牛頭天王とスサノオと蘇民将来 | 神旅 仏旅 むすび旅

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人の心は常に脚光を浴びるものに傾く。その中で本来のものを忘却していく事は歴史の中で繰り返えされてきました。日本の歴史財産である神社仏閣もそうです。巡礼をつづけると歴史の忘却したものに出会うことがある。その忘却した記憶を拾い集めています。

『牛頭天王とスサノオと蘇民将来』は渡来である神で繋がっています

昨日《「牛頭天王」の信仰がもともとは天台宗の密教世界から登場してきたという節もある。「牛頭天王」の名称と肖像の形成については、陰陽道と天台密教の関与が深いとしている。》と書きました。

「牛頭天王」は姫路城の後方、広峯山に鎮座されており、播磨国は渡来人そして陰陽師の一大拠点地です。
『牛頭天王とスサノオと蘇民将来』は渡来である神で繋がっています。牛頭天王と蘇民将来信仰の袂別から、幕末明治の神道家たちは、記紀神話のスサノオを持ち出す事により国家神道的な権威を「祇園神」に附会しようとしました。



☞牛頭天王(ごずてんのう)とは

▶牛頭天王は初め明石浦に出現して、広峰に祀られた。その後、京都北白川の東光寺(岡崎神社)に移り、元慶年間に感神院が創建されて祀られた。という説もあり

聖武天皇733年 広峰神社に、吉備真備に勅命を出して、広峯山に大社殿を造営させ、新羅国明神とし、「牛頭天王」と名付けたという。説もある



▶牛頭天王(ごずてんのう)は、日本の神仏習合における神。播磨国広峰山や京都東山祇園に鎮座する神であり、蘇民将来説話の武塔天神と同一視された。インドの釈迦の生誕地に因む祇園精舎の守護神とされ、祇園神という祇園信仰の神である。陰陽道では天道神と同一視された。神仏習合では薬師如来の垂迹であるとともに、スサノオの本地とされた。
疫病流行など不慮の災厄にさいなまれつづけた古代の人々が,既往の信仰・伝説とも結び合わせながら信仰の対象として育成した神格である。
この神は別に〈武塔神(むとうしん)〉の名をもつが,それは《備後国風土記逸文》にみえる〈蘇民将来(そみんしようらい)〉と〈巨旦将来(こたんしようらい)〉という兄弟の伝説にもとづく富貴な兄の巨旦将来と貧しい弟「蘇民将来」の説話を記している。


▶陰陽道では天道神とされ、天刑星、吉祥天の王舎城大王、商貴帝と同一視された蘇民将来説話の伝播にあたっては陰陽師の活動も大きかったと考えられる


▶新羅に牛頭山という山があり、熱病に効果のある栴檀を産したところから、この山の名を冠した神と同一視され、また『日本書紀』巻第一神代上第八段一書に、スサノオ(素戔嗚尊)が新羅の曽尸茂利/曽尸茂梨(ソシモリ)という地に高天原から追放されて降臨し、「ここにはいたくはない。」と言い残し、すぐに出雲の国に渡ったとの記述があるが、「ソシモリ」は「ソシマリ」「ソモリ」ともいう朝鮮語で、牛頭または牛首を意味し、韓国には各地に牛頭山という名の山や牛頭の名の付いた島がある由と関連するとして朝鮮半島起源説がある。

▶牛頭天王は薬宝賢明王と称し、本地を薬師如来とする説も有力であり、もっとも一般的には、多くの場合、天竺の祇園精舎の守護神であると説明される。

▶同じ牛頭の武神であり、秦氏が日本に伝えたとする道教の兵主神=蚩尤と関連するとの説もある。


☞スサノオと蘇民将来(そみんしょうらい)
蘇民将来(そみんしょうらい、蘇民將來)とは日本各地に伝わる説話、およびそれを起源とする民間信仰である。こんにちでも「蘇民将来」と記した護符は、日本各地の国津神系の神(おもにスサノオ)を祀る神社で授与されており、災厄を払い、疫病を除いて、福を招く神として信仰される。また、除災のため、住居の門口に「蘇民将来子孫」と書いた札を貼っている家も少なくない。なお、岩手県南部では、例年、この説話をもとにした盛大な蘇民祭がおこなわれる。

