パリで死にたくない
  • 06Dec
    • 良いやつすぎる男。 ティボーガルシア

      映画『マチネの終わりに』にティボーガルシア役として登場するティボーガルシア(本名)について。彼との出会いは実は映画のずっと前、2008年のことでした。僕は留学して1年目のことでした。パリ国立高等音楽院教授のオリヴィエ・シャッサンの講習会にて出会ったのが初めての出会いでした。まだ当時14歳だったティボー。『タイキ、日本人なの?よろしくね!俺ティボー!ギターやってどれくらいなの?今なんの曲練習してんの?え、スカルラッティ?ちょっと楽譜貸してよ、え?嫌なの?笑なんで?貸してよー』っとただ明るいティボー。講習会は平均年齢20歳くらいでパリ国立高等音楽院を目指している生徒ばかりでした。ティボーはそのなかではとても若く、みんながいったいどれだけすごい若手が参加してきたのか、と思いティボーに注目します。ティボーの演奏、その場にいたみんなの感想は、、『へ、へたくそ!!笑』すみません、今でこそ世界的プレイヤーの彼ですが当時の彼は14歳にしてはうまい、というぐらいで決して日本によくいるような天才タイプではありませんでした。ただ、音がピカピカ。。性格そのままの明るい音で、全然弾けてないながらにもその場にいた全員、そしてシャッサンもこれは化ける、と確信していました。講習会終了後、お別れをします。ティボーはみんなに『ばいばい!また会おうね!めちゃくちゃ楽しかったよね、来年も会おう』10年前なので記憶は曖昧ですがともかくそんな明るい性格でした。そして数時間後ティボーの両親からなぜか電話がかかってきます、『あ、タイキ?ごめんうちの息子が間違えて君の荷物持って帰ってきちゃった笑』おい!!笑なんで?全然荷物の色違うしなんで間違える?笑 しかもお父さん明るすぎ笑色々つっこみどころはありながらも後日自分の荷物が郵便で届きました。というのが彼との出会いで、あまりに印象的で鮮明に覚えています。そしてその1年後2年後と毎年講習会で顔を合わせることになります。その度に10倍、20倍とどんどん上手になっていって『あ、これはやばい』とみなが確信します。僕は幸運にも一足先にパリ国立高等音楽院に入学できることになりました。当時僕はすでに23歳でした。そして次の年、16歳の子が1位で入学した。そう、それがもちろんティボーです。自分の母校ということもありなかなか言いにくいのですがおそらく入学するのは世界一難しい学校です。特にギター科に関しては。世界中から受験者が集まり入学者は多くて3人です。そこに16歳で1回目の受験で1位で受かるというのはかなり異例なことです。そしてその後はとんとん拍子でコンクールには優勝、テレビ出演、と瞬く間にスターの座に駆け上がります。そして映画出演。『マチネの終わりに』スターになっても相変わらず気取らずただただ明るいティボー。撮影現場にて『なんの映画なの??めっちゃ設備とかすごいじゃん!テデスコ弾いてって言われたけど半年くらい弾いてないんだよねー、印刷機ある??楽譜忘れたw』ティボー。これさ、福山雅治さんと石田ゆり子さんっていうものすごい、もんんのすごい有名な二人が出る映画でたぶん来年邦画でナンバーワンヒットの映画だよ。『え、まっじ?やっば』スターになっても何もわかってないティボー。撮影が始まります。テデスコのギターソナタの4楽章、相変わらずの演奏でその場のスタッフはもちろん全ての人を圧巻します。そして演奏の録音中、『タイキ、あのさタイキが音チャックしてくれない?』もちろん音響さんはその場にいて音のチェックは僕の仕事ではありません。『でもごめんタイキがチェックしてくれないとちゃんとギタリスト目線で音がとれてるか確信できないから』とスタッフの方に。ティボー、、なんて良いやつ!これはもちろん性格を知ってるからですが気を使ってくれたんです。そういうやつなんです。前回の記事を見て頂ければわかりますがまだあまり現場で何もできていなかった僕。そこに気づいてくれていたんです。10年前、カバンを間違えて持って帰った少年がこんなに立派になって。先輩としてはただ嬉しく、、ではありません。ただただ嫉妬です笑『ティボーさっき気つかってくれたよね?ありがとう。でもなんでティボーが出演で俺がスタッフやねん!どれだけすごいことをしたかわかってる?福山さんと共演したんだぞ??おまえ。。うらやましい!』『え、だってまだ実感できないんだもん、てかなんでそんな怒ってるの笑あ!!そういえばゲームオブスロンズの最新話みた???』『もういい笑』会話は本当ですが半分冗談です。本当はすごく感謝しています。前回のを見て頂ければわかりますが福山さんと交流できたのも実は彼のおかげです。4年間彼と学生生活をともにして彼がどれだけ努力をしてきたのかをずっと見てきました。学校の練習室にずっと引きこもって高校の宿題(当時まだ高校生)をしながらもギターの練習をする姿、誰にも嫌われることのない人を思いやる素晴らしい人格。いろんな意味で彼しかこの役にふさわしい人間はいなかったと思います。そしてそんな人間と出会えて一緒に勉強できたことをすごく嬉しく思っています。写真は10年前ティボーと初めて講習会で会ったときのの様子です真ん中が僕で右端がティボーです。そして現在

  • 02Dec
    • カッコよすぎるMR.F

      前回の続きです。今回はFさんのカッコ良すぎる魅力について。前回の記事を見て頂ければおわかりのように初めてお会いしたとき、それはもう緊張していました。これは僕が滋賀県で育って小さいころ道で芸能人に一度もすれ違ったことがないからとかそのせいで少しミーハーなところがあるとか関係なしに国民の誰でももしFさんと話すことになったら緊張するんじゃないか思います。初めてお会いしたとき、失礼な言い方かもしれませんが『あ、本当に存在するんや』と思ってしまいました。だってテレビでしか見たことないし。何よりこんなに整った顔の人を見たことがない。肌とか本当に綺麗すぎてフランス人のスタッフの間では『大人の赤ちゃんだ!』と言ってました。でも今日お伝えしたいことはそんな見た目の話じゃなくて人としてののカッコ良さ。テレビでのFさんはもちろん知っていましたが普段どういう人なのかというのは想像がつきませんでした。もしかしたら全然違ってすごく恐い人なんじゃないかとか色々考えていました。でも実際話してみるとテレビで見てたあのFさんがいました。そして当然ですがあの何度も聞いた声!!!しぶい。。僕は福田進一さんのアシストで指導や監修、と言ってもFさんからすれば一回り年下の知らないギタリストな訳です。相手にすらされないんじゃないかとも思ってました。ところがまさかの?と言っては語弊を生むかもしれませんがすごく謙虚、で低姿勢なんです。撮影の最終日まで僕なんかにずっと敬語だし本当にすごく気を使って頂きました。説明は省きますが今回の役柄で練習されていたクラシックギター。パリの撮影時にはお世辞でもなんでもなくて既に僕らから見ても完璧なフォームで弾かれていました。楽譜を暗譜されているのは当然なこと本当にびっくりしたのが何度やってもいわゆる楽譜を忘れたりフォームがすごくくずれたりなどのNGが1回もでないんです。それでもたまにほんの少しだけずれたりする部分をモニターを見ながら僕はスクリプターの方や監督に報告するだけでした。でもこれもクラシックギターをやってる人以外絶対わからないような微々たることです。でも本当に99%はただ『はいオッケーです。あ、はいオッケーです。え、はい大丈夫です』と言い続けるだけでした。良く考えたらミュージシャンとしては今までに何千万人の前で弾いて歌ってこられた方なんですよね。でもすごい。。どうやったらこの短期間でクラシックギターをここまでできるようになるのか。しかもあれだけの仕事をこなしながら。そしてあれだけ成功しながら1つの仕事にこれだけ努力されていること。クラシックギタリストにしかこの努力がわからないのが本当に残念。。本人はそれを表に出すようなことは言ってませんでしたがたぶん血の滲むような努力をされたんだと思います。どんだけ天才でも絶対に無理な範囲なことを実現されてました。そして、、まずい、このままではオッケーです!と言うだけで僕の役目はほぼ終えてしまいます。撮影最終日、舞台になったのはパリにあるサル・ガヴォーというコンサートホール。大聖堂の3楽章と幸福の硬貨の演奏の撮影です。指導と呼ばれながらも僕は相変わらずモニターを見ながら大丈夫です、と言い続けるだけでした。そんななか突然スタッフの人に『松本さん、今すぐ舞台に来てください』とトランシーバーで連絡が入ります。福山さんから大聖堂の最後の終わり方について聞かれました。右手の角度、目の方向、など。個人的な解釈でありながらも自分なりに必死に説明させて頂きました。そのシーンがたまたまテレビのメイキング番組で放送されてたのですが今思えばあれはもしかして何も指導という役目が殆どできていなかった僕のことを気遣ってくれたのではないのか、と。そうじゃない可能性もありますがなんとなくFさんと話しているうちにそうだったんだろうと今ではほぼ確信しています。優しい!!そしてカッコ良すぎる。色々な芸能人、ミュージシャン、俳優の方がいますが、能力やルックスだけではナンバーワンにはなれないと思います。Fさんのように人間としてもすごい方が成功していくのだと思います。でも、本当なにもかも別次元でした。そんなカッコ良すぎるFさんと最後、撮影も終わり僕の役目も終わった時。完全に小さいころ滋賀県でテレビを見てた頃の自分になってしいまい、スタッフの方が大勢いるなか、、『すみません!最後に写真とか取ってもらっていいですか?あと自分の録音のCDもあるので聞いてください。』 あ、しまった。出過ぎた、、と思ったのですがこころよく引き受けて頂けました。そして調子に乗ってしまった僕は撮影からしばらくしてですがマネージャーさんを通して8月に自分の東京でコンサートがあるこ報告させていただきました。コンサート当日の半年も前のことです。そしてコンサート当日、色々とプライベートでも問題があり、かつてない最悪のコンディションでした。色々な関係者の方に来ていただけるということで前日から緊張もしていました。そんななか主催者の方から『Fさんからお花が届いている!』優しい、、なんて優しい人なんでしょうか。あんな撮影でちょろっと出会った僕に。一気に緊張が解けます。嬉しいという気持ちが完全に緊張や不安という感情に対する特効薬なんだとわかりました。おかげさまで無事に演奏終了することができました。もうヒーローでしかないです。なんて一流でそして優しい。まだ映画の話も公に出ていなかったので会場にいたその名前を見たお客さんは同姓同名の誰かだと思ったに違いありません笑頂いたお花はもちろん段ボールごと実家の滋賀持って帰りました。くさい言い方になりますが花は枯れてしまいましたが僕の中では死ぬまで咲き続けることになると思います。他にも色々話したい細かいこともあるのですが一応このへんで。見て頂ければお分かりのように僕が映画でさせて頂いたことは微々たることです。演奏や本当の指導、監修をされた福田進一さん、その他にも徳永真一郎君、秋田勇魚君、大萩康司さん、荘村清志さんなど色々なギタリストが映画にさまざまな形で関わっていています。余談になりますが、、、、日本へ帰ったとき早速Fさんが表紙を飾られてる現代ギター11月号の現物を見たかったのでとある京都の楽器屋さんへ。見当たらないので店員さんに聞くと『あ、あの福山が表紙のやつですよね?いやーさすが売れきれっすね』ん、今福山って呼び捨てにしたな?、、、イラッ!!っとした自分の感情と共に完全に自分が福山雅治さんのファンになっていたことに気付きました。最後までご拝読ありがとうございました!                                                松本大樹

  • 01Dec
    • 撮影現場にて、地球が揺れた日。

      丁度去年の今日でした、前回の記事を見て頂ければわかりますが映画「マチネの終わりに」でクラシックギター監修、指導をされた福田進一さんのアシストとしてパリでの撮影時にほんの少し協力させて頂きました。任されていたのは主に主人公のクラシックギタリストを演じる福山雅治さんのフォームなどのチェックや指導など。。また次回に詳しいことを書きたいと思いますが結論から言うと本当に指導、などということは殆どなくすでに福山さんのフォームやテクニックは僕らクラシックギタリストから見ても既に完璧なものに仕上がっていました。さて、そんな『マチネの終わりに』の撮影の2日目の出来事。僕はまだ福山さんとはスタッフの方を通して1言挨拶させて頂いただけで何一つ面識のないときでした。とにかくすごいオーラだったのを覚えています。。この撮影2日目は映画にも出演した天才ギタリスト役の、ティボーガルシアを演じるティボーガルシア(本名)の撮影がありました。ティボーとは実は10年以上の付き合いで彼が14歳からの付き合いで学校も先生も同じで弟のように慕ってる存在です。ティボーには僕がいることは内緒にしていてティボーが来るなり「え、タイキなんでいんの!?」日本のスタッフの方にはわからないと思い自分で自分を指さして 「俺が主役やねん」  としょうもない冗談をフランス語で。ところが何も知らずに来たティボーは3秒だけ信じてくれました、、純粋。ごめんなさい。そしてティボーの演奏のシーンの撮影が始まります。相変わらずのすごい存在感と実力で2テイクほどで演奏の方の撮影は終わります。そして撮影の合間、福山さんのギターをティボーが試奏することに。ちなみに福山さんのギターはイグナシオフレタというギタリストが喉から手が出る程欲しい銘器です。はい、ここからが今日書きたかったことです!まずそれまでの撮影では指導なんて必要もなかったし、オーラが巨大すぎるのとまず第一声、なんて呼べば良いのかわからない。。福山さん、、?違和感。といったこともあり話しかけられませんでした。でももし話しかけるなら今しかない!と思い、「福山さん、あの、クラシックギターどうやってこの短期間であそこまで弾けるようになったんですか?全然アコギやエレキとは違いませんか。。?」写真のこの場面、丁度勇気出して話しかける2分前くらいです。※写真はシネマトゥデイさんのメイキング映像集から※腕を組んでるのは真似してる訳ではありませんとても優しく応えてくださり、ほっとしました。一語一句覚えてますがここでは書くことはやめておきます。ただ大爆笑な例え話をされてました。その後、ティボーが弾き終わります。「うん、これはすごいギター!古いレコードのような味わいのある音がする!」とティボ。いいなーティボ。 いいなーーーーー、と思っていたら福山さんがギターを持ってきてくださり『よかったらどうぞ』と言ってくださり、、僕も試奏することになります。嬉しい!と思ったんですけどよく考えたら撮影現場のステージ上だったんで監督やその他スタッフの方もいます。そして何より、、あの小さいころからテレビでギターを弾いていた福山さんの前で自分がギターを弾く。心の準備ができてないままステージ上へ。普段の演奏会でも緊張はしますがそれとは全く違った種類の緊張が押し寄せます。緊張というよりは少しパニックに近かったです。手が震えることは普段も演奏会のときありますがその時は足、体、いや地球ごと震えている、、、という感じだったのを覚えてます。なにかが変。どうしよ!!!何を弾けば。。さあここからが恥ずかしながら自分の本性がでます。目の前にいる同性としてというか同じ生物としてすべて負けている存在の福山さん。でも僕もクラシックギターは!大聖堂は自分も弾ける。。。!ということで何を血迷ったか僕はそこで大聖堂と幸福の硬貨(今回映画のために福山さんが練習されていた2曲)を弾き始めます。他にもロドリーゴのトッカータなど技巧的な曲を弾いてライオンを目の前にしたチワワが叫ぶように弾き続けました。これはなかなか同業者にしかわからない失態?なのですが例えるならずっと魚を捌くスペシャリストだった人がある日果物ナイフを使って果物を綺麗に切らなくてはいけない。目標はリンゴの皮が最後まで途切れずにむききること。そして僕は果物ナイフのスペシャリストでこれを使ってくださいと言われればまあそこには無数の果物があるわけですから他の果物を使って何か披露すればよかったわけです。わざわざりんごを取って、なんなら楽勝で皮むけますよ!みたいなのことをしたわけです。別にだめじゃないけど。。なんとなくNGですよね。この例えでわかっていただけますでしょうか?まあそこはリンゴにするべきでしょ!という人もいるかもしれませんが普段なら僕は絶対しません。ただ本当にそのときはパニックになっていて、その期間ずっと聞いていた大聖堂と幸福の硬貨が手にでてきただけ、という言い訳もあります。でも素晴らしい楽器でした。と言っても本当のこと言うとパニックであまり楽器の音がどうだったかというのは細かく覚えていないのですが。今思えば撮影途中ですごくタイトなスケジュールでスタッフの方が秒単位で進行しているところを僕があんなに長く弾いてしまってすごく迷惑をかけたのでは、、という思いがあります。でも恥ずかしいことをしたなぁと思いながらも一生忘れられない思い出になりました。帰り道、ティボーと一緒に帰ります。僕が大聖堂をあの場で弾いたことについて『たいき、あれはないわ、、』『やっぱり?笑』『うん笑』『なんやねん、てか役通り嫌なこと言うな!Tais-toi! 』『笑 笑』『てかそもそもMASAHARU FUKUYAMAと共演したこがどのくらいすごいことかわかってないやろ』と散々福山さんが日本でどういう存在なのかを語りました。『うん、でもたしかにタイキとは違った』『やかましいわ』『まあでもティボー、ちょっとありがとう!』と言い合いながら二人でパリに帰りました。(そのときの現場はベルサイユ宮殿の近くにあるホールでパリ市内からはすごく遠い)色々自分の中では恥ずかしい思いもありますが一生忘れられない日になりました。次回はミスター・Fのカッコ良さについて書かせていただきます。本当にかっこいいんです。。伝えたいです。今回も最後まで読んで頂いた方、どうもありがとうございました。                                             松本大樹

  • 17Nov
    • 映画『マチネの終わりに』の感想。をとても偏った目線で。

      何からお話をすれば良いのか、3年前友人からクラシックギターを題材とした小説が出版されている、ということを聞きました。小説のは名前は『マチネの終わりに』。マチネ、という普段使うフランス語が入っているのもすごく気になりました。そしてさっそくパリのジュンク堂へ探しに行きました。あった!さすがジュンク堂。平野啓一郎さんの作品でそれはそれは素晴らしい本でした。何よりもクラシックギター、パリ、というだけでこれだけ自分が共感できる話もないだろうなという思いで読んでいました。とにかくセンスの塊というか、文字を使った芸術!と言う感想でした。本当に日本語って綺麗だなぁ。って思わされました。おそらくテーブルの上にリンゴが置いてあるだけでも平野さんなら魔法のような言葉でそれを表現されるのだろうなーと思いました。言葉の魔術師。そして原作を読んで確信していました、『映画化される!!!』と。1年後です。本当に映画化されるという話がクラシックギタリストの間で噂され初めました。主演は福山雅治さんと石田ゆり子さん。。完璧じゃないですか!これはおもしろくなる!と当時パリにいた徳永真一郎君と話していました。『なんか仕事こーへんかな』 と笑いながら話していました。そして1年後本格的に映画の製作の発表がされた頃です。ギター監修を務められる福田進一さんから連絡を頂き、アシストとして福山さんが弾くクラシックギターの指導、監修をしてほしい、と言われました。!!!!!!!もちろんです!と言った流れで幸運にも徳永君が日本の撮影現場で、僕はパリの撮影現場で協力させて頂くことになりました。そして11月にはコンサートで日本に帰国していて映画館で鑑賞することができました。もちろん偶然ではありません。はい、ここからが感想です。『素晴らしい!』の一言。劇中流れる福田進一さんのギターも絶妙でした。ただ職業病で、、この曲どんな運指使ってるんだろう、次の曲はどんな曲でどんなテンポやニュアンスで来るのか!などというこも考えてしまいました笑ですが音楽も映像もともかく美しく、映画とコンサートを両方を観て聴いた。という贅沢な気分になりました。撮影現場で10時間程費やした場面が1分にも満たなかったり、というところにも1秒単位で芸術が作られているんだなととても尊敬しました。そして1秒の中でもまた編集などの作業があったりと、本当に芸術をしていく上でものすごい見本を見せられた気持ちでした。それは自分が1曲をを仕上げていく上でもとても大事なことだなと思いました。そして、映画を見終わった後しばらくして家に帰った頃です。映画の感想とは別にとても嬉しい感情になり泣けてきました。3年前買った大好きなクラシックギターとパリを語る小説、その映画に携わらせて頂けたこと、その映画が素晴らしかったこと。こんなことが人生にあるでしょうか。映画の中に、というか平野さんの言葉で『未来が過去を変えている』とありますが僕にとってはこの映画が本当に色々な過去を変えてくれました。クラシックギタリストであること、パリで生きていくこと。簡単ではありません。後悔なんてしてませんが時々、『もし日本で音楽をせずに普通に生活していたら。。』ということも考えてしまわざるをえない辛いことも1000回ぐらいありました。ですがこの映画のおかげでそんなことは一寸たりとも考えなくなりました。全てはこの日のためだった。というくらいパリにいてよかった、クラシックギター続けててよかった。って本当に心から思いました。自分が生きている間にクラシックギターとパリが同時に映画の題材となり、そこに少しでも携わらせもらえる。そしてその映画を一人で自分の育った街で観れる、ってこんな幸せあるでしょうか。そして何よりも今五体満足でこれからもクラシックギターを続けていけることがとても嬉しい。嬉しい!!!このマチネの終わりにを生み出してくれた平野啓一郎さん、パリでの監修を任せて下さった福田進一さん。監督を含め映画を誕生させてくれた全ての方々に感謝してもしきれないです。これからクラシックギターを続けていくうえで色々あると思いますが、辛いことがあればこの映画のことを思い出して頑張っていけそうです。次回は撮影秘話をほんの少しだけ、、続く

    • もう1つの就職先は王族の住む街

      前回の続きになりますが、4年前に就職したとんでもない街にある音楽院と同時にもう一つその1年後にとある街にある音楽院のギター科の教員になることができました。それがCroissy-sur seine というパリからほんの少し離れた郊外にある場所なのですがもう笑ってしまうような大金持ちしか住んでない超高級住宅街にあるんです。歴史的な街でもありかつては画家のルノワールが愛した場所でいくつか作品も残しています。学校へ行く道にはこんな風景が広がります↑こんな家が何軒も並んでます。そして生徒たちは6歳の子でもディ〇ールだのシャ〇ルなんかの服を着てたりします。学校も古城の庭にあり、とても立派で教室からの風景はこのような感じ↓前回紹介したド貧困街とは180度違った風景です。でも、じゃあ給料もすごく良いのか、というと全くそのド貧困街にある音楽院とほとんど変わりません。前回の記事を見てもらえばわかりますがフランスの音楽院は基本的に市や県が管理しているためたとえその街がとても高級なところで市がすごくお金を持っていても給料は教員が持っている資格によって決まります。ただ何か特別イベントがあったとき、教員によるコンサートなどの時にはどれだけ予算があるか、あってもどのぐらいを音楽や文化活動に使うか、となると市に寄って使う予算がかなり変わることがあります。前回紹介したような貧困街などは治安が悪いのでそういった文化事業などにはとても力を入れていてかなり融通が利きます。ところがこの超高級住宅の市長さんは文化などに税金使ってられるかーーっと言った考え方で僕たちはかなり肩身の狭い状況になることもあります。とまあ学校の話はそのくらいにして、生徒なのですがもう全然違います!こんなこと言ったら反感をかうかもしれませんが貧困な街と比べてやっぱりまじめ、です。使う言葉も丁寧だったりやっぱり教育のされ方が全然違います。まずフランスで6歳の子が敬語で話すのを初めて聞きました。ただ中には週に習い事を7つしていてギターを練習する時間がない、という子もいたりします。まあお金に余裕があったらそりゃ親も色々な事させたいですよね。その子に『自分の部屋とこの教室どっちが大きい?』と聞くと『ん?家による!』『え、どういうこと?』『家が3つあるの』『あ、そうなんだ。。。』まあ教える立場でありながら6歳児にものすごい敗北感を覚えるのですが。世界は広いですね。ただこの狭いパリ市内、郊外とだけでも貧困の差が180度変わってそこを毎日行き来するのはなかなか面白いです。街の人の表情、使う言葉、歩く速さ、などを見て場所は近くでも全然違った生き方をしている人たちがいて自分もまた全然違うところにいて、と色々考えさせられます。

  • 28Oct
    • 就職先は犯罪率ランキング第3位の地区にある音楽院。。

      前回の続き。初めて面接で行ったときからうすうす勘付いてはいたのですが新しく就職した音楽院がある場所、どうやらおかしい。というか危険な香りがぷんぷん。学校近くの駐車場にはこんな車が止まってたり。。修理ってなんなんでしょうか。ガムテープの使い方って学校で習ったのは間違ってたんでしょうか。これが本来の使い方、、ともかく普通ではない地域なんです。友達に話しても「え、まじであそこに行ってるの?大丈夫?」と謎の返信。。ん?やっぱり何かおかしい。調べているとわかったのですがフランスでもかなり有名な治安の悪い場所だそうで10年前までは普通に銃声が街で鳴り響く場所だったそうな。そして驚くほどに貧相な街だそうです。と言いながらも初めて行ったときからそこはすぐに理解していましたが。とまあそんなとんでもないところにある音楽院なのですが、なんと驚くほどに立派な学校で。学校にはちゃんとしたコンサートホールがあり毎週国内外からアーティストを呼びコンサートを市が経営して行っています。フランスは治安が悪い場所ほど市が文化事業などに力を入れ治安を改善しようという動きが昔からあるんです。私も市にバックアップしてもらいコンサートをさせてもらいました。そんな音楽院なのですが生徒がやはり特別でこんなことを言うとあれですが本当に貧乏な子が多いんです。いつものように「練習してきてね!」と言うと生徒『どこで?』「いや、家で」『んーでも1つの部屋に8人で住んでるから練習する場所なんてない』「QUIO!?(何?)え、どいうこと?ワンルームに8人ってこと?」『そうだよ、弟が絶対邪魔するしお母さん横で料理とかしてる練習なんてできない。あ、弟はちなみに5人いるんだけど』そりゃあしゃーない。。と言うしかないですよね。フランスは子供の数に対して大きく生活扶助の金額が変わるため、貧困な街ほど子沢山な家庭が多いんです。(5人ほど子供がいれば扶助金だけでも生活ができる)家で練習できない子がいることを学校に説明すると校長は『Ah, oui bien sûrça arrive souvent(あーはいはい、それね、よくあることだよ)』とすぐにその子のために学校で練習室を用意してくれました。。。えーよくあるんですか?そもそもどうやって学費払ってるの?と思ったんですがフランスの市立の学校などは親の収入によって学費が決まることをそのときはじめて知りました。そのワンルームの子などは年間のレッスン代は1万円ほどです。1万円で毎週1回のレッスンに加えソルフェージュや他にも副科でいくらでも授業をを取ることができます。ワンレッスン数百円で受けられる計算。すごいですよねお金持ちの子しか音楽ができない、なんてことは全くないんです。僕もフランスへ来て学費というのはほぼ払ったことがありません。練習室の管理費程度です。じゃあどうやって教員は給料が払われているのかというと前回も話した通り税金なのです。それ故にフランスでは今そこに税金を使うなんて!という運動もあり文化事業への予算はどんどん軽減され続けてますが、でもそれでも少なくとも私の働いてるこのSarcelles音楽院は市がとても音楽に対して協力的です。本当に良い場所に雇われたと今でも誇りに思っています。ただ本当に治安は悪いんでいつも行きの電車ではイヤホンで音楽を聴きます。もし聞こえなくなったら携帯が盗まれたとわかるからです笑とまあ嘘のような本当の場所が世の中にはあるんです。でも面白いです。次回は現在もう一つかけもちで働いているこことは全く正反対の超お金持ちな市にある音楽院のお話です。続く

  • 25Oct
    • 教えている音楽院を首になって途方にくれる

      まずフランスの音楽院の雇用体制の仕組みなのですが、日本にはないシステムなので少し説明が難しいのですが基本的には市が運営、つまり市立の音楽院、そして県立、国立とが大きく分けてあります。その公共機関で働く教員は基本的には公務員のような扱いで市役所から、つまり税金から給料を頂きます。10年近く前になりますが友人の紹介でパリの当時の自宅から電車で2時間ほどの場所にある田舎の小さな音楽学校で働くことになりました。色々初めてなこともあり苦労しましたが学校も個人まりとしていてその分教員同士が身近で校長ともみなが仲良くアットホームな雰囲気の学校でした。生徒とともとてもうまくいっていました。年齢は8歳から60歳まででレベルも初心者からセミプロまで様々でした。しかし働き始めて3年目に大きく学校の方針が変わることがありました。個人レッスンからすべて団体レッスンにしましょう!とのことでした。つまりは1対1ではなく1対2や3にしようということです。これはその学校に関わらずフランス全土で起きた運動で、理由には文化事業への予算削減など他にも色々と理由があり多くの音楽院がこのような体制を取らざるをえなくなった時期があり現在でもその動きは続いています。ただ私はこの動きに猛反対でした。全員が0の状態の初心者を教えるならともかく上級者を2人などのグループにして教えるなど理解ができませんでした。その方針は校長が決定権を持ちさらに市長が最終的な判断を下します。そのときから学校では毎週のように会議が行われその度に休日でも往復4時間かけて学校まで行ってました。結果論議を重ねるにつれて私は校長とピリピリとした関係になっていきました。それまでは本当に友達のように仲良くしていたのですが。そして年度末、忘れもしない7月前半、バカンスに入ってすぐですが電話がかかってきて『Taiki, ごめん。 来年度は君との契約を更新しないことにした』、、、、つまり解雇ということです。「いやいやいやいやいやちょっと待て」「色々言いたいけどなぜこんな時期に言う?」「来週から日本に行くの知ってるよね?もう新年度の仕事見つけようとしても募集も公募も殆ど終わってるし仮にあったとしても日本行くから間に合わない。」などとまあ無限に電話で争ったあげくその学校から去ることを決めました。一番納得いかなかったのはその校長は僕がレッスンしている姿など一度も見たことがないんです。レッスンの能力などは何も評価されず、自分のやり方に反対されるのが納得がいかなかった、、とはっきり言われたのでもう諦めました。こんなところではやっていけない。ですが20人ほどいた生徒に誰一人さよならも言えないまま、というのは心残りでした。次の週には教室にあった僕の荷物がすべて速達で送られてきてさすがに少し心が折れました。完全にふられた気分です。そもそも何一つ悪いことはしていないし外国人としてのハンディキャップもありながら自分としてはかなり真剣に生徒のことを考えて3年間おくってきたつもりでした。日本でもそのときは9月の半ばまでコンサートなどが入っており帰ってくる頃にはもう新学期が始まっていてどこの学校も公募などしていないといった状況でした。これはまいった。と思いありとあらゆる方法で色々な情報を集めフランス全土、パリ近郊でなくともいいからどこかギターの教員を募集していないか。9月16日が誕生日でしたが全然めでたい気分にはなれず必死に探した結果5つほど偶然見つかりました。まず5つに履歴書を送りそして2つから返事が来たので面接に行きました。他の3つは返事すら来ませんでした。面接、、前の学校は友人の紹介で得た仕事だったので面接などはほとんどありませんでした。ですので面接、というのは初めてになりました。日本のようにノックは何回するか決まっていてお辞儀は何度など決まっているのか。。いやそもそも日本でも面接なんて経験がない。ともかく友達のフランス人全員に連絡して対策としてどのように話せば良いのかということを教えてもらいました。まず、なぜ外国人としての僕を学校が雇う必要があるのか、というところが当然ポイントとなります。ちなみに演奏技術は全くといって良いほど関係ありません。フランスは資格社会なので演奏家の資格、というジャンル分けだけで同じ資格を持っているなら上手であろうが下手であろうがこういった仕事の審査の場合、地位は同じになります。面接時、日本とフランスの音楽の教育の相違点、両者の利点を生かして混合させることはできないであろうか。するには具体的にフランス、日本のどこが良くてどこが悪いか、ということをできるだけ明確に長々と説明しました。(とりあえず一杯話した方が良いと聞いていたので)とは言ってもそこでフランス語を間違えては台無しなので口から言葉を発すまでに一度頭で喋ったりすごく文法などには気をつけます。というより8割は事前に台本を用意して覚えていきました。結果、1つの学校は落ちてもう1つは受かりました。そうやって働き始めたのが今働いているSarcelles音楽院。フランスでも犯罪率がトップテンに入る地域にあるフランスの郊外にある学校です。次回はその音楽院と他にかけもちで働いている学校について、、続く。

  • 21Sep
    • 職員会議はお酒と共に。フランス人の自己主張能力のすごさ

      フランスでは9月が新学期の初めとなり先日は今教便を取っている音楽院での職員会議がありました。私は現在3つの学校をかけもちしているのですが今日はその中でも一番のマンモス校のサルセル音楽院での職員会議の様子をお話したいと思います。教員の数は54人でなんとギターの先生だけで6人います。クラシックギターが3人で他はアコースティック科、ジャズ科まであります。先日の会議では30-40人ほどが出席していました。集合時間は9時、、と言ってもまず誰も時間通りに来ないのですが。まずはみんなで朝ご飯を一緒に食べます、『ヴァカンスどーだったー?』『元気ー?』と1時間ほど世間話をすることから始まります。そして校長先生が   『はーい会議はじめるよー』『はじめるよ?。。。だからはじめるって言ってるのに!もー!』   と10回程連呼したところでようやく教員全員が朝ご飯を少し口にふくませたままコーヒーを持って会議室へ移ります。正面真ん中に校長が座り書記係がその両隣に3人ほど座りそれを僕たち教員が囲みます。こんなかんじです↓会議の内容は今年度の主な予定、予算や生徒の発表会の日程決め、その他もろもろです。基本的には校長が話を進めていくのですが教員も意見します。でも意見しすぎて全然話が進まないんです笑30人いてほぼ全員が1回は発言します。中でもおしゃべりな人は何か話が出るたびに自分の意見を毎回出してきます。10年以上住んできて本当に一番フランス人に関心するのはこの自己主張のすごさ。なんなんでしょうかね。英才教育なんだと思います。日本だと小学校のときとかってクラスにおしゃべりな子って2,3人しかいなかったですよね?滋賀県が特別とかはないですよね?おそらくどんな学校でも授業中先生の言うことを断ち切ってまででも意見を常にしてたよくしゃべる子というは5人以下だと思うんです。もしかしたら大阪は15人なのかもしれませんが。でもこっちは学生の頃からちっちゃい子でも本当に自分の思うことをみんなの前でどうどうと手をあげて意見するんです。そこで人にこう思われたい思われたくない、恥ずかしいとかはないんです。ともかく思ったことは口にしないと気が済まないし満場一致が美しい、人に合わせたいという概念が全くないのです。だから職員会議でも校長が何か一つ言ってもどうどうと反抗してなかなか激しい言い争いになり日本人の感覚としてはうーわこれは気まずくなる、とか思うのですが全くそんなことないんです。それはそれでこれはこれなのです。日本人にはこれが欠けている!これが大事なんだ!と思い僕もある程度は見習って努力してきました。でも大事、だとは思いますが別にそれを誰もがどこでもしなくてはいけないとは思わなくなりました。恥ずかしくて本当に言いたいことを言えない   これはだめかもしれません。でも一番自分が言いたいことは置いといて相手が一番言いたいことを聞くという日本人的な考えも僕はやっぱり素敵だなと思うんです。そこにはやっぱり優しさがあるんじゃないかと思います。もちろん人によりますし僕の勝手な固定観念かもしれませんが。日本人は礼儀とか謙遜で気をつかいすぎと言われますが、でも自分を犠牲にしてでも相手を悲しませたくないとか良い関係を保ちたいと思えることができる優しい人種のような気がもします。言いたいことが言えない社会、という実情はもちろんあるのかもしれませんがやっぱりこっちと比べると小さいときからなんとなくみんながみんなを敬っていた気がします。311があったときもこっちで避難所の様子などが流れて『なぜ暴動とか盗みとかでないの?どうやったらあんな極限状態で人のこと思えるの?』とすごく日本人をリスペクトしていました。いや本当に日本人の人への気遣いっていうのはすごいんだと海外へ来て初めて気づいたしもしかしたらその良さがわかったのがこっちへ来て一番の収穫だったんじゃないかなと思うときもあります。これから先何年フランスにいるのかわかりませんが彼らに影響は受けつつもその自分の日本人の好きなところ、は絶対に忘れないようにしたいです。だからと言ってフランス人が優しくないかっていうとそんなことはありませんよ!とはやっぱり言えなくて笑んーさっきの意味で言う優しさはあまりないかもしれませんね。良くも悪くも自己中心的だし。本当にいらいらしますが、でも喧嘩ができるって大事だな思います。何度も言いますがもんちろん人によりますよ。でも本当に相手が思うことを全部言うのでこっちも気を使うことなくはっきり意見できて戦えます。そして喧嘩してもやっぱりそれはそれで次の日には忘れていたりします。そこはやっぱり良いところ、なのかもしれません。じゃあ気を使えて喧嘩ができたら一番いいのか。それは知りません。とまあ話は脱線したり矛盾したりしましたが会議の話の続き。結局会議は3時間に及びそのあとは学校の中庭で用意されていたお酒を片手に飲みながらいろいろな話をしました。そのときにはもちろん会議で目立った発言をした人のことを悪く言うわけでもなくただ明るい話をします。みんな音楽家でその楽器のスペシャリストなので本当に話していると面白いです。夏の間はどこに行ってた?と聞くと中には演奏会でヨーロッパ中飛び回ってたという話も多々あります。僕も日本でのコンサートの話をしたりしました。そしてその日は会議の後に今後の予定を決めるために生徒や生徒の親と会うのですがよく考えたら休憩時間とはいえ勤務中にお酒をみんなで飲むって、、やっぱり楽観的ですよね。よく考えたらと、とか言ってる時点でだいぶ麻痺してきてるのかもしれませんが辛いことがありながらもこの文化の違いというのを感じれるというのはやっぱり面白くてなかなか退屈することがないから今までこの国でやってこれたんだなーと思っています。これからも良い面も悪い面もしっかり見ていこうと思います。

  • 17Sep
    • 続)語学習得必勝法。 好きな人に嫌いと言われたとき

      今日は語学の習得法、会話編です。言語の文法や仕組みを覚えるには前回説明したように様々な方法があると思うのですが。会話に関しては実践するしか方法がないように思います。というか必要に迫られないと反射的に言葉を発するという能力って身につかないんだと思います。子供が言葉を覚えるのも何かしたいということを伝えたい、つまり伝える必要があるから覚えていくのだと思います。その早さと量は全然違いますが。でも新たに言語を勉強するときもやっぱりそれが大事だと思います。例えば、 もーーーうるさい!!!! と人に伝えたいときに辞書で調べてそれを発して相手が黙り込んだとしたらたぶんその言葉は何語であっても一生忘れない気がします。会話の中で「話す」に関してはそれの積み重ねだと思います。簡単なことから始めて後はどんどんそれを長くしていく。人と話す機会がなければ犬や猫に向かって「かわいい」と言ってみるだけでもいいと思います。そして次に人に「この前犬に向かってかわいいって言ってみた」と言うというところから始める。伝えたい、ではなくとも何か感情やイメージを持って話せばその言葉はなかなか忘れにくいはずです。例えば未だに日本語話しているときでも名詞だったらその名詞を少しはイメージしながら話している気がします。「りんご」と言うだけでも頭の中では一瞬りんごがでてくると思います。文だったら「今朝りんごを食べた」と言ったときに少しは今朝のことを思い出しながら言ってると思います。それを英語なりフランス語であっても同じ事をすれば良いんだと思います。本当に思っていること、あったことを日本語を話しているときの仕組みと同じように話す。当たり前のようでいてこれがすごく難しい。でも逆に日本語でも作り話だったり言い訳のための嘘、などを言ってるときって次の日にはもう明確には覚えてませんよね。辞書での例文などがとっさに会話では出せのも同じ仕組みだと思います。自分の言葉ではないからです。自分の言葉で外国語を話す、例えば「今のとこスローモーションで初めからスタートして!」これとかもうほぼ英語ネイティブに話せてますよね。 でもこのスローとかスタートとかフィニッシュって言うときにもやっぱり嘘ではない感情が混ざってますよね。外国語を外国語としてではなく、感情を伝えるためのツールとして使っていけば話すのはすぐにできるようになると思います。特に、どうしても伝えなくてはいけないことがあって言えないと恥をかく!なんて場面があったらもう感情が3倍にも4倍にもなってその言葉を発します。そしたらたぶんその言葉は何語でもなかなか忘れないですよね。問題は聞き取り、なんですが。これは耳の良さ、とか色々言われますがたぶん一番大事なのは自分の発音の良さなんじゃないかなと思います。だってもし自分が話している発音が完璧で相手が同じことを同じ発音と速さで言ったら絶対聞き取れますよね。特にイントネーションが大事だと思います。だから聞き取れない文章を何度も聞き返すより自分がその発音に近づけるようにがんばった方が早いと思います。でも仮にそれができたとしても実践する場所がないとなかなか難しいですよね。あと聞き取りをするときもそこに感情があるかどうかというのはとても大事です。例えば冗談で『あなた嫌いだわー笑』 と言われるのと大好きな人に本気で『嫌い!!』 と言われるのでは絶対後者の方が後にその言葉の発音や言い方など覚えていますよね。自分で言うときももちろん同じだと思いますが。これは極端な例ですが、感情というか言われたことに印象を持つというのがすごく記憶に直結していると思うんです。当然かもしれませんが。でも、だから色々な人と話すことがすごく大事だとおもいます。あの人はこういうフランス語使ってたのにこの人はこんな言い方をするんだ。とかっていうのが大事だと思います。現に僕は12年前に行った郵便局の係りの人に言われたすごく不親切なフランス語での一言とか未だに覚えていたりします、、んーーー あ==-なんか語学のスペシャリストでも教師でもないのに文章を見返してるとすごく偉そうなことを言ってる気がしてきたのでこの辺でやめますすみません。笑でもせっかく書いたのに消すのももったいないので載させてください。いつかちゃんとクラシックギターのことまじめに書きます。

  • 14Sep
    • 語学必勝法!映画は全く役に立たない

      先日の語学での苦い思い出の話の続きになりますが留学をすると誰でも一度はしゃべれない、わからないというだけで裸になるより恥ずかしい思いをします。12年前フランスに来たとき、自力で語学を習得するしかありませんでした。話せるようになりたい、ではなく話せないと生き残れないという状況に迫られたのです。さて何から始めればよいのか。いろいろな勉強方法を試しました。今日はその方法と失敗談を話したいと思います。まず最初に始めたのは自分が普段日本語で話している内容を録音したりメモったりしました。普段自分が使っている言葉なんて2000もないはずだ、それさえ全部訳せればとりあえず話せるようにはなるはずと思ったんです。ところが普段自分が使っている言葉というのは単語にすると結構あるもんなんですよね。5000~10000、数ははっきり思い出せませんが今こうやって書いてるだけでも動詞、形容詞、名詞全部合わせると三桁になるのではないでしょうか。ですのでこの勉強方法は短縮して全部ではなくとりあえずよく使う言葉、をランキング付けてならべてみました。例えば僕なら「めっちゃ」 「例えばな」 「絶対にさ」 「でも仮にそうやとしてもな」 「まあ。。わからんけどな」など上位200位をフランス語で覚えるだけでも大変でした。次に試したのは街で2回以上聞こえる単語をメモなり反復して家へ帰って意味を調べる、もしくは誰かに意味を聞く。という作業。1日に2回も聞くということは絶対普段よくフランス人が使う言葉なんだろうと思いました。これはかなりの効果がありました。というか最初の3年くらいはこれを日課にしてました。そして次にこれは絶対成功する!!!と思ったのが映画をフランス語字幕で見るということです。結果からいうとこれが最も時間を費やして意味のない勉強方法でした。何度も見たのがリチャードリンクリエイター監督のBefore sunrise、Before sunsetですかね。なぜ映画があまり効果がないかと言うと、、、美しすぎたりカッコよすぎるんです。僕はこの映画大好きなんです。1000回近く見てセリフも英語、日本語、フランス語でほぼ全部覚えています。ですが日常でそのフレーズを使ったことはほぼ1度もありません笑映画というのは2時間という限られた時間の中でしかもその中でセリフがあるシーンなんて半分以下になることが多いはずなのでそれはそれは厳選されたフレーズだらけになるわけです。「もしある島に女が99人と男がたった1人いた場合、翌年生まれる赤ん坊は99人。でも男が99人で女が1人だったら、翌年生まれる赤ん坊は1人だけ」 Before sunriseの1コマですがこんな台詞絶対フランス語覚えたての外国人が言えないし言ったところで責任持てなさすぎですよね。「もし神が存在するのなら、人の心の中じゃない。人と人の間のわずかな空間にいる。この世に魔法があるなら、それは人が理解し合おうとする力のこと。たとえ理解できなくても、かまわないの」関係ないですけどこれは劇中のただの好きだった台詞です。これは今なら言っても良いんじゃないかと思ってある日あたかも自分で考えたかのようにカッコつけて言ってみました。すると相手は「あ、それ、なんだっけ?なんの映画だっけ」。。。。と返されまあ恥ずかしい思いもすることもありました笑あ、すみません語学の話でしたね。結局一番文法なり単語を覚えた後の文の作り方、で一番勉強になったのが、、、実は漫画でした!これは100%おすすめです。冗談でも何でもないです。僕は特に同じ漫画を何回も読んでいたのでものによってはほぼ台詞を覚えていたので絵=台詞、がすぐにでてくる。後はそれのフランス語バージョンをこっちの本屋で買えばいいだけです。 いやー本当に勉強になりました。未だにフランス語を話していて、ふとハンターハンターの一場面が思い浮かんでくることがあるくらいです。もしサザエさんやちびまる子ちゃんなどの台詞を暗記している人がいれば無敵だと思います。日常会話の宝庫なので。 最初に覚えなくちゃいけない会話なんて「まる子ちょっとあれとって」「カツオご飯よ」とかそのレベルなんです。ただそれが完璧にできてもまだ第一ステップなんです。本当に話す、聞けるということが0秒単位でできるようになるにはまた違う能力がいる気がします。なぜ中学高校とほとんどの人が6年も英語をやってほとんどの人が話すことができないのか、そこに気づくのにはそんなに時間がかかりませんでした。次回はその話をしたいと思います。続く

  • 13Sep
    • フランスに留学して最も辛かった1日

      散歩の続きを話そうかと思ったのですが突然嫌なことを思い出したので今日は12年前フランスへ来た時の思い出話をさせてください。1番最初フランスに来た目的はもちろん音楽留学で南仏のニース音楽院に入学しました。それはそれはワクワクした気分で一杯でした。来てしまえばなんとかなるだろうとギター以外のことは何も準備せずに来ました。語学もとりあえずサバイバルで学ぼうと語学学校には一切行きませんでした。学校がスタートしてギターの授業が始まりました。Laurent Blanquartという先生です。とても親切でジェスチャーを交えながら話してくれたのでなんとなくレッスンはわかったような気になっていました。今思えば僕の当時のレベルに合わせてどのレベルの会話ならわかるかということを彼がわかってたから成立していただけで、彼が言うことを理解しているという勝手な勘違いだったのですが。さて問題は副科の授業。和声学の先生がオリヴィエ・メシアンの生徒でフランスでもかなり有名なすごい先生とのことなのでこれはとお思い是非受講してみることに。楽器を持たない初めての授業。言葉以外で自分を表現できない、という状況が初めて来たのです。それまではなんとなく、Oui(はい)Non(いいえ)で乗り切ってきました。ですがさすがに和声の授業ともなるとフランス語が聞き取れないことはもちろんわからないことを質問することすらできません。がんばってはいたのですがその先生はとても厳しい方で、できない人はおいていく!わからないならもう来なくていー!というタイプの先生だったので毎回緊張していました。その和声学のクラスの生徒は15人くらいでした。年齢制限はないので上は30歳くらいまでで下は超優秀な子なら12歳くらいの子が混じってたりします。外国人はクラスで僕だけでした。人生最悪の日はいきなりやってくるのですが、めずらしく先生が何もわかってないであろうことに勘付いて僕に「おいそこの日本人、ハ長調の一度の和音てドとミ以外に何がある?」後で質問の意味さえわかってしまえば音楽をやってる人なら誰でもわかる質問をしてきたのです。Sol(ソ)と答えればいいだけのなのです。当時質問の内容すらわからない僕はOui!(はい!)、、と訳の分からない返事をしてしまいました。当然12歳の子を含め一同失笑。 再度先生は同じ質問。僕は肯定ではなく否定しなくてはいけない質問だったのかと思いNON!!(いいえ)、、一同爆笑。僕は今までにない行方不明な変な汗を垂らしながら全神経を馬鹿にされてる質問に対して馬鹿にされてるとも気づかずに必死に理解しようとしました。ですがやっぱり何度聞いてもわかりません。他の生徒が英語で説明してくれようとしますがそれもわかりません。わからないまま次の授業の生徒たちが廊下から顔を出し始めました。何が面白いの?なんで授業おしてんのー?といった具合に。そこでその先生が言います「おっけー、この日本人が答えられたら授業終わりまーす」後片付けをし始めるほかの生徒。準備をする次の生徒、一人だけ動けず考え込む日本人。早くしてよーという言葉が言葉の壁を越えて伝わってきました。僕は一言Désolé(ごめんなさい)と言って白旗を上げました。あからさまに呆れた表情をする先生、笑ってこっちを見てくる15x2の生徒たち。忘れもしませんがその日は20歳になって成人したにも関わらず泣いて帰りました。いやー本当に悔しかった。言葉がわからないという非日常的なことがここまで不便なものなのかと。日本人で日本にいたらそんな経験ないですからね。その日から死ぬ気でフランス語を覚えました。1日1000単語ぐらいを目指して、実際には100も覚えられてないと思いますが。当時持っていた電子辞書が数週間でキーボードの文字がすべて剥がれ落ち数か月後には壊れました。誰が何と言おうとその期間は世界で一番フランス語を勉強していた外国人だったと思います。辛かったですが結果的にそのおかげで精神的にもすごく強くなれたし語学も上達したので今となってはその先生にとても感謝してます。と言いたかったのですが、、すみません嘘です、その先生のことは今でも少し恨んでるというのが本音です笑 だってみんなで笑うのはさすがに僕かわいそすぎじゃないですか?もちろん一番辛かったと言ってもまだまだ他にも辛いことは海外生活でありました。今日はそのほんの一部です。次は一番楽しかったことを書きたいです!と思ったのですが、あれ、思い出せない。。と今日も辛い気持ちになるのでした。続く

  • 12Sep
    • パリを散歩する(2)

      先日の続きですが、教会を出た後は特に目指すところもないまま歩き疲れたので適当なBARでビールを一杯飲みに。日本とこっちのバーの決定的な違いとして一つ、チャージ代がかからないんです。あとお酒は物価が高いといえども日本とビール一杯の値段はあまり変わりません。ただ地域ではなく飲む場所によってものすごく変わります。中心街であっても良い店を知っていれば大ジョッキ一杯3ユーロ程でチャージなしで飲めるところもあります。あるバーで一杯飲んだ後は行ったことのない小道を目指して歩いていたのですが突然大迫力遠近感を失うのストリートアート!いやしかしいったいどうやって描いたのでしょうか。。数々のストリートアートを見てきましたがこの30メートル近くになる絵はどこから描き始めるのでしょうか。一体どんな人生をお送ればこのような発想が出るのでしょうか。内緒に!という動作とは反対にこの超内緒ではない絵。僕らクラシック音楽の演奏家というのは基本的に現存するものを演奏するので同じ芸術家であっても作品への発想力という部分では無縁なところがあります。いつもこういったある意味不思議?な作品を描ける人というかこの一面にこの絵を描くっていう度胸がすごいな、と単純に思うんです。どんな心臓してるのかと。一人だったのか複数での作業だったのかはわかりませんがこの絵をこの四角でも丸でもないドでかいキャンパスに描いてそれが街とマッチすることを実現できるって、、同じ人間と思えないです。騙されてる気にすらなります。いや絶対同じ小学校とかにはこんな子いなかったです。才能なんでしょうか。そもそも才能とはなんなんでしょうか。無人島で生まれて育ってこの発想はないですよね。きっと良い環境で良い影響を受けたんでしょう。影響というのは本当に大事ですね。その影響を受けるアンテナがこの絵をペイントした人はすごかった。それを才能と言うのかなと思います。また「良い」という言うのも僕個人の観念で万人に対応するものでも何でもありません10年住んでも知らない道があり、このようなアートが突然目に飛び込んで来たりとやはりパリにいると嫌でも芸術に触れれることが結局は自分の演奏にも影響していたり、と本当にありがたいなぁと思います。続く

  • 10Sep
    • パリを散歩(1)

      すっかりご無沙汰しております。松本大樹です。1か月の日本での滞在が終わりパリへ帰ってきました。フランスでは9月が日本での新学期、つまり4月に当たり慌ただしい月となります。といっても3週目まではまだまだ準備期間でやっと今週が自分の中で夏休みになっています。気候も天気も素晴らしい週となったので久しぶりに自分の住んでる街をゆっくり散歩してみました。もうパリに住み始めて10年近くになるのですが未だに知らない場所があったり知っていても何か常に違うイベントがあったりと、ただ歩いているだけですが面白いことがあります。とりあえず街のど真ん中まで行ってみようとシャトレに行ったのですが近くにあったサントゥスタッシュ教会に入ってみると。。もんのすごい音!パイプオルガンを誰かが弾いています。聞いたこともないような演奏でそこにいた人達も祭壇とは反対側にいる見えもしない正体不明の演奏家を見るなり撮影するなりしています。僕もすぐにその中の1人になりました。動画はTwitterの方に載せています。結局ずっと見ていても何も動かないし演奏者も最後まで出てこなかったのですが釘付けになってしまいました。本当に教会が揺れているのでは、いや地球が揺れているのでは、と錯覚するほどの爆音と演奏のエネルギーでした。演奏が終わりブラボー!という声があがったのですがそれでも演奏者は出てきません。ちょっとかっこよすぎませんか。続く

  • 15Sep
    • ギタリストと航空会社の戦い(第2弾)

      こんにちは、ナイロン弦をひたすら片足上げてポロンポロン毎日弾いてる人です。前にも書かせていただきましたが飛行機の機内にギターを持って入れる可能性は9割以上ですが残りの1割は残念ながら断られて200個以上あるスーツケースと共に流されることがあります。僕の経験ではここ10年では一回も流されることにはなったことはないのですが、基本的にはどこの航空会社でも規格外の大きさなのでダメと言われてしまえば向こう側の言い分の方が正しいのです。ただ規格外ではあってもキャビンに入らないということはほぼないし、どこかにギターを1台くらい入れる余裕は絶対あるんです。ようは向こう側の差し加減なんです。そして今回は今までにあったバトルの中でもぶっちぎり1位のバトルをしてきました。今回は特別で皆さんご存知の通り関西空港が台風で閉鎖するという事態が起こり、私の12日の便は関空から名古屋に変更することになりました。始発の湖西線に乗り、新幹線に乗り、中部国際空港にたどり着きました。すると空港内はものすごい人で私の便に関しては50m以上の列ができてました。そしてギターを抱えたまま恐る恐るチェックインへ。もちろん聞かれます「お客様こちらのお荷物は、、、、機内にお持ち込みでしょうか?」この流れは多分ここ10年間で100回目位。きたーーっと思いながらとりあえず「はい」と一言。ただこの「はい」の言い方から全てが始まってるんです。はい、、、(ダメなのわかってるけどお願い!)はい?(え?なんで聞くの?持って入るなんてジョーシキっしょ?)はい!(とりあえず元気よく返事してごまかす)......etcとまあその100通りの「はい」の中から強気でいく系のやつにしてみたんですが顔が胡散臭かったのかとりあえず責任者に聞いてきますと言われ向こうでごにょごにょと片目でこっちを見ながら会議が始まります。こっちも顎しゃくらせて向こうを睨みます。。帰ってきました。「お客様、本日関西空港の振替え便ということもあり大変混雑しているので絶対にお持ち込みしていただくことはできません」有無を言わさないダメの一点張り。まるでネフェルピトーにコムギを治せと頼んだ時の王のように。そしてその時思いました。こんなに硬い壁は本当に倒れないのか。鳴かぬなら鳴かせてみせようスチュワーデス猛攻撃を10分ほど仕掛けました。ありとあらゆる出てくるでまかせの数々。。ジャブ、ジャブ、ボディーブロー。昇竜拳。ですがかわすこともなく顔面を差し出してこっちに向かってきます。相手の攻撃が始まりました。こっちの壁はスカスカでまさか鉄砲を持って挑んだ戦いにゲンコツでおされるなんて思ってませんでした。30代後半迎えたてくらいの綺麗な女性だったのですが今ここでギターを預けてくれないと私泣きます、といった目で見てきます。話していた内容はほとんど入ってきませんでしたがただその顔がすごい。その姿にもうギターのことなんて忘れてこっちももらい泣きしそうになります。本当に泣かせてしまうところだったのですが作戦を変え、というより今回は本心でわがまま言ってゴメンなさいということを10分間かけて伝えました。あ、、あ、、、、、すみませんこの話第1位とか言っておきながらオチが別に全くないことに気づきました。消そうか迷ったけどまあせっかくここまで書いたので。。だらだらと書いておいてすみません。要約するとちょっとドキッとしたっていう話です。この続きはまた後日!(たぶん)でも次回は違うことを書きます。最後まで読んでくれた方ありがとうございました、ゴメンなさい。あ、ちなみにギターは無事持って入れました。

  • 25Apr
    • 飛行機での話

      ポルトガルに来ています。パリから直行便でポルトに着きました。そこでなんとも歯がゆい事が飛行機内でありました。座席は窓際。隣にはかなり高年齢な老夫婦が二人。晴れてたのですが風が強かったため出発前に機内で待たされることに。その後ご無事出発したかと思えば、、もんんのすごい揺れ。子供は泣くは軽く悲鳴をあげる人もいれば笑う人も。。普通こういったときには「ただいま大変気候の悪いところを通過しています」的な案内が流れるのですが何も流れず少しだけ人生の回想がはじまりそうでした。ふと隣の席の老夫婦を見るとおじいちゃんの方はものすごい貫禄でやすやすと眠りについています。さすが、昔戦闘機に乗ってただけのことはあるなー、、いやそこまでは高年齢ではないはず。でもこんなにゆれていて起きない人がいるのか、不安にならない人がいるのか、と思い感心していたのですがもしかしたらショックで気を失ったのでは?もしくはもう。。いやいやどうやらそういう様子でもなさそう。と飛行機も揺れがようやくなくなりかけていた時、突然の少し強めの音量での機内アナウンス(内容は覚えていません)が鳴り始めた瞬間におじいちゃんが飛び跳ねるように起きました 笑なんで?笑 「あーびっくりしたー」的な言葉をポルトガル語で奥さんに。奥さんは無視。なんかコントのようで面白くて怖かった気持ちもどっかにいってしまいました。その後は順調に飛行機はすいすいと雲の上を。まるでドラえもんのび太の雲の王国のような雲が広がっています。おじいさんは雲が好きなのか私の席を半分奪いながら食い入る様に窓を見てきます。ただ日差しが強く丁度自分の太ももの上にだけ太陽が当たります。いくらおじいちゃんが見たいからと言ってもこのままでは自分の太ももが焼けてしまいます。後でブログに書こうと思ったので写真も撮っておきました。こんなかんじでですしょうがなくおじいちゃんには悪いと思いながら窓を半分閉めました。そしたらまだその半分空いた窓から景色を見ている様子。。半分の光もおじいちゃんの視線も熱かったので窓をバタン!「はい!もう終わり!」というかんじで閉めました。おじいちゃんからしたら太ももの事情もなに知らないのでただただこの東洋人に意地悪されたという気持ちになったのかすぐさま隣のおばあちゃんに愚痴りだします。(何を言ってるのかわかりませんでしたが絶対愚痴ってました笑)なんかもういらっとする気持ちはなくちょっと失礼ながら可愛く思えてきたんです。そんなおじいちゃんが次はいつ開くのかなといった感じで閉まった窓を5分に一回くらい見てきます。「もう、わかったわ!開ければいいんでしょ!」といった気持ちで窓を開けたらそこには見た事もないような綺麗なアルプスが。雲より高いのにどうやってその雪は積もったの?と思うような高さの山が雲から突き出てて、すごく綺麗でした。なかなか写真じゃ伝わりませんがこんな感じおじいちゃんも食い入る様に見るかと思ってふと横を見たら、山を確認したのは間違いないのですが全く興味をしめさない。。もう笑うしかありませんでした。結局その後山はもちろん川や海も登場したのですがあまり興味が無い様子。もしかしたらひたすら広がる白い雲の世界にのみ魅力を感じたのかなぁと思い、ロマンチックなおじいちゃん!とも思いましたがもしかしたら最初から窓ではなく東洋人の顔が珍しくてずっと見ていたのでは。。?まさかね。綺麗な写真が何枚か撮れたのでついでに載せておきます。世界の空窓から! 

  • 13Apr
    • 伊能忠敬より前、1750年に書かれた日本地図

      先日パリの骨董屋がたくさん並ぶ通りを歩いていると店頭に一枚どこかで見覚えがある絵が。あ、日本地図だ!と思い少し目を凝らしてみて見ると。年代が1750年と記されている。あれ、伊能忠敬が書いたのって何年だっけ。。即座にwikipediaで検索。  寛政12年(1800年)から文化13年(1816年)まで、足かけ17年をかけて全国を測量し『大日本沿海輿地全図』を完成させ、国土の正確な姿を明らかにした。by wikipediaそう彼が地図を完成させたのは66年後の1816年なんです。あれ、小学校のとき伊能忠敬が最初に日本地図を書いた人って習わなかったっけ。じゃあこの絵は何?もしかしてものすごいものを見っけたのでは!と思い店へ入ってすぐに質問。「初めて日本地図を書いたのは伊能忠敬って人で1816年なんですけどこの地図って誰が書いたんですか?」「え、1750年っていうかそれ以前に世界地図は完成してたし方法が違うだけで日本地図なんていっぱいあったよ」と店員。そう教養のある方なら当然ご存知だったと思うのですが別に伊能忠敬が初めて日本地図を書いた人ではなくそれまでにもいろいろ測量法はあり既におおよそのものはできていたのですね。行基図という古式の日本地図(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%8C%E5%9F%BA%E5%9B%B3)たるものが奈良時代からあったとされていてそれを元にいろいろ他の人が作ったんですね。あまりにも伊能忠敬の印象が強いのですがそれ以前にも以後にもいろいろな方が書いていたんですね。とはいえ店員の方もネットで伊能忠敬を猛検索。「うそでしょ、なにこの人歩いて測ったの?ばかじゃないの笑 えーでもすごいね」私は何かの番組で見てたまたま知ったのですが伊能忠敬ってたしか何回も疲れて諦めて帰ったりしてるんですよね。しかも完全に歩幅で測ろうとして何歩目できっちり何メートルになるように何年か練習したんですよね。その歩き方が伊能ダンスだとか。。それを店員に伝えたら尚更びっくりされてました。店内には地図以外にも様々なものがあり、とても興味深い店でした。中でも音楽と書いた欄がありその中には何百枚も何百年前のコンサートの記事や全然知らない作曲家や演奏家の絵などがありました。しかも値段がびっくりするくらい安い。その他にも200年前の当時のパリの画などがあり結局1時間くらい何も買わずに居座ってしまいました。美術館と違って手にとって見れる分とてもなまなましく楽しかったです。というか素手で触れることにまずびっくり。本来写真はNGですがこの日本地図だけは特別に許可をもらい撮らせてもらいました。

  • 12Apr
    • 実はペースメーカー入ってます(ギタリストと航空会社の戦い)

      少しネタバレな題名になっちゃいました。今回は手荷物で楽器を持ち込む際毎回繰り返されるギタリストと航空会社の決死の戦いについて書きたいと思います。なぜ戦いになるのかというと、ギターという楽器は飛行機に乗る際キャビンに入るかどうかぎりぎりの大きさなんです。ヴァイオリンなどの楽器はもちろん大丈夫ですがチェロやコントラバス、チューバなど明らかに大きい楽器の場合はもちろん2席分買うことになります。ところがギターという楽器は95%大丈夫なのですが5%はアウト、そして100%チェックインカウンターで言い合いになるのです。結局言い合った末に95%の航空会社、特に距離がヨーロッパから日本の様に長い場合はほぼ100%大丈夫です。ただできれば手荷物にしてほしくないというのがどこの航空会社も同じでこちらも強い姿勢でいろいろ言い訳や嘘をつかざるをえません。だって5%以下の断られる可能性のために毎回2席分買うなんてばからしい!!もうかれこれギターを持って100回以上は飛行機に乗っているのですが毎回チェックインカウンターもしくは搭乗口でのバトルの思い出ができます。言い合いになる度に嘘や言い訳を言い続けてきました。「もう事前に電話で持ち込めると確認してますし、そのとき電話でしゃべった人の名前もメモってます」「このケース壊れているので自分以外が運ぶと絶対壊れます」「ギターという楽器は氷点下0度越えると壊れる仕組みになっています」 「今から乗る飛行機の機種は〜でこのケースのサイズは〜cmだからキャビンに入らない訳が無い、知り合いが飛行機の設計に携わっているからもうそれはわかってる」などなど。。ただそんなバトルのなかでも今回日本に帰ったときとてつもない嘘をついてしまいました。行きは何の問題もなかったのですが帰り、日本を発つときにまずよっぽどギターを持ち込ませたくないのか、かなりいろいろと無理矢理な理由を言われスーツケースと一緒にあの平面エレベーターで流されそうになりました。でも楽器っていうのは子供と一緒で同じ親に頼んでも同じものは生まれてこないから一度壊れたらもうお別れなんです。だからと言って財布ともお別れしたくないので必死で戦います。散々言い争いになりこっちも向こうもアゴがしゃくれてきはじめたあげくとうとう私が言ってしまったのは「すみませんあの実はペースメーカーが入ってて血圧があがるとほんとに危ないんですよ、次回からは持ってこないんで今回だけ見逃してくれませんか?」しかし人間というのは言ったこともないフレーズを吐くとつい不自然さが出て説得力が減ってしまいすぐにバレてしまいます。結局こっちももうバレていることが前提で話が進みペースメーカーなどなかったかのような流れに。。こういう嘘が良くないのもわかってるし第一ペースメーカーがどういうものなのかはっきりとわかっていないのに、と考えだすとさっきまで繰り出していたキレのあるジャブも一気に勢いを失いもう今にも向こうのストレートをアゴにくらいそうになったそのとき、、、手荷物として小さなキャリーケースと大きなバッグを持った老人が登場。これだ、、!と思い 「あの人が持ってる荷物を横に並べたら明らかにギターより長いし奥行きありますよね?もしあの人があれを預けないんだったら持って入っていいですよね?」と言ってみると「しょ、しょーしょーお待ち下さい、確認致しますので」結果okをもらい持ち込めることになりました。なんなん今までの流れ。。こんな理由でいいの?でもよく考えてみて下さい、長距離を移動する飛行機には大量の毛布や枕を入れておくクローゼットが絶対あるはずなんです。仮にキャビンに入らなくてもどこかに入れられる場所は絶対にあるんです。しかも満席ではなかったし同じ航空会社で同じ大きさの飛行機で既に持ち込んだこともあったんです。実際AIR FRANCEに乗ったときはギター二台持ち込んだことあります。ようはその時の人のさじ加減なんです。交渉するたびに思うのですが人にはいろいろ種類あってこっちが強めの態度で行くと折れてくれるタイプと逆に反発するタイプ。もしくは下手に出て、「当然無理ですよねー」みたいな態度でいくと「いやいやなんとかしてあげるよ」という同情してくれるタイプ。もしもチャックインカウンターに並ぶ前にその受付の人の顔でその人がどのタイプの人間かが判断できてどういうパターンの交渉の仕方が有効的かまでわかれば一番良いのですが。というか無理なら100%無理と言ってくれればこっちも諦めるのに。これからもまだまだ戦って行きます。次回は伊能忠敬の日本地図とパリで見つけたそれより前にフランス人によって作られた日本地図の話です!

  • 09Apr
    • やっぱり日本は住みやすい☆

      前回の内容はなんだったのかと思わせるタイトルですが今回はフランスで行われているストライキの話です。フランスは個人的にはすごく交通の便なども良く住みやすい国だと思っているのですがたまに大規模な国鉄のストがありいらーーっとすることもあります。と言っても日本でも70年代には9500件もストが起こった年もあるらしいです。が最近では年に50程度。。いろいろ理由があるらしいですけどこんなに少ない国は世界でも珍しいです。ただ電車で移動ができない、新幹線が1日1本しかない、なんてことは起きませんよね。それが今フランスで起きていて4月〜6月末まで週に2日はストライキで電車が殆どない状態です。ここまでの大規模なストライキは40年振りくらいだそうです。そう、丁度そのとき起こした人達の子供達が起こしてるのでは。。?笑「お父さん達は3ヶ月で3日しか働かなかった日があるからなー」「え、じゃあその記録塗り替えるよお父さん!」的な感じでは、と勝手に想像してます。パリ近郊に行く分にはいろいろ手段があり電車も最低限あるのですが、4月4日私がパリに着いた日がまさにその息子達が一番元気がある日で空港から自宅までなかなか帰れず結局タクシーで3時間かけて帰ることになりました。。昨日はパリから電車で1時間半くらいのところにあるNOYON音楽院というところでギター科の試験の審査員に招待されていました。朝の9時に集合だったのですがその日の朝に電車が1本もなくそしてその日に帰ることもできない。。で急遽宿を用意していただきまさかの2泊3日の小旅行になりました。距離感で言うと滋賀県から京都に行って帰れないくらいのかんじです。はいわかりやすいですね。そして今朝戻ったのですが乗った電車がその日1本しかない超貴重な電車だったのでもちろん満員。そのときのフランス人の自己中具合ときたらもう想像を絶します。相手を倒してでも乗ってやろうともう乗る前から全員の目がサメみたいになってました。。これは負けてられないと私もおもいっきりアゴをしゃくれさせてオラオラオラと乗り込みました。とまあ無事に帰って来れたから良かったんですがそういうことがある度になんなんだこの国のいいかげんさと自由さは、、これが日本だったら絶対こんなことにならないのにとか頭に過ります。でもそう思うと同時に絶対イライラしないためにも自分に言い聞かせることがあります。自分は誰に呼ばれて来た訳でも誰かのためにフランスに住んでいるのではなく誰に日本を追い出された訳でもない。そう全て自分が選択したことで何も国に対しての文句は言ってはいけない。文句があるなら日本へ帰れ。ということです。 サメの餌になるほどは謙虚にはなれないですけど。でもそもそも日本だったらなぁという考えがやっぱり間違ってるのかもしれないです。こっちにはない地震が日本にはあるしその度に電車が止まったりと同じような問題は常にあるしそれ以上の問題だってある。それに日本にだってマナーが悪い人はたくさんいるのも事実です。前回の続きになりますが、そうやってどんどん理想を膨らませるから日本に行ったときにがっかりするのかもしれません。日本は何も変わってないのに結局変わったのは自分で何か損をしたような気分になる。やっぱりそれは良くないですよね。というわけで次回は飛行機とペースメーカーの話です、、、、、 

  • 05Apr
    • 日本という名のユートピアは存在しなかった

      記念すべき第一回目のブログです。まさかの第一回から真っ暗な話になってしまいそうなのですがもしよろしければ最後までご拝読ください。現在パリに在住中でフランスでの生活が12年目になりました。先日コンサートのため日本へ行ったときの話です。フランスにて10年以上(人生の1/3)の生活をするにつれてそろそろ日本に完全帰国して活動したい、毎日日本食を食べたい、日本の友人と毎日楽しく過ごしたい、母国語だけで暮らしたいなどという思いが出てくるここ最近でした。3月後半から昨日までコンサートのため二週間、東京に滞在していました。元々東京には数泊しただけで今回のように長く滞在したことがなかったので今回のように長期滞在というのは初めてだったのですが最初の3日ほどは友人の助けもあり楽しく、全てが新鮮であり懐かしくもありました。日本、東京!と言えば自分の中では一度は住んでみたい、もし日本に帰って音楽家として生きていくならばここしかない!絶対楽しい!!!と思っていましたしその考えは今も消えることはないのですが今回の滞在は自分の中でいろいろと考えさせる期間になりました。何がその原因になったかと言うと、自分の海外生活が長いことで生まれるコンプレックスみたいなものが生まれてきたのです。具体的に言うと、まず一般常識の違い。電車の乗り方、降り方バスの乗り方降り方、初対面の人との接し方、スーパーでの買い物の仕方、、などなど言い出せばきりがないのですが1年に数日しか日本に居ないとなかなかこう言った当たり前の常識などがわかってはいても確信が持てなかったり完全に忘れていたりとあたふたしてまうことがあります。ただそれは本来世界のどこにいても常に起こることではあるのですが、私が日本人で日本人の顔をしていてしかも100%訛っていない日本語を話せるというところだけが違い、全て出来て当たり前ということがとても今回コンプレックスになりました。細かい例で言えば、10年振りに今回ガストに行きました。そこでまずもちろん自分が食べたい物を注文することはできるのですがドリンクバーを頼まない場合水が無料なのかどうなのかがわからない。。そしてドリンクバーがある場所で水を見つけたのですがもしこれを勝手に取ったら怒られるのでは、、?そうじゃなくても「水は無料ですか?」と聞くのは世間知らずでしかも貧乏っぽく見られるのでは。。?などと普通ならそんなこと気にしなくても聞けばいいじゃない、と思われるかもしれないのですがとても気にしてしまい、結局喉がからっからになりながらすぐガストを出たドアの隣にある自動販売機で水を買いました(笑)そんな珍プレーが毎日続き日本では言葉も100%通じて、なんでもできる!海外は住みにくい、長く住んでもわからないことだらけ、というのが完全に自分の理想であり言い訳であることに気付きました。 じゃあ海外では日本人だからわからないことが多くて住みにくく、その日本人が母国に帰ったら今度はもっとわからないことがある上に恥までかいてしまう、、、自分の居場所はどこにもないのかと自分の頭の中でしか存在していなかった理想郷になぜか裏切られた気分になり少し鬱というか外に出ることすら恐くなってしまい最後の数日は友人達の誘いすら断ってしまいました。なんとちっぽけな存在かと自分でも思ったのですがおそらく海外で何か失敗する度にどこかで外人だからしょうがない、これが日本だったら全てできるのにという甘えであり勘違いがあったんだと思います。結局そんな考え方は間違っていてどこに居てもその土地にはその土地のルールがあり自分が学ぼうとしない限り身に付かないのです。学ぼうとさえすればいいだけの話なのかもしれません。ただここが絶対ズレているというか住んでいたときは疑問にすら思わなかった日本にしかないんだなぁと思った一般常識もありました。例えば横断歩道。一方通行、見渡す限り両方向300M以内に車の気配なし。赤信号。。これは渡ってもいいんじゃないですか?映画のバックトゥーザフューチャーみたいに乗り物が突然時空を超えて現れることはないし。でもそんな日本のくそ真面目な所も改めて素敵だなとも思ったし、もう一度日本人としての礼儀や常識もきちんと学びたいと思いました。   あ、でも別にドリンクバーは日本のものじゃないですよね?次回へ続く。。