熊野三山の八咫烏 | 神旅 仏旅 むすび旅

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人の心は常に脚光を浴びるものに傾く。その中で本来のものを忘却していく事は歴史の中で繰り返えされてきました。日本の歴史財産である神社仏閣もそうです。巡礼をつづけると歴史の忘却したものに出会うことがある。その忘却した記憶を拾い集めています。

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~熊野那智大社ホームページによると~
熊野那智大社社伝に「神武天皇が熊野灘から那智の海岸“にしきうら”に御上陸されたとき、那智の山に光が輝くのをみて、この大瀧をさぐり当てられ、神としておまつりになり、その御守護のもとは、八咫烏の導きによって無事大和へお入りになった」と記録されているそうです。
命の根源である水が豊富にあふれ落ちる「那智大瀧」を、この熊野に住む原住民の人々も神武天皇御東征以前からすでに神として奉祀されていたとも伝えられていますが、いずれにしても古代からこの大瀧を「神」としてあがめ、そこに国づくりの神である「大巳貴命」(大国主命)をまつり、また、親神さまである「夫須美神」(伊弉冉尊)をおまつりしていたそうです。
その社殿を、お瀧からほど近く、しかも見晴しのよい現在の社地にお移ししたのは仁徳天皇五年(三一七年)と伝えられています。
この時、大瀧を「別宮飛瀧大神」とし、新しい社殿には「夫須美大神」を中心に、国づくりに御縁の深い十二柱の神々をおまつりしました。
やがて仏教が伝来し、役小角を始租とする修験道がおこり、古来の神々と仏とを併せてまつる、いわゆる神仏習合の信仰が行なわれるようになりました。
その後、「蟻の熊野詣」といわれる程に全国から沢山の人々が熊野を目指すことになるのですが、中でも、皇室の尊崇厚く、延喜七年(九〇七年)十月、宇多上皇の御幸をはじめとして、後白河法皇は三十四回、後鳥羽上皇は二十九回もご参詣の旅を重ねられ、また花山法皇は千日(三年間)の瀧籠りをなされたと記録されています。


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何度も訪れていますが、その時々によって気づきが違うのですが
今回の場合は、3月にであった方が「カラス カラス カラス・・・・・」とカラスの事ばかりお話しする方で、2日間一緒にいたのですが「カラス」のことしか話さず、「カラスは悪魔の使いなんですか?」「カラスを駆除する方法を知りませんか?」「カラスを鉄砲で捕獲して欲しい」などとカラスイコール「悪」で話されるのです
私は、プラス思考ですし我が家は田舎でカラスはそこら中にいますし、どちらかというとごみ箱をあさるイタチの方が困っているのです。あせる
私は、カラス 八咫烏のお話をしましたが汗そう言った話は聞く耳もたずで、カラスのイメージを変える事はできなかったのですがシラー

そんな事もあり、前回の那智大社のブログ☜こちら
でかけなかった「八咫烏」を少し調べました。
そして、今回参拝して熊野牛王符(くまのごおうふ)も購入しましたよニコニコ
熊野牛王符が入っている赤い紙袋には『悪魔退散』とも書かれているので、このお札を買いにきたのかなとも思いました。



八咫烏とは?
日本の歴史に於ける八咫烏の出現はきわめて古く、『古事記』『日本書紀』『延喜式』を始め、 キトラ塚古墳の壁画や福岡県珍敷塚古墳横穴石室壁画、千葉県木更津市高部三〇号噴出土鏡、世界最古の油絵である玉虫厨子(法隆寺蔵) の台座にも見ることができるそうです。

古事記によると、八咫烏は高木大神(たかぎのおおかみ)の命令で、神武天皇東征の際に一行を道案内するように命じられ、天より遣わされたという。

日本書紀には天照大御神が遣わしたと書かれている。

姓氏録によれば、八咫烏は賀茂御祖神社(下鴨神社)で祀られている賀茂建角身命(かもたけつのみのみこと)の化身と伝えられる。

和歌山県の熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の三つの神社の総称)では、この八咫烏が神の使いとして祀られている。

ヤタはヤアタ(八咫)の略。咫(あた)は上代の長さの単位である。
ここでいう八咫は単に「大きい」という意味であるとされる。
また、八咫烏は、古代中国の伝説上のカラスである金烏(太陽の中にいるという3本足の赤色の烏)と同一視される。

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太陽神
八咫烏は太陽の化身で三本の足があります。
この三本の足はそれぞれ天・地・人を顕わすと言われています。
カラスは太陽と強い結びつきを持つ鳥とされる。
ギリシア神話では太陽神アポロンはカラスを使いとしており、アイヌの神話では、カラスが太陽を救うとされる。
八咫烏も太陽神(もしくは太陽神の使い)であると考え信仰されている。

カラスと太陽の結びつきについての理由は諸説あるが、太陽にある黒点をカラスだとする説がある。


熊野国造家の開祖
熊野国造家の開祖は天火明命は、物部連の祖である饒速日命(ニギハヤヒノミコト)と同一神としている。しかも大国主の子
元伊勢の籠神社も、主祭神を「天照国照彦火明命」(天火明命のこと)だったな~

天火明命(アメノホアカリ)の別名は以下。
天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやのみこと)(『先代旧事本紀』)
天照國照彦天火明尊(あまてる くにてる ひこ あめのほあかり の みこと)
天照国照彦火明命(あまてるくにてるひこほあかり)(『日本書紀』)
天火明命(あめのほあかりのみこと)(『古事記』)
彦火明命
火明命 (『日本書紀』)
膽杵磯丹杵穂命
天照御魂神(『神社志料』)

とややこしく たくさんの呼び方がある



熊野牛王符(くまのごおうふ)
熊野権現、飛龍権現 熊野牛王符(くまのごおうふ)は、一般的な神札と違って一枚ものの和紙の上に墨と木版で手刷りされ、朱印を押したもの
本来は厄除け災難よけの「護符」でしたが、その裏に起請(誓約)を書く「誓紙」として用いらるようになりました。
起請(誓約)を破ると、熊野神の使いのカラスが三羽死に、破った本人は血へどを吐いて死に、地獄に堕ちるとされたのです。
*穂浪士があだ討ちを誓ったのも、この熊野午王を誓紙にしてなされたとされています。
熊野三山の各大社ごとにデザインは異なります。


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熊野那智大社 特別展

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特別展は「紀伊山地の霊場と参詣道」がユネスコの世界遺産に登録されて10周年になり、さらにことし(2014年)和歌山県でデスティネーションキャンペーンが行われることの協賛事業の一環として、熊野那智大社宝物殿で行われるもの。
今回の特別展ではおよそ50年前まで本殿に祀られていた「熊野十二所権現古神像(くまのじゅうにしょごんげんこしんぞう)」や那智経塚(きょうづか)から出土したもの那智山宮曼陀羅(まんだら)、奉納鏡、例大祭関連、那智経塚遺物など熊野那智大社で特別展など非公開の宝物あわせて80点が公開されます。
4月1日からことしの12月13日まで、開殿時間は午前8時半から午後4時までです。料金は大人300円、小中学生が200円となっています。

朝日宮司は「古神像以外にも、今まで陳列していなかった宝物類がたくさん展示してある。地元の方にもぜひ見ていただき、熊野信仰の深さを感じていただければ。神道において、神は自然そのもの。水をはじめとする自然が無ければ、生命が誕生することもなかった。たとえ交通が不便であっても、都会の博物館ではなく熊野の地に出向いて特別展を観覧することで、何かを感じ取ってほしい」と思いを語った。~紀南新聞より~




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