2004年10月27日(水)

『わたしは罪人です』

テーマ:【心の危機管理】
みなさま 今日も弊blogに来てくださりありがとうございます。
さて、いきなり・・・ですが「なんだ?こいつ」と思われた方
失礼いたしました。 牧師ひらたです。

今週は危機管理がテーマであり、特に「死」とは何かについて
取り組んでおります。そのような中で、本日のblogは・・・
とお叱りを受けそうですが・・・
少しこのようなblogを書く思いを述べさせてもらいますね。


本日のテーマは「わたしは罪人です」というものです。


いつもテーマ的に内容的に僭越な記事になってるなぁ
という思い・・・ひらたという人間はこんな奴ですけど
・・・大切なこと、ここに来てくださるみなさまとは
本音で語り合いたいという願い・・・厳粛に考えないと
いけないものでありますがあまり重たくなってもなぁ
・・・とあれこれ迷走しながらも、本質が示されれば
という自分なりの配慮をしまして・・・本日のような
記事になりました。 

小休止的な意味合いも含めております。


さて、前置きがながくなってすみません。

【罪】の語源は【的外れ】

先の記事は、あまりに抽象的な言葉ばかりでの説明でしたが・・・
みなさまにもう少し具体的にいろいろ感じていただきたく、
思い切って恥をさらしますが、
身近な実例からお伝えしたいと思います。


【実例1】

えぇ~ 上の写真、牧師 平田です。

ある日のわたくし と 娘&家内の会話です。


 「おとうさんベッカムに似とるやろ?」

次女&家内 「ん?なにか言った? ムシ、ムシ」


 「えぇ~、ひどいやん、無視せんといて」


次女&家内「ちゃうって、虫やて、虫」


「虫?」


次女&家内 「ハエ(蠅)・・・・」

「ハエぇ・・・(沈黙・意気消沈)」


罪、的外れ:「自分はサングラスをかけるとベッカム似」
というわたしの思いは「罪」なのです。

たいへん大きな「罪」なのです。・・・勘違いってことです。


【事例2】

わたくし実は、車を運転すると
人格的弱さが露呈してしまうことがあります。

個人的に善人の苦しみと定義しておりますが・・・。

わたくしは牧師という立場上、安全運転
制限時速守って車を運転しています。

しかし、どうしたことか、制限時速をオーバーして
ビュンとわたくしを追い抜かしていく車が
赦せない】のです。

また、
信号待ちしていて、わたしより先に発進する車が
ゆ~るせな~い】のです。

また、
方向指示器も出さないで、突然と前方に割り込んでくる車が
ゆるせな~~い】のです。

ですから、わたしは車を運転しながら、
【赦せない!!】を連発するので、後方座席から
娘が一言・・・

「お父さん・・・牧師でしょ(ボソ)」

「うぅ~。牧師でも人間です!!(いいわけ)」

ちゃんと日頃、教会の説教壇からわたくしの言っていること
聞いてないようで、聴いているんですね。

説教壇から
みなさん、お互いに赦しあいましょう
と説いている本人が
車にのると「赦せない」を連発する・・・

言っていることと、やっていることちゃうやん


はい、そのとおりです。
<(_ _)> 反省~。 状態の父です。

**************************


「わたしは罪人です。」

でも、神様の赦しと恵みの中で牧師をさせていただいています。


聖書ではすべての人は「罪人」と言います。

しかし、正しくとらえると、それは、責めたり、
犯罪者扱いしているニュアンスはありません。

それは、人間みな自己中心な存在だ
という意味でもありますが・・・

「お互い欠点はあるけど、共に神様に赦してもらいながら、
その愛を受けて、共にがんばりましょ。」というお薦めに
なっているのです。

「罪」:自己中心だけは、人間の力ではどうすることも
できないと聖書は説きます。

ただ、神の愛の力を受け入れることによってでしか
制することしかできない・・・と。

滝に打たれたり、なにか難行苦行をしてそれを克服しようと
しても自己嫌悪に陥るだけだとも伸べています。

自分の力ではどうすることもできない自己中心
キリストが解決してくださるということに頼るしかない。

「わたしも罪人」という言葉を神様の愛を通して考えると、
人間お互いいたわりあえるのです。
欠点を責めあうのではなくて・・・


ただ、罪の問題:自己中心を放置するわけにはいかず、
なぜなら、それは「死」をもたらすのですから・・・

「人はみな罪人」:キリストの愛と赦しにぜひ頼ってくださいと
嘆願することばでもあります。

キリストの赦しの本質は、映画【パッション】に現れています。
罪の問題、決して軽く扱ってはならないのです・・・。


また、詳しくは別の機会に。

明日の記事は、【危機に備える】
『人が楽園で失ったもの』Part③ 

【生きる意味を失ってしまった人間】
自己アイデンティティ・存在意義の危機

というテーマを予定しています。
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2004年10月27日(水)

