目的のない旅 | のんびり

のんびり

いろいろあるけれど、平穏無事に暮らしたい

雨が上がって薄い陽射しが差し込んでいる。気温もある程度上昇して蒸し蒸ししてきているようであるが、足が冷たい感じあり

 

今、平野啓一郎原作の「空白を満たしなさい」がNHKでドラマ化されている。阿部サダヲがなかなか良い味をだしている。土曜日の22時からである。

先週、同じ時間帯に日本テレビ系列で「初恋の悪魔」というドラマが始まったのでチラッと観ると…?と思う。俳優の柄本佑が両方に出演している???これっていいんですか、俗にいう裏番組ってことだよねと思ったのである

 

 

 

情報過多世界である

windows97により庶民にPCが浸透した、2000年頃にはヤフーBBなどによるADSLの普及で家にいながらアクセスできる情報量が飛躍的に増加した。

また、外出先においても携帯電話とi-modeによりこれもまた2000年頃から得られる情報量は増加。

そして、2007年?2008年?のiphoneの登場・進化と通信網の発達3G・4G・5Gにより、いつでもどこでも好きなだけ自分の得たい情報が得られる時代になった。

非常に便利である。しかし、それによる弊害も確かにある

 

羽生善治9段がこんなことを言っていた

”最近、スマホを持っているとほとんど道に迷うこともなくなったじゃないですか。以前は道に迷ったりして、でも迷子になりながら、なんとか目的地にたどり着くという楽しみもあった。今の時代、情報に頼らないで物事に取り組むという経験が少なくなりつつあるのかもしれません。でも、そういうある種の小さな挑戦とか、冒険、あるいは身近で未知なるものに出会う機会を求めていくことは、非常に大切ではないかと思います。”

 

現在では、自分にとって未知の領域に足を踏み入れるときには「前もって検索する」という行為が必須になっていないだろうか?

前もって情報を得る、確かに重要なことだ。しかしそれは確実に『先入観』を生む。

 

例えば、音楽・映画・書籍・雑誌などでも何の前知識もなしに選択することはなくなっているのではないだろうか。ふらっと立ち寄った本屋でなんとなく気になって手にとった、一昔前ならばCDのジャケ買い、時間が開いたからなんとなく観た映画なんてことはほぼ皆無となっているような気がする

ポチッと検索すれば、様々なコメントが瞬時に確認できる。どんな内容で、誰々が称賛していた、何々賞受賞なんて情報もわかる

前もって知ったことを確認するために観たり、聴いたり、読んだりしているかのようにも錯覚してしまうかもしれない。検証作業かはてなマーク

 

これは食事処や旅行でも同じかもしれない

旅行するならば次の検索か?

どこに行くかという目的地

目的地までの交通手段・宿泊先

旅行先における観光地・名産などなど

さらに、旅館の確保と旅券もポチッとクリックすれば完了だ。

旅行日程、観光地巡りなど全ての予定をキッチリ決めて、その通りに実行すれば楽しい旅行になるハズである。心配は同行者との感性の違いくらいかな

 

考えてみれば、大学生の就活なんてのも同じか。同じ時期にどうすれば良いかという情報が拡散されて、上手く行く方法で挑む

 

前もって情報があれば安心できる、失敗の可能性も小さくできる。まったくその通りである、賢い手順である

 

しかし、前もって情報がない。先入観がないからこそ思いも寄らない驚きや発見という状況になるかもしれない。失敗もあるだろうけれど、既知ではないことに出会えるかも知れない。既知というのは自分にとっては初めてということでも良いと思う。

そういう経験をする人がスマホが当たり前になった世代においては激減しているのだろう。他人と違う経験なんてのは、ほとんどの人には無縁になっているのではないかな

結局、情報過多といってもほとんどの人がアクセスする情報は似たり寄ったりの無難なもので代り映えしないのではないか。それを知ったからといっても、なんらアドバンテージがあるわけでもなく

 

スマホの電源を切って。前情報もなく先入観もなく、明確な目的もなく、なんとなく向かった土地で、なんとなく下車したことのない駅で降りてみた…なんてことをする人の方が今は貴重なのかもね

 

ちなみに相場の場合はポチッと検索してもよほどの幸運にないとアホな回答を述べるサイトに行き着くように思う。上から目線の相場歴だけ長い初心者の蘊蓄ほどたちの悪いものはない、特に一回当てたことがある人