今週から再びテスト期間です。 ・・・①
あああああああああ,もういやだーーーー,いやだといったら,いやなのだーーーー ・・・②

①,②の理由により,管理人のポテンシャルが急降下しましたので,しばらく当ブログの更新がお休みになります。
    ↓(冗談です。)
でも,
テスト期間ですので,しばらくお休みになります。
21・22がテストなので,終わったらまた会いましょう。

29機目は・・・
YA-9です。
$“新訳”TOARU愚者の黙示録
YA-9は、ノースロップがアメリカ空軍向けに開発した攻撃機である。
近接航空支援に特化した攻撃機であり、A-10との競争試作機であった。A-10が採用されたために量産は行われなかった。
開発
1960年代にアメリカ空軍は、対空砲火脅威度の高い地域において、多量の爆弾を搭載し長時間滞空できる近接支援航空機を求めていた。この計画は「A-X計画」と呼称され、前線での使用に耐えるために容易な整備性と高い防弾性能が求められ、地上攻撃用に大口径の機関砲を搭載できることも条件にあった。ただし、全天候性能は重要なものとしては求められず、目視による昼間地上攻撃に特化した機体で構わない、とされた。
これにノースロップとフェアチャイルドが応え、両者の案は1970年12月に採択された。これにより、それぞれYA-9とYA-10として試作されることとなった。
ノースロップ案のYA-9は2機の試作機が製造され、1972年5月20日に初飛行が行われた。前衛的とも形容されたフェアチャイルドのYA-10に比べ、YA-9は極めてオーソドックスなデザインであり、性能的にも充分なものであったが、YA-10の方が防弾性能において勝ることと、機載機関砲として選定されていたGAU-8 30mmガトリング機関砲を搭載・射撃した際の安定性に優れている、とされ、1973年1月18日にフェアチャイルド案の採用が決定し、開発は中止された。
製作された2機の試作機は、短期間NASAで試験に供された後、試作1号機(シリアルナンバー:71-1367)がエドワーズ空軍基地に、試作2号機(シリアルナンバー:71-1368)がマーチ空軍基地博物館において保存・展示されている。
機体
YA-9は、中翼配置・直線翼の主翼を持ち、ジェットエンジンが主翼付け根下部の胴体脇に2基搭載されている。水平尾翼は垂直尾翼の中ほどにあり、主翼下のパイロンも10ヶ所と多い。これは、後にソビエト連邦(当時)が開発した同目的の攻撃機である スホーイ Su-25 “グラーチェ”と大まかなレイアウトは同じである。
試作機には固定武装としてM-61 多銃身機関砲が装備されていたが、制式採用の際はGAU-8 30mm機関砲を搭載する予定であった。
要目
マーチ空軍基地博物館の展示機
全長:16.3m
全幅:17.4m
全高:5.4m
エンジン:ライカミングYF-102 ターボファンエンジン(33.4kN)2基
乗員:1名
武装:M61 20mm機関砲 1門 爆弾等 最大8,300 kg

記念すべき30機目は・・・
A-10 Thunderbolt Ⅱです。
$“新訳”TOARU愚者の黙示録
A-10はフェアチャイルド・リパブリック社の開発した単座、双発、直線翼を持つアメリカ空軍初の近接航空支援(CAS)専用機。戦車、装甲車その他の地上目標の攻撃と若干の航空阻止により地上軍を支援する任務を担う。
公式な愛称は第二次世界大戦中に対地攻撃で活躍したリパブリック P-47に由来するサンダーボルトII(Thunderbolt II)だが、一般にはウォートホッグ(イボイノシシ)やホッグという渾名で広く知られている。
二次任務の前線航空管制機として地上攻撃機の誘導に当たる機体はOA-10と呼称される。
開発
1950年代から1960年代にかけてのアメリカ空軍の戦略ドクトリンは核兵器による大規模破壊相互報復であった。この期間の爆撃機は核兵器搭載のために設計され、戦闘機の大半を核兵器搭載可能とされ近接航空支援や地上攻撃は戦闘機の副次的任務と考えられていた。このため、戦闘機として第一線を退いたF-100 スーパーセイバーをこの任務に充てていた、しかしベトナム戦争においては核兵器を使うような事態は発生せず、むしろ近接航空支援が主任務となった。
しかしこれを担うのにF-100のような超音速戦闘機は適していると言えず、海軍のA-1 スカイレイダーを借用したりA-7 コルセアIIを制式採用したが、A-1は老朽化が進み、A-7ではF-100やその他の戦闘爆撃機と同様に敵味方の近接した中で有効な支援を行うのに必要な低速度での運動性がなかった。このため、ダグラス AC-47、フェアチャイルド AC-119、ロッキード AC-130といった輸送機を改装したガンシップを対人阻止及び対地攻撃に使用して特に夜間に効果を上げ、最終的には練習機を改装したノースアメリカン T-28やセスナ A-37 を対ゲリラ戦や地上攻撃に使用した。このためアメリカ陸軍だけではなくアメリカ空軍内でも近接航空支援充実の要望が高まり、ベトナム戦争で多くのアメリカ軍対地攻撃機を撃墜した小火器、地対空ミサイル、小口径の対空火器にも対応できる専用機体の調達を促すことになった。また近接航空支援に使用されるUH-1 イロコイやAH-1 コブラの小口径機関銃や無誘導ロケット弾は非装甲目標にしか対応できないという意見もあった。また、F-4 ファントムIIを近接支援機として使用した場合、高い巡航速度と燃料消費は空中待機を許さず緊急出動に限られただけではなく、M61 20mm機関砲を搭載しない型では走行中の装甲車両には無力であった。
1967年3月6日にアメリカ空軍はエーブリー・ケイ大佐を責任者に据えて21社に対してA-Xまたは実験攻撃機と呼ぶ低価格の攻撃機の設計研究を目的とする提案要求を提示した。1969年には空軍長官はピエール・スプレイに対して提案されたA-Xに対する詳細要件を作成するように依頼したがスプレイがF-Xの論議に関わっていたという経緯から内密とされた。 スプレイはベトナムで作戦に従事するA-1操縦士との議論や近接航空支援に使用している機体の有効性の分析の結果、必要なのは長時間の空中待機、低速での運動性能、強力な機関砲、卓越した生存性を持つ、イリューシン Il-2、ヘンシェル Hs129、A-1 スカイレイダーの長所を兼ね備えた機体であると結論付けた。また機体価格は300万ドル未満とした。
1970年5月にアメリカ空軍はソビエト連邦機甲部隊対応と全天候戦闘を重視したより詳細な提案要求を提示した。要求性能としては口径30mmのガトリング砲を装備し、16,000lbf(7,258kg)以上の兵装搭載能力、進出距離400kmで2時間の空中待機という高い航続性能、低高度での高い機動性、簡易飛行場を使用可能な優れた短距離離着陸性能、高い生存性、容易な整備性などが出された。 ボーイング社、セスナ社、フェアチャイルド社、ジェネラル・ダイナミクス社、ロッキード社、ノースロップ社から設計案が提出され、1970年12月8日にノースロップ社とフェアチャイルド・リパブリック社の案を採択し、それぞれYA-9AとYA-10Aとして試作されることになった。YA-10Aは1972年5月10日に初飛行し、YA-9Aは10日遅れの5月20日に初飛行している。
1972年10月10日から12月9日の比較評価試験で操縦特性はYA-9Aに劣るものの生存性と試作機からの量産改修点の少なさを高く評価され1973年1月18日にA-10として制式採用となり前量産機として10機が発注された。
その後、議会筋の圧力により前量産機のうち4機 (73-1670~73-1673) をキャンセルした上に、アメリカ空軍内部でもすでに装備しているA-7Dとの並行装備に対する疑問が出され、A-7Dとの比較評価を受けることとなった。
1974年にヨーロッパの地勢や天候に似たカンザス州フォートライリイをテスト場とするためにカンザス州マッコーネル空軍基地を拠点としてA-7DとA-10Aの操縦経験のないF-100もしくはF-4のパイロット4名が参加した。1月から4月にかけて両機の初等訓練から慣熟飛行を行った後、4月15日からテスト場に設置した地上目標と防空陣地に対する16任務各2出撃のテストを実施した。任務は敵軍と友軍の戦況が膠着した場合と敵軍が友軍を迅速に突破した場合に大別され、武装は最大12発のMk.82 500ポンド爆弾、ロックアイ集束爆弾、ナパーム弾、(A-10へのインテグレーションが未済であったためにシミュレーションによる)AGM-65 マーベリックを使用し、また、上限高度も1,000ft、3,000ft、5,000ft、制限なしとされた。比較審査の結果はM61-A1より大きな破壊力を持つGAU-8 30mm砲と対空砲火への抗堪性、良好な操縦性による対空戦闘での脆弱性の軽減、及び特に低雲高や視界の制限された条件で近接航空支援を実施する際の良好な操縦性によりA-10が近接航空支援用により優れた機体であることを示した。これによりA-10の必要性を認めた議会は開発の継続を認め、当初140万ドルの機体単価は170万ドルになったものの生産計画は予定通りに進行し1975年10月にA-10前量産初号機(73-1664)の初飛行を実施した。
1976年3月にアリゾナ州デビスモンサン空軍基地への配備が始まり1977年10月に最初の飛行隊が実戦配備可能となった。最終号機は1984年に出荷され、総数715機を生産した。A-10の操縦は非常に容易と考えられたために複座練習機型は製造されなかった。
当初は739機の生産が計画されたが、最終的に1983年までに719機で生産が完了した。
GAU-8 30mm機関砲をA-10の主要対戦車兵器とする決定はベトナム戦に参加したA-1のパイロット、さらに第二次世界大戦中にドイツ空軍の戦車撃破王として名を馳せたハンス・ウルリッヒ・ルーデルとその著書「急降下爆撃」の影響を受けている。旧ドイツ国防軍の最強のタンクキラーとして著名なルーデルは、第二次世界大戦で時代遅れの機体の両翼下に37mm砲を搭載したユンカース Ju87G カノーネンフォーゲルを駆り歴史上最多数の戦車を撃破しソビエト赤軍機甲部隊に多大な損害を与えた。彼の本はA-Xプロジェクト要員の必読書とされた。
フェアチャイルド社ではYA-10Aの設計にあたり、実際にルーデルを顧問に招き、収納時も一部露出した着陸輪や、被弾しても任務の続行が可能な重装甲など、パイロットの生還を重視した設計などに、ルーデルの生きた助言を得ている。
特徴
機体
A-10は下に折れ曲がったドループ(ウィング・チップ)を持つ長スパンの直線翼により低高度低速度域で良好な運動性を発揮し、2.4km程度の視界下で300m以下の高度での長時間の待機飛行を行うことができる。小さく遅い移動目標への攻撃が困難とされる戦闘爆撃機の巡航速度よりも遅い、555km/h程度で飛行する。外翼側に位置し翼弦の50%程に及ぶ大きな補助翼は、低速での運動性を向上するだけでなく上下に分割されて制動補助翼としても機能する。フラップ、昇降舵、方向舵その他の動翼にはハニカム板を使用している。
近接航空支援作戦という任務の性格とA-10の比較的低い巡航最高速度から、前線近くの基地からの運用を想定した構造となっている。
丈夫な降着装置や低圧タイヤと大きな直線翼が発揮する短距離離着陸性能により、攻撃を受けた空軍基地のような悪条件下でも多量の武装を搭載した作戦行動を可能としている。また戦場に近い設備の限られた基地での給油や再武装、修理を想定した設計により、エンジンや主脚、垂直安定板を含む多くの部品が左右共通という他には見られない特徴を持つ。
外板と縦通材をNC工作機で一体整形して接合や密封の問題をなくし製造工程でのコストを節約している。また戦訓でこの外板製法が他の製法より高い抗堪性を持つと判明している。外板は構造部材ではないので破損時には現場で調達できる間に合わせの資材で張り替えることもできる。