『楽園から失われたもの』Part ②

テーマ:【心の危機管理】

みなさま、こんばんは。今日も弊blogにお越しくださり
ありがとうございます。

昨日は、聖書でいうところの【罪】は【自己中心】である
ということを申し上げました。
http://ameblo.jp/taizo-bokushi/entry-10000089263.html



今日も【愛】という言葉をよりよく理解していただくために、
【罪】という言葉についてさらに、その語源をお伝えしたい
と思います。


【犯罪】という言葉がありますが、聖書的には【罪】という
言葉とは、厳密には使用法が異なります。

聖書的には 【犯罪】は【罪の結果】なのです。

犯罪を地上の「草木」だとすると、
罪は土中の「根」にあたるものなのです。

犯罪の根底には人の自己中心がはびこっている

と聖書は示しているのですが、いかがでしょうか。


さらに罪という言葉の意味は深いものがあります。

罪の原語、ギリシャ語(新約聖書の原語)では
【ハマルティア】といいます。

原意に忠実に訳すと【的外れ】という意味です。


この言葉はもともと、古代オリンピック(ギリシャが発祥地)
のアーチェリーの競技の中で使われていた言葉なのです。


あたった弓矢が的の中心からどれだけ離れているかを
示す【単位】として使われていたものなのです。


的の中心に当たれば100点、としたら

80にあたれば 20ハマルティア
60にあたれば 40ハマルティア
20にあたれば 80ハマルティア

・・・というように

的の中心からどれだけ外れているか・・・

【罪】=【的外れ】なのです。


さらに罪ということば、旧約聖書では
【ペシャ】=【反逆】、【断絶】という意味があります。


ところで昨日までタイトルを【失楽園】にしておりましたが
一般的に使われてしまっているこの言葉のみなさまに与える
イメージと、わたくしがお伝えしたい内容、概念を表現
するのにあまり適切でないことがわかりましたので

【楽園において失われたもの】と変更いたしました。


【失楽園】この言葉を最初に用いたのは英国の詩人
ミルトン(1608-1674)といわれています。

**************************

※ミルトンについては次のような良書があるので
興味のあるかたは図書館でお探しになってみてください。

『失楽園』ミルトン著 平井正穂訳 岩波文庫
『ミルトン』新井明著 清水書院

*************************

【失楽園】楽園から人間が失ってしまった大切なもの
を考えさせる言葉なのです。

楽園で人間が失ったもの、それはたくさんあるのですが
第一には神様と人間との【最高の愛の関係】です。

神様との【最高の愛の関係】から的を外し生き始めた、
自己中心となった人間の姿が描かれているのです。

聖書ではなのです。
を失うことはを失うことを意味します。

神の愛との【断絶】が人に死をもたらすと聖書は述べています。

その死とは生物学的な、死という意味あいよりも
霊的な死を意味しています。

霊的なものについては
弊blogテーマ【スピリチュアルケア】を
今一度ご確認くださると助かります。

(霊について、後日もう少し詳しく記事にする予定です)


つづきはこちらです。


http://ameblo.jp/taizo-bokushi/entry-10000098462.html


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2004年10月26日(火)

『楽園から失われたもの』 Part ①

テーマ:【心の危機管理】
■みなさま、本日もようこそ弊blogへお越しくださいました。
一日のお疲れがでませんように。

当blog、本日は「エデンの園」に到着しております。

ご上陸前に、いくつかご案内申し上げます。

聖書、創世記1章、2章には、エデンの園は、
神様の造られた、この上もなくすばらしい楽園
として紹介されています。

神様は最初、この地球を何の不自由もない、
愛と命に満ちた楽園としてお造りになられたことが
記されています。

神様と人類、また動・植物が共存共栄していた美しく、
麗しい光景が描写されています。
そこでの生命は、永遠の命を有しており
病気や死は存在していないことが記されています。

