先週の日曜、大学の同窓会行事に行ってきたのは承前のとおりです。
それで、午後は時間が空いたので大学の後輩を誘ってご飯を食べに行きました。
もっとも、祝賀会で軽食を食べたあとだったのと、私の「独断と偏見」を優先したため、いつもの行きつけのうどん屋さんめぐりになりました。
「恐るべきさぬきうどん」の名店もひとつ、またひとつと店を閉め、残っていて繁盛を続けているのは貴重品?です。県の登録文化財に推薦してもいいくらいです。(笑)
まぁ、本州出身で、四国路は殆ど来たことがないという後輩だったので、香川の代表的な食文化を気に入ってもらえたらいいのですが。
その帰り道、高速を走りながら、昔のことを思い出しました。
私がまだ学生だった頃、あるいは、社会人になりたての頃、JRがまだJNRでしたので、特急にはまだ食堂車が健在でした。
大阪に祖母が元気でひとり暮らしをしていたので、東京に居た私は機会をみつけては夜の新幹線で大阪まで帰って泊まりに行ったものです。
夜の新幹線は座席に居てもつまらないので、私のお気に入りの席は新幹線の食堂車でした。
まだ置き引きという言葉がはやらない、のどかな時代です。
東京駅で重い荷物を荷棚に押し込んで一服したら、本一冊を手に持って列車中央の食堂車に向かいます。
窓の外の暮れ行く風景を見ながら、ゆっくりビールを飲んで時間をつぶしました。
夕食時間は結構込み合っていましたので、相席がほとんどでした。
そこで、いろんな方と出会いました。殆どその場だけの一期一会の交渉で終わりましたが、出張や旅行で非日常の空間のためか、お酒のせいか、結構話好きな陽気なおじさんたちが多く、話もいろいろ聞いていて飽きませんでした。ご機嫌なおじさんたちは席を立つときに勘定書をひったくって、「ここはいいから」と、思いがけなくご馳走になったことも何度かあります。
当然なことながら、「自分も偉くなったら若い子に同じことをしてあげよう」と思ったものです。
いま、新幹線は飛行機とのサービス競争で、スピードはたしかに早くはなりましたが、食堂車もビュフェも姿を消し、車内で見知らぬ旅行者同士が口をきく機会は大幅に減りました。
今では、お互い進行方向を向いてただ黙って読書するかiポッドを聴く、ただの空間移動の手段になったと言ってもいいでしょう。
それはより能率的で快適なひとりの時間の過ごし方なのかもしれませんが、大切なものを失ったことは確かです。
同窓会行事の帰り道、そんなことを思い出しました。