主翼後方胴体上面という特異なエンジン配置は様々な利点をA-10にもたらしている。エンジンの排気を水平安定板と2枚の垂直尾翼の間を通すことにより、6:1というバイパス比により低めとなっているゼネラル・エレクトリック TF34-GE-100ターボファンエンジンの赤外線放射をさらに低減して赤外線誘導ミサイルの擾乱を図っている。また限定的ながらも主翼を対空火器に対する盾としている。
地上においては吸気口を地表から離すことにより砂や石などの異物吸入による損傷(FOD)の可能性を低め、駐機中にエンジンを運転したままでも整備点検や再武装作業時の地上要員の安全を確保できるために再出撃時間を短縮できる。また、同じエンジンを翼下に懸架した場合よりも翼が地面に近づき、整備点検や武装作業の負担を軽減している。
大重量のエンジンを支持するパイロンは、4本のボルトにより機体に結合されている。また、高いエンジン配置によって生じる機首下げモーメントを相殺するため、エンジン・ナセルは機軸に対して9度上向きに機体へ結合されている。
耐久性
A-10は非常に頑丈に作られており23mm口径の徹甲弾や榴弾の直撃に耐える。
二重化された油圧系と予備の機械系による操縦系統により油圧系や翼の一部を失っても帰投・着陸を可能としている。油圧を喪失した場合、上下左右動は自動的に、ロール制御はパイロットによる手動切り替えスイッチの操作により、人力操舵へと切り替わる。この時は通常よりも大きな操舵力が必要となるものの、基地に帰還し着陸するのには充分な制御を維持できる。機体自体もエンジン一基、垂直尾翼1枚、昇降舵1枚、片方の外翼を失っても飛行可能な設計となっている。
主脚は引き込み時も収容部から一部露出しており、胴体着陸時の機体制御を容易にしつつ下部の損傷を軽減する。また脚は支点から前方に引き上げられるため、油圧喪失時に脚を下ろすと風圧でロック位置に引き下ろすことができる。
コックピットと操縦系の主要部は予想される被弾方向や入射角の研究で最適化された12.7mmから38.1mmの厚さと機体の空虚重量の6%となる408kgの重量を持つチタン装甲で保護される。『バスタブ』とも呼ばれるこの部分は23mm砲のみならず57mm砲でのテストを受けてもいる。着弾の衝撃で装甲内側が剥離した際の破片から保護するためにパイロットに面した部分にケブラー積層材で内張りを施している。キャノピーは防弾のために拡散接合した延伸アクリルで作られており、小火器に耐え内部剥離を起こしにくくなっている。前面風防は20mm砲に耐える。
泡消火器付き自動防漏式燃料タンクは空間装甲としての効果を意図してインテグラルタンクとはせずに胴体と分離してある。また内外面に貼り付けられたポリウレタン網は被弾時の破片飛散を止めて燃料の漏出を抑える。4個の燃料タンクは被弾やエンジンへの供給断の可能性を減らすために機体中央に集められ、タンクが破損した際には逆止弁で他のタンクからの燃料移送を止める。燃料システムの部品の多くは燃料タンクの内側に設置して外部への燃料漏れを抑え、すべての外部配管は自己防漏式になっている。
給油システムは使用後に取り外され、機体内で保護されていない燃料系統はなくなる。
また、パイロンで支持されたエンジンは、防火壁と消火装置により燃料システムその他胴体部の火災から保護されている。
燃料系・油圧系統、機関砲弾倉などにも施した装甲の総重量は1,010kgに及び、機体重量の17%を占める代わりに高い防御性を発揮する。
兵装システム
A-10は7tを超えるペイロードを持ち11ヶ所のハードポイントに様々な外部武装を装備できる。また、劣化ウランを弾芯とした30mm徹甲弾を使用するGAU-8 Avengerガトリング砲を主要武器として内蔵している。
当初の設計では毎分2,100発と4,200発の発射速度だったが現在は毎分3,900発に固定している。射撃開始から最高速度となるまで0.5秒かかるため、最初の1秒で50発を発射し、その後は毎秒65発となる。GAU-8はA-10が30度で降下した際の射程1,220mに最適化されて12.4mの円内に80%という集弾率となっている。
機体自体もGAU-8の搭載のために設計しており発射の瞬間に砲口に向かって9時位置となる砲身を機体中心と合わせるために砲自体を進行方向左、前脚を右に寄せて配置している。地上での旋回半径は内側の主輪と前輪の距離で決まるため右回りの方が小回りになる。
弾倉は初期の機体では1,350発収容していたが装填時の弾倉の螺旋部分の破損が多かったために1,174発の砲弾を収容する補強された弾倉に交換された。リンクレス弾薬の装填にはGAU-8専用のGFU-7E 30mm弾ローディングアセンブリカートを必要とする。大量の弾薬の誘爆は壊滅的な結果となるため、幅1.52m、長さ2.74mにもなる弾倉の防護には充分な注意が払われており、弾倉と外板の間には異なった厚さを持つ幾枚ものトリガープレートと呼ぶ多くの板を配置し炸裂弾を外側の装甲で起爆させ内側の装甲でその破片を防護する空間装甲としている。
また、電子光学(TV誘導)誘導または赤外線誘導のAGM-65 マーベリック空対地ミサイルも頻繁に使用している。機関砲よりも長い射程を持つマーベリックは近代的な対空システムに対するより安全な選択肢となる。
湾岸戦争では前方監視赤外線カメラを装備していなかったため、夜間任務でマーベリックの赤外線カメラをFLIRの代用とした。
他には集束爆弾やハイドラ70ロケット弾ポッドも使用する。
A-10はレーザー誘導爆弾の運用能力も備えているが、A-10の作戦高度速度域では安価な無誘導爆弾で充分な精度を発揮できる上に誘導兵器の操縦時間を殆ど取れないため、実際の使用は希なこととされている。
また、A-10は通常自衛用として片翼にALQ-131 ECMポッドともう一方に2発のAIM-9を携行する。
様々な余談
30mmGAU-8ガトリング砲を発射するとその反動で「機体のボルトが緩む」「反動で速度が落ちて失速する(実際にはわずかに減速する程度)」というような戦場伝説がある。
攻撃ヘリより機速の速いA-10では砲弾初速と機体速度があいまって弾速が音速を超える。そのため被攻撃側からすると飛来するエンジン音が聞こえたかと思うやいなやいきなり標的が破壊され、発射音(実際にはガトリング砲の作動音の方が大きいが)が後から聞こえるといった現象が起きる。これは複数のYoutubeの映像などからも確認できる。
他にも「被弾して主翼の3分の2が無くなっても飛べる」などの俗説もある。実際に主翼の2/3を失っても飛行できるか否かは不明であるが、湾岸戦争においては参加機のうち半数にあたる約70機が被弾しながら、被撃墜は6機にとどまり、喪失率は10パーセントでしかない。384箇所の破孔を生じながら生還、数日後には修理を完了し任務に復帰した80-8186号機や、イラク戦争においてSAMによって右エンジンカウルを吹き飛ばされながら生還した80-258号機などの「タフさ」の実績がある。
湾岸戦争では30mmガトリング砲にて、イラク軍Mi-17ヘリコプターの撃墜(1991年2月6日と2月15日に1機ずつ)も記録している。しかし基本的には、空対空戦闘を考慮しておらず(急激なスロットル操作を行うと機首下げが発生する)、制空権確保が運用の前提条件である。このため、常に制空権を確保可能な強力な空軍力を持つアメリカ空軍以外での採用実績はない。民族紛争が続くスリランカが購入を希望したとも言われるが、輸出は実現しなかった。
運用
本機は1976年より実戦部隊に配備され始めたが、1980年代末になると夜間運用能力の不足や遅い速度、行動前の制空権確保の必要性を問題視された。もちろん、それは近接航空支援に特化した本機にとっては、元より承知で切り捨てた性能である。しかし同時期に開発されたマルチロール機のF-16は、低空・低速での運動性も高く、近接航空支援もこなせる機体であった。加えて地上攻撃用の兵器・装備の性能向上により、近接航空支援に特化した機体でなくても、十分にその任務を果たす事ができるようになった。その結果アメリカ空軍ではF-16をコストパフォーマンスが高いとして調達を優先し、本機のような攻撃専用の機体の優先順位は下がってしまったのである。
また、A-10は空軍の高級将校の目には余分な物に映り、泥臭い近接航空支援はAGM-114 ヘルファイアを搭載できるAH-64 アパッチに押し付けようとした。また、A-10を陸軍と海兵隊に移管しようとする動きもあったが、四軍の分掌を定めた1948年のキーウエスト合意によって阻まれた。
そのため1980年代後半に低空飛行時の安定性の向上ならびに目標策定能力の向上を目的としたLASTE(Low Altitude Safety and Targeting Enhancement)計画が検討されたが、湾岸戦争以後の1991年まで実施されていない。さらに冷戦終結により対戦車攻撃力の必要性が薄れた事と、軍縮の気運によりますますもって攻撃専用機である本機が贅沢視される事となり、配属飛行隊の多くがF-16に転換され、相当数が空軍州兵や空軍予備役などの所属になった。この時期にOA-10Aという名称が作られたが、これは観測任務に対する名称であり機体としてはA-10Aとまったく同一である。残ったA-10もF-16の近接航空支援型で更新する方針であった。
そのまま活躍も無く消え去ると思われた本機の運命を大きく変えたのが、1991年に発生した湾岸戦争であった。イラク軍の対空能力が低いことと、砂漠地帯であるために天候が良好であったこと、なにより実際の戦闘が開発意図や運用想定(欧州平原で友軍の制空権下でワルシャワ条約機構の機甲部隊を撃破する)に沿っていたことも手伝い、AH-64A アパッチなどの対戦車ヘリコプターが砂漠環境での機械的トラブルに悩まされたのを尻目に、主に装甲車輌などの移動目標攻撃に活躍した。A-10Aの累計出撃数は8,755回、OA-10Aの戦線航空統制任務は656回に及び、戦果はイラク軍の戦車987両、装甲兵員輸送車約500両、指揮車両等249台、トラック1,106台、砲兵陣地926ヶ所、対空陣地50ヶ所、SAMサイト9ヶ所、レーダーサイト96ヶ所、指揮所など28ヶ所、塹壕72ヶ所、スカッド発射台51基、FROG発射台11基、燃料貯蔵タンク8ヶ所、航空機地上破壊10機、Mi-17ヘリコプター撃墜2機を記録した。
この活躍により、空軍はF-16の近接航空支援版でA-10を更新しようとする考えを改めている。そして1991年半ばより棚上げされていたLASTE改修が始まった。改修作業は機体の定期修理に合わせてサクラメント航空兵站センターで開始されたが、夜間運用能力の付与については緊急の課題とされ、1993年6月には空軍参謀長より1996年10月を期限とするよう指示が出された。最終的にはグラマン社と契約し、1997年に全機の改修が完了した。 LASTE改修のうち「低高度安全」については自動操縦装置と電波高度計の装備によるGCAS機能であり「照準改善」はF-16と共通の爆撃コンピュータの装備による自動攻撃機能を指す。またLASTE改修とは別にNVG(暗視眼鏡)適合化が行われた。これらはNVG編隊灯によって区別される。
1994年にはA-10の運用寿命の延長が決定され、当初の目標は2008年とされた。A-10の近代化はフェアチャイルド社が航空産業から撤退していたためにロッキード・マーティンが受注し、1999年から「ホッグアップ」計画として実施されている。また、運用寿命の延長と並行して、戦闘能力向上を図る精密交戦プログラム(PEP)能力向上計画が2004年から実施されている。PEP能力向上計画は、スパイラル・ワンとスパイラル・ツーの2段階で改修作業が行われ、スパイラル・ワンではコックピットに12.7cm×12.7cmの多機能ディスプレイ2基を導入したグラスコックピット化とHOTAS概念の導入、新型兵装搭載管理システムの搭載、兵装パイロン6基に対する精密誘導兵器(PGM)搭載用改修、統合直接攻撃弾薬(JDAM)と風偏差修正小弾ディスペンサー(WCMD)の統合化、スナイパーXRまたはAN/AAQ-28ライトニングAT目標指示ポッドの携行能力付与、電源能力強化、デジタル・データリンク装置の統合化準備作業が行われ、エンジンもTF34-GE-100から信頼性の向上したTF34-GE-101に換装された。スパイラル・ツーではさらに、統合戦術無線システム・セットの導入、新型データリンク装置の装置、位置評定報告システムの強化が行われる。