ところが、その平和に満ちていたエデンの園において、
この地球上、最大の悲劇が発生したのです。
それが、今日から取り扱う【罪】の問題なのです。


■【罪】の問題に触れること、それは【愛】について
理解を深めるために不可欠なものなのです。
聖書でいうところの【罪】がわかればわかるほど
聖書でいうところの【愛】が分かります。
【罪】がわからないと【愛】が理解できないようになっています。


さて、このような罪の問題を紹介するとき、
どなたにも起こることなのですが
また、誠実な方であればあるほどそうなのですが、
「罪」の問題を共に考えていくとき、
心が苦しくなられる方があるのです。乱気流に
巻き込まれるということですが・・・

でも、そのような時は【愛の酸素マスク】が頭上から
降りてきます。使用方法としては「神様、すみません」
この一言です。覚えておいていただきたいことです。
神様の赦しがあなたの心苦しさを覆い包むことでしょう。

今は、詳しく説明する時間がございませんが
聖書的には【罪悪感】は祝福なのです。

ご自分の心に【愛が培われている時】
とお考えください。

真の愛に触れたところでおこる罪悪感は
【心の安全を守るブレーキ】の役目をし、
あなたを罪から守るものになります。


それでは、創世記3章の現場に移動してみましょう。



■聖書は今、この地上に起こっているあらゆる悩み、苦しみ、
痛みの始まりを次のように紹介しています。


***********************************


主なる神は人を連れてきて、エデンの園に住まわせ、
そこを耕し、守るようにされた。
主なる神は人に命じていわれた。
「園のすべての木から取って食べなさい。
しかし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない
食べると必ず死んでしまう。」・・・。(創世記2章15-17節)

主なる神が造られた野の生き物のうちで
最も賢いのは蛇であった。蛇は女に言った。

「園のどの木からも食べてはいけない、
などと、神は言われたのか?」

女は蛇に答えた
「わたくしたちは園の木の果実を食べてもよいのです。
でも、園の中央に生えている木の果実だけは、食べては
いけない、触れてもいけない、死んではいけないからと
神様はおっしゃいました。」

蛇は女に言った。
「決して死ぬことはない。それを食べると目が開け
神のように善悪を知るものとなることを神はご存知
なのだ。」

女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、
目をひきつけ、賢くなるように、そそのかしていた。
女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので
彼も食べた。

二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り
二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。

その日、風の吹くころ、主なる神が園の中を歩く音が
聞こえてきた。アダムと女が、主なる神の顔を避けて
園の木の間に隠れると、
主なる神はアダムをよばれた

「あなたはどこにいるのか?」

彼は答えた、
「あなたの足音が園の中に聞こえたので、恐ろしくなり
隠れております。わたしは裸ですから・・・。」

神は言われた、
「お前が裸であることを誰が告げたのか
取って食べるなと命じておいた木から食べたのか」

アダムは答えた
「あなたが、わたしと共におるようにしてくださった女が
木から取って与えたので、食べました」

主なる神は女に向かって言われた。
「何ということをしたのか。」

女は答えた
「蛇がだましたので、食べてしまいました。」

主なる神は、蛇に向かって言われた。
「このようなことをしたお前は、
あらゆる家畜、あらゆる野の獣の中で呪われる
ものとなった。お前は生涯、這い回り塵をくらう・・・」


***********************************


この創世記の記述からだけでも、世界には何千冊という分厚い
解釈書があるのですが、その長い解釈を短くご紹介いたしますと、

最大の悲劇、それは人の心が禁断の木の実を
食べてしまった結果、【自己中心】になってしまった

ということを聖書は記し、伝えようとしているのです。

本日はそのことをご理解ください。

聖書的な【最大の罪とは自己中心】をいうのです。

ですから、わたくしは【禁断の木の実】のことを
別名【自己中心になる木】とお伝えしていますし、
また、【「ごめんなさい」がいえなくなる木】と
解釈してお伝えしています。


「一言ごめんなさい」がいえたら、どれだけ多くの
問題が解決するでしょうか。

「ごめんなさい」がいえないために、多くの争いが
起こってはいないでしょうか。

現代でもなお、エデンの園の悲劇、
アダム⇔エバ⇔蛇の関係に見られるように
責任転嫁や自分の否を認めず、非難のしあい、
争いが泥沼化している現実がないでしょうか。

「わたしは悪くない、悪いのはおまえだ」
「なにいってんのよ、ちょっとまって
悪いのはあいつでしょ!!」

世界規模の大きな争いから 
わたくしたちの身の回りにある小さな争い、
いろいろあると思いますが、

どんな大きな争いも、小さな争いも
その原因、また、当事者の心を
煮詰めていきますと・・・
自己中心と自己中心が戦っていないでしょうか。
そのような争いの構図が見えてこないでしょうか?

