あるお母さんからお悩みのDMが届きました。

その方はお若いお母さんで娘さんが6歳、僕と同じ自閉症スペクトラムみたいです。

どのように接していけばいいのか。悩んでいるみたいで、僕にアドバイスを求めてこられました。

たいぞうさんが子供の頃、どんな子供でしたか?

たいぞうさんのお母さんはたいぞうとどのように接してましたか?と言う質問でした。


だからこそ、他人事とは思えず、正直に自分の話をしますね。


僕は子供の頃、今思えばかなり不器用な子でした。

勉強はできない、空気は読めない、友達付き合いもうまくいかない。

テレビ・漫画・ゲームばかりで、ずっと一人で遊んでいました。


学校ではいじめられっ子でした。

パシリにされたり、お金を取られたり、暴力を受けたこともあります。

当時は理由も分からず、ただ「生きづらい」と感じていました。


母は僕が小学6年の時に乳がんで亡くなりました。

正直、亡くなった直後はあまり実感がなく、

「そのうち帰ってくるだろう」と本気で思っていました。

何年も経って、やっと“本当に亡くなったんだ”と理解し、

その時に初めて深く悲しくなりました。

これも自閉症の特性だったと思います。


母との細かい記憶は多くありません。

でも一つだけはっきり覚えているのは、

とにかく優しい母だったということです。


勉強ができなくても責められたことはありません。

怒られた記憶もほとんどありません。

よく褒めてくれて、僕の好きなことを否定しませんでした。


今思うと、

「正しさ」よりも「安心できる居場所」を作ってくれていたのだと思います。


父は厳しい人でしたが、

「本気なら応援する」という人でもありました。


僕は吉本新喜劇の間寛平さんに憧れて、

芸人になりたいと本気で思っていました。

いじめてきた人たちを見返したい、

何よりこの場所から離れたい一心でした。


父に「根性を見せろ」と言われ、

高校時代、片道20キロの道を自転車で3年間通いました。

往復40キロ、山を二つ越えてです。


体を鍛えるためにソフトボール部にも入り、

精神を鍛えるために少林寺拳法も習いました。


不器用でも、覚えが悪くても、

「夢だけは本気」でした。


その結果、父に認めてもらい、

大阪に出て芸人になることができました。


子供時代はつらいことも多かったですが、

今振り返ると、僕を支えてくれたのは

**お笑いという“好きな世界”**だったと思います。