神旅 仏旅 むすび旅

人の心は常に脚光を浴びるものに傾く。その中で本来のものを忘却していく事は歴史の中で繰り返えされてきました。日本の歴史財産である神社仏閣もそうです。巡礼をつづけると歴史の忘却したものに出会うことがある。その忘却した記憶を拾い集めています。


テーマ:
image

ブログ☞『秀真伝( ホツマツタエ)』継体天皇伝承地を訪れる


【水尾神社でいただいた「高島地方の古代史話」より昭和46年発行】
注)この色で囲ったところは、「高島地方の古代史話」に記載されているものです。
image


水尾大明神


磐衝別命は、猿田彦命の天成神道を修得するために、猿田彦命を祀る淡海国(近江国)高島の三尾郷来て、三尾山の麓に家を造り、三尾大明神(今の永田神社)に神戸(かみこ 神田を作る農家、今の氏子)を寄附し、神職の山崎氏の祭祀を援助して同氏より天成神道を学び、朝夕住居より三尾大明神を遥拝された。因ってこの地を「拝戸(はいど)」と称することになった。

磐衝別命は、この地に永住して当地でなくなられたので、その子磐城別王等は御父君を奉祀する社を住所近くに創建し、(約一六四〇年前)水尾大明神と尊称された。

水尾神社の祭神 磐衝別命は、水尾神社の西杣山にあって、土地の人は皇子墳と云っている。
なお、磐城別王は志賀の都の高穴穂宮(人皇十三代成務天皇)の御代に、諸国に国造を置くとき、天皇より越前三国の国造に任命され、越前の坂中井神戸の地名があり、後ち神戸郷と称したのは、前途の神戸即ち、神田を作る氏子が住んでいた処であろう。


水尾神社

水炊神社(おおたきじんじゃ)
水尾神社の大炊殿の跡であるという。また、社頭の大石は水尾神社一の鳥居の礎石であるともいう。

長谷寺
長谷寺十一面観音像を造った霊木の地

青柳の太田神社(旧新宮神社)
水尾神社の神輿渡御の御旅所の跡と伝わる。





白連山 長谷寺



本尊は秘仏の十一面観音菩薩
近江西国札所七番


大炊神社の隣にある。
第45代聖務天皇のころ、高島郡音羽庄三尾山の岳観世音付近に楠の大樹があった。

ある年大雨出水によりその大楠が根子そぎ洗い抜かれて、音羽渓から音玉川(小田川)を流れて湖水に流出した。

大楠は流れて大津の浜に漂着した。
そこでこの大楠を拾い上げて養老四年(720年)に大和に運び、観音像を二体彫んで一体は大和国長谷寺のご本尊とし、一体を流出した地の音羽庄に持ってきて、大和と同名の長谷寺を建立してご本尊としたと伝えられている。

大和国の長谷寺の縁起絵巻にも長谷観音の御依木運搬を守護する「三尾明神」が老翁の姿で描かれている。

(長谷寺縁起図)「高島地方の古代史話」より昭和46年発行より

image




ブログ☞長谷寺
長谷寺の創建は奈良時代、8世紀前半と推定されるが、創建の詳しい時期や事情は不明である。寺伝によれば、天武朝の朱鳥元年(686年)、僧の道明が初瀬山の西の丘(現在、本長谷寺と呼ばれている場所)に三重塔を建立、続いて神亀4年(727年)、僧の徳道が東の丘(現在の本堂の地)に本尊十一面観音像を祀って開山したという。



長谷寺の本尊像については、神亀年間(720年代)、近隣の初瀬川に流れ着いた巨大な神木が大いなる祟りを呼び、恐怖した村人の懇願を受けて開祖徳道が祟りの根源である神木を観音菩薩像に作り替え、これを近くの初瀬山に祀ったという長谷寺開山の伝承がある。
長谷寺は平安中期以降、貴族から庶民まで幅広い信仰を集めた。本堂は7回焼失しており、現在の本尊は1538(天文7)年に復興された。仏像彫刻衰退期の室町時代の作品。国宝・重要文化財指定の木造彫刻の中では最大のものである。
本像は通常の十一面観音像と異なり、右手には数珠とともに、地蔵菩薩の持つような錫杖を持ち、方形の磐石の上に立つ姿である(左手には通常の十一面観音像と同じく水瓶を持つ)。
伝承によれば、これは地蔵菩薩と同じく、自ら人間界に下りて衆生を救済して行脚する姿を表したものとされ、他の宗派(真言宗他派も含む)には見られない独特の形式である。
この種の錫杖を持った十一面観音を「長谷寺式十一面観音(長谷型観音)」と呼称する。

▶『長谷寺縁起文』には
「徳道聖人は豊山に来て、この山が古仙修行の跡で吉祥の地であると悟った。徳道聖人はここに精舎を建てたいと思い、山内を見回ったところ、北峯から金色の光が現われた。奇妙に思って勤行をしながら日々その場所に通いつめた。
このことを師である道明聖人に語り、「私はここに仏像を造りたい。そのための仏木を探し求めています」と尋ねたところ、道明聖人は「いいだろう。そう遠くない神河浦に霊木がありこれが良いだろう」と答えた。
その夜、徳道聖人は夢を見て、その霊木を三尾大明神と豊山の守護童子たちがその霊木を守っているとの宣を受け歓喜した。」
長谷寺本尊の十一面観音の御衣木となった霊木は、近江国高島郡三尾前、志賀郡大津浦、大和国高市郡八木里、葛下郡当麻郷を経て長谷郷に来たと伝わる。


▶伝菅原道真筆「長谷寺縁起文」には、
継体天皇の517年、近江国高島郡三尾前山の白蓮華谷に伏す10余丈(30~60メートル)の楠が洪水で流れ出し、志賀大津浦に69年、八木衢(ちまた)に30余年、葛下郡当麻郷に50余年、城上郡長谷郷神河浦に39年とどまり、720(養老4)年、徳道聖人が十一面観音像を造立したと記す。

▶同市音羽に白蓮山長谷寺があり、かつて近くの嶽山中腹にあったと伝えられ、霊木との関係が指摘される。
2008~12年、三尾里地区が地籍調査を行い、長谷寺が247平方メートルの土地を1918(大正7)年に購入していたことが分かった。
長谷寺に連絡し、記録が確認された。
長谷寺の峯山巧誉総務執事は「高島は長谷信仰のふるさとと言ってもいい大事な土地。今後も地域の方との交流を続けたい」と願う。三尾里地区の元区長で、地籍調査の責任者日置隆さん(67)は「地元では長谷観音の由来も、土地購入の経緯も伝えられていなかった。地域の歴史として伝えていきたい」と話している。









「高島地方の古代史話」より昭和46年発行より
image



随分かわったようだ




白遥山




薬師堂





聖徳太子








真横が大炊神社








御朱印



御朱印は、置いて下さっているので
お賽銭箱に料金をいれて頂く


image


ニコニコ私感です
先日近江高島の「白鬚神社」を書きましたが
長谷寺の参道に「白鬚神社」があるのはご存知でしょうか?
近江の高島の白髭神社から勧請された猿田毘古を祭っています。




そして、この高島の地も菅原道真を祀る神社が多い気がする。
やはり、関係があるのだろう

高島郡と甲賀郡は、大木の多い事で知られていた。東大寺や比叡山の用材は全てこの地から調達された。その地の伝承も同じように運ばれたとしてもおかしくない。


最後まで呼んで頂き感謝です。






神社・お寺巡り ブログランキングへ


にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
AD
 |  リブログ(0)

芳瑩(ほうえい)さんの読者になろう

ブログの更新情報が受け取れて、アクセスが簡単になります

AD

ブログをはじめる

たくさんの芸能人・有名人が
書いているAmebaブログを
無料で簡単にはじめることができます。

公式トップブロガーへ応募

多くの方にご紹介したいブログを
執筆する方を「公式トップブロガー」
として認定しております。

芸能人・有名人ブログを開設

Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
ご希望される著名人の方/事務所様を
随時募集しております。