昨日、ご紹介しておいた聖書のことば
「罪の支払う報酬は死です。」とは
「自己中心は死(滅び)を招く」という意味にも
解釈することが可能なのです。

神様は人を滅ぼそうとされる方ではありません。
神様は人に命と愛をお与えになるお方なのですから。

人の自己中心が人を滅ぼすのです。

今週のテーマは「危機管理」です。

人生を歩む中で人がしておかなければならない
聖書が勧める「危機管理」の一つとして
心が自己中心にならないようにしておくこと

が挙げられます。

・・・・それでは、この続きはまた明日。

もう少し、エデンの園に滞在しまして
「罪」について理解を深め、
そのことによって、あなたの身の回りに
起こっているかもしれない、争いが解決に向かって
少しでも良い方向にいくことを考えてみましょう。

・・・愛の酸素マスクが頭上から降りてきた方が
いらっしゃいましたか?・・・よかったですね。
神様のお赦しをしっかりお受けください。


みなさまの上に安らぎと休息の夕べがありますように。


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◆新潟で起きた震災で避難しておられるかたの支援が
あまり上手く行われていないようです。また冷たい雨も
降り始めているようで二次災害が起きないことを願って
おります。

実際に現地に赴いて働くことができず、心苦しいのですが、
みなさんがお住まいの区、市や町の役所にはきっと、
新潟震災後復興援助のための義援金窓口などが設けられて
いると思います。お出かけになってみてください。


■□□□■■□□□■■□□□■■□□□■■□□□■



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2004年10月25日(月)

【カリスマ】をお受け取りください。

テーマ:【「死」を考えることは「生」を考える事】
みなさま、こんにちは。今日も訪問してくださって
本当にありがとうございます。

■今週一週間は人生の「危機管理」をテーマに記事を
書きたいと考えています。
人間が必ず直面する現実「生・老・病・死」についてです。

尊い人生の旅路において、
決して無病息災、家内安全を願ってはいけないという
ものではありませんが、それはある意味「非現実」
であるといえるでしょう。

どんなにそれを願っても、病気、怪我、事故、死
わたしたちの身の上に起こってしまうのが現実です。
キリストの宗教は、そのような「現実」を考えるために
存在しています。

現実の厳しい「危機的状況」に際して、
どのように対応したらよいのか、
対応策の一つとして
聖書の神様が人に与えてくださっている
知恵、希望をお伝えしたいと思います。

■今日から始めようとしておりますテーマは、
かなり重たい感じの雰囲気になるかもしれませんし
みなさまの心を、乱気流に巻き込む可能性もありますので、
離陸前に、今一度、安全のための【シートベルト】(=神の愛)
があることをお伝えしておこうと思います。

10月はじめからこのblogを始めさせてもらいましたが、
すべての記事の根底に「神の愛」があることを自分なりに
伝えさせていただいたつもりです。

万が一、みなさまの心が乱気流に遭遇したときは
弊blog「VIPとしての認識」あたりを
再度お読みいただき、
平静を保っていただくことを願っています。

それでは、
わたくしたちの命を守る愛のシートベルトについて

今日は【カリスマ】という言葉をお伝えしましょう。



【カリスマ】という言葉は現在、大変身近なものになっておりますが
この言葉は
約2000年前に書かれた新約聖書の中に見ることができます。


「罪の支払う報酬は死です。
しかし、神の賜物は主イエス=キリストによる永遠の命なのです。」

(新約聖書 ローマ人への手紙6章23節)


カリスマ性のあるリーダー、カリスマ美容師、などなど
「カリスマ」
みなさまは、どのようにとらえ、イメージされるでしょうか。

「あの人、ちょっとカリスマティックだから」
というような言葉の陰には、
あまり、積極的な意味、良いイメージがないのでは・・・と
個人的には感じていますが・・・。


聖書的には、【カリスマ】という言葉は
大切な、大切な、重要な言葉なのです。


カリスマ、ギリシャ語(新約聖書の原語)では
【Xαρισμα】と書きます。
(数学でお馴染みのαやΣの小文字であるσがありますね。)


