
所在地 三重県鳥羽市安楽島町字加布良古1210
主祭神 稚日女尊
伊佐波登美命
玉柱屋姫命
狭依姫命
社格等 式内社(大)論社
志摩国一宮
無格社
創建 不詳
本殿の様式 神明造
別名 かぶらこさん
例祭 1月9日、6月7日
主な神事 大漁祈願祭(11月23日)
◉稚日女尊 (わかひめのみこと)
天照大神に仕えた神。
◉伊佐波登美命 (いざわとみのみこと)
平安時代末期から鎌倉時代中期の成立とされる『倭姫命世記』によれば、垂仁天皇の御世に皇女倭姫命が皇大神宮の朝夕の御贄を奉る地を探して志摩国を訪れたとき、この神が出迎えたとする。
安楽島の二地(ふたぢ)の鳥羽贄遺跡がこの神の本宮跡で、平安時代後期に現在地へ移ったと言う。
◉玉柱屋姫命 (たまはしらやひめのみこと)
伊雑宮の『御鎮座本縁』などでは天叢雲命の裔、天日別命の子である。
伊佐波登美命の妃神。
◉狭依姫命 (さよりひめのみこと)
宗像三女神の1柱市杵島姫命の別名で、近くの長藻地と言う島に祀られていたが、島が水没したので当社に合祀されたと言う。
御崎の先には、別に領有神が祀られている。
当社の玉垣内には丸白石が敷き詰められており、古くから漁民はこの白石を船霊として船中に安置し、豊漁を祈る習慣がある。船守りとして白石を持ち帰った際は、必ず2倍3倍にして社地へ返さねばならないとされる。
当社は稚日女尊を海の道から加布良古崎へ祭祀したのが起源で、志摩国の海上守護神として古代から崇敬されたと言う。
元々「加布良古神社」と称し、建久三年(1192)の『皇大神宮年中行事』に、「悪志、赤崎、加布良古明神」と記され、著名な神社だったと言う。
当社は伊雑宮と共に志摩国一宮とされる。
志摩国に一宮が2つあった理由について、『日本の神々』では伊雑宮が伊勢神宮の別宮兼官社だったため、民社で同じ祭神の当社を一宮にすべき事情があったか、鳥羽藩が神領再興を叫ぶ伊雑宮の神職を牽制するためにもう1つの一宮をつくったのではないかと推測している。
<縁起> (神社パンフレットより、原文のまま)
人里離れて椎、椨(たぶのき)などの原生林に覆われた神域には、平成13年秋に造営された木造神明造りの本殿、拝殿と平成4年に新築された籠堂があり、神前に佇めば、何がしか森厳さを感じさせます。
当社は、古来より加布良古太明神、志摩太明神と呼ばれ、地元安楽島や近在では「かぶらこさん」の愛称で親しまれてきました。
志摩国の一ノ宮、式内伊射波神社の格式ある由緒は、延喜5年(905年)醍醐天皇の勅命により、藤原時平、忠平らが編纂した『延喜式・神名帳』に、
「志摩国三座 大二座小一座 粟嶋坐伊射波神社二座並大 同嶋坐神乎多乃御子神社 小一座」
と登載されているからです。
つまり安楽島の古名である粟嶋には、伊射波神社があって二柱の神が祀られ、格式はともに大社。小社として神乎多乃御子神社があるということです。
大二座のうちの一座、伊佐波登美尊を祀った本宮は、安楽島町字二地の贄にありました。
昭和47年から61年にかけて鳥羽市教育委員会が発掘調査をし、その全貌が『鳥羽贄遺跡発掘調査報告』に報告されています。
遺跡は、縄文中期から平安中期に至るまでの時代の連続した復々合遺跡で、おびただしい数の製塩、祭祀用土器、儀礼用銅鏃(矢じり)、神水を得るため欅の巨木を刳り抜いて造った豪勢な井戸、神殿と思われる建物跡が発掘され、皇族、貴族が往来した痕跡が見つかっています。こうしたことから、古代伊射波神社は国家にも崇敬 された偉大な「贄持つ神」であったことの証と云えましょう。
伊佐波登美尊は、
