そしてアリーナ公演の本番日がやって来た―――
「いやぁ~しっかしデビューして1年足らずでこんなでっかい会場でライブやれるなんてよぉ。これもひとえに俺が日々筋トレしてきたおかげかぁ?」
永倉は楽屋の床に置かれたマットの上に仰向けに寝そべり、腹筋の準備をしながら言った。
「ぶっっ!新八ぃ、お前どうやったらそんなめでてえ考えが浮かぶんだよ?とうとう脳ミソまで筋肉になっちまったかぁ?」
まだ昼間だと言うのに、缶ビールを片手にソファーでくつろいでいた原田が笑う。
「ホント、新八っつぁんはしょーがねえ事ばっかり言うよなぁ」
テーブルの上に並んだ様々な差し入れを物色しながら藤堂が呆れた声を出した。
「おおぉ~っ、俺このいなり寿司好きなんだぁ」
藤堂は嬉しそうに箱を開けて、手づかみでいなり寿司をつまみ上げて口の中いっぱいに放りこんだ。
すると、舞台監督が開けっぱなしの楽屋のドアを軽くノックした。
「ドラムのサウンドチェックからお願いします」
「はいはーい、あと20回やったら行きます」
永倉はそう答えて腹筋を再開した。
永倉が楽屋から出ると同時に、斎藤がマッサージルームから戻って来た。
部屋の中を見回して、
「なんだ、総司はまだ来ていないのか?」
はぁっとため息まじりに、こんな日にも遅刻するとはな、と呟くとソファーに置いてあったベースを手に取り、椅子に座ってウォーミングアップを始めた。
「左之さんも食わねぇ?すっげー美味いぜ」
藤堂がいなり寿司の箱を持ち上げて原田の目の前に差し出す。
「いや、俺はいらねぇよ。斎藤は、食うか?」
「ん、俺も結構だ。さっきホットミールの昼食を食べたばかりだからな」
「ちぇーっ、なんだよ皆して」
ステージの方からドラムのサウンドチェックの音が聞こえ始めた。
「皆さん、おはようございます」
楽屋に表れたのはスタイリストの山南とアシスタントの島田だった。
「おはようございます!」
山のように大きな身体をした島田が元気よく挨拶をする。
「あぁ、おはよう」
手をひらひらと動かして挨拶した原田に続き、斎藤と藤堂も挨拶をかわす。
「おや?沖田くんはまだ来ていないのですか…?」
島田に衣装部屋へ荷物を運ぶよう指示した山南が斎藤の向かいに腰を下ろしながら誰にともなく尋ねた。
「そぅなんだよー、どうせ寝坊するだろうからって山崎くんが迎えに行ってるはずなんだけどな」
「そうですか、彼の衣装はリサイズがあったので早めにフィッティングしていただきたかったのですが…」
沖田の遅刻話をしていると、今度はヘアメイクの伊東が楽屋にやって来た。
「みんなぁ~おっはよぉ~」
くねくねしながら斎藤に近寄り、頬をひと撫でして
「あっらぁ~今日もお肌の調子良いみたいねっ♪」
鼻息がかかる距離まで顔を近付ける。
「……サウンドチェックの時間だ」
表情をこわばらせた斎藤はすっと立ち上がり、逃げるように楽屋からステージへと向かった。
「んもぅ!はじめちゃんたらつれないわねぇー」
伊東は斉藤の座っていた椅子に腰を下ろした。
「あら?総ちゃんは?」
聞かれた藤堂がさきほど山南にした説明と同じ内容を繰り返して伝える。
「そうなのぉ?ヘアカラーやるから早めに来いって総ちゃんが言ったのにぃ」
伊東はオネエ特有のねちこい口調で文句を言いながら、入り口に置いた荷物を持ってメイクルームへと準備に向かった。
「・・・あっ、とか言ってるそばから総司が来たみてぇだな」
原田がドアの方へ視線を飛ばすと、藤堂も山南もその視線を追って耳をそばだてた。
廊下から土方の怒鳴り声と数人の足音がどんどん近づいてくる。
「ったく、おめえは今日がアリーナ本番だって自覚があんのかよっ?」
「だってぇ、目覚ましかけるの忘れたんですもん」
「忘れんなっ!」
「もぅ、いいじゃないですかぁ。こうやってちゃんと会場入りしたんですから。ね?山崎くん?」
「馬鹿野郎っ!山崎が迎えに行かなかったらおめえいつまで寝てる気だったんだよっ!?」
「はいはい、ごめんなさい、僕が悪うございました!っと」