この言葉の本質は【神からの賜物】

【賜物】をもう少し身近な言葉に直しますと
【贈り物、プレゼント】という意味です。


【命は神様からの賜物】である、という意味です。

さらに、聖書の別の箇所に次のような言葉があります


「神はその独り子を賜ったほどにこの世を愛された。
それは御子を信じるものが一人も滅びないで
永遠の命を得るためである。」

(新約聖書 ヨハネによる福音書3章16節)


上記、2つの大切な聖書の言葉
それについての長い解釈を短くまとめますと・・・

【カリスマ】=【神の賜物】=【イエス・
キリスト】=【永遠の愛と命の本質】

という図式が成立します。

死は必ず人に訪れますが、
それ以上に人は【神の賜物(キリストの愛)】
を受けることのできる存在であること。

死を越えていく永遠の愛があること
を聖書は前提として記し、伝えているのです。


永遠の愛(=カリスマ:神からの賜物)がすべての人に用意
されている。永遠の愛が、あなたにプレゼントが準備されています。

どうか、この愛を受け取っていただきたいのです。

神様から愛が贈り物として届けられる、このことを覚えるのが
クリスマス【X”mas】 です。 X ‘μαs の【X】は 
キリスト(Xριστοs)を象徴する文字なのです。

mas =マスは マスゲームの【マス】(祝典という意)です。

【カリスマ:Xαρισμα】【クリスマス:X’mas】
すべてイエス=キリストと深い関連のある言葉
なのです。”クリスマス”は ”カリスマス”、
掛詞なのです。

神様からのプレゼント、永遠の命の存在、愛の存在がある
ことを覚え、お祝いするのが クリスマスなのです。

【カリスマ】
本来すべての人が受け取ることができるものです。

ですから、原意に忠実に考えると
「あの人は『カリスマ性』があるから」というような
特別な人を指すための使い方、ある特別な力、
特殊な能力の持ち主の人に適用されることは
あまり正確とはいえません。

すべての人が受けることのできる
永遠の愛を象徴しているのですから。

信じて、願えば、今、あなたにも必ず与えられる救い
神からの賜物(プレゼント)【カリスマ】
どうぞ、お受け取りくださいますように。




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2004年10月24日(日)

命あってこそ

テーマ:【「死」を考えることは「生」を考える事】
新しいblogテーマを追加しました。

【危機に備える】というテーマです。

新潟の震災のニュースを見ながらこのテーマを抜きには、
このblogを公開できないなと感じたからです。

【危機管理】
これは、会社の経営などでは当たり前のこととして
様々な面からシュミレーション、対応策が考えられて
いることでしょう。

私がここで取り上げる「危機管理」とは会社運営上
お役に立てるかどうかはわかりませんが、

わたくしたちが人として生きていくうえで必ず遭遇する
諸問題、その事実にどのように備えるかがテーマであり、
問題提起の場とさせていただくことになるかと思います。

いわゆる、「生、老、病、死」という領域です。
この現実にどう備えておくか。

必ず通らなければならない障害、あるいは起こるで
あろうと想定される問題への対応策をあらかじめ
用意しておくことは、あなたがパニックに陥ったり
混乱しないための最も有効な方法なのです。


