「あのひとは、器が大きい」
これは、誰もが認める褒め言葉です。
器の大きい人になりたいと常に思うのが人だと思います。
ところで、器の大きい人とは、どう見極めるのでしょうか。
たとえば、大変なピンチに陥った時に、右往左往せずに、冷静に行動し
ピンチをチャンスに変える行動ができる人でしょうか。
町内会やいろいろな役員やボランティアを引き受けて
みんなのために行動している人でしょうか。
まあ、こんなところでしょうか。たしかに、器の大きい人には違いないですが、
果たして、これだけで、判断していいのでしょうか。
私は、以前、ブログでも書きましたが、親の代で遺産相続で骨肉争いになっていたために
盆や正月に集まれば、大げんかという状態でした。
どうしたものかと思い、大学時代、ボランティ団体などで、活躍している方に相談しました。
それなりの著名な先生にも、相談しました。また、社会人になってからも、いろいろな方の
すすめで、やはり著名な先生にも相談しました。
「器の大きい立派な先生だから、相談するといいよ」
しかしながら、常に言われたのは
「あなたの宿命と思い、受け入れなさい。遺産相続問題から逃げてはいけない、あなたが○○家の
跡取りなのだから」
つまるところ、遺産相続問題、精神障害のおばの扶養問題(おばは若く、父が亡くなれば、私が相続権を得るため)を
私が一手に引き受けるべきというものでした。
私が聖人君子になりきり、犠牲になるべきというものでした。
精神障害のおばには、子供の頃、私と弟は、訳もなく、足腰が立たなくなるまで、暴行を受けたこともありました。
力任せに目いっぱい殴ってきますから、下手をすれば死に至るくらい酷いものでした。
そんな目にあわされた叔母の面倒をなぜ見なければならないのか、
馬鹿馬鹿しくて、偉い先生なんてお気楽なものだと思いました。
しかし、いろいろなお偉い先生に入れ代わり立ち代わり何度もそういわれると、悩んでしまうものです。
聖人君子になれない自分自身を責めたこともありました。
結局、何ら問題が解決しないまま、母は病になり54歳で亡くなってしまいます。
母の死とともに、伊勢の霊園に墓を新たに買いました。そこに母、後に父を埋葬、
完全に縁を切りました。
もっと早く、けりをつけておけば良かったと思ったものです。
結局、偉い先生でいくら器が大きいと言っても、人の心に寄り添えない人が多かったですね。
腹をくくれない人が多かったですね。だから、誰もが考えること、常識的なことしか言えない。
ただ、こういう経験をしたことは、私には大きかったですね。
だからこそ、生徒の心に寄り添えたのだと思います。
今にして思えば「逆転下剋上」なんて、ずいぶん思い切ったことを言ってきました。
「不可能を可能にする強い心」
なんて、名刺の裏に書いてありますからね(笑)
器が大きくても、穴が開いていては、水が漏れてしまいます。
器が大きくても、汚れていては、水が腐ってします。
器が小さくても、美しければ、誰もが水を入れて飲もうとします。
器は小さくても、清々しければ、大事に使おうとします。
私は、聖人君子にはなれません、とても、俗にいう「器が大きい人」にはなれないでしょう。
もっともっと自分に対して正直でありたいと思います。
たとえ器は小さくても、美しいすがすがしい器を目指したいと思っています。