今回も、楽しい体操の時間をありがとうございました。

 

 

今回のテーマは【重さ】でした。

 

「透明な重さ」

「透明平静」 野口三千三

 

 

本当に重さって透明になるのか?を

動きの中で探ってみました。

 

 

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「すべての動きは、重さの変化・流れである。」

 

「重さこそ存在であり、存在こそ重さである。」

 

「自分のからだの重さこそ、自分のからだであり、自分そのものである。」

 

野口三千三

 

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チューリップ 今回は

 

寝にょろ ではなく

 

座りにょろ から。

 

 

寝転んだら、すべての重さを地球にゆだねて

中身もとろんとろん、緩んで水袋になりやすいけれど

 

座ってみたら、ふーーっと呼吸でゆるめても

どこかに力が入っています。

 

 

なので

 

本人は、緩んで座ることに徹してもらって

揺らすのは、別の方にしてもらいました。

 

座りにょろ での対話の動きです。

 

 

Jさんが、私を揺らされながら

気づかれたことを教えてくださいます。

 

 

「右は柔らかいけど、左が少し硬いですね」

 

 

聞いたときは「そうなのかしら?」と。

 

そういえば、座って半身で揺らしたら

右は「たぷんっ」と余韻もあるけど、左は「たぶ」で止まります。

自分では、なかなかわからないものです。

 

 

 

チューリップ そして

対話の動き で、やすらぎの動き もしてみます。

 

 

「やってもらう時、かよさんの指示と支えで身体がグニャグニャと緩んでいたのが面白かった」

 

とTさん。

 

そのときのことが 短い文に圧縮されているけれど

このときの詳細が興味深いので、覚書として残してみます。

 

 

まず、Tさんの指摘にあるように

Tさんの背中と対面したとき

Tさんがおっしゃる通り、文字通り私は「指示した」のでしょう。

 

自分でも、強引すぎるなと思ったのですが

流れを導こうとやってみても

Tさんの背中は、どしっと収まって動きません。

 

そしてTさんは、おっしゃいました。

「もうちょっと待ってって(からだが)言ってる」

 

からだの声を、そのまま言葉で拾い上げられる

Tさんの感性に驚きながら

 

Tさんの背中と胴体の中身を感じつつ

ひと呼吸、ふた呼吸、さん呼吸

ゆったりと呼吸をしながら

Tさんの背中としばらく共にいることにしました。

 

それから、じわっとTさんの背中に話かけました。

 

土台から末端へ。

 

「こっちに流れてみるのはどう?

 こっちは、行ける?

 それじゃあこっちは???」

 

Tさんの上半身の中身が空いて、とろんと流れが起き始めました。

 

「まだちょっと強引かなぁ?

 私の話しかける声が大きすぎるなぁ」

 

私の課題も色々出てきてましたが

 

話しかけたから起きた流れと

Tさんの中に起こった流れとその余韻とを 貞(き)きながら、次々話しかけるのは

大きな水袋とたわむれているようで、気持ちよく楽しかったです。

 

「良くも悪くも、相手を取り込んでしまうのよ」

と、Tさんはおっしゃいますが

 

何回か前の回でもそうだったけど

相手から受け取られたものが、すっと からだ に入ってときの

固さが溶けて、一瞬で動きが変わってしまうのは、素晴らしい才能なのでしょう。

 


 

チューリップ 人によって話しかけ方が違うのは、それは個性?

 

Tさんからの素直な問いです。

 

 

話しかける方が、「思ったことを、思った通りに」話しかけられるようになっていて、そこで違いが出てくるのなら、それは個性。

でも、「思ったことを、思ったとおりにやっていく」っていうのが、実はすごく難しい。

体操で「思った通りに」ができていないところを「思った通りに」近づけていくから、そこから先の出てくる個性がすごくおもしろくてそこからが醍醐味と私は思っています。

 

 

野口先生の直接の意見は見当たらないけど、もうちょっとじっくり著書を探っていきたいです。

 

 

 

チューリップ Jさんも

 

「長年積み重ねてきた身体の癖は一朝一夕には抜けない! けれど、身体が水袋だとイメージしていくと、力が抜けていく」と。

 

ですよね。

 

イメージの力が、からだも動きも変容させてくれますよねぇ。

 

 

 

チューリップ そのあとは、「立つ」

 

ほんとうは、立った姿勢でも、できるだけ緩んで任せて、たっぷんたっぷん、水袋の状態でいたいところ。

 

試しに、右に乗って、左に乗って、ってやってみました。

 

 

踏ん張るのでなく

力むのでもなく

 

ゆるんで、楽にして

地球の中心に重さが流れる

やすらげるところを立った状態でもやってみる。

 

 

うーーん、地球の中心に重さを流すって???