今回の地震でも、ニュースは多くの尊い命
また、小さな小さな命が亡くなってしまったことを
報道しています。
たいへん胸が痛みます。

「人は死ぬ」
この厳しい現実にどう向かい合うか。


逆説的ですが、
聖書においては「死」を考えることは「生」を考えること
「死」を考えないことは「生」を考えていないことになります。

死を考えること、これは決して、
不吉でも、忌み嫌うべきものでもありません。

必ずそのときが来るのですから、
人はそのことに備えておかなければ
すべてが無意味になってしまいます。


究極的な話ですが、【「死」についての危機管理】ができていると、
今、あなたが取り組んでいるすべてのことがさらに大きな意味を持ち、
実を結ぶものになるでしょう。

その為にも【人は死ぬ】勇気をもって
この【現実】と向かい合い、備えをしておきませんか。

死を考える領域、これはやはり宗教の領域です。

少なくとも、キリストの宗教は
このような【現実を直視するため】に
必要な知恵や希望を与えます。

正しく聖書を理解していただくことは
決して「現実逃避」にはなりません。

あなたが今一生懸命取り組まれている
お仕事や学び、すべてが可能なのは、

【命あってこそ】なのです。
この基本はおさえていただきたいものなのです。

命の領域、これはどのように理屈がつけられようとも
やはり神の領域です。

しかし、神はその命を人に与えてくださり、
人がそれを大切に管理するように願っておられる

神様が与えてくださっている尊い唯一の【命】を
どのように【使】うかを考えること
まさに、それがあなたの
【使命:Mission、ミッション】となるのです。

わたくしたちは、与えられ、ゆだねられている
【神からの命の管理者】なのです。

すばらしい管理者の努めとしての【危機管理】

読者の方、お一人、お一人の「生」が守られ
より輝き、実り多いものとなることを願いつつ
このテーマに取り組んでみようと思います。

■□□□■□□□■□□□■□□□■□□□■□□□■

◆30秒で読める仕事に生かす聖書の智慧

毎日更新をしておりましたが、今週は更新をお休み
させていただき、【危機管理】情報の提供に努め
させていただきたいと思います。

◆【30秒・・・・】をよりよく適用していただくためにも
【危機管理】で取り上げるテーマが大切なベース(前提)と
なるからです。

◆今日も一日、みなさまのご健康、ご家庭、お仕事が
守られますように。



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2004年10月22日(金)

ハイジに学ぶ

テーマ:【子育て関連:お笑い、いやし系・遊び心】

・・・こころがすさんでしまう時

ハイジのビデオを見る。










ハイジの生き様は、見事に聖書が言おうとしている愛を
実践しているからだ。ハイジは【神の愛】の象徴である。

我が家の家庭方針:ハイジのようになってくれ。
それだけでいい。


ハイジの存在は小さな、小さなものだけれど

天涯孤独で、かたくなになっていたアルムおんじの
心を溶かし、なぐさめとなる.

ペーター(ペテロ)のかけがえのない友人

障害に意気消沈するクララに立ち上がらせる勇気を
与え

冷たい批評家(理屈屋)ロッテンマイヤーさんを
最後には、よき理解者となるまでに不言実行で説得し

召使い(セバスチャン、チネッテ、馬車使い)にも
気配りを忘れずに、

権威者(クララの父ゼーゼマン氏、クララの主治医)をさえ、
感服させる。

クララのおばあさまは、ハイジの晩年の姿であろう。


・・・・・ ハイジは行く先々で、
接する人々によい感化を与え、愛の和をつくる。
ユーモアもわすれずに。


一生懸命、まっすぐに生きているハイジの姿、
それに学びたい。


個人的には 村のボロボロになった廃屋教会に越冬する
ハイジの存在は大変興味深い。

ヨハンナ・スピリは、当時の形骸化し愛を失った教会の体制
や権威主義に陥ってしまった姿を憂い、ハイジの物語を通し
て、本来の役割を取り戻すように提言していると言われている。

心を失い、形骸化、形式化した宗教ほど、
人に悪影響を及ぼすものはないからだ。

ハイジのビデオをみながら、
自分の働きもそうならないようにと自戒するのであった。

(cf.フランダースの犬のネロの物語もそう解釈できる)
なんとかして見たいとおもっていた大聖堂の絵は
重いカーテンでさえぎられて、
死ぬ間際にやっとの思いでその救いの絵を見ることができたが
息絶えてしまうネロの姿の悲しさ。

神の救いは貧富の差によらず、すべての人に提供されている
にもかかわらず、ある特権階級のものとしかされていなかった
暗黒の時代に対する、痛切な批判なのだ。)

今の時代にも真の愛の回復を願い、ハイジやネロの物語に
込められた著者の気持ちを想う。


<<閑話休題>>

できるなら、実践してみたいこと。


■ハイジのブランコにのる。(時速70kmだそうだ)

■やぎ、ゆきちゃんのお乳を飲みながら
干し肉、とろけたチーズののったパンを食べる

■干草のベットにのる。(きっとチクチクすると思う)

■セントバーナード犬、ヨーゼフを枕に寝る・・・。

                  などなど。

それでは、どうぞみなさんよい週末を。

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2004年10月22日(金)

一歩一歩の成長

テーマ:【子育て関連:お笑い、いやし系・遊び心】


立ち上がった
クララ!!