第十一代垂仁天皇の皇女倭姫命が、伊勢国内宮に天照大神の御魂をご鎮座させた折、これを奉迎して鎮座に尽力し、また志摩国の新田開発にも大きな功績を残したと伝えられています。後、大歳神と号された尊は伊射波神社本宮の衰退と共に、加布良古崎の伊射波神社に遷座されました。
玉柱屋姫命は
『倭姫命世紀』によれば、天孫瓊々杵命の重臣で水の神として崇敬された天牟羅雲命(あめのむらくものみこと)の裔(子孫)で、神武天皇の勅により伊勢国を平定した天日別命の娘と記されています。
稚日女尊は、
大二座のもう一座は、稚日女尊を祀る加布良古崎の伊射披神社。
霊験あらたかな神様として知られる稚日女尊は、加布良古太明神とも称され、朝廷に捧げる贄物の一部を太明神にも奉納するいう別格の扱いを受けていました。
「加布良古の外峯に立てる姫小松、沢立てる松は千世のためし。加布良古の沖の汐ひかば、宮古(都)へなびけ 我もなびかん。加布良古の大明神に、遊びの上分参らする請玉の宝殿」
これは今から461年前書き写された「外宮摂末社神楽歌」の最後の方の一節です。
古代、安楽島の前の海では、朝廷に捧げる貝(あわび)を採る神事が行なわれ、その様子を歌ったものです。
加布良古太明神ともいわれた女神、稚日女尊を姫小松に見立て、「この松は千年の後も栄えるでしょう。加布良古の沖の汐がひいたら、神事で採れた貝を納めに都へ行きます。加布良古の太明神に分け前を奉納してから」というものです。
この神楽歌から、古代伊勢神宮とは浅からぬ関係にあったことが推測されます。
『神宮紀』によれば、「尾田(加布良古の古名)の吾田節(後の答志郡)の淡郡(粟嶋=安楽島)に居る神(稚日女尊)とあります。稚日女尊は天照大神の妹君、分身とも云われ、第十五代応神天皇の母君である神功皇后の崇敬厚く、皇后が筑紫国(九州)から倭国に凱旋した折にも、常に御許においてお祭りされていました。
狭依姫命は、
宗像三女神の一柱である市杵島比売命の別名で、厳島神社のご祭神でもあります。
安楽島では、粟嶋と呼称されていたころ、神乎多乃御子神社(小一座)のご祭神として、加布良古崎の前海にあたる長藻地(海図では長藻瀬とある)という島嶼こお祭りされていましたが、戦国の世地震によって、その社地は海底1、8mに水没してしまいました。幸いご神体(石体)は村人らによって見つけ出され、現在は伊射波神社に合祀されています。
<御神徳>
縁結び・夫婦和合・海上安全・大漁祈願・五穀豊穣・合格祈願・病気平癒(特に女性)
<主な催事>
明神祭 7月7日に近い日曜日(午前10時から)
木漁祈願祭 11月23日(午前10時から)
勤労感謝祭 〃
<交通>
鳥羽駅(近鉄・JR)で下車。連結するバスターミナルから、安楽島行きの三重交通バスで約20分。そこから、加布良古崎山頂の鎮座地まで徒歩で約30分。要所に「右一ノ宮」の標石が配置されています。
人里離れて椎、椨(たぶのき)などの原生林に覆われた神域には、平成13年秋に造営された木造神明造りの本殿、拝殿と平成4年に新築された籠堂があり、神前に佇めば、何がしか森厳さを感じさせます。
当社は、古来より加布良古太明神、志摩太明神と呼ばれ、地元安楽島や近在では「かぶらこさん」の愛称で親しまれてきました。
志摩国の一ノ宮、式内伊射波神社の格式ある由緒は、延喜5年(905年)醍醐天皇の勅命により、藤原時平、忠平らが編纂した『延喜式・神名帳』に、
「志摩国三座 大二座小一座 粟嶋坐伊射波神社二座並大 同嶋坐神乎多乃御子神社 小一座」
と登載されているからです。
つまり安楽島の古名である粟嶋には、伊射波神社があって二柱の神が祀られ、格式はともに大社。小社として神乎多乃御子神社があるということです。
大二座のうちの一座、伊佐波登美尊を祀った本宮は、安楽島町字二地の贄にありました。