京都の八坂神社や伊勢・志摩地方の年中行事では、厄除け祈願として、茅の輪くぐりや「蘇民将来」と記された護符の頒布、注連飾りなどの祭祀が盛んに行われている。
京都祇園社の祇園祭は、元来は御霊を鎮めるためにおこなわれたのが最初であったが、平安時代末期には疫神を鎮め、退散させるために花笠や山車を出して市中を練り歩く「やすらい(夜須礼)」の祭祀となった。山車につけられた山鉾は空中の疫鬼を追いこむための呪具、花笠は追い立てられた厄鬼を集めてマツの呪力で封じ込めるための呪具であり、また、祭りの際の踊りは、本来、地に這う悪霊を踏み鎮める呪法であった。悪霊や疫鬼は、これらによって追い立てられて八坂神社に集められるが、そこには蘇民将来がおり、また、疫鬼の総元締めであるスサノオが鎮座して、その強い霊威によって悪霊や疫鬼の鎮圧・退散が祈願されたのである。

『備後国風土記』逸文にある「蘇民将来」神話では茅の輪を腰につけて災厄から免れたとされ、茅の旺盛な生命力が神秘的な除災の力を有すると考えられてきた。




単に「蘇民将来」といえば護符そのものを指すこともある。護符には「蘇民将来子孫也」「蘇民将来子孫之門」といった文言や晴明紋が記されていることが多く、家内安全や無病息災のお守りとして門口に吊されたり、鴨居に飾られるなどする。八坂神社や信濃国分寺八日堂で頒布されるものが特に有名である。


ウィキペディアなど、だいたいが八坂神社中心に書かれていますが、
牛頭天王(ごずてんのう)は、もとは播磨国広峰山に鎮座する神で、祇園祭(ぎおんまつり)で知られる八坂神社(やさかじんじゃ)に牛頭天王の分霊を遷しているため、播磨国広峰山を見ていく方が本来に近いものが見えてくると思うのです。
ブログ『播磨国の謎』で書いているように、播磨国にリンクする内容が多々あります。
陰陽道、呪具、兵主神、朝鮮半島起源説、スサノオ


姫路城の後ろに見える、増位山から広峰山登山口にかけて広がっている集落が白国(新羅訓)であり、新羅の国の人たちが開発した地域として今も名を残しています。
「播磨国風土記」の飾磨の郡によると
新羅訓となづくるゆええんは、昔 新羅の国の人、来朝しける時、この村に宿りき。故、新羅訓と号く。とある。
土地の伝承によると、「朝鮮の新羅の国の天皇である牛頭天王が、ここへ行幸なされたので、ここを しらくに といい白国神社を祀った」という。
「白国大明神」と称された神社のもうひとつ、それが天平五年(733)の創祀とされる広峰神社。
広峰神社では、除疫札などは発行されていませんが、境内に蘇民将来を祭神とする「地養社」があります。土地の伝承の中では「地養さん」の名で親しまれてきた社で地神さんである「地養さん」こそ、白国の人たちが祀ってきた氏神であったと推測できる。
やはり、こちらは隠されず渡来の神の足跡が今も残っています。

沖浦和光によると、牛頭天王信仰は大陸から朝鮮へ伝わった民間道教の流れに乗ってこの列島に入ってきたが、最初に伝えたのは渡来人の「巫覡」だった。その一団は渡来文化の一大拠点であった吉備・播磨地方に住み着いて、播州姫路の広峰神社に牛頭天王を祀った。という
また、牛頭天王信仰を招来したのは、唐で陰陽後五行説を学んで帰ってきた吉備真備であったと伝えられているが、広峰神社は吉備真備が唐より帰国した後神託をうけて天皇に奏上し社殿を造営したという社伝があり、つながりもあるようだ。


「牛」を追求していくと→渡来人→巫覡→被差別民に行き着いてしまう。

牛頭天王信仰、蘇民将来は、明治維新以降は牛頭天王信仰との袂別され、八坂神社のようにスサノオの影となり、消されてしまいましたが、播磨国ではその痕跡を残しています。
「スサノオ」の姿も見えてきましたね。





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