でなくて
良香。(りょうか)

寝返りできた!!と喜び、
お座りができた!!と喜び
ハイハイできた!!と喜び、

そして感動の第一歩!!
んぐっ・・・涙ぐむ親




一歩一歩の成長を大切に、

見守っていきたい。

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2004年10月20日(水)

大切な契約内容

テーマ:【人間関係:仕事に生かす聖書の智慧】
☆30秒で読める☆
仕┃事┃に┃生┃か┃す┃聖┃書┃の┃智┃慧 
━┛━┛━┛━┛━┛━┛━┛━┛━┛━┛━┛

参考 田中信生牧師 『今日も一日お元気で』


*********<「大丈夫!」と言ってみましょう>************


【大変だ】という川に架かっている【大丈夫】という橋を渡る時、

【希望】という向こう岸に行くことができます。


どんな試練や、状況に出会っても、

まずは、《どんなときも大丈夫》を自分の心に繰り返し、

語りかけてみましょう。


絶望の暗闇の中に、必ず希望の灯火が見えてきます。


●聖書のことば●

「わたしはあなたたちのために立てた計画をよく心に留めている。」
と主は言われる。「それは平和の計画であって、災いの計画ではない。
将来と希望を与えるものである。」

 (旧約聖書 エレミヤ書 29章11-12節)

*****************************************************

◆九州は台風が北上中です。各地で被害がでませんように。


◆今日も一日お元気で、ご健康、ご家族、お仕事が守られます
ように。

■□□□■□□□■□□□■□□□■□□□■
《本日の記述の補足》

聖書のことばを用いることは、いわゆる、一般的に言われている
"Positive Confession",成功哲学思考法、自己暗示法とは
本質的には異なります。

キリスト教の場合、信仰は【契約】の宗教なのです。
聖書は【約款】のようなものです。

新約聖書、旧約聖書の「約」とは【約束】の「約」であり、
【契約】の「約」なのです。

みなさまは日頃【契約】というものをどのように扱われますか?
たいへんな思いをされて結んだ【契約】
大切に、大切になさると思います。

神様は、【契約】にもとづいて人間を保護してくださいます。

これは感情に流されたり、気まぐれではなく、思うことができたり、
できなかったり、状況次第でゆれうごくものではありません。

人間的思考がまったく機能しないような絶望状態の時でさえ、
信じるに値する、確かな神の言葉【契約】の言葉なのです。

人間側の状況、感情によって、揺れ動かないもの、
神様が【被契約者=信仰者】に約束して下さっているものなのです。

【契約】の言葉を信仰(=信頼)し、
締結している契約を維持、更新する為
【約款・利用規約】(=聖書の言葉)
を大切にしていく(=互いに愛し合う)時、
上の言葉は真の意味で成就します。


神様と契約関係を結ぶためには難しいことは必要ありません。
神様の言葉を「ただ信頼すること」によってのみ締結されます。

「約束してくださったのは真実な方なのですから
必ずそのとおりにして下さいます。」
   (新約聖書 Ⅰテサロニケ5:24)


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2004年10月19日(火)

貧にも富にも処する道

テーマ:【人間関係:仕事に生かす聖書の智慧】
☆30秒で読める☆
仕┃事┃に┃生┃か┃す┃聖┃書┃の┃智┃慧 
━┛━┛━┛━┛━┛━┛━┛━┛━┛━┛━┛

参考 田中信生牧師 『今日も一日お元気で』


*********<こころの空模様を楽しみましょう。>************


晴れの日は晴れの日を楽しむ。雨の日は雨の日を楽しむ。
曇りの日は曇りの日を楽しむ。

気分も同じことではないでしょうか。


自分のこころはいつも、日本晴れでなければなないと
思っていると、かえって こころの余裕がなくなります。


真の心の余裕は、どんな自分のこころの空模様も受け入れる
ことから生まれます。


●聖書のことば●

「わたしは、自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えた
のです。貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています。
満腹していても、空腹であっても、物が有り余っていても
不足していても、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっ
ています。
わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能
です。」


 (新約聖書 ピリピ人の手紙4章11-13節)


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●持っていても、持っていなくても・・・
もちものにはよらない、自分の存在感 心の自由さ、
解放感を得ることは最高のことなのですが・・・。

●みなさまの今日の出来事すべてが祝福になりますように。

●本日もご健康、ご家族、お仕事が守られますように。

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●お薦め●:オリオン座流星群のことについて
Oyaji-man2004さま【ヨンさま】がいい情報を載せておられます!!
「夜空へ、星座の旅」

「♪見上げてごらん♪」平井堅の歌声をBGMに

みなさんも空の星に目を向けてみましょうよ。

その星の数だけ、わたしはあなたにを与える」と
(創世記15:5節)と神はアブラハムという人に
 語られた記述があります。

宇宙にはどれだけの星があるのだろう・・・

その愛があなたの上に降りそそがれますように。

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2004年10月13日(水)