 

 

 

チューリップ それじゃあ「ぶら下げ」でやってみよう。

 

 

降りるとき

 

ふつうにやるのと

「すーーーーっ」とやるのと

「ぽよん」とやるのと

「シュッ」よやるのと

イメージの違いも感じてみました。

 

 

「本当に「ぽよん」となった。おもしろーい」とTさん

 

 

「重さがなくなる。透明になるっていうのは

 脳天一転逆立ちやったら、わかったわ」とYさん

 

 

 

チューリップ 脳天一転逆立ちの前に

肩、肩甲骨、胸、背中、腰、ぜんぶ緩める必要があるから

 

寝にょろ(湯気のイメージ)で、ほどいていきました。

 

 

私が地球の表面で ひとりでやってるというのではなくて、

私は、地球の一部分

地球の中心からやってきた反作用が、私のからだを通ってさらに指の先から外に流れていく

 

 

そんなイメージでやってみたら

 

Jさんの動きが、得も言われぬ別の生き物になりました。

 

めっちゃよい感じ。

原初生命体みたいになってきました。

 

 

 

チューリップ そして、最後は

 

Yさんとの脳天一転逆立ちです。

 

 

「脳天を意識してたら、地面に触れているところが痛いけど、もっともっと下の地球の中心にまで重さを流すことをイメージしたら痛さがなくなるし、すーっと立てる」とYさん。

 

 

胴体のところの重さを、垂直方向に流していって

足の存在なんて忘れているのに、足がぶらあがっているのは、何度やっても不思議です。

 

 

そして

 

Yさんに包助(ほうじょ)してもらって

私も逆立ちをさせてもらいます。

 

1回目。

 

うーん、立ててはいるけど、なんだか重い。

がしっと固まってて自由がない。

先月の方がよかった、なぜなんだろう?

 

 

感じたことをお互いにシェアしてからの

2回目は・・・

 

あぁ、そうそう。

 

逆立ちする人は もちろんだけれど

包助(ほうじょ)する人も自分の重さを

地球の中心にすとんと落とす。

 

うん。軽くなりました。

ふんわりと、一緒に立てて、まっすぐをさぐって微調整。

お互いにゆらゆら揺れてます。

 

 

「包助(ほうじょ)って言っても

 ほんとに、なんにもやってないのよ」とYさん。

 

 

でも、その

ちょうどよい距離感が、安心もするし、安定してるし、自由だし、からだ的にも心理的にも、なんとも心地よいのです。

 

構いすぎると、邪魔になるし、逆にできない。

離れすぎると、宇宙にひとりぼっちにされたようで、不安定。

これは、微妙な違いです。

 

 

「力が抜けて、目に見える床のずっと奥深くにある地球の中心に、身体の下になっているところに意識を向けて、自分の身体が地軸になった感じ?として立つ。そんなふうに立てたら(頭が下で立つことも含めて)長年の身体の癖も、地軸になっていくのかなぁ」とJさん。

 

 

まぁ、ぼちぼち。

あるとき急に、わかったり、動きが変わったりしますから。 ウインク

 

 

今回も、たのしかったです。

いつも、ありがとうございます。

 

 

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「動きの主エネルギーはからだの重さであり、この重さが地球のとの作用と反作用の関係によって、動きのエネルギーを生み出すのである。このエネルギーをどのようにからだで受容・伝達・処理・反応するかを、からだの動きと考えるのである。」

 

「不必要な筋肉の緊張を取り去ったとき、重さが生きてくる。そして筋肉の微妙な働きが生まれてくる。」

 

「「頑張り」がなくなったとき、「重さ」が主役の「透明な力」の世界が現れてくる。」

 

野口三千三

 

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