平安時代の正月行事に由来する「左義長神事」 | 京都の春夏秋冬とプラスα

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平安時代に宮中(御所)では、正月・元旦から小正月(旧暦の15日)にかけ、延々と正月行事が催されていた。

その中で、小正月に行われていた「左義長(さぎちょう)」が、今でも新熊野(いまくまの)神社で再現されている。

左義長は、筆者にとってはこれまでほとんど見聞きしなかったキーワードで、最初は鳥のサギを連想していた程度。とにかく「百聞は一見にしかず」の気持ちで、12日に新熊野神社を訪れ左義長神を見物した。

左義長とは(言葉の意味)?
左義長とは小正月に行われる火祭りの行事で、円錐形に組まれた櫓(やぐら)に正月に飾った門松・注連飾り(しめかざり)や書き初め等を積み重ね焼却する神事。その櫓に、正月行事で子供達が毬(まり)を打つ長柄の槌を毬杖(ぎっちょう:今で言えばホッケー球技に使うスティックに相当?)を三本結んだことから三毬杖(さぎちょう)とも呼ばれた。

左義長神事の起源と占い
平安時代の宮中行事に由来。小正月に宮中の清涼殿・東庭で、青竹を束ねて立て毬杖(ぎっちょう)三本を結び、その上に扇子や短冊などを添え、陰陽師(おんみょうじ)が謡い囃しながらこれらを焼いた。
*画像右下のイラストは、「広辞苑第六版」の左義長の説明に添えられているものを引用。

左義長の櫓が倒れた方向や炎の上り具合によって、その年の吉凶などを占ったとされている

新熊野神社での左義長神事
本来は小正月(15日)の行事であったが、今では成人の日〔今年は12日〕に合わせて行われている。以前の成人の日は小正月と同じ15日であったが、2000年(平成12)から1月第2月曜日に変更された。

12日は11時から神事が始まり、冒頭には獅子舞いの奉納。次いで、祝詞の奏上等が行われた後に聖護院の修験者の手で左義長の櫓に点火。現在の櫓の高さはおおよそ5m程で、火が入ると一瞬の間に櫓は倒れた。


神事後の玉ぐし奉納に参加した参拝者には、お神酒とぜんざい振る舞われた。こうした左義長神事に参加し、幼少の頃に田舎で行われていた「どんど焼き」を思い出した。