◇内面から輝きましょう◇

テーマ:【こころのエステ:スピリチュアル・ケア】
新しいblogテーマを始めました。

こころのエステ
【スピリチュアル・ケア】というテーマです。

聖書に次のような言葉があります。




愛を信じて生きるということは・・・


「わたしたちは、決して落胆しません。

たとえ、わたしたちの『外なる人』は衰えていくとしても、

わたしたちの『内なる人』は日々新たにされていきます。


わたしたちの一時の軽い艱難は

比べものにならにほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます。


わたしたちは見えるものではなく、

見えないものに目を注ぎます。


見えるものは過ぎ去りますが、

見えないものは永遠に存続するからです。』


(新約聖書:コリント人への第2の手紙4章16-18節)



【スピリチュアル・ケア】

『本当に大切なものは目には見えない』

と聖書は言っています。


目には見えない領域を聖書では『スピリチュアルな
領域』
と定義しています。

霊的な世界と申します。

日本語でいう『霊』ということばがイメージさせるものとは
異なり、オカルト、ホラー、占い(コックリさん的なもの)
とは全~~~~然  違います。ます、ます、ます!!


(失礼いたしました。)
それでは、落ち着きを取り戻し・・・



聖書で『霊』(神の)と出てきましたら『愛』

という言葉に置き換えることができます。



また聖書の『愛』という言葉は『いのち』と同義語です。


目には見えませんが、あなたの存在を支える

』 と 『愛』 と 『命』の領域がテーマです。


このblogを読まれることで、

あなたは内面から美しくなられます。


外面の美しさは、内面から輝き出る美しさの反映です。

愛の心を回復されることが美しさの源泉と

なるのです。


愛のこころは、神様によって

必ず、誰にも、植えられていると教えられています。

ただ、それが何らかの事情で発芽できていない・・・

このblogによって、その滞りを取り除くことができます。

何か、持っていないものを 新たに獲得するという感じではなく、

すでに、あなたの内にある 愛のこころを

埋もれている宝を探すように 磨かれていない原石を

磨くような作業となるでしょう。


あなたの心には、必ず輝く愛の原石があるのです。


課題となるのは次のことばです。



●○○○●○○○●○○○●○○○●●○○○●


「愛は 寛容であり【=忍耐強い】,情け深い、


また、ねたむことをしない、


愛は自慢せず、高ぶらない、礼を失せず、


自分の利益を求めず、いらだたない、


恨みを抱かない。


不義を喜ばず、真実を喜ぶ


そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み


すべてに耐える。


愛は決して滅びない。

(新約聖書:コリント人への第1の手紙13章)


『神は愛である』

(ヨハネ第1の手紙4章8節)

●○○○●○○○●○○○●○○○●●○○○●


教会の結婚式にご出席されたことのある人でしたら

きっと、一度は、耳にされた言葉でしょう。

わたくしも結婚式の司式をさせていただく時は必ず引用します。



この言葉は、「ねばならない」的に捉えられるものでなく、

こうあれたらいいな、こうありたいな・・・と願いつつ

いつも、限りない到達すべき目標として掲げてくださり、

一生懸命取り組んでいただくに値するものです。



この言葉が、あなたの心に、実際の生活に生かせる秘訣を

お伝えしたいと思います。


エステ」と少し、女性読者の方を意識してネーミングしましたが、

最近は、「メンズ・エステ」もございます。



女性の方に限られたblog テーマではありません。


神の【】 ラテン語で 「デュミナス・セウゥ」と申しまして


デュミナス」は「ダイナマイト」の語源となっています。


いろいろな困難、障壁を 愛の力 で、撃破し、

良い道を進んでいくための起爆剤となるのも 【霊】的力 なのです。


きっと、すべてに、役に立ちます。


あせることなく、ご一緒に取り組んでいきましょう。


更新は申し訳ございませんが 

不定期とさせていただきます。


どのように、あなたらしさが輝き始めるか、楽しみです。


♪ その花を咲かせることだけに 一生懸命になればいい 


と共に口づさみながら (^^)




・・・あと、このblogを読まれるときは

化粧を落とし、スーツも着替え、

学歴、年収、もろもろも 少し脇におき、

しば漬け(これが一番大事)食べながら

ご覧ください。<(_ _)>



教会は こころのエステ・ティックサロン です。


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