PEP能力向上計画の試作改修機には、A-10A量産684号機が使用されることになり、試作改修初号機は2005年1月20日にエグリン空軍基地で初飛行し、第46試験航空団第40飛行試験飛行隊に引き渡されて、飛行試験を行った。量産改修機A-10Cは2006年から全規模量産改修が開始され、同年11月29日から部隊配備を開始、デビスモンサン空軍基地の第355戦闘航空団第357戦闘飛行隊が最初に受領し、続いてムーディ空軍基地の第23航空団第74および第75戦闘飛行隊が受領した。そしてA-10Cは、2007年8月21日に初度作戦能力(IOC)を獲得、同年11月7日にはメリーランド州空軍第104戦闘飛行隊がA-10C飛行隊として初めてイラクに展開している。これら改修によって16,000時間まで耐用飛行時間を延長し、A-10Cを2028年までは運用する予定である。
アメリカ空軍は、2008年現在A-10Aを273機、OA-10Aを94機の計367機を保有しており、2009会計年度までに最大125機をA-10Cに改修する計画で進めており、最終的には保有する367機すべてをA-10Cに改造する計画であった。が、2012年の国防総省の「国防予算の優先度と選択」においては、A-10を102機退役させるとされた[7]。2012年現在、345機を保有している。
冒頭で述べた通りに本機の能力が疑問視された当時は、後継機として専用機(A-7F/A-16)の開発も検討された事があるがプランは中止され、現在はF-16ともどもマルチロール機であるF-35統合打撃戦闘機で更新する予定である。
派生型
YA-10A:試作機。2機製造。(S/N: 71-1369,71-1370)
A-10A:前量産型。
S/N: 73-1664~73-1669 (73-1670~73-1673はキャンセル)
A-10A:量産型。1976年より部隊配備。
OA-10A:前線航空管制を主任務とした機体の呼称。
YA-10B:別称Night/Adverse Weather A-10。夜間全天候攻撃型の複座実験機。前量産初号機 (73-1664) を改装。一機のみ試作され、2008年現在、アメリカ空軍フライトテストセンター博物館に展示されている。
A-10C:グラスコックピット化。A型の改修。2005年初飛行。
S/N
75-258~75-309
76-512~76-554
77-177~77-276
78-582~78-725
79-082~78-225 (79-226~79-243はキャンセル)
80-140~80-283
81-939~81-998
82-646~82-665 (82-692~82-705はキャンセル)
仕様
乗員:1名
全長:16.16m
翼幅:17.42m
全高:4.42m
翼面積:47m²
自重:9,760kgf
運用:14,850kgf
最大離陸:22,950kgf
エンジン:GE製 TF34-GE-100×2 ターボファンエンジン(A/Bなし)
推力:80kN
巡航速度:560km/h
巡航マッハ数:Mach 0.45
戦闘行動半径:1,300km
フェリー航続距離:4,100km
上昇限度13,640m
上昇率:1,830m/min
武装
固定武装:GAU-8 30mmガトリング砲×1 (1,174発)
爆弾:GBU-10/12、Mk77、クラスター爆弾、ペイブウェイ、JDAM
ミサイル:AGM-65、AIM-9
ロケット弾
投入された戦闘
湾岸戦争
アフガニスタン紛争 (2001年-)
イラク戦争
昨日,久々(5ヶ月ぶり?)にPSP用のテーマを作ったので,UPしようと思います。
今回作ったのは,去年百里基地で取ったF-15です。
$“新訳”TOARU愚者の黙示録

ダウンロード (ファイル名 Pride of JAPAN.rar)

2/7追記
自作したいという人のために,素材ファイル&写真ファイルも一緒に入れておきます。
素材ファイル(ファイル名 JPHope 素材)
写真ファイル(ファイル名 JPHope写真差し替えver.rar)
タイトルはかなりかっこつけてますけど,内容的には,1週間2機戦闘機で紹介しきれなかったさまざまな派生系を紹介するコーナーです。(不定期更新・更新機体数制限なしです。)
1機目は,F-15の派生型,F-15E Strike Eagleです。
$“新訳”TOARU愚者の黙示録
F-15Eは、マクドネル・ダグラス社(現ボーイング社)が開発した戦闘爆撃機(マルチロール機)である。愛称はストライクイーグル(Strike Eagle:攻撃する鷲、の意味)。
概要
マクドネル・ダグラス社(当時)がF-111の後継機として開発した、F-15制空戦闘機の改良・派生型で、第4.5世代ジェット戦闘機に分類される直列複座(後席は兵装システム士官)の戦闘爆撃機である。1986年の初飛行後、1989年より量産機の運用を開始した。湾岸戦争やイラク戦争などの実戦にも参加している。
F-15B/Dとの外見の差はほとんどないが、搭載量の増加や機体寿命の延長のための再設計は機体構造全体の6割に及び、電子装置類の大幅な更新も考え合わせると、内部はほぼ別の機体となっている。
コンフォーマルタンクと呼ばれる固定増槽を装備した副次効果で得た多数のハードポイントとF-15譲りの充分な余剰推力により発揮される兵装搭載量の大きさ、及び、同じくF-15からそのまま受け継いだ対空戦闘能力が大きな特徴といえる機体である。
1989年12月よりアメリカ空軍が運用を開始し、他にもサウジアラビア・イスラエル・韓国・シンガポールで運用中である。
アメリカ空軍では、搭載可能兵器の多様性と大搭載量への評価から、F-22やF-35Aと共に主力戦闘爆撃機として2035年まで全戦力を運用し続ける予定。輸出向けの生産は現在も続けられている。
開発の経緯
F-15は大型の機体と強力なエンジンによりミサイル8発を装備した上でなお離陸重量や機動に対する機体強度に余裕があるため、マクドネル・ダグラス(現ボーイング)社は本格的な対地攻撃能力の付与、すなわち搭載兵装増量が可能と見て戦闘攻撃機型の研究を続けていた。
1981年3月にアメリカ空軍はF-111の後継機として、敵領空の奥深くに侵入する能力を持つ機体を求める複合任務戦闘機計画「DRFプロジェクト」を発表した。マクドネル・ダグラス社は空軍より借用したF-15B(複座型原型2号機:71-0291)をベースにプロトタイプとしてF-15の当初能力を上回る爆装の可能なF-15を開発した。これに対してジェネラル・ダイナミクス社はF-16をベースに炭素繊維材料を使用して胴体の延長やクランクトアローデルタ翼への変更を行いペイロードを増やしたF-16XLを開発している。
比較審査の結果、「被弾時生存率、兵装搭載量、将来の拡張性、生産コストの総額[2]」で優位となったF-15プロトタイプを選択し、F-15Eととして開発することとした。1986年12月11日に初飛行を行い、1988年4月に正式に部隊配備された。
制式化にあたり航空迷彩をF-15のグレー塗装からプロトタイプの暗緑色を経て暗色塗装へ変更[3]している。
現在、F-15Eはアメリカ空軍の他、サウジアラビア(F-15S)、イスラエル(F-15I)、大韓民国(F-15K)、シンガポール(F-15SG)が派生型を運用している。
特徴
基本設計
原型機であるF-15は胴体下の専用ランチャーと主翼下ハードポイント脇のサイドレールに空対空ミサイルを装備する構成であり、胴体下及び両主翼下の大型パイロンはミサイル装備に関係無く各々2,000kgを超える充分な搭載能力を保持している。しかしF-111の後継となる戦闘爆撃機とするにあたり、より以上の搭載能力と機体寿命の増進、低高度での高速侵攻への対応を求められた。制空戦闘機として求められた高高度での運動性確保のための大きな主翼は低高度での地形追随飛行の際、濃密な大気下での突風の影響を強く受け、機体構造への負担を大きなものにする。
これに対し、F-15Eでは構造強化のために機体の60%を再設計し、最大離陸重量を6t増強した上に機体寿命を16,000時間に引き上げた。これによる機体フレームの重量増はチタニウム比率を増加することによりF-15Dの60lb(約30kg)増に抑えている。また、運用重量増加に伴い主脚の強化とホイールの大型化、アメリカ製の軍用機で初めてラジアルタイヤを採用している。
F-15よりも側面部が丸く見える外見は胴体横の部分にコンフォーマル・フューエル・タンクを装備していることによる。F-15はパイロンにミサイルを搭載しないが、爆弾と増槽についてはどちらをパイロンに装着するかの選択肢となる。F-15Cは配備当初から当時はFASTパックと呼称されていたコンフォーマル・フューエル・タンクに対応していたが、要撃任務においては不必要であるため利用されていない。コンフォーマルタンクを利用することにより、戦闘爆撃機では最長である航続距離を実現すると同時にハードポイントを攻撃装備に開放している。さらに搭載するType-4コンフォーマルタンク自体に縦2列3段の6個のハードポイントを持つため、兵装搭載用のハードポイントはF-15Cの7箇所から19箇所に増えている。ただし、コンフォーマルタンクのハードポイントと胴体左右の空対空ミサイル用ランチャーの同時使用はできない。また、従来型ではほとんど使用されなかった主翼外側の電子戦装備用ハードポイントを廃止した代わりに、左右空気取り入れ口下に各1箇所のハードポイントを追加している。
操縦機器類は前席のみに装備されるが、兵装システム士官(WSO:Weapon System Officer)の搭乗する後席にも緊急用の操縦装置を持ち、後席中心部に設置された操縦桿の両脇にレーダー・兵装操作用のコントロールスティックを配置している。
エンジン
AFEプログラムにより、プラット・アンド・ホイットニーF100およびゼネラル・エレクトリックF110に対応したエンジンベイを持つ。両エンジンともエンジン制御をデジタル化しており、整備性や耐久性も向上している。
当初搭載したエンジンはF100-PW-220だったが、135号機以降は性能強化型のF100-PW-229に変更されている。
アビオニクス
F-15Eはレーダーに合成開口能力を備えたAN/APG-70を採用しており、目標地点周囲の地図を瞬時に作成する機能を持つ。
また、インテーク下の専用ハードポイントに、航法用ポッドと照準用ポッドからなるLANTIRNポッド(暗視装置、レーザー照射装置、地形追従レーダー)を常時搭載しており、航法用ポッドAN/AAQ-13の地形追従レーダーと自動操縦システムを連動させて低空侵攻を支援し、また、前方監視用の赤外線センサーの出力とも合わせて飛行可能経路をHUDに表示する事で、夜間における複雑な山間部飛行をも可能としている。照準用ポッドは当初AN/AAQ-14を装備していたが、現在ではこれに代わって改良型のAN/AAQ-33スナイパーXRを装備しており、JDAMのようなGPS誘導兵器の照準も可能になった。また、胴体下のパイロンに装備するAN/AXQ-14データリンクポッドまたはこれを改良して開発されたAN/ZSW-1はGBU-15及びAGM-130の誘導を可能としている。
A-D型はアナログ計器を多数搭載しているが、E型では3つ(後席では4つ)の多機能ディスプレイ(一部はカラー化されている)と中央部にあるコマンド入力装置で構成されたグラスコックピットとなっている。また、統合戦術情報伝達システム(JTIDS)を装備することで、他のF-15EやAWACS、その他ユニット(イージス艦など)の間でTADIL J戦術データ・リンク・ネットワークを構築し、戦術状況を即時に把握できるようになっている。
兵装