入り時間から30分以上遅刻した沖田が、自宅まで迎えに行った山崎に連れられて会場入りしたようだった。
会場楽屋の入り口でイライラして待っていた土方にお小言を言われつつ、楽屋に入って来た。
「あ、おはよー。ふわぁぁああ」
大きなあくびをひとつして、入り口から山南、藤堂、原田の順に挨拶を交わす。
「沖田くん、おはようございます」
「おっす、総司おはよう」
「おはよ、総司」
土方は眉間に深い皺を刻んだまま、山南に声をかける。
「ったく・・・。山南さん、待たせて悪かったな」
「いいえ、土方くん。私なら大丈夫ですから・・・さ、沖田くん」
柔和な笑みを浮かべた山南は、さっそくテーブルの上のいなり寿司に手をつけていた沖田のジャケットの襟を掴んで衣装部屋へと無理やり連れ去って行った。
「あっ、ちょ、ちょっと・・・僕まだいなり寿司・・・あ、ちょっと山南さーーーん・・・」
沖田の会場入りからぴったりと張り付いていたドキュメントDVD収録用の映像カメラマンも、引きずられてゆく沖田を追い掛けて楽屋を行った。
沖田と山南が居なくなると
「・・・ありゃ相当怒ってんな、山南さん」
原田は苦笑して、飲み終わったビールの缶を床に置いた。
「おい、原田。おめえ本番前にあんまり飲むんじゃねえぞ」
「まぁそんなめくじら立てるなって、土方さん。左之さんにとっちゃビールはお茶みてえなもんなんだしよ」
「そうそう、まだ2本しか飲んでませんよ」
「ったく・・・あ、そうだ!」
土方は思い出した、と掌を拳で叩くジェスチャーをした。
「そう言えば今日はファンクラブ会員の中で当選した2人を、終演後に楽屋招待するんだったな」
何万人といるファンクラブ会員の中から抽選で選ばれた2人の幸運なファンとのミーティング&グリートが企画されているのだった。
「ああー、そう言えばそうだったな」
すっかり忘れてたぜ、と原田はクーラーボックスの中から3本目のビールを取り出した。
「写真一緒に撮ったり、サインしてあげたりすんだろ?」
大量のいなり寿司を食べ終えた藤堂が、つまようじを咥えながら土方に尋ねる。
「そうだ、終演30分後から10分程度だ。だから各自シャワーと着替えを急いで済ませよ」
頼んだぞ、と言い残して土方はポケットの中で震える携帯を取って耳にあてながら楽屋を出て行った。
「可愛い子だったらいいなぁー」
「ばぁーか、平助。ファンに手出すんじゃねえぞ?」
「えぇぇー!?左之さんに言われたくねえよなぁ」
「あ、あほ言えっ!俺はファンにだけは手出した事ねえぞ」
「マジか?左之さん見境ないからちょっと信用ねえけどな」
「ふざけんなっ!devilのやつらと一緒にすんじゃねえよ」
「・・・え?なにそれ」
「あ?devilお前知らねえのか?」
「ちっがうよ!風間のバンドだろ?んな事知ってるっつーの。そうじゃなくて!」
「へ?あ、あぁ・・・いやな、あそこの不知火ってベースいんだろ?あいつがさ、手癖ちょー悪いらしくてよ」
「ふんふん」
「なんでも、ファンだろうが女だろうが男だろうが来るもの拒まずで、ナニの乾く暇ねえっつー話だぜ?」
「げぇっ、なんだそれ・・・つーか男って」
「ま、噂だけどな」
「なんだよ、確かな情報じゃねえのかよ」
そんな話で盛り上がっていると
「すいませーん、次はギターのチェックお願いしまーす」
先ほどの舞台監督が藤堂と原田を呼びに楽屋に顔を出した。
「へいよー」
「うーい」
二人は話をさっと切り上げて、監督に続いて楽屋をあとにした。
風間率いるdevilとは、ギターボーカルの風間千景、ベースの不知火匡、ドラムの天霧九寿の3名で構成されるバンドである。
薄桜鬼とはCDのセールスやライブの動員など、何かと対比される事が多く、バンド同士が犬猿の仲である事はファンならずとも周知の事実だった。
特にギターボーカルの風間と土方の間には、詳しい事情はメンバーにも知らされていないが、昔から不仲の原因があるらしかった・・・。
【続く・・・】