人間の脳は意味づけをしたがるという定説

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人間は物事や事象に意味づけをしたがる生き物だ。
天災が起これば神が怒ったと意味づける原始的なものから、お金を稼ぎ人脈を築き余暇を楽しめば有意義な人生をくれるという現代的なものまで・・・
しかし、それらすべてが本当に意味あるものかというと、すべてないとも言える・・・

鳥のヒナが生まれて初めに見た者を親だと思い込む刷り込みという現象。
ヒナは初めに見た者を親だと意味づけてそれについていけばいろいろ保護されるという本能にしたがって行動しているにすぎないかもしれないが、意味づける時、そこにはやはり思考というか情動というか何らかの促しによって行動を決定しているわけである。

人間も何となくとか直観でとか少し考えてとかで、とにかく、意味づけて行動に移しているわけだが、本当にそれが正しいかなんてわからないし、そもそも、そういう行動があくまで生物の生存本能というか生理現象というか物質的な反応の一つに過ぎないのかもしれないのだ。

さて、

意味づけをしないと、人はどうなるだろうか?

一切何も意味づけないで生きたら?

ゾンビのようなものになるのか?

いや、食料すら求めようとしない、無気力な存在になって、生き延びられないですぐに死んで消滅してしまうかもしれない。


仏教は煩悩を捨てよ、と説くが、煩悩も欲も本能も何もかも捨てたら、ただの寝たきりになって、すぐに餓死してしまうかもしれない。


せめて、生存するための最低限の生活を本能に従って、淡々とこなしていくだけの生活をしてみたら、やはりただのロボットというか廃人になっていくかもしれない。

そういう廃人の意識には、自分という意識は存在しないだろうか?

僕が欲も本能も一切捨てて生活したら、僕という意識はなくなるであろうか?

 

 

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