F-15と同等の対空兵装(ただし、20mm機関砲弾は500発)を装備した上での搭載可能重量は11tにも及び、現用の戦闘爆撃機中で最も多い搭載量となっている。また種類についても、空対地ミサイル、2,000ポンドクラスも含む無誘導爆弾・誘導爆弾、クラスター爆弾、現用戦闘爆撃機で現用唯一搭載出来る地中貫通爆弾(GBU-28)、更にはB83熱核爆弾など、アメリカ空軍の全対地兵装(約98%以上を目標)とも言える多種多様な品目となっている。
愛称
愛称はストライクイーグル。ストライク(strike)とは対地攻撃という意味。F-15の記録挑戦仕様:「ストリーク・イーグル」と名称が似ているが、無論両者に関連性はない。
また、1991年に勃発した湾岸戦争でのスカッド弾道ミサイル(地対地ミサイル)への攻撃(いわゆるスカッド狩り)を行い、多数撃破したその戦果[8]から「スカッドバスター(Scud Buster)」と呼ばれることもある。
その他、「マッドヘン(Mudhen:「泥雌鶏」の意味だが、アメリカオオバン)の別名)と呼ばれることもある。
戦闘能力
コンフォーマル・フューエル・タンク等の追加装備により、F-15Cに比べると速度性能、機動性能がやや劣り制空戦闘力においてはF-15Cに及ばない。しかしながら、依然として高い水準にあり湾岸戦争等ではF-15Cと共に戦闘空中哨戒の任務にも就いている。対地攻撃における搭載兵器の多様性や搭載量については優位を保っている。
なお、現在までに空対空戦闘で撃墜されたことはなく、また、これまでの数多くの作戦参加の中、全運用国での損失は湾岸戦争で対空兵器により撃墜されたアメリカ空軍所属の3機のみという非常に高い運用成績となっている。
アメリカ空軍での運用
概要
アメリカ空軍(以下米空軍)はF-15Eを4航空軍の6航空団、10の飛行隊で運用中である。
1988年4月にアリゾナ州のルーク空軍基地第405戦術訓練航空団第461戦術戦闘訓練飛行隊に配備され、1989年12月29日にはノースカロライナ州にある米空軍シーモア・ジョンソン空軍基地第4戦術戦闘航空団にて初めてF-15Eの飛行隊(第336戦術戦闘飛行隊)が創設され、初期作戦能力を得た。計画当初は約300機の調達を予定していたが、コストと軍縮のために1994年に226機で生産を一度終了した。しかし、損耗補充分として1996年から再び10機が生産され、2004年までに236機製造された。現在でも225機が主力戦闘爆撃機として運用されている他、退役が発生しているF-15の補足分として、敵防空網制圧等の航空作戦任務に就く事もある。2012年現在でも221機を保有している。
今後、F-15Eの一部の任務は最新鋭のF-35Aおよび2018次世代爆撃機が引き継ぐ予定となっている。
実戦投入
配備から1年後の1990年8月2日、サッダーム・フセイン政権率いるイラク軍が隣国クウェートに侵攻し首都・クウェートシティを占領、さらに8月6日には、その隣国であるサウジアラビア国境付近まで軍を展開した。サウジアラビアによるアメリカ合衆国を含む友好国への派兵要請に対し、ジョージ・H・W・ブッシュ大統領は即座にF-15Eなどの部隊をサウジアラビアに派遣した。11月29日には国際連合安全保障理事会決議678が可決されたが、イラク側が期限である1991年1月15日までに決議内容を履行しなかったため、1月17日に所謂湾岸戦争が勃発するに至った。
F-15Eは「砂漠の嵐作戦(Operation Desert Storm)」に参加しF-15Cの護衛を受けながら対地爆撃を加えた。その後、地形追従レーダーによる夜間攻撃能力が見込まれ、当初AWACS支援下でイラク軍の対戦車攻撃、その後夜間のスカッドミサイル狩りに投入された。
作戦期間中、地対空ミサイルおよび対空砲火により2機が撃墜されたが、F-16での対地爆撃が困難の中、戦車やスカッドを大量に撃破する戦績を収めている。
1999年3月のコソボ紛争における「同盟の力作戦」、2001年のアフガニスタン侵攻における「不朽の自由作戦 (Operation Enduring Freedom)」、2003年に勃発したイラク戦争における「イラクの自由作戦(Operation Iraqi Freedom)」でも地上支援等の対地爆撃に活躍した(この際に1機地対空ミサイルで撃墜されている)。
2011年のリビア紛争におけるオデッセイの夜明け作戦でも派遣された。その作戦中の3月21日未明にレイクンヒース空軍基地所属の91-0304号機が墜落した(乗員2名は無事)。原因は急激な機動(高高度・低速度下での100°にわたる急旋回)を行った際に発生した燃料供給ソフトウェアの不具合であった。
近代化
米空軍は2008年よりF-15Eレーダー近代化計画(RMP)で現在のAN/APG-70レーダーをF/A-18E/Fで使用されるAN/APG-79のプロセッサーを組み合わせた、レイセオンのAN/APG-82 AESAレーダーに変更予定である。
型式
F-15Eについては、採用国の要求に合わせた改修が施された機体が多く作られている。これに加え、E型をベースとした発展機の提案もなされているが、こちらは現在までに採用実績はない。
基本型
F-15E
対地攻撃能力増強のためベースのF-15Bから機体構造他大幅な再設計を行った米空軍向け基本型。
F-15I
イスラエル向けのF-15E
F-15K
韓国向けのF-15E
F-15S/SA
サウジアラビア向けのF-15E
F-15SG
シンガポール向けのF-15E
発展・改良型
F-15F
単座の制空戦闘機に回帰した構想のみの機体で、対地攻撃用途はこれに付随する形となる。
アメリカ空軍向けに稼働していたF-15Eの生産ライン維持のため、イスラエルやサウジアラビア、西ヨーロッパ諸国への売り込みが図られていた。E型の輸出が容認され、選定国の何れもがE型を採用したため、開発される事はなかった。
F-15 FOWW
F-4Gワイルド・ウィーゼルの後継機計画FOWW(Follow on Wild Weasel)で提案された機体。ワイルド・ウィーゼル用の機材を搭載し、その一部は胴体下面にコンフォーマル・パックに収めて装着される。武装はAGM-88 HARM、AGM-65 マーベリックが予定された。
後継機としてはF-15 FOWWの他、F-16やトーネード ECRの計3種が検討対象とされたが、F-16が選定されたため、採用される事はなかった。
F-15FX
日本の第4次F-X(F-4EJ改の後継機種選定)においてF-15Eが検討対象になったことを受け、F-15Eを高機動化させて空対空能力を増強(単座型も提案されていた)した日本向け改修型としてボーイングが提案した機体。F-15SAと同様に主翼外側ハードポイントを空対空ミサイル用として再び開放し、レーダーはAN/APG-63(V)3もしくはAN/APG-82(V)1を搭載する予定だった。
F-15FX案の有利な点としては、F-4の単純な後継機としてステルス機としての運用を前提としないマルチロール機、および戦闘爆撃機としての比較であれば性能上の不利はないことと、ライセンス生産可能であり、なおかつ大量のF-15を生産・運用している[33]ため、生産から整備・運用・操縦に至るまで機体についてノウハウがあることが挙げられていた[34]。
2011年に行われた防衛省への最終申込において、ボーイングはF/A-18E/Fの方が採用される可能性が高いとしてF-15FXを提案しなかったため、候補から脱落した。
F-15U
F-15Eの水平尾翼を廃してデルタ翼化した大規模発展型。アラブ首長国連邦へ提案していたがF-16E/Fの選定により構想のみに終わった。
F-15H
ギリシャ軍向けに開発されていたもの。Hはヘラス(Hellas)を意味する。F-16C/Dとミラージュ2000-5を採用したため不採用。
F-15SE (Silent Eagle)
F-15Eをベースに機体前面に限りレーダー反射率を第5世代ジェット戦闘機に匹敵するまでに軽減させたと言われる発展機。
仕様
乗員: 2名
全長: 19.44 m
全幅: 13.05 m
全高: 5.63 m
翼面積: 56.5 (C)
最大離陸重量時翼面荷重: 650.265 kg/ (C)
空虚重量: 14,515 kg
兵装類最大搭載量: 11,113 kg
最大離陸重量: 36,740 kg
燃料容量: 7,643 L(機内)、2,737 L(コンフォーマル増槽) ×2、2,309 L(ドロップ増槽) ×3
動力: P&W F100-PW-229 ターボファン × 2
F-15K/SG: GE F110-GE-129 ターボファン × 2
推力: 8,076 kgf(クリーン)× 2 /12,642 kgf(オグメンタ)× 2
巡航速度: M0.9
最大速度: M2.5
最大G:±9G(リミッターレス時±12G程度迄機動可能)
航続距離: 3,840 km(2,400 マイル、フェリー、コンフォーマルタンクおよび外部増槽3個使用時)
戦闘半径: 685海里(1270キロメートル)
実用上昇限度: 18,200 m (60,000 ft)
兵装
固定武装
M61A1 20mmバルカン砲 ×1(装弾数:450~512発)
空対空ミサイル
AIM-9 サイドワインダー
AIM-120 AMRAAM
空対地ミサイル
AGM-65 マーベリック
AGM-84K SLAM-ER(F-15K以降)
AGM-154 JSOW
空対艦ミサイル
AGM-84 ハープーン(F-15K以降)
対レーダーミサイル
AGM-88 HARM
爆弾
Mk82/83/84
CBU-87/89/97
GBU-10/12/16/24
GBU-39
JDAM
B61
B83
など



2機目は,F/A-18の派生型,F/A-18Eです。
$“新訳”TOARU愚者の黙示録
F/A-18E/Fはマクドネル・ダグラス社が開発したF/A-18A-D ホーネットの発展型戦闘攻撃機である。F/A-18E/Fとは本シリーズの総称であり、その内容は単座型のF/A-18Eと複座型のF/A-18Fからなる。
愛称はホーネットを超越しているという意味を込めて「スーパーホーネット」(Super Hornet) に変更された。A型からD型までのレガシーホーネットと識別するために、「ライノ」(Rhino)という愛称を無線でコールする際に用いている。「レガシーホーネット」・「ライノ」ともに非公式な呼称である。
概要
本機は第4.5世代ジェット戦闘機に分類される、戦闘攻撃機(マルチロール機)である。A-12の開発中止を受けて、既存のF/A-18(A型からD型)の基本設計から全面的に再設計することで開発された。航続距離や兵器搭載能力の向上を図り、機体の大型化やステルス性を考慮した設計変更が行われた。
2001年にF/A-18E/Fが初度作戦能力を獲得し、アメリカ海軍のF-14艦隊防空戦闘機(艦上戦闘機)を更新する形で配備が進められた。イラク戦争等の実戦に参加した。
アメリカ海軍の他にオーストラリア空軍でも採用されている。
開発の経緯
アメリカ海軍は1963年から運用を続けていたA-6艦上攻撃機の退役における後継機選定のための ATA (Advanced Technology Attacker=先進戦術航空機) 計画において、マクドネル・ダグラス社とジェネラル・ダイナミクス社(いずれも当時)の共同計画案を1987年末にA-12として本格的に開発を開始した。
このA-6後継機が選定されたのと同じ1987年にマクドネル・ダグラス社では海外への輸出を主眼にF/A-18C/Dを発展させたホーネット2000開発を計画している。F/A-18の原型機であるYF-17は、ノースロップ社独自の社内開発計画であったP-530コブラを軽量小型化に設計し直すことで空軍の軽量戦闘機計画に応募したものであり、当初の設計からは航続距離や兵器搭載能力といった性能面での妥協を強いられていた。ホーネット2000では、胴体と翼面の大型化や高出力エンジンへの換装によって、言わば「先祖返り」で性能向上を図るものであったが、結局この計画は各国からの関心を集めることはなかった。