昭和47年から61年にかけて鳥羽市教育委員会が発掘調査をし、その全貌が『鳥羽贄遺跡発掘調査報告』に報告されています。
遺跡は、縄文中期から平安中期に至るまでの時代の連続した復々合遺跡で、おびただしい数の製塩、祭祀用土器、儀礼用銅鏃(矢じり)、神水を得るため欅の巨木を刳り抜いて造った豪勢な井戸、神殿と思われる建物跡が発掘され、皇族、貴族が往来した痕跡が見つかっています。こうしたことから、古代伊射波神社は国家にも崇敬 された偉大な「贄持つ神」であったことの証と云えましょう。
伊佐波登美尊は、
第十一代垂仁天皇の皇女倭姫命が、伊勢国内宮に天照大神の御魂をご鎮座させた折、これを奉迎して鎮座に尽力し、また志摩国の新田開発にも大きな功績を残したと伝えられています。後、大歳神と号された尊は伊射波神社本宮の衰退と共に、加布良古崎の伊射波神社に遷座されました。
玉柱屋姫命は
『倭姫命世紀』によれば、天孫瓊々杵命の重臣で水の神として崇敬された天牟羅雲命(あめのむらくものみこと)の裔(子孫)で、神武天皇の勅により伊勢国を平定した天日別命の娘と記されています。
稚日女尊は、
大二座のもう一座は、稚日女尊を祀る加布良古崎の伊射披神社。
霊験あらたかな神様として知られる稚日女尊は、加布良古太明神とも称され、朝廷に捧げる贄物の一部を太明神にも奉納するいう別格の扱いを受けていました。
「加布良古の外峯に立てる姫小松、沢立てる松は千世のためし。加布良古の沖の汐ひかば、宮古(都)へなびけ 我もなびかん。加布良古の大明神に、遊びの上分参らする請玉の宝殿」
これは今から461年前書き写された「外宮摂末社神楽歌」の最後の方の一節です。
古代、安楽島の前の海では、朝廷に捧げる貝(あわび)を採る神事が行なわれ、その様子を歌ったものです。
加布良古太明神ともいわれた女神、稚日女尊を姫小松に見立て、「この松は千年の後も栄えるでしょう。加布良古の沖の汐がひいたら、神事で採れた貝を納めに都へ行きます。加布良古の太明神に分け前を奉納してから」というものです。
この神楽歌から、古代伊勢神宮とは浅からぬ関係にあったことが推測されます。
『神宮紀』によれば、「尾田(加布良古の古名)の吾田節(後の答志郡)の淡郡(粟嶋=安楽島)に居る神(稚日女尊)とあります。稚日女尊は天照大神の妹君、分身とも云われ、第十五代応神天皇の母君である神功皇后の崇敬厚く、皇后が筑紫国(九州)から倭国に凱旋した折にも、常に御許においてお祭りされていました。
狭依姫命は、
宗像三女神の一柱である市杵島比売命の別名で、厳島神社のご祭神でもあります。
安楽島では、粟嶋と呼称されていたころ、神乎多乃御子神社(小一座)のご祭神として、加布良古崎の前海にあたる長藻地(海図では長藻瀬とある)という島嶼こお祭りされていましたが、戦国の世地震によって、その社地は海底1、8mに水没してしまいました。幸いご神体(石体)は村人らによって見つけ出され、現在は伊射波神社に合祀されています。
<御神徳>
縁結び・夫婦和合・海上安全・大漁祈願・五穀豊穣・合格祈願・病気平癒(特に女性)
<主な催事>
明神祭 7月7日に近い日曜日(午前10時から)
木漁祈願祭 11月23日(午前10時から)
勤労感謝祭 〃
<交通>
鳥羽駅(近鉄・JR)で下車。連結するバスターミナルから、安楽島行きの三重交通バスで約20分。そこから、加布良古崎山頂の鎮座地まで徒歩で約30分。要所に「右一ノ宮」の標石が配置されています。
【大漁祈願祭(11月23日)】
大漁祈願祭では御魚取り神事(みととりしんじ)が行われる。神事では素襖に烏帽子姿の五人年寄りが神前で刺し網を張り、「大漁じゃ」の掛け声と共に新鮮な魚を投げ入れる。神事終了後、魚は焼いて食べられる。
安楽島舞台

