信念・理念・思い込み? | のんびり

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いろいろあるけれど、平穏無事に暮らしたい

ここ数日穏やかな天候が続いている。陽射しに誘われて久しぶりに車を走らせた

 

どこを見ても白い。湖も白い

 

 

株式市場はなんとなく下落しているようで

全ては押しですから!という「信念」と株式指標は右肩上がりでないとアカン!そういうもんやという「理念」と現実には永遠の右肩が上がりはありえないので「思い込み」であることもある。

今は「どこが底なんや?この連日の大暴落はいつ終わるんや!」という感じで2020年3月のコロナショック後の暴騰を待望する感じがある。

あるブログで『理由なき暴落から理由ありの暴騰まで耐え忍ぶ…』なんて上手いフレーズを用いていた。この理由なき暴落を耐え忍べば暴騰(高値更新)して含み益になるという大前提があるように思われる。

 

日本国民の期待を背負っているアメリカ指標も日足では連日大暴落をしているようにも思れるかもしれないが、月足でみるとまだ下がる余地は十分にあるようにも思うがどうだろうか?

日足の前日比だけで暴騰・暴落を語っていると大きな流れを見落とさないかい?

 

NYダウ月足

 

NASDAQ月足

 

平野啓一郎の「決壊」を再読した。非常に悲しい物語である

現在は「言葉」の全盛である。とにかく理論・詭弁を用いて相手を論破してやり込めることが常になっている。

上巻のP.359でこんな発言がある

『むしろ、言葉は結局、永遠に現実には到達できないということです。』

様々な状況が交差して複雑な現実がある。それを言葉にすると非常に簡易な善悪論に集約されてしまうことも多い、さらには他人の言葉を拝借して自分の意見にして発言するなんてこともザラである。現実と言葉の距離は乖離しているのに「言葉が正しいかのような錯覚」を起こさせる。これが現在のエリート層の得意な詭弁である。

この「言葉が正しい」という先入観が際立っているのがインターネットであるのかもしれない。理路整然と言葉によって人を納得させるバーチャル空間である。ネット社会ではとんでもない詭弁であっても信じ込んでしまう人を作り出してしまうことも往々にしてある。言葉によって人間が変えられて、変えられた人間が現実社会に戻っていく。

現実を表現するための言葉であるのであるが、いつの間にか言葉によって現実が変えられていく時代になっているような気もする。

 

どうでもいいことか