1991年初頭になり、国防総省は開発コストの高騰やスケジュールの遅延に機体重量の増大、冷戦終結による国防費削減等を理由からA-12開発計画を中止した。A-12とは別にA-6Eのアップグレード型のA-6Fも開発されていたが、こちらも予算等の問題から開発が中止された。2つのA-6後継機開発計画が中止された結果、アメリカ海軍は別の開発・調達計画を必要とした。1992年5月、米海軍はホーネット2000をベースにしたF/A-18発展型機採用の意向を表明し、結果としてこの機体がF/A-18E/Fとなった。アメリカ海軍は、採用意向表明するのに先立ちEMD(技術・製造・開発)段階移行のためにマクドネル・ダグラス社に対する地上試験用の3機と飛行試験用の単座型5機、複座型2機の製造承認と、ジェネラル・エレクトリック社に対するF/A-18C/D搭載のF404の発展型F414エンジンの開発承認を与えた。
1995年、飛行試験用の単座型1号機が完成し、同年11月29日に初飛行した。1996年4月1日には複座型1号機が初飛行した。その後の各種試験を経て、1998年12月18日に量産型のF/A-18E初号機が海軍に納入され、2001年にF/A-18E/Fが初度作戦能力 (IOC) を獲得した。
機体
F/A-18E/FはF/A-18C/Dを改良し大型化したものであるが、多くの変更の結果、C/D型とE/F型の共通部品は僅か1割程度となった。E型は単座型、F型は複座型である。
在来型F/A-18からの主要な変更点を以下に示す。
機体の大型化
全長はF/A-18の17.07mから18.38mへと延長され、レドームも大型化している。
主翼・尾翼・ストレーキ等といった翼の面積も拡大している。主翼面積は、F/A-18の37.2m2から46.45m2となっており、操舵翼の面積も拡大されている。エアブレーキは後部胴体背面から左右のストレーキ上に移設され、主翼下ハードポイントが1箇所ずつ増加している。
これらの変更によりアビオニクス用スペースの増加、機内搭載の燃料タンクの容量増加による航続距離の延長、運動性の向上等を実現している一方で、機体の大型化等による空気抵抗増加やインテイクの変更等の影響により速度性能(特に加速力)は在来型と比べ低下しているともされる。
しかし、機体の大型化の一方でD型までにあった垂直尾翼間のエアブレーキを廃止するなど、機体の総部品数はA-D型より減少している。
以上により、機体規模はかって大型戦闘機とされたF-4戦闘機すら上回るものとなっており、もはや軽量戦闘機にカテゴライズされる機体ではなくなっている。
インテークの二次元型への変更
在来型では楕円形であったインテークの開口部が、ステルス性を向上させる為に平行四辺形状に変更されている
F-14やF-15の二次元型インテークのような断面積可変式ではなく固定式のままであり、従来型同様に超音速性能を重視しないままでのステルス性考慮のための変更である。
エンジンの変更
F/A-18A~DのF404から、その発展型であるF414へ変更されている。このエンジンは完全自動化デジタル式電子制御システム (FADEC) を備えることで推力制御の自動最適化が達成されている。ただし、エンジンサイズを拡大せずに高性能化するために排気速度を高めたため、騒音が大きかったF404よりさらに大きくなり、訴訟にまで至った。
アビオニクスの変更
レーダーはAN/APG-65からサイズや重量を殆ど増加することなしに性能を向上させたAN/APG-73に変更しており、より高性能なAN/APG-79も搭載可能としている。
APG-79はアクティブ・フェーズド・アレイ・レーダーで同時処理が可能な目標数がAN/APG-73のおよそ倍となっており、限定的な電子妨害にも使用可能とされている。
その他、ATFLIR(AN/ASQ-228) の携行能力や運用可能な兵装の種類が増えている。イラクでのサザン・ウォッチ作戦においてVFA-115 "イーグルス"所属機がF/A-18Eとして初めて実戦に出撃し、イラク軍の地対空ミサイル陣地に統合直接攻撃弾薬 (JDAM) を投下している。
空中給油
退役するKA-6DやS-3Bの代替として空中給油機の役割もはたせるようになっている。
プローブアンドドローグ方式が採用されており、aerial refueling system (ARS、空中給油システム)と呼ばれる増槽を装着することで内部タンクとあわせて最大29,000ポンド(13トン)の燃料を搭載することが出来る。
A-D型とE/F型の比較表
F/A-18A-D F/A-18E/F
全長 17.07 m 18.38 m
全幅 11.43 m 13.62 m
全高 4.66 m 4.88 m
主翼面積 37.2kg/m² 46.45kg/m²
空虚重量 A/B:12,973 kg
C/D:10,810 kg 14,007 kg
最大離陸重量 A/B:21,888 kg
C/D:23,542 kg 29,938 kg
エンジン F404-GE-400 ターボファンエンジン ×2 F414-GE-400 ターボファンエンジン ×2
推力 A/B:7,258 kgf × 2
C/D:8,145 kgf × 2 5,669 kgf (クリーン) × 2
9,979 kgf (アフターバーナー) × 2
最大速度 A/B:M 1.7+
C/D:M 1.8 M 1.6
航続距離 3,700 km 3,705 km
戦闘行動半径 C/D:290海里(約537km)
実用上昇限度 15,240 m 15,250 m
採用状況
アメリカ海軍では、A-6退役後の空母航空団ストライクパッケージの要となっていたF-14艦隊防空戦闘機(対地攻撃能力付加型)の老朽化による維持コストの高騰を受け、当初は2010年としていた引退時期を2006年の第1四半期に早めた。このためF-14やEA-6B電子戦機、S-3B艦上哨戒機が退役すると、次世代の戦闘機であるF-35C統合打撃戦闘機の就役までは、F/A-18シリーズが空母航空団の主戦力となる [5]。
F-14よりも騒音が大きいため一部の航空基地ではF/A-18E/F型の配備は極力後回しとされた。EおよびFどちらかのみを配備している飛行隊は10隊あり、双方を配備しているのは、地上の機種転換部隊の2隊のみである。
F/A-18E/Fはアメリカ海軍の他にいくつかの採用計画がある。2007年には、オーストラリア空軍がF-111Cの更新機種としてF型を24機を発注し2009年から順次配備している[6]。オーストラリア向けのF/A-18Fは、既に採用を決定しているF-35Aが配備されると余剰化するため、12機が電子戦型EA-18G グラウラーへの改造を容易にできるよう予め配線を済ませた状態で生産されている。
アメリカ第7艦隊・第5空母打撃群/ジョージ ワシントン打撃群所属の第5空母航空団は、2011年5月11日にVFA-195がF/A-18CからF/A-18Eに機種転換されたことにより[7]、すべての戦闘攻撃飛行隊(VFA-102・VFA-27・VFA-115・VFA-195) がF/A-18E/F スーパーホーネットとなる。2012年3月23日に電子攻撃飛行隊もEA-18Gが配備された第141電子攻撃飛行隊が転属される[8]。第5空母航空団は、戦闘攻撃飛行隊と電子攻撃飛行隊にスーパーホーネット系のみが配備される最初の空母航空団となる。
派生型 [
F/A-18E/F
A-6の後継機として開発されたF/A-18を改造した戦闘攻撃機。
F/A-18E
F/A-18E/Fの単座型。
F/A-18F
F/A-18E/Fの複座型。
F/A-18E/F Block 2
2005年の会計年度から調達が開始されたF/A-18E/Fのアップグレード型。搭乗員ステーションの改良、AN/APG-79アクティブ電子走査アレイ (AESA) レーダー、多機能情報伝達システム (MIDS) 、発達型目標指示前方赤外線 (ATFILR)ポッドの装備能力、AIM-9Xの装備能力などを追加される。
F/A-18E Block 2
F/A-18E/F Block 2の単座型。
F/A-18F Block 2
F/A-18E/F Block 2の複座型。
EA-18G
EA-6Bの後継機としてF/A-18Fを改修した電子戦機。2007年9月24日に量産初号機 (G-1) がアメリカ海軍へ引き渡された。
発展型F/A-18 インターナショナル・ロードマップ
2011年6月29日にボーイング本社にて試作機が報道陣に発表された機体。F/A-18Eをベースにした国際共同開発仕様と報じられている。対空警戒能力やエンジン性能の向上、コンフォーマルタンク装備等による航続距離延伸、ミサイルをステルス型格納ケースに収めるなどの変更点がみられる。ボーイングはこの計画で追加される装備や能力をユーザーのニーズに合わせて開発していく方針を提案している。
スペック
乗員
E:1名
F:2名
全長:18.38 m
全幅:13.62 m
全高:4.88 m
主翼面積: 46.45m2 (E/F)
最大離陸重量時翼面荷重: 644.52kg/m²
空虚重量:14,552 kg
兵装最大搭載量:8,029 kg(離陸時)/4,491 kg(着陸時)
最大離陸重量:29,937 kg
燃料容量:8,063L(機内タンク)
エンジン:GE製 F414-GE-400 ターボファン × 2
推力:5,669 kgf (クリーン)× 2 / 9,979 kgf (アフターバーナー)× 2
最大速度:M 1.6
航続距離:約 3,705 km
実用上昇限度:15,250+ m
兵装
固定武装
M61A1 20mmバルカン砲 ×1(装弾数:400発)
空対空ミサイル
AIM-9 サイドワインダー
AIM-7 スパロー
AIM-120 AMRAAM
空対地ミサイル
AGM-65 マーベリック
AGM-84K SLAM-ER
AGM-154 JSOW
空対艦ミサイル
AGM-84 ハープーン
対レーダーミサイル
AGM-88 HARM
その他の兵装
Mk82/83/84(通常爆弾)
CBU-87/89/97
GBU-10/12/16/24
GBU-39
GBU-29/30/31 JDAM
B61/83(核爆弾)
LAU-68 Hydra70(ロケット弾)
など

3機目は,AV-8の発展型AV-8B Harrir Ⅱです。
$“新訳”TOARU愚者の黙示録
マクドネル・ダグラス AV-8B ハリアー II (McDonnell Douglas AV-8B Harrier II) は、マクドネル・ダグラス(現ボーイング)社が短距離離陸垂直着陸機のホーカー・シドレー ハリアーを基にスーパークリティカル翼や揚力強化装置を組み合わせて開発した攻撃機である。
すでにイギリス軍での運用は終了したが、軽空母や強襲揚陸艦、小規模な飛行場といった他機の活動が制約される環境下で近接航空支援と戦場航空阻止をこなすことが出来る唯一の攻撃機として現在もアメリカを始め、数ヶ国で運用されている。
開発経緯
パタクセント・リバー基地(メリーランド州)で試験を行う海兵隊のYAV-8B ハリアー
アメリカ海兵隊ではハリアー GR.1の改良型であるAV-8A ハリアーを1971年より部隊配備し、ホーカー・シドレー(現BAEシステムズ)社とマクドネル・ダグラス社はハリアー第二世代の開発に向けてパートナー・シップを結んだ。しかし、イギリス軍とアメリカ軍は、打撃・航空阻止の任務においてはF-4、F/A-18やトーネード IDSといった攻撃機が必要であると考えていた。ハリアーは亜音速機の上、航続距離が短く視程外射程(BVR)ミサイルを搭載できない。そのため、敵戦闘機と渡り合うことが困難で、電子機器が貧弱であり昼間攻撃しか行えず、対地攻撃任務の投入もその危険性を指摘されていた。