【神紋】
なんとびっくり

出雲大社の神紋と一緒や

出雲大社の御神紋は、『二重亀甲に剣花菱(にじゅうきっこうにけんはなびし)』
外側を囲む六角形の枠『亀甲紋』は、亀そのものが瑞祥(目出度い印)とされていたので、平安の昔から好んで用いられた図案。
亀は易学においては「玄武」とされ、北方を鎮護する霊獣としても尊重された。また、日本には、海亀が卵を産んで海に帰るときに酒を飲ませて帰すという風習もある。これは亀がめでたい動物で、海の化身と考えられていたからだ。 家紋のなかで亀甲紋が格別な扱いをされているのは、このようないわれによるものである。
中国では、北方に玄武、東方に青龍、南方に朱雀、西方に白虎と、東西南北には守り神がいるとされていた。そして、出雲大社は北方を鎮護する使命を帯びていたことから、北方の守り神である玄武すなわち亀を神紋とした。
『二重亀甲』に『剣花菱』が組み合わされたこの御紋は、出雲国造が祭事の際に着用する装束の紋と言われています。
その紋所は、亀甲形の内に八稜を形成するように剣花菱を放射状に配し、三種の神器(剣・鏡・玉)を表し、神霊が宿る神ひもろぎを意味する物と言われています。
伊射波神社は、出雲系か?


加布良古崎 (かぶらこざき)
画像中央付近の海岸に一の鳥居が見える。社殿は岬の頂に鎮座する。
領有神 (うしはくがみ)
社殿から250mほど岬の先へ進んだ場所にある領有神の神体石。
一の鳥居
海岸に立つ一の鳥居。加布良古崎 の大浜の海に向って建つ鳥居の先が「菅島」

左には「式内 伊射波神社」の石標が立っている。

船が鳥居前のこの岸に漂着した


二の鳥居

狛犬はないが、岩がある

平成13年(2001年)に拝殿と共に建てられた
こちらで正式参拝の予定ではなかったが、正式参拝させて頂いた。
古代は二礼四拍手一拝の参拝形式としていた。


左側

右側

船守りとしての白石がある。
『日本の神々』によれば、「病気平癒を願う者が深夜にただ一人この社に詣で、白木綿一反を敷いて待つと、御神体の白蛇が顕れ、白布の上を這って祈願者の頭上を目がけて毒気を吐きかけてくる。これを恐れずにこらえていれば、いかなる病も平癒したと伝えられる。
安政元年(1854年)11月の大地震と大津波の火災によって古文献等は焼失、流失してしまった。
11月23日に勤労感謝祭・大漁祈願・海上安全祈願祭が行われる。

鎮座地 三重県鳥羽市安楽島町810番地
御祭神 五男三女神(正哉吾勝勝速日天忍穂耳命など)、他八座合祀
例祭 神事祭 1月7日 、 天王祭 7月16日
当社は、町の北方丸山に鎮座し、祭神は八王子神及び合祀した八神の計16神である。
『諸国誌草稿』には「八王子神、答志郡安楽島村字丸山にあり、境内面積千八百坪、祭神八王子にして創建年代詳らかならず、祭日は正月七日、末社七つあり」と出ている。
志摩国のことを書いた『志陽略誌』にも「八王子社同安楽島にあり、牛頭天王、八幡祠、弁財天祠、恵比須宮等あり」と出ており、満留山神社の旧名は、八王子社であったと思われる。
町の産土神として信仰厚く、1月7日には江戸時代より続く弓立て神事が行われ、多くの人が見守る中、選ばれし奉仕者により弓が引かれ的に当たった数でその年の豊漁、豊作を占う。
石に貝が穴を開けたもの
「意志を貫く」という意味があるらしい
頂きました。子供達に渡そう


タオルも頂きました。


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