7月15日(月)。
連休最終日のこの日、「尾曳の渡し」新曲発表会を観覧するために「尾曳の渡し」のご当地である群馬県館林市に行って来ました。
会場は城沼やつつじが岡公園に隣接した三の丸芸術ホール。
客席数は約510席。イベント開催発表後すぐにチケットは完売になりました。地元館林市の人々の期待も大きなものがあるようです。
エントランスホールには午後になると開場を待ちきれない大勢の市民の方が詰めかけ始めたため、開場時間が2:30予定のところ急きょ1時間前の2:00に変更されました。
コンサートは市の関係の女性の方の司会で進行。
幕が上がって、まずは「会津追分」。
歌い終わって愛ちゃん本人が自己紹介。
次に「約束」。
歌う前に大きく深呼吸。かなり緊張しているのが見てとれました。
「約束」の歌唱終了後には、館林市市長が舞台に登場して挨拶。
ご当地ソングの「尾曳の渡し」に関するお話し以外にも、城沼を含めた館林の三つの沼が文化庁の日本遺産に「里沼(SATO―NUMA)」に認定されたこともおっしゃっていました。
詳しくはこちら。
館林市市長の招きに応じて客席にいた水森英男先生と麻こよみ先生がステージ上に。
水森英男先生と麻こよみ先生が「尾曳の渡し」の制作秘話などを話してくれました。
友人の方が館林市にお住まいだということで、水森先生は数年前から館林をたびたび訪問していたそうです。そこで、館林周辺を舞台にした歌をいくつか構想していたのですが、「尾曳の渡し」という題名にピンと来て、麻先生に電話したところ「尾曳」の読み方に戸惑ったものの「尾曳の渡し」で詞を書くことを快諾したとのこと。
麻先生は歌の舞台の館林市を訪れることなく詞を書き上げたそうですから、詞の内容情報はほとんど水森先生が伝えたことを基にしているのではないかと思われます。
詞の内容にも関係するかもしれないお話しを、開場時間までエントランスホールで待つ間、お隣に座っていた地元の老婦人の方から興味深く聞いていたところだったので。そんな話も麻先生は水森先生から聞いたのだろうと思いました。
そんな話とは、「お辻お松伝説」です。
江戸時代初め、館林城主だった徳川四天王の榊原康政の側室にお辻という女性がいたそうですが、殿様の寵愛を一身に浴びたため周囲の妬みを激しく買い、侍女のお松と共に館林城の外堀(城沼)に身を投げて死んだという悲しい物語。
コンサート終了後、家に帰ってネットでその話を調べてみましたが、なるほどと思いました。この話を心にとめて改めて「尾曳を渡し」を聴いてみると、歌の最初の部分「棘ある言葉に泣かされて、、、」という部分が前よりすっと心に入って来ました。
「会津追分」のときは、白虎隊自刃のの悲話が底流にあるように感じましたが、「尾曳の渡し」もお辻お松の悲しい物語が曲作りの底流にあるように思いました。
話をコンサートに戻します。
この後、館林のゆるキャラ、ぼんちゃんととうひょうくんが登場。
愛ちゃんと水森先生、麻先生に花束を贈呈しました。
「大利根月夜」(水森先生に最初に習った曲のひとつ)、
「酒きずな」(天童よしみさんの曲で水森先生作曲)。
この後、愛ちゃんはステージから客席に降りて
「しあわせ一番星」
「宗衛門町ブルース」
「喜連川」
お客さんと握手しながら熱唱。
ステージに戻る前に
「愛子のソーラン節」を歌い、会場を大いに盛り上げました。
ステージに戻って、最後は、
再び水森先生がステージに登場。
ギターを弾きながら、愛ちゃんに「尾曳の渡し」を歌わせて我々聴衆に歌唱指導をしてくれました。
その指導のポイントは、覚えている部分だけ。断片的ですが、、、。
●最初の二行「棘あるうわさに 泣かされて 逃れて来ました あの町を」は、淡々としゃべるように。
●次に背筋を伸ばして鼻を使って息を吸って、歌う。鼻を使うと沢山息が吸えるとのこと。
●「運命あずける」の部分は裏声を使わずに歌えたらそちらの方が良いそうです。裏声ではなく地声の方がバリエーションのある声が出せるからだそうです。
水森先生曰く、「尾曳の渡しは難しい曲だが、難しい曲は一度歌うと病みつきになる」とのこと。印象的な言葉でした。
コンサート終了後、水森先生、麻先生、愛ちゃんと順番に出待ちをしましたが、予定になかった集合写真、最後に愛ちゃんの「写真撮ろう」の一言で実現しました。\(^_^)/