イギリス政府の支持を得られなかったホーカー・シドレー社は脱落したが、アメリカ海兵隊の認識は異なっていた。世界中に部隊を展開する上で滑走路や航空機用シェルターなどコンクリートで守りを固められた基地は数が限られており、兵器庫や燃料庫は攻撃目標として選定されやすい反面、攻撃に対して脆弱であった。また、上陸侵攻直後には滑走路の確保自体に問題が生じる可能性があった。垂直離着陸機は、規模が小さく設備の不十分な飛行場でも活動でき、そこが利点となる。
アメリカ海兵隊は、武装搭載量の増大など、より実用的な垂直離着陸攻撃機を求めており、1975年にマクドネル・ダグラス社から提出されたハリアー改良案を了承した。これにより、オリジナルのハリアーに複合材料の導入などの軽量化策を施し、実質的な兵装搭載量を増大させた AV-8B ハリアー II(ハリアー・ツー)を開発することとなった。ハリアー IIは、AV-8A改造の試作機YAV-8Bが1978年11月9日に初飛行を行っている。量産開始は1982年。
この機種をイギリス軍はGR.5として逆輸入し、さらに改良を加えたGR.7、電子機器の更新と兵装の強化を行ったGR.9を、2010年11月24日の退役まで使用した。こうした経緯のため、ハリアー IIの製造者はBAEシステムズ社とボーイング社の英米2社であるが、アメリカとイギリスのハリアーII自体の能力は異なる。
現在までに精密爆撃と夜間攻撃能力を備えたハリアー IIは、800機以上生産されている。
機体
ハリアーの発展型であり、基本的な機体形状は同等である。高翼配置の主翼を持ち、機体各所に姿勢制御用のエアノズルを持つ。ロールス・ロイス ペガサスエンジンを装備し、胴体脇に計4ヶ所の排気口を持つ。前部2ヶ所の排気口は形状が変更され、ダクト形状となっている。コックピットも高い位置に移動しキャノピーが大型化され下方視界が拡大した。
主翼はカーボン製のスーパークリティカル翼となり、翼面積も14%拡大した。主翼のハードポイントも2ヶ所増設され、翼端にあった補助車輪が内側に移動している。
胴体下のガンポッドにストレーキが設けられ、VTOL時の揚力向上に寄与している。また、胴体下部左右の機関砲ポッドを使わない時は取り外し、ホバリング時にエンジン噴流を効率良く反射する為の胴体揚力増強装置に取り替えることができる。
実戦経験と評価
湾岸戦争では5機が撃墜され、2名が戦死し、1000ソーティあたりの被撃墜は1.5機となっている。これは同戦争に参加したA-10攻撃機の3倍、F-16多用途戦闘機の7倍の損耗率である。アフガニスタン侵攻やイラク戦争では湾岸戦争での経験を生かし、高高度からのレーザー誘導爆弾による爆撃に戦術を切り替えたため損失が格段に少なくなっている。
初期に開発されたハリアーはレーダーを装備しておらず、空対空ミサイルは赤外線誘導の短射程ミサイルのみだったが、APG-65を搭載したAV-8B+ ハリアー II プラス (Harrier II Plus) は、AIM-7スパローならびにAIM-120 AMRAAM中距離空対空ミサイルの搭載が可能であるが、艦隊防空戦闘機として運用しているのはイタリア海軍、スペイン海軍のみである。
垂直離着陸機の実用性を示したという点で、ハリアーは一時代を築いた航空機だが、構造上、エンジンによって性能が確定してしまうにも関わらず、現実にはVTO時の余剰推力に乏しく、搭載量を向上させるために離陸時に後方斜め下にノズルを向けて滑走するSTO方式が併用されるようになった。また陸上基地から運用される空軍型や、大型の強襲揚陸艦から運用するアメリカ海兵隊に比べて、滑走距離をとれない艦艇でのSTO運用時の効率を高める方法としてイギリス海軍においてスキージャンプ方式が開発され、他のハリアーユーザーであるイタリア海軍、スペイン海軍の軽空母にも採用されている。
また、通常のターボファン機とは異なり、熱排気が低温のバイパス流と混和冷却されずに純ジェット同様に直接排出されることから、赤外線誘導ミサイルの追尾を受けやすいと言われるなどの生残性の問題や、性能向上にはエンジンの改良が必須でありながらその開発費が莫大であることから(そもそもハリアーのペイロードレンジを二倍にするAV-16計画から、エンジン推力を2割強化するエンジン開発を費用の問題から断念して翼型などの要素研究をフィッティングしたものがハリアーIIである)、ハリアーを運用する各国もこれ以上の改良型の計画を持っていない。
ただ、垂直離着陸機ないし短距離離着陸機のもつ運用上の利点は十分に認識されているため、ハリアーの占めてきたポジションの後継には統合打撃戦闘機(JSF)計画に基づくF-35 ライトニング IIが占める予定であり、アメリカを中心とした国際共同による開発が行われている。
派生型
アメリカ海兵隊
AV-8B ハリアー II
海兵隊向け。後期型はFLIRを装備。一部はプラス仕様に改修。
AV-8B+ ハリアー II プラス
海兵隊向け。機首を改良し、APG-65レーダーを搭載。AMRAAM運用能力を獲得。
TAV-8B ハリアー II
海兵隊向けの複座練習機型。
イギリス空軍・海軍
ハリアー GR.5
1976年から開発が始まったイギリス空軍向け初の第二世代ハリアー。1985年4月30日に初飛行を行い、1987年に配備された。
ハリアー GR.5A
GR.7への繋ぎのため小改良されたモデル。
ハリアー GR.7
1990年、初飛行。1995年のコソボ空爆へ参加した結果、天候などに影響されない精密爆撃能力を求められ、AGM-65 マーベリック空対地ミサイルとレーザー誘導のペイヴウェイを搭載できるよう改修された。
イギリス海軍で配備されたシーハリアーの退役に備えて、1997年からGR.7がインヴィンシブル級軽空母と陸上基地の双方で運用されるようになり、2000年には運用部隊として空軍にハリアー統合部隊(Joint Force Harrier)が設置された。
2010年11月24日、国防予算縮減によりGR.7/9退役が決定。イギリス軍におけるハリアー運用が終了。
ハリアー GR.9
GR.7の電子機器の更新と兵装の強化を行ったモデル。
2010年11月24日、国防予算縮減によりGR.7/9退役が決定。イギリス軍におけるハリアー運用が終了。
ハリアー T.10
GR.7向けの練習機にT.4の改修が検討されたが、耐用年数と修正の規模を考慮してTAV-8Bを参考に設計された。
スペイン海軍
マタドールII VA.2
スペイン海軍向けAV-8B。
マタドールII VA.3
スペイン海軍向けAV-8B+。
イタリア海軍
AV-8B+ ハリアー II プラス
TAV-8B ハリアー II
スペック(AV-8B+ ハリアー II プラス)
諸元
乗員: 1名
全長: 14.12 m (46 ft 4 in)
全高: 3.55 m (11 ft 8 in)
翼幅: 9.25 m(30 ft 4 in)
翼面積: 22.61 m2 (243.4 ft2)
空虚重量: 6,745 kg (14,865 lb)
運用時重量: 10,410 kg (22,950 lb)
有効搭載量: kg (lb)
最大離陸重量:
滑走離陸時: 14,000 kg (31,000 lb)
垂直離陸時: 9,415 kg (20,755 lb) (9,415 kg)
動力: ロールス・ロイス製 ペガサス 105 ターボファンエンジン、96.75 kN (21,750 lbf) × 1
性能
最大速度: マッハ 0.89 (1,085 km/h, 675 mph)
フェリー飛行時航続距離: 3,300 km (1,800 nm)
航続距離: 2,200 km (1,400 mi, 1,200 nm)
上昇率: 4,485 m/min (14,700 ft/min)
翼面荷重: 460.4 kg/m2 (94.29 lb/ft2)
推力重量比: 0.9477
武装
ハードポイント×7箇所、計5,986kg (13,200 lb)
固定武装: GAU-12U イコライザー 25mm機関砲ポッド(300発)
ミサイル:  
空対空ミサイル
AIM-9 サイドワインダー
AIM-120 AMRAAM
空対地ミサイル
AGM-65 マーベリック
空対艦ミサイル
AGM-84 ハープーン
対レーダーミサイル
AGM-88 HARM
爆弾:  
ペイブウェイ
Mark77
クラスター爆弾
レーザー誘導爆弾
自由落下型爆弾
アビオニクス
レーダー
AN/APG-65火器管制レーダー
今回は,ソ連の可変翼機シリーズということで,Su-17,Su-24です。

27機目,Su-17(20,22) Fitterです。
$“新訳”TOARU愚者の黙示録
Su-17(スホーイ17、スホイ17;ロシア語:Су-17スー・スィムナーッツァチ)は、ソ連のスホーイ設計局が開発した超音速ジェット軍用機である。Su-7を改良した可変翼機で、戦闘爆撃機や前線偵察機として使用された。
名称の「Су-17」は「スー17」と読むのが正式であるが、慣習的に「スホーイ17」と呼ばれることもある。北大西洋条約機構(NATO)の考案したNATOコードネームはSu-7から続く「フィッター」(Fitter:「仕立物屋」)で、派生型に応じて「フィッターC~K」(Fitter C - K)が割り当てられた。Su-20(Су-20スー・ドヴァーッツァチ)やSu-22(Су-22スー・ドヴァーッツァッドヴァー)はSu-17の輸出向けの派生型である。
概要
開発
ソ連では1950年代後半以降、大型の前線戦闘機として開発されたSu-7戦闘爆撃機シリーズを空軍の対地攻撃力の根幹に据えてきた。しかしながら、このSu-7は短い航続距離と少ない兵器搭載量という戦闘爆撃機としては致命的な欠陥を抱えており、1960年代にはその後継機の開発が必須とされた。その結果開発されたのがSu-17とMiG-23Bであった。
Su-17はSu-7BMの後退翼を半可変翼としたSu-7IK(設計局名:S-22I)を基にして開発された。一方、国内対抗機となったMiG-23Bはソ連国内向けのMiG-27と輸出向けのMiG-23BNに発展し、両者は並行して生産が開始された。Su-17シリーズは可変翼機ではあるが、ピガー点が主翼の中ほどにあるため、アスペクト比の変化は大きくない。なお、後退角は28度から62度で変化する。
完全な新型機であったMiG-23/27に対し、Su-17シリーズは原設計の古さにも拘らずMiG-23/27よりあとの1990年まで、国内向けに1095機、輸出向けに1866機が生産された。これは設計陣の絶え間ない改良努力の結果でもあり、今日のスホーイ設計局の礎となったといえる。また、一度に搭載できる兵器の数がMiG-23/27より多かったこと、Su-7以来の信頼性の高さなどもSu-17シリーズが長期に亙って大量に生産・配備されたことの理由といわれている。
なお、Su-17シリーズは「戦闘爆撃機」と分類されるが、実際は偵察コンテナーを搭載した前線偵察機としても重要な機体であり、今日でいうマルチロール機と言える多用途機である。特にロシアやウクライナ、ハンガリーなどでは、末期は偵察任務中心に使用されていた。また、その他にも多くの開発機や研究機がSu-17シリーズから開発されており、実際に生産へ移されたものもあった。
実戦
Su-17シリーズに関する話題としては、1981年8月19日、リビアに輸出されたSu-22Mがアメリカ海軍のF-14戦闘機に撃墜されたことが西側で広く宣伝されている。この際には、R-3赤外線誘導空対空ミサイル2 発を搭載したSu-22Mがアメリカ海軍の航空母艦に対し脅威を及ぼす行動をとったとしてF-14が迎撃に上がり、短い空中戦ののちSu-22Mは2 機とも撃墜された。Su-22Mのパイロットの戦術が稚拙であり、また搭載兵器の能力も著しく劣っており、同じ可変翼機とはいえそもそもの開発目的が異なる両機の対決は初めから結果が見えていたとされる。なお、小型の空対空ミサイルしか搭載していなかったSu-22Mがどのように航空母艦に対し脅威を及ぼすことができたのかは不明である。この事件は、1981年のシドラ湾事件と呼ばれている。
それ以前に、Su-17の最初の実戦活動となったのは第四次中東戦争におけるアラブ側による前線投入であった。この戦いでは、極初期型のSu-17とSu-20が従来のSu-7BMKやMiG-17Fとともに使用され、イスラエル陣営への爆撃に効力を発揮した。その後も、中東方面では湾岸戦争後に到るまで実戦運用が続けられた。南北に分裂していたイエメンでは、双方にSu-22Mなどが採用されて互いの領土を爆撃しあった。イラン・イラク戦争でもSu-22MやSu-22M4がイラク軍によって使用された。
アフリカでもリビアのほかアンゴラで大々的な実戦投入が行われた。1980年代、アンゴラはCIAの支援する反政府組織や敵対する南アフリカの地上軍に対する攻撃力の増強のためにMiG-23MLAなど新しい機材の購入を行い、またキューバからの軍事支援も取り付けたが、その中で大きな対地攻撃力をもつ機体としてSu-22やSu-22M4の配備が実施された。
Su-17シリーズがもっとも重要な任務を務めたのはソ連によるアフガニスタン侵攻時のことで、Su-17M4を主要装備とした爆撃部隊が敵ゲリラの潜む山岳地帯や都市の爆撃を行った。また、Su-17M3RやSu-17M4Rを主要装備とした偵察部隊は、ソ連軍の偵察戦力の主幹として多くの任務をこなした。こうした中で、多くの機体が敵の地対空ミサイルの犠牲になり、機体へのチャフ・フレア・ディスペンサーの増備など地対空ミサイル避けの対策が講ぜられていった。Su-17シリーズは、Su-7BMKの後継および補強としてソ連の支援するアフガニスタン政府軍へも供給されたが、のちには敵勢力にも捕獲され運用された。
Su-17は戦闘爆撃機や前線偵察機として使用されたため敵機の撃墜などのいわゆる「派手な戦果」は挙げる機会に恵まれなかったが、その中で珍しい戦果としては、1994年3月22日にマスード将軍の北部同盟空軍のSu-22(サブタイプ不明)が当時のドスタム空軍のMiG-21(サブタイプ不明)を撃墜したことが報告されている。
南アメリカで唯一Su-17シリーズを採用したペルーでは、隣国エクアドルとの紛争にSu-22を投入した。攻撃任務の際、少なくとも1機のSu-22がエクアドルのミラージュF1戦闘機によって撃墜されている。ペルーではその後Su-22Mを導入したが、これらの機体は実戦は経験していない。
現状
ソ連崩壊に伴う独立後、ロシアでは欧州通常戦力削減交渉を受けて予定より機体の退役時期が早められた。1990年代半ば以降ロシア空軍ではSu-17シリーズは条約制限外の「練習機」として運用が続けられたが、同空軍が「今後作戦機は双発機のみとする」としたこと、ロシア経済が崩壊したことなどから削減は続けられ、1998年にウクライナのクリミア半島に配備されていた海軍航空隊機の退役を以ってそのキャリアを終えた。その部隊をはじめ、それまでSu-17シリーズを装備していた部隊の内解散されなかったものはSu-24に転換した。アゼルバイジャンやアルメニアでは周辺国との紛争時にSu-17M(M3? M4?)を使用したという情報もあるが、そもそも保有機体のサブタイプからして不明である。
退役して展示される旧東ドイツのSu-22M4(塗色は現役時代のものではない)
ヨーロッパにおいて、近年までSu-17シリーズはポーランド、ドイツ、ブルガリア、スロヴァキアなどで運用がされてきたが、その多くは近年退役し、2005年現在、運用を継続しているのはポーランド空軍だけである。ブルガリアのSu-22M4/Rは2004年5月に退役し、ドイツで長らく評価用に運用されてきたSu-22M4もMiG-29の退役にあわせて現役を退いた。一方、ポーランドのSu-17シリーズは、以前はSu-20R前線偵察機とSu-22M4戦闘爆撃機、Su-22M4R前線偵察機、Su-22UM3K練習戦闘機であったが、現在はSu-20Rは退役し、Su-22M4等後期型のみが運用されている。これらの機体は敵味方識別装置等についてNATO標準に合わせた近代化改修が施されており、2010年以降まで運用する予定である。なお、それまでに一部の部隊はアメリカ合衆国製のF-16Cに機種変更するが、これはNATO化改修された機体であっても元来根本的にNATO標準とは異なる設計・装備がなされているSu-22M4ではNATOが求める装備の完全な統一運用ができないためである。これは同国のMiG-29A/GやスロヴァキアのMiG-29A等についても当てはまることであり、NATOの中での非NATO機の在り方を探るという意味において今後の動向が注目される。
ペルーでは21世紀初頭、保有するSu-22やSu-22Mに対して近代化改修を施しており、ベラルーシから入手したSu-25とともに貴重な対地攻撃戦力として維持している。
エジプトの保有機に関しては詳らかでないが、戦争を生き残ったSu-20に対し近代化改修が行われたという情報もある。
イラクでは、大多数の、恐らくはすべての機体が飛行可能状態にないと考えられる。
イランでは、イラクから入手された機体が運用されていたが現況は不明。
南北が統一されたイエメンでは引き続きSu-22Mが運用されているが、その後ウクライナより若干のSu-17M4が追加取得された。
ヴェトナムでは、Su-22Mを偵察任務に、Su-22M4を攻撃任務に運用している。同国では近年より強力な戦闘爆撃機となるSu-30MKの採用が決まっているが、Su-22M4の近代化改修作業も完了しており、今後も運用が続けられる見込みである。
内戦やアメリカによる侵攻で多くの機材を失ったアフガニスタンでは、現在でもSu-17シリーズを運用しているのかは疑わしい、新しい塗装の施されたSu-22や破損したSu-22Mが保有されているようであるが、これらは軍の正式の装備には数えられていない模様である。現在、アフガニスタン軍が保有しているとされる軍用機は、MiG-21bis/UM、L-39、An-26、An-32、Mi-24V、Mi-8MTVのみである。
主な生産型
Su-17
Su-17(Су-17) ВВС СССР Су-17 #24
初期生産型。Su-7BKLと同じく、リューリカ設計局製のAL-7F-1-250ターボジェットエンジンを装備した。飛行最高速度はマッハ 2.1。可変翼の採用により、後退翼機であるSu-7より効率的な飛行が可能となり、離着陸に要する滑走距離と航続距離が大幅に改善された。なお、当初の試作機より量産機は尾部を中心にさらなる構造の洗練と電子装備の追加が行われた。Su-17は前量産機的な存在であったため生産数は限られ、ほとんどがソ連空軍で使用されたのち退役したが、一部はエジプトへ輸出され実戦へ投入された。
Su-17M
Su-17M(Су-17М) ВПС України Су-17М #06
Su-17の改良型で、この型より本格的な配備が始められた。エンジンは、リューリカ設計局製の新型ターボジェットエンジンAL-21F-3に変更されていた。AL-32F-3はそれまでのAL-7シリーズのエンジンより小型軽量で、出力に加え燃費も大幅に向上していた。エンジンの小型化と出力の増加に伴い、それまでの直径の大きなエンジンに合わせエリアルールに則り膨らまされていた胴体尾部は、生産性の向上のためエリアルールを無視して前部胴体と同じ直径のものに設計変更された。エンジンの燃費の向上と燃料タンクのさらなる増積の努力により、航続距離と武装搭載量はさらに増加した。
Su-20
Su-20(Су-20) IraqAF Su-20, 2004
Su-17Mの輸出型で、ワルシャワ条約機構加盟国向けの機体は"A"、それ以外の第三世界向けの機体は"B"と称され、"B"はSu-7に準じた大幅なスペックダウン機であった。エンジンはAL-21F-3を搭載。ポーランドやアラブ諸国が使用。Su-17Mの輸出型という意味のSu-17MKとも呼ばれた。偵察機型はSu-20Rで、新規での生産はなく全機が既存の機体からの改修機であった。
Su-17M2(Су-17М2) ВВС СССР Су-17М2 #67 ВВС СССР Су-17М2
Su-17Mの改良型。偵察機に改修された機体はSu-17M2R、コマンド誘導空対地ミサイルKh-23を運用可能とした改良型はSu-17M2-Dと呼ばれた。
Su-22
Su-22(Су-22) FAP Su-22A(mod.) #024, 2005 FAP Su-22A(mod.) #022, 2005
Su-17M2の輸出型で、いわゆる"B"規格に当たる。Su-20Mと呼ばれることもある。エンジンはMiG-23の搭載するトゥマーンスキイ設計局製のターボジェットエンジンR-29-300に準じたR-29BS-300が採用された。ペルー、リビア、アンゴラ、アフガニスタン(アフガニスタン民主主義共和国空軍(DRAAF)機やタリバーン空軍(IEAAF)機が確認されている)等で使用されている。また、一部はソ連空軍でも使用された。ペルー空軍の機体は近代化改修を受け、外見も若干変化している。
Su-17UM
Su-17UM(Су-17УМ) ВВС СССР Су-17UМ #80
Su-17M2の複座型であるが、機首が下方へ曲げられ背部の膨らみも大型化されるなど機体形状が大きく変化した。この形状の複座型の開発には、のちの戦闘爆撃機型Su-17M3の原型機とする目的もあった。
Su-17M3(Су-17М3) ВПС України Су-17М3 #50
Su-17シリーズの後期型で、複座型に準じた機体形状となった。当初Su-19とも呼ばれたが、正式にはSu-17M3となった。1978年規格以降の機体は、それまでの型より垂直尾翼端が延長された。また、後期シリーズは機体尾部下面にもフィンが取り付けられている。Su-17M3では、小型のハードポイントが左右の主翼に1ヶ所ずつ追加され、ここに自衛用の空対空ミサイルR-60を搭載できるようにされた。ソ連向けSu-17シリーズでは輸出型で搭載されていたR-3/13ミサイルは運用できるように設定されていなかったため、この小型ミサイルが初めての自衛用武装となった。のちに偵察機に転用された機体はSu-17M3Rと呼称された。また、対レーダーミサイルKh-27PSやKh-58の運用システムBA-58"ヴィユーガ-17"を搭載可能とした対レーダー攻撃機Su-17M3Pも、Su-17M3の一部として部隊配備された。S-17M3Pと通常のSu-17M3とは、Su-17M3PではBA-58の受信アンテナが機種下面中央線上に設置されていることから外見上も識別できる。Su-17シリーズ中最大機数が生産され、ソ連崩壊後も独立国家共同体各国で運用された。
Su-17UM3
Su-17UM3(Су-17УМ3) ВВС России Су-17УМ3 #87, 1994
Su-17M3に準じた複座型で、本格的に生産された複座型。
Su-22M
Su-22M(Су-22М) FAP Su-22M(mod.) #167, 2005 FAP Su-22M #176
Su-17M3の第三世界向けの輸出型。いわゆる"B"規格の輸出型であると分類できる。"クリョーン"などの最新機材や最新ミサイル等を外した大幅なダウングレード型であった。エンジンはR-29BS-300を搭載した。Su-22Mの後期シリーズは、Su-17M3の後期シリーズに準じて垂直尾翼端の延長が行われている。尾部下部フィンの取り付けは、行われているものとそうでないものとがある。後期シリーズに関してはSu-22M2とされることもあるが、正式な呼称ではない。リビア、ペルー、ヴェトナム、イエメン等で使用。一部はソ連空軍でも運用されたが、それらの機体は輸出された機体とは搭載機器が異なっていた。なお、ペルー空軍の機体は近代化改修を受け、外見も若干変化している。
Su-22UM(Су-22УМ) FAP Su-22UM #029, 2005
Su-22Mに準じた複座型。同機使用国で運用。
Su-22M3
Su-22M3(Су-22М3)
Su-17M3のワルシャワ条約機構加盟国向けの輸出型。いわゆる"A"規格の輸出型であると分類できる。尾部下部フィン・垂直尾翼端延長あり。ハンガリーのみが導入した。ソ連では当初Su-22M3をエンジンを含め完全なSu-17M3の輸出型とするつもりであったようだが、同時期にMiG-23MFを導入したハンガリー側の希望があり、エンジンはMiG-23シリーズと共通のR-29系のもの、即ちそれまでSu-17シリーズの"B"規格に採用されてきたものと同じR-29BS-300が採用された。搭載機器は基本的にSu-17M3と同じものであった。偵察機型としてSu-22M3Rとも呼ばれる。
Su-22UM3(Су-22УМ3) HungaryAF Szu-22UM3 #08
Su-22M3に準じた複座型。ハンガリーで運用された。
Su-17M4(Су-17М4) ВПС України Су-17М4Р #50, 2002
最終型で、最も高度な攻撃能力を持つ発展型。当初Su-21とも呼ばれたが、正式にはSu-17M4となった。実用上過剰な機能であった可動式空気取り入れ口を固定式とするなどの簡略化を行い、重量を軽減するとともに機器の収納スペースの増加を図った。そのため、最高速度はマッハ 1.75となった。外見上の変化は、M3よりさらに大型化された背部の膨らみや、垂直尾翼付け根のインテイクの追加など。数シリーズが生産されたが、外見上はアンテナ類の相違から判断できる。ソ連からの独立後も独立国家共同体各国で使用された。また、ウクライナ機などの一部は輸出されたとされる。偵察機型はSu-17M4Rで、新規生産された機体と改修機とが存在した。
Su-22M4
Su-22M4((Су-22М4) PolandAF Su-22M4(mod.NATO) #3509, 2005 PolandAF Su-22M4(mod.NATO) #7410, 2004
Su-17M4の輸出型。ワルシャワ条約機構加盟国向けの"A"規格と、それ以外の第三世界向けの"B"規格とがある。基本的には、前者はSu-17M4の初期シリーズ、後者はSu-17M3の後期シリーズ程度の能力を持つ機体として設計されている。エンジンはいずれもAL-21F-3を搭載。ポーランド、ドイツ、ブルガリア、チェコ、スロヴァキア、ヴェトナム、アフガニスタン、イラク、アンゴラ等で使用。偵察機型はSu-22M4R。なお、ポーランド空軍の機体はNATO化改修を受け、外見も若干変化している。
Su-22UM3K(Су-22УМ3К) PolandAF Su-22UM3K(mod.NATO) #707, 2005
Su-17UM3に準じた複座型。Su-22後期型使用国で運用。エンジンはAL-21F-3を搭載。
Su-22M5(Су-22М5)
フランスとの協力で、Su-22M4の近代化改修機として開発された機体。航空ショーに出展されたことがあったが、現在実際に運用している国はない模様。
Su-22M6(Су-22М6)
Su-22M4の廉価版として開発された機体。Su-17M4N、S-54N、S-56などとも呼ばれた。可変翼を廃し、45度の後退翼を持った航空機として設計されたが、実際に制作されることはなかった。
性能・主要諸元
Su-17M4となっているが、背部の膨らみが足りずSu-17M3のようである
乗員: 1名
全長: 19.02 m
全幅: 13.68 m
全高: 5.13 m
翼面積: 38.49 m²
空虚重量: 11,800kg
最大離陸重量: 19,630kg
エンジン: AL-21F-3×1基
推力: 7,800 kgf×1
最大速度: 1,860km/h
航続距離: 2,300km
実用上昇限度: 14,200m
兵装
固定武装
NR-3030mm機関砲 ×2 (各80発)
空対地ミサイル
Kh-28
Kh-27PS
Kh-25MP
Kh-58U
対地爆弾
500kg爆弾

28機目Su-24 Fencerです。
$“新訳”TOARU愚者の黙示録
Su-24(スホーイ24、スホイ24;ロシア語:Су-24スー・ドヴァーッツァチ・チトゥィーリェ)は、ソ連で戦術爆撃機として使用されていたYak-28の後継として開発された大型の戦闘爆撃機。現在ロシアやウクライナ、ベラルーシ等旧ソ連諸国の主力攻撃機となっており、1機の購入費に約5億円と戦闘機としては破格の安さで有名である。NATOコードネームはフェンサー(Fencer)。
概要
1973年に就役開始。可変翼と並列複座の座席が特徴で、低高度でも高速かつ安定した飛行ができ、大量の兵装を搭載できる。装備できる兵装も多種多様で、給油ポッドを装備すれば空中給油機として運用することも可能。優れた視界やコックピット内の行き届いた配置はパイロットにも好評で、「スーツケース」を意味する「チェマダーン」(чемодан)の愛称で呼ばれた。しかし搭載電子機器がやや旧式で信頼性に乏しいため、攻撃能力は西側のF-111やトーネードIDSより劣る。
当初はSTOL攻撃機T6-1として開発され、主翼には可変翼ではなくSu-15のようなダブルデルタ翼を採用し、推進用エンジンに加えて4基のリフトエンジンを胴体内に搭載していた。T6-1は1967年7月2日に初飛行したが、ソ連空軍が要求を変更したことにより形態が効率的ではないと判断されたため、その6ヶ月後にかねてから構想されていた通常の可変翼攻撃機T6-2Iとして再設計され、これがSu-24として正式採用された。
西側に存在が知られたのは1974年だが、当初は誤って「Su-19」と呼ばれ、1981年まで訂正されなかった。
アフガニスタン紛争で初めて実戦に投入され、主にムジャーヒディーンの陣地などの静止目標に対する攻撃に使用された。対空火器による損害はなかったが、整備上の不具合によって何機かが失われている。湾岸戦争では多くのイラク空軍機がイランに逃げ込み、イラン空軍に接収されている。
既に後継機となるSu-34が登場しているが、開発・配備が大幅に遅れているため、今後もしばらくは運用される見込みである。
派生型
S6
Su-7の機体仕様を活用し、固定後退翼を採用した初期設計案。制作されず。
T6-1
ダブルデルタ翼とリフトエンジンを採用した試作初号機。
T6-2I
T6-1に続く試作機。この型から可変翼を採用した。
Su-24(Су-24)
前期量産型。細かな改良により3種類に分類されるが、特に形式番号では区別されない。NATOコードネームではフェンサーA/B/Cと区別される。
Su-24M(Су-24М)
後期量産型。電子機器を更新し、機首を76cm延長。引き込み式の空中給油プローブも追加。NATOコードネームはフェンサーD。
Su-24MK(Су-24МК)
Su-24Mの輸出型。
Su-24MR(Су-24МР)
偵察機型。機関砲や胴体下のハードポイントを外し、偵察用カメラを搭載。ロシアやウクライナなどでは偵察機の主力となっている。NATOコードネームはフェンサーE。
Su-24MP(Су-24МП)
電子戦機型。電子戦装備を搭載しているが、機関砲は残されている。NATOコードネームはフェンサーF。
Su-24M2(Су-24М2)
アップグレード型。詳細は不明だが、Su-34に搭載される一部の電子機器を導入し、GPSなどを追加すると見られる。
仕様(Su-24M)
寸法
乗員: パイロット2名
全長: 24.59 m
全幅: 17.64 m
全高: 6.19 m
翼面積: 51.02 m²
重量
空虚重量: 22,300kg
運用時重量: 33,500kg
最大離陸重量: 39,700kg
動力
エンジン:サトゥールン製 AL-21F-ZAジェットエンジン×2
推力:76.49 kN×2(A/B)
性能
最大速度: 1,700km/h
航続距離: 2,850km
最大運用高度: 11,000m
武装
固定武装:GSh-6-23 23mm機関砲×1(弾数500発)
ミサイル:Kh-23、Kh-28、Kh-25、Kh-29、Kh-31、Kh-58、Kh-59
兵装搭載量:8,000kg
レーダーFCS : PrNK-24 SLAR型レーダー
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先ほど新たなニュースが入りました。

速報当ブログの管理者が破砕骨折。今のところ痛み止らず

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ブログ管理人は本日午後2時30ごろ,体育の授業でバスケットボールをやっていたところ,周辺の不良生徒が思い切り投げたボールが小指に直撃したということです。
この怪我により,管理人は日常生活に支障が出始めており,これからもっとひどくなると予想されます。
完治まであと何週間かかるかは明かされておりませんが,早く完治することを願います。
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NEWS Taka
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はぁ,我ながらよくがんばったなーー
ただ,今の自分の状態は,本当に満身創痍と言う言葉の通りなので,早く寝てなおします。
前々から書こうと思っていたんですけど,書くタイミングがなかなかに見つからなかったので,今日書こうと思います。
4月
7 奈良基地 一般開放
8 熊谷基地 さくら祭り
21 入間基地 ランウェイウォーク2012
21 高良台分屯基地 基地創設46周年記念行事
5月
20 静浜基地 航空祭
20 饗庭野分屯基地 分屯基地開庁記念行事
26 奈良基地 奈良基地祭
26 笠取山分屯基地 分屯基地開庁記念行事(56周年)
27 美保基地 航空祭
27 見島分屯基地 分屯基地創設記念行事
6月
2 防府南基地 基地開庁記念行事
3 高尾山分屯基地 分屯基地開庁記念行事
3 下甑島分屯基地 分屯基地開庁記念行事
3 防府北基地 航空祭
3 経ヶ岬分屯基地 分屯基地開庁記念行事(55周年)
10 新潟分屯基地 分屯基地創設50周年記念行事
7月
8 車力分屯基地 分屯基地開庁記念行事
15 山田分屯基地 分屯基地開庁記念行事
21 大湊分屯基地 分屯基地盆踊り大会
21・22 八雲分屯基地 分屯基地開庁記念行事
22 稚内分屯基地 分屯基地開庁記念行事
22 白山分屯基地 分屯基地開庁40周年記念行事
24 浜松基地 納涼の夕べ
25 芦屋基地 基地盆踊り
26 入間基地 納涼祭「盆踊りと花火の夕べ」
26 小牧基地 納涼祭
26 美保基地 納涼祭
8月
2 築城基地 サマーフェスティバル IN 築城
3 春日基地 基地夏まつり
5 千歳基地 航空祭
29 熊谷基地 納涼祭
9月
1 知念分屯基地 分屯基地納涼祭
2 奥尻島分屯基地 分屯基地開庁記念行事
9 三沢基地 航空祭
23 秋田分屯基地 秋田空港「空の日まつり」
23 小松基地 航空祭
29 恩納分屯基地 分屯基地観月会
下旬 宮古島分屯基地 分屯基地観月会
予定 土佐清水分屯基地 分屯基地開庁記念行事
10月
6 福江島分屯基地 分屯基地開庁記念行事
13 自衛隊記念日 体験飛行(千歳・入間・浜松)   ※受付は終了しました
13・14 小牧基地 航空祭
13 佐渡分屯基地 分屯基地開庁記念行事(55周年)
21 百里基地 航空祭
21 那覇基地 エアー・フェスタ2012
予 高畑山分屯基地 観月会
28 築城基地 航空祭
28 串本分屯基地 分屯基地開庁記念行事(55周年)
28 岐阜基地 航空祭
下旬 春日基地 基地開設記念行事
予定 峯岡山分屯基地 開放行事
予定 海栗島分屯基地 分屯基地開庁記念行事
11月
3 入間基地 航空祭
18 浜松基地 エアーフェスタ浜松2012
24 芦屋基地 航空祭
12月
2 新田原基地 航空祭
1月
予定なし
2月
予定 沖永良部島分屯基地 分屯基地開庁40周年記念行事
予定 与座岳分屯基地 分屯基地開庁40周年記念行事
予定 宮古島分屯基地 基地観月会

こうやって予定を見ていると,なんだか,1年があっという間な気がしますよね。
ちなみに,管理人が,確実に行けるのは,10月21日の百里